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華族と家族  作者: どばどば
第2節 操り人形
12/37

ー6

単語の説明です


・横座り

 正座を崩した座り方。


西伯利亞シベリア

 羊羹または餡をカステラに挟んだ菓子。

 (某ジブリ映画にも登場したことがあるので、知っている方も多いと思いますが、念のため入れました。)



 最近は仕事が早く終わり、七時頃に帰る日が多い。軍全体として戦争から大分時が経ち、安定してきたことが要因として有った。姉や染音と過ごすことが出来る時間が増え、俺は嬉しく思った。染音も嬉しかったのだろう、毎晩俺の部屋へ来る様になった。暫く見ていなかった為、普段は分からないが少なくとも俺と居る時は安心している様に見える。そして、此の屋敷に来た時と違い、大分甘えてくる様になり、良い意味で遠慮が無くなってきているのだと思う。



 だが、長月になって直ぐの三日、俺は染音に近々休みが取れることを伝えた。すると、染音は育った場所である八雲家の家に行きたい、久しぶりに会いたい、と言った。普段ならば快く承諾するのだが、此の時ばかりは然ういう訳にはいかなかった。俺が黙っていると、染音は不思議そうに俺を見つめてくる。最初は迷っていたが、染音に嘘はつけないと腹を決めた。

 引出しから此の間の新聞を取り出し、其れは無理だ、と一言だけ答え、其の紙面を染音に見せる。紙面を見た瞬間、染音は驚いたことだろう。其の顔は、徐々に歪んでいく。そして、弱弱しく俺に抱き付く――服を掴み、顔を埋めると言った方が良い――ひたすら、静かに。



 当然の事だ。其れが、八雲夫妻の死亡記事だったのだから。妻は玄関で、夫は居間で倒れた状態で見つかり、荒らされた形跡は無かったらしく、明らかに殺害目的であった様だ。亡くなる前日も変わった様子は無かったという。犯人及び其の動機は未だ不明である。

 俺は染音の気が済むまで抱いてやった。染音の気持はよく分かった。俺も同じ経験をしている。そんな辛い思いを染音にはさせたくなかった。



 其の日、染音は俺の寝台(ベッド)で一緒に寝た。正確には布団に潜ったと言うべきだろう。染音は俺に体を寄せてきては(すす)り泣く。何時(いつ)までも其の声は俺の耳に入ってくる。

 朝起きると流石に寝入っていた。其の顔はとても悲し気に見えた。仕事に出る前に、染音の頭をそっと撫でた。



 十二日、結衣はいつもの様に学院へ迎えに赴いた。だが、下駄箱で幾ら待とうと染音は一向に現れない。以前と同様補習かとも考えたが、近くの女学徒に尋ねると、偶然染音と同じ組の女学徒で、彼女は「真っ先にお帰りになりました」と答えた。礼を言うと、結衣は帰路に着いた。

 染音が帰ってきたのは午後七時頃だった。既に日が沈み、暗くなってしまっていた。染音に何とも無かったことに、侍女達は安堵の胸を撫で下ろす。だが、夕食後、染音は結衣の叱責を受けることとなった。

 染音が屋敷に来た時から、どんな時も変わらぬ結衣の其の態度に、染音はすっかり怯え、縮こまってしまっていた。学院の往復路、食事時などを除いては、染音は避ける様になっていた。



 翌十三日、俺は八時頃屋敷に戻った。軽く夕食を済ませると、涼みに庭に出た。夜空には雲一つ無く、月が輝いている。残暑という程ではないが、僅かな暖かみが有る。時折秋を思わせる枯れた風が吹く夜だ。



