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華族と家族  作者: どばどば
第2節 操り人形
10/37

ー4

単語の説明です


・横抱き

 俗に言う、お姫様抱っこ。



 其の翌日から彩羽さんは来なくなった。

 本来の生活に戻っただけだったが、此の一年間を思うと、物足りなく感じてしまう。

 僅か数十分であったものの、本当に楽しかったのだ。



 あの様に突き放したことを後悔することは幾度も有った。だが、其れでも、あれで良かったのだと、彩羽さんの為だと、自身に言い聞かせた。姉さんは屡々(しばしば)慰めてくれた。もう十六だというのに、恥ずかしい限りだ。

 あくまで聞いたことだが、彩羽さんは学院を辞めたらしい。学院で誰も見なくなったという。どの様な事情又は意図が有るのか見当もつかなければ、知る(よし)も無い。情報が欲しいが、本人は既に来なくなってしまっている。彩羽さんとは、あれで終わりだと思った。



 音沙汰は無かったが、情報は翌年の葉月の中浣、衝撃的な形で舞い込んできた。

 其の日の夜、姉さんが新聞を片手に、暗い面持ちで俺の部屋に来た。そして、そっと新聞を差し出してくる。俺は受け取り、其の記事を見る。

「・・・此れは・・」

「私も信じられないわ・・」

『華族 羽染 公開処刑 葉月三十一日執行 場所は未定――』

あまりの衝撃に何も言えなかった。新聞の束は、俺の手から抜け、音を立てて落ちる。

 羽染家が・・処刑・・・?

「・・軍が決定・・・軍・・? 姉さん・・」

「其の会議は上層部しか・・確かに、噂程度なら・・本当だなんて思わなくて・・羽染家が処刑される理由なんて無いもの。」

「・・・」

「結城! 何処(どこ)に行くの!」

気付けば俺は歩き出していた。じっとしてなど、居られなかった。

「結城!」

「・・・」

何度呼ばれても微塵も反応しなかった。今は全てが如何(どう)でも良い。たとえ何をしようと・・・

 俺が玄関の扉に手を掛けようとした瞬間、首に鈍い衝撃が走った。其れは、俺の意識を奪い去っていく。姉さんの脚、そして、何人かの侍女が見えた気がしたが、其の儘、視界は真っ黒になった。



「・・・」

「あら、目覚めた様ね。」

「・・姉さん。確か、俺は、屋敷を出ようとして・・」

「然う。結城には悪いけど、気絶してもらったわ。安心して、此処(ここ)は地下室。此れ以上は何もしないわ。」

「こんな事をしている場合では――」

立ち上がろうとした瞬間、右腕が引っ張られた。其の方向を見ると、右腕は手錠で繋がれている。

「何だ此れは・・!」

「どうせ行くのでしょう。だから、暴れないようにさせてもらったわ。」

「何もせずにじっとしていろと言うのか! ふざけるな!」

幾ら外そうとしても外すことなど出来ない。地下室から去ってゆく姉さんの背を見ることしか叶わない。遠ざかっていく姉さんの背は何者にも屈することの無い、そんな強さを誇示する様だった。

 其れから、手錠を外す時は必ず姉さんが居た。何度か逃亡を謀ったが、其の度に姉さんに押さえ込まれてしまった。地下室で過ごす日々の中で、漸く彩羽さんの言葉の意味が分かった気がした。あの言葉を理解すればする程、此処から出て助けに行きたい思いは強くなる。だが、其れとは裏腹に、徐々に落ち着きを取り戻してきた。



