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刃が目前に迫る。
斬られる。瞬時に悟った。
俺は反射的に目を瞑ってしまっていた。
だが、長刀が俺に届くことは無かった。代わりに甲高い金属音が鼓膜を震わせる。
そっと目を開けると、長刀は目前で止まっている。数瞬の後、漸く理解出来た。鞘から僅かに出した長刀の刃で、腕を伸ばし、長髪で軍服に身を包んだ女性が其の刀撃を防いだのだ。女性は長刀を引き抜くと同時に、忍を押し退ける。忍は抵抗すること無く、むしろ其の力を利用する様に後方へと跳んだ。
「結城! 怪我は無い!?」
「姉さん! 何故此処に!」
「今は――」
忍は跳び上がり、上層の窓から逃走した。
其の瞬間、姉と俺の周囲は煙に包まれた。やられた。何時の間に煙筒を落としたのか皆目見当もつかない。そして、当然視界はかなり悪く、姉の背が見える程度だ。
「結城、動かないで!」
姉は依然長刀を構えた儘だった。
「結城後ろ!」
姉が叫んだ。俺は振り向こうとする――だが、突然腰に衝撃が走る。鋭い、瞬間的な痛みだ。俺は数歩蹌踉めいた。下を向くと切先が見える。真っ赤に染まり、一滴、二滴、と血が垂れてゆく。姉は俺の横を走り抜け、そして、後方で鈍い音がする。
煙が晴れたのは暫くしてからだった。何とか、腰に刺された物を抜く。見れば、俺の太刀だった。何故俺の太刀が・・・視線を先に向けると、姉は誰かを俯せにし、其の背に足を乗せ、首元に長刀を当てている。
「姉さん・・何を――」
「此奴がやったのよ! 貴方を刺したのは此奴よ!」
「・・其の人が・・?」
「貴方を裏切ったのよ! やはり鬼の・・・!」
俺は俯せにされている人を見る。流石に目を見張るものであった。何故ならば、其の人は染音だったのだから。其れにしても何故――少々意識が朦朧としてきた。そろそろ辛いな――
其の後、軍が現場に来て其の場を収めた。結城は軍病院へ搬送され、結衣と染音は軍へ連行された。結衣は自ら同行を要求したのだった。本舎の一室に連行されると、染音は手を縄で縛られ、椅子に座らされた。結衣は部屋の隅に立っていた。机越しに軍人は質問をしては誌に書き留めてゆく。染音は目に涙を浮かべていた。結衣は其の軍人に一言だけ伝える。其れが承諾されると、結衣は頭を下げた。
然うして、染音は独房に収容され、結衣は屋敷へ戻った。帰路、結衣はふと、華族で良かった、と思ったが、直ぐに其れを恥じた。
俺は翌朝目が覚めた。服を捲ると腹には包帯が巻かれている。少し手を触れただけでも激痛が走った。ふと横を見ると、軍服が掛けられている。少し左にずれた腹の部分は真っ赤に染まり、駄荷袋には幾つか筋が出来ている。
今でも半ば疑っている。俺を刺したのは本当に染音なのだろうか。俺の太刀が使われていたことから、鹿鳴館の置き場に行ったことになる。置き場は施錠されているし、警備員も居た筈だ。
十二時を回った頃だった。
「災難だったな。」
「少佐。」
「つまらない物だが、加須底羅だ。」
晴風少佐は手にしていた紙袋を横の机に置いた。紙袋には独特の書体で『百華堂』と印刷されている。百華堂は和菓子の老舗で人気が有る。さらには多くの雑貨も販売しており、主に女学徒が立ち寄る場所である。姉も当時は屡々立ち寄っては、少々値は張るものの買ってきていた――値段相応の味で恐らく此の街で一位二位を争う程だろう――ただの見舞いだというのに。俺が礼を言うと少佐は笑って返す。
「一晩経って、調子は如何だ。」
「今朝は少々痛みましたが、動かなければ何ともございません。退院は来週の予定です。」
「然うか。其れ程重い訳ではないのだな。」
「はい。」
「復帰を楽しみにしている。無理はしなくて良いが。」
「少佐を始め、隊の皆様に申し訳無いので、なるべく早く戻ります。」
「お前は真面目で信頼も有る。誰も文句は言わん。」
少佐は長くは居なかった。仕事の合間にわざわざ来てくれたのだ。尚更退院が待ち遠しい。