 静寂の中、突如布がはためく音がした。其の方向を見ると、姉が地に敷物を敷いていた。目が合うと、姉は微笑む。

「一緒に飲みましょう。明日はお休みでしょう。」

然う言う姉は横座りをして、猪口に酒を注ぐ。そして、視線で催促してくる。俺は一つ息を吐いてから、其の横に座った。

「染音は如何(どう)している。」

「もう寝たわ。」

「まだ九時だが。」

「日頃の疲れが溜まっているのよ、きっと。」

今の姉は機嫌が良いのか、目を伏せ、微笑んでいる。声も普段より明るく聞こえる。

「久しぶりね、二人で此の様にゆったり過ごすのは。」

「嗚呼、然うだな。」

俺は酒を飲もうと猪口に手を伸ばす。だが、姉に止められてしまった。

「如何した。」

「・・()()()()接吻(くちづけ)を、させて。」

「!・・嗚呼。」

俺が返事をすると、姉は両腕を背に回して、身体を寄せてくる。そして、姉は目を閉じ、顔を近づけてくる。

 柔らかいものが唇に触れる。十八年前の感覚が蘇ってきた。父の葬儀の日、先が見えなかった俺の背を押してくれたのは、此の温もりだ。今でも、俺を安心させてくれる。

 俺は姉の背にそっと手を回した。其の瞬間、姉は身体を一瞬震わせてから俺から離れる。俺は驚き、手を引いた。姉は手を自身の胸に当て、小さく息を吐いた。

「・・如何した。」

「!・・いえ、少し驚いてしまっただけよ。結城が、手を回してくるなんて、思っていなかったから。」

然う言い、姉は横を向き、俯く。頬が珍しく紅潮している。

「・・あの・・膝枕、する?」

姉は照れくさそうに微笑み、洋袴(スカート)を脚の付け根に寄せた。傷一つ無い色白の、綺麗な脚だった。

「・・直接の方が、良いと思って。」

「・・嗚呼、然うだな。」

横になり、頭を其の腿に乗せた。とても柔らかく、そして温かい。姉は俺の一方の手を握ると、もう一方の手で俺の頭を撫でる。

「結城は随分と変わったわね。立派になって、昔はおぼつかない足取りだったのに、今は・・・」

「然うか。俺は姉さんに頼ってばかりだ。今も変わらない。」

「良いのよ。私は結城の役に立てて嬉しいわ。もっと、頼って、いいえ、甘えても良いのよ。」

何方(どちら)も其れ程変わらないだろう。」

姉と俺は互いの顔を見つめる。

「姉さんは、今も変わらないな。頼れる存在で、綺麗だ。」

「何を言っているの。私はもう三十七になるのよ。」

「年齢とは別だろう。」

姉は頬を真っ赤にし、目を逸らす。姉が学院に通っていた頃、当然角襟服(セーラーふく)を着ていたが、角襟服が不釣合にすら思えた。卒業後入隊し、女性用の軍服に身を包んだ姉は尚美しい。そして、鹿鳴館だ。衣装(ドレス)を纏い、優雅に乱れていた。今も、姉を照らす光は違えど、変わらない。顎下には影が出来、細い首筋が浮かび上がっている。胸元からは鎖骨、谷間が微かに見える――其処(そこ)にも薄い影が出来ており、色白な肌を一層鮮やかにしている――肩は滑らかな曲線を描き、其処から続く腕はほっそりとしている。胸は小さくはなく、其処から視線をさらに落とせば、健康的に括れた腰が見えた。腕や身体は服で見えないが、脚の様に、傷一つ無く、綺麗なのだろう。

「そ、其れなら・・・()しも、私とすることになっても・・受け入れてくれるのかしら。」

「!・・・」

「・・ごめんなさい。変な事を――」

姉の顔に手を伸ばし、髪に触れる。姉は驚いたのだろう、言葉を止め、僅かに目を見開いている。だが、暫くして、自身の長髪を肩越しに身体の前側にやった。

 俺は其の髪の束に手を当て、下に降ろしていく。姉の髪は艶が有り、さらさらとしていた。黒髪ではあったが、赤みがかってもいた。



 姉は持ってきていた籠から皿に盛られた西伯利亞(シベリア)を取り出した。今日、いつもの喫茶店で買ってきたのだという。叉子(フォーク)で一口大に切り分け、叉子を刺す。其れを俺の口まで持ってくると、口を開けるよう促してきた為、其れに従った。少々気恥ずかしい。