 公開処刑二日前の夜、姉さんは俺の横に座った。手前には姉さんが持ってきた珈琲が二つ、湯気を立てている。

「・・姉さん、俺は如何すれば良い。俺は、何故彩羽さんが死ななければならないのか、分からない。」

「新聞の記事によれば、戦争の指揮は羽染家が中心だったらしいわね。其の責任が問われて、こんな結果に・・・おかしな話よね。」

「・・・」

「ただ、こうなってしまったのなら、仕方無いわ。」

姉さんは飲み終わっていない珈琲を両手に、地下室を後にした。



 連日真面(まとも)な姿勢で寝ていない所為(せい)だろう、流石に体の節々が痛む。

 処刑の前夜だというのに、俺は相も変わらず拘束された儘だ。

「・・結城。」

姉さんが俺の名を呼ぶ。

「大事な、お客様が来たわ。」

「・・客?」

こんな時に一体誰が・・姉さんは然うとだけ言うと、直ぐに出て行ってしまった。入れ替わる様に、一人の女性が入ってくる。端整な顔立ち、真っ直ぐ下に伸びる黒髪、華奢な(からだ)をした其の女性は足音も立てず、俺の前まで歩いてくる。

「鍵を預かっているわ。」

軽く微笑むと、鍵を錠に差し込む。錠は俺の右腕から外れ、床に落ちた。

 俺は其の女性を強く抱いた。

「彩羽! 彩羽!」

「ふふ、貴方(あなた)から抱いてくれたのは此れが初めてね。嬉しいわ。」

「今はそんな事を――」

抱くのを()め、彩羽さんの両肩を強く掴んだ。そして、顔を真っ直ぐに見つめる。

「何が有った! 彩羽が処刑される理由なんて無い筈だ! 何故!」

「新聞を読んだでしょう。あれが、全てよ。」

「納得出来る筈が無いだろう!」

「もう決まった事よ。私は、明日処刑される。」

「そんな事はさせない! 今此処に居る! 戻らなければ何とか――()し見つかったとしても俺が守る!」

「無理よ・・相手は軍よ。貴方も来春から入隊が決まっているでしょう。立場が――」

「そんな事は如何でも良い! 兎に角彩羽を守れるというのなら俺は――」

不意に彩羽さんが抱き付いてくる。其の華奢な腕に力を入れる。

「・・結城さん、落ち着いて。静かに、然う、落ち着いて。」

小さな声で何度も然う呟く。其の声は初めて聴いた時の様に、奥深くまで浸透し、俺を鎮めた。漸く、彩羽さんの温かみを感じてきた。彩羽さんは目を閉じ、静かに呼吸している。其の肩が微かに、規則的に上下している。落ち着きを取り戻した俺は、そっと其の背に手を回した。



 暫くすると、彩羽さんはそっと軀を離し、微笑む。

「私は大丈夫よ。心配しないで。」

「・・・」

「其れよりも、一つだけ、お願いが有るの。」

「・・何だ。」

「・・実は、私には、子が一人、出来たの。」

「!・・」

「此の一年間、此処に来られなかったのは其の所為も有るの。貴方には、悪い事をしたと思っているわ。」

「・・いや、気にすることは無い。」

「ふふ、有難う。其れで、お願いというのは・・」

彩羽さんは俺の右手を両手で握った。其れは、何かを握るにはあまりにも小さすぎる手だった。そんな手に、彩羽さんは力を込める。

「お願いというのは、其の私の子の、面倒を見てほしい。貴方の子として。」

「彩羽の・・子・・・」

「ええ、其の子は、きっと、とても弱い。そして、何時(いつ)か、独りになるわ。其の時が来たら、貴方が救ってほしい。」

「・・嗚呼、分かった。」

「其の子は、八雲さんという方々の元に居るから、捜してほしい。」

「八雲さんの元だな、分かった。」

「・・有難う。愛しているわ、結城さん。」

「俺も、彩羽を愛している。」

「・・良かった。同じ、気持ちだったのね。」

彩羽さんは微笑んだ。そして、ゆっくりと反転して、背を向けて歩いてゆく。其れに伴い、握っていた手が、左手、右手と離れてゆく。何故俺は死へと向かう人間の後ろ姿を、美しいと思ったのだろうか。引き留めもせず、艶やかな黒髪を、背を、腰を、脚を、美しいと思ってしまったのだろう。