少佐が見舞いに来たのは其の日だけではなかった。毎日昼頃に此の病室を訪ねてきた。其の都度、ちょっとした和菓子を持ってくるのだった。
退院日、軍医と軽く話して、病院を出た。侍女が馬車を用意していた為、其れに乗って屋敷へと向かう。僅か一週間程ではあったが、屋敷が懐かしく感じる。
中に入ると姉が、お帰りなさい、と優し気な微笑みと共に抱き付いてくる。
「無事で、良かった。」
姉がそっと呟き、俺は、然うだな、と一言だけ返した。
仕事に復帰し、再び日常が始まる。例によって一人居ないが。以前の生活に戻った様だった。まだ二人であった頃の生活だ。俺はあの部屋には行かなかった。名前を口にすることも無かった。姉や侍女に変に、気を重くさせぬように。姉も部屋に行く様子は無く、名を口にすることも無い。ただ、以前よりも微笑む様になったと思う。そして、少なくとも俺は三人の生活に慣れてしまっているのだろう、物足りなく、平坦に感じられた。
此の一月はとても長かったと思う。特に仕事から屋敷に戻り、朝を迎えるまでが日に日に長くなっていたと思う。
今日の空は雲に覆われている。時折吹く風は肌寒い。愛馬で向かった先は拘置所だ。
漸く此の日が来たのだ。中に入り、玄関の椅子に腰かける。
十二時丁度、廊下の向こうから複数の足音が響いてくる。看守と染音だ。染音は帳の様な物を抱いて、下を向いている。俺は立ち上がり、看守の元へ行く。そして、話を聞いてから染音を引き取ることとなった。
門を抜け、愛馬を横につけた。
「染音、乗れるか。」
「・・・歩いて・・」
「然うか。」
何とか聞き取れる程度の声だった。そして、あまり顔を此方に向けようとしないが、染音のしたい様にさせた。
俺が歩き出そうとすると、愛馬が低く唸り、体を寄せてくる。言い聞かせるが、繰り返し唸るばかりだ。此れでは致し方無い。
「染音、悪いが乗って帰ろう。此奴が乗せていきたいと聞かなくてな。」
「・・・」
染音は何も言わずに頷く。染音を先に乗せ、俺も乗ると合図をせずとも愛馬は勢いよく駆け出した。
「・・あの・・・」
「如何した。」
「・・少し・・庭にいても・・・いいですか・・?」
「嗚呼、構わない。ただ、あまり体を冷やさないようにな。」
「・・・はい・・」
染音は屋敷に着くと然う言った。俺が良いと言うと、染音は小さく頭を下げ、屋敷の裏へと姿を消した。
夕食時、珍しく三人揃って食べた。俺の隣に染音、向かい側に姉が座っている。だが、あの時の様に一言も話すことは無かった。もう一年以上も経ったのだ。普通に話してもおかしくはない。染音も姉とは仲良く出来ているとも言っていた。ただ、今は染音がそんな気分でもなく、姉も気を遣っているのだろう。其れも当然だ。俺も同様の立場に立てば、話すことなど出来ないだろう。
姉は手早く食べ、直ぐに部屋へと向かってしまった。
「染音、大丈夫か?」
「・・・」
染音は料理に殆ど手をつけていなかった。
「・・・ごめんなさい・・食欲が無くて・・」
「無理はしなくて良い。だが、食べることも大切だ。辛いが、体調を回復しなければな。」
「・・・はい・・」
確かに今日見た時から、以前よりも細くなっている気がしていた。拘置所とはいえ、体調管理はされていた筈だ。染音が思う所も有ったのだろう。
「・・あの・・・」
俺が食べ終わり、席を立とうとした時、染音は小さな声で引き留めた。俺は座り直し、如何かしたのか、と尋ねる。染音は横に置いていたあの帳を手にし、両手でそっと差し出してくる。
「・・・あっちにいる時に・・思ったこととか・・書いたので・・・結城さんに・・」
「然うか。」
「・・でも・・・その・・少しだけ、怖いです・・・」
「・・分かっている。」
染音は依然俯き、目を逸らす。俺は立ち上がり、最後に染音の頭を撫でてやった。染音の体が震えている様に思えた。紅茶を淹れてもらい、自室に戻る。腰掛け、受け取った帳の表紙を捲った。
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