 然ういえば、何年も西伯利亞を食していなかった。久々に食すと、少々ひんやりとしていた。姉も其の叉子で口に運び、咀嚼する。

「・・・もう一年か。」

俺は何気無く然う呟いた。姉は気にする風も無く、西伯利亞をもう一口、口に運ぶ。内衣嚢(ポケット)の懐中時計を取り出して見ると、十時を回っていた。いつもよりも長く感じる。秒針を見ても遅い――だが決して壊れている訳ではない――明日は長月の十四日。

「姉さん。」

「何?」

「悪いが、明日は一日――」

「分かっているわ。二人で楽しんで。」

「・・悪いな。毎年長月の十四日は姉さんと二人で過ごす日だと決まっているんだが。」

「あの子を放っておく訳にはいかないでしょう。私の事は気にしないで。」

「・・悪い。」

明日が終われば、染音とは鹿鳴館まで十分に落ち着いて過ごせる時は無いだろう。近頃軍の仕事は落ち着いている為、軍関係者と話し込むということも無いだろう。一度くらいは染音と踊りたいものだ。姉が教え、染音も懸命に練習していたというのだから、きっと上手く踊ることが出来るに違いない。



 翌日、染音を誘おうと部屋に向かうが、途中侍女に引き留められた。理由を聞けば、染音は朝から気分が優れないのだという。

「其れならば、尚更様子を見るべきだ。」

俺は其の儘歩き出そうとするが、侍女が俺の腕を掴んだ。だが、侍女は我に返ったのか、慌てて手を離した。

「申し訳ございません! ご無礼を――」

「構わない。しかし、何故其れ程拒む。」

「あ、あの、染音お嬢様が、今はお一人になりたいそうでございまして・・お嬢様ご自身が然う・・・」

「染音が? 然うか、其れならば仕方無い。悪かった、迷惑を掛けたな。」

「いえ、決して其の様な事は・・・」

あの染音が然う言っているのだ。流石に無理に会うというのも気が引けた。今日姉は軍に出向いている。一日程度、一人で過ごすというのも悪くない。部屋を整理して、本でも読もう。然う決め、部屋に戻った。



 長月も毎日其れなりに早い時間に帰ることが出来ていた。ただ、染音は元気が無い様に思われた。常に下を向いており――俯いているのは常だが、其の理由が異なる様に思える――食事も然程(さほど)とっていない。眠りにつくのも早く、朝は以前より多少遅くなっているという。恐らく疲労の所為(せい)だろう。

 俺は染音に苦労をさせてしまっていることに少々申し訳無く感じた。



 染音が初めて鹿鳴館に赴いたあの日から丁度一年、再び此の日が巡ってきた。夕暮れ時の街を馬車で通り過ぎてゆく。隣の染音は俯き、目を閉じていたが、眠っている訳ではなさそうだった。

「大丈夫か?」

俺は何となく然う尋ねた。染音は小さく顔を上げ、はい、答えた。そして、直ぐに元に戻ってしまう。

「今日は、一緒に居るからな、安心しろ。」

染音は、はい、と答えるだけだった。俺は視線を落としていく。染音の衣装は以前と趣向が異なっていた。余り装飾が無く、落ち着いた色の物だ。今回ばかりは染音が選んだのだろうか、決して悪い訳ではなく、性格を考慮すれば、染音らしい。



 鹿鳴館に着き、中に入るといつもの場所に御前(ごぜん)中将と其の夫人の姿が有った。あの方は何時でも愉し気であった。

 大広間(ホール)に行けば、変わらぬ光景が目に入る。染音を見ると初めての時程緊張していない様だ。俺の袖を掴んでこないのは、大分慣れてきたためであろう。良い事だが、寂しい気もした。適当に歩いていると、晴風少佐が話しかけてきた。例の如く挨拶をすると例の如く怒られる。

「ご夫人のお姿がございませんが、如何かなさいましたか。」

今日は雪奈さんの姿が見当たらない為、然う聞いた。熱を出してしまってな、少佐は苦笑と共に答えた。熱が有っては来られる筈も無い。俺がお大事にと伝えていただきたい旨を伝えると、少佐は笑って礼を言った。

「一人とはいえ、此処は良い場所だ。自分の立場を忘れられる数少ない場だ。」

少佐は然う言うと直ぐに歩いて行ってしまった。俺は其の背に礼をした。



 下に居ても染音は居づらいと思い、俺は上の露台(バルコニー)へ連れていった。途中染音と俺は各々飲み物を取った。

 露台は少々寒いが、落ち着く場所だ。暗い西洋式の庭を眺めていると、其の影に引き込まれる様な感覚を覚える。手摺(てすり)に守られている様だ。染音は洋盃(グラス)を片手に遠くを眺めている様だ。微かに伏せられた目は何処(どこ)か哀し気に見える。

 暫くすると、もう一人、此の露台を訪れる者が居た。其の人は染音と俺の姿を確認すると綺麗に手本の様な礼をした為、俺も礼を返す。随分と若く見えた。齢は二十一だという。話を聞けば、以前染音と踊ったらしい。確か染音の話では、志布志鷯さんだったか、名を言うと、其の人、鷯さんは一言頷いた。鷯さんはきっと優しい人なのだろう。仕草からも然う感じられた。俺が染音と踊るかと勧めたが、断られた。最後に一言挨拶をし、鷯さんは此の場を去った。染音は鷯さんに気付かなかったのか――流石にそんな筈は無いかもしれないが――ずっと外を眺めていた。時折、洋盃に口をつける。洋盃には、透き通る様な鮮赤の飲み物が入っていた。



 鷯さんが去ってからも染音と俺は何も話さなかった。ずっと此処に居てもつまらないだろう。洋盃の中身も残り少ない。

「染音、下で、一度踊るか。」

「!・・はい・・」

俺が歩き出すと、染音は後ろに連いてくる。洋盃を女給に返し、中央へと向かうが――

「其処の、若しや、山城では?」

声の主の方を向いた。

貴方(あなた)は・・」

「貴方とか、余所(よそ)余所しい。覚えていないか、学院で一緒だったのだが。」

「! 嗚呼、藏元(くらもと)か、久方振りだな。特に変わりは無いか。」

「まぁ、知っているだろうが十年程前に結婚したことくらいだ。鹿鳴館が好かない様で、今回も来ていないんだ。」

「然ういう事も有るだろう。」

「其れで、山城は娘が居るのか。結婚の話すら無いというのに。」

「此れは――」

此の様な流れには既に慣れてしまった。俺は軽く養子だと説明する。すると、やはり結婚の話が始まる。華族だというのに三十を過ぎて尚未婚というのは良くないことであることは誰もが分かっているし、無論俺も自覚している。美人の姉か、と藏元は冗談混じりに言う。

 其れから、軍に入隊してからというもの、滅多に会わなくなった数少ない旧友に、俺は内心興奮し、昔話に花を咲かせた。藏元は全く、わざとらしく取り繕う様子も無く、其の所為も有ってか、すっかり仲が良くなってしまった。



 あまりに懐かしく、大分話し込んでしまった。

「然ういえば、先程の娘は如何した。」

「染音か? ならば後ろに――」

俺は背後を確認した。

「・・居ない?」

「何処へ行ったのだろうな。」

「勝手に何かをする様な子ではない筈だが・・」

「余程退屈だったのだろうな、聞いていても面白くもない、当然だが。」

「悪いが捜しに行く。」

「嗚呼、其れが良い。」

(また)機会が有れば其の時に。」

旧友、藏元と別れ、染音を捜しに向かった。大広間の反対側へと歩いて行く。

 だが、其の時、何やら硝子(ガラス)が割れる音がした。小さな音だ。上層の窓を確認しながらも、辺りを見渡す。他の人も同様に不思議そうにしている。

 音楽は既に()んでいた。ふと、視線を戻す。すると正面に、全身黒に覆われた(しのび)らしき者が居た。見つけた時には既に途轍(とてつ)もない速さで向かってきていた。長刀を片手にして、だ。直ぐに目前に来ては、其の長刀を振り下ろす。対抗しようにも太刀は無い。たとえ、有ったとしても防ぐには速すぎる。



 避けられない。



 然う思った。正確には、思う時間すら無かったのかもしれない。















連載小説12本目をお読みいただき、ありがとうございます


更新がありましたら、引き続きお読みくださると幸いに思います


意見、感想等は遠慮なくお声かけください

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