 其の美しいものは、最後に、此方(こちら)を向き、微笑んだ。安心した様な顔だった。そんなものを残して、姿を消した。




「・・・」

「・・済まない。」

「・・・」

染音は何も言わない。だが、其れも当然であろう。俺の所為であの方は亡くなったも同然だ。

 暫くして、染音は、お話の続きを、と呟いた。俺は其れに頷いた。




 翌朝、俺は屋敷を飛び出した。既に姉さんの姿は無かった。執行時刻は新聞の朝刊で公表された。執行は午前九時、今は午前八時を過ぎた頃、数時間も執行場所を探しているにも関わらず、一向に見つからない。というのも、執行場所だけは公表されていないからだ。後から考えれば、奇妙な事だ。だが、此の時はあまりに必死で、考えてなど居られなかった。



 八時五十五分、大衆を見つけた。向う側には、台が見え、其の上には人が座っている。間違いない。此処が執行場所であった。

『華族 羽染家は 先の戦争における 特級戦犯として 斬首刑に処するものとする』

此の群衆を抜けられるのか、確信など無い。だが、こんな遠くで死なせる訳にはいかない。絶対に死なせない。必ず――だが、叶うことは無かった。向かおうとした瞬間、足が何かに引っ掛かり、転倒した。直ぐに起き上がり、走りだそうとするも、軍服の男に取り押さえられる。俺はお前を助けた、と其の男は言う。布で顔を覆っていた為、表情は見えなかった。続けて、此処で大人しく見ていろ、と。

 処刑台の上に立つ、漆黒(くろ)く、(おぞ)ましい物体は、其の刃を(かざ)し、そして――



 地下室の天井を見つめる。床の冷たさはさして気にならない。ずっとこう過ごしていた。一週間と二日前の日が反芻される。其の度、俺は目を閉じては、思考を已め、再度、目を開ける。隙間は一向に埋まらない。埋まる筈が無い。一体、何で埋めろというのか。

 姉さんや侍女の気遣いが屡々(しばしば)辛かったが、其のお蔭で俺は徐々に立ち直ることが出来た。幾分、時間はかかってしまったが。彩羽さんが亡くなってからはより、姉さんと近くなった気がする。此れも、姉さんの気遣いというものなのだろうか。

 話が逸れてしまったが、今日(こんにち)まで彩羽さんの事を忘れたことは無い。染音とも無事出会うことが出来たことで、多少(なり)とも安堵している。

 此処からは別の話だが、染音に知ってもらっても損は無いだろう。



 其れから春を迎え、俺は今の隊に入隊する。其処で、晴風少佐と出会った。当時は中尉であったが、晴風少佐は軍人として優しく接してくれた。鍛錬の時は酷くやられたものだが。当時から剣術の腕に長けていて、其の腕は当時の小隊長をも凌駕する程で、内部で注目されていたらしい。そして、今に至るまで、少佐と俺は今の隊に属し続け、十年以上の関係を持つ。

 こんな俺も入隊には微かな不安を覚えていたものだが、其れは直ぐに消え去り、順調に進んでいる様に思っていた。だが、五年後、俺が二十四歳、姉さんが二十八歳の時のことだ。母が殺害された。神社で、血塗れの姿で発見されたらしい。遺体を見ると、胸から腹にかけて斜めに一太刀、更に胸に一突きされた様であった。其の犯人は(いま)だ分からず(じま)いで、一切の手掛かりも無く、結局自殺として処理されてしまった。姉さんは母を横抱きし、運び、母は境内に埋められた。元々母は病弱で、常に入院していた。時折屋敷に戻ってきては、姉さんと母と三人で過ごしたものだが。裁縫が得手で姉さんはよく教わっていたらしい。今でも情けないと思っている。だが、そんな母を失った時は、相次いで大切な人を失い、流石に辛かったのだ。涙を流した。隠してはいたのだが、姉さんに見られてしまった。姉さんは、俺以上に辛かったかもしれない。其れにも関わらず、涙を見せること無く、俺に寄り添ってくれた。




「――大分話し込んでしまったな。」

「・・・結城さんも・・大変だったんですね・・・」

「嗚呼、その様なつもりで話した訳ではないが・・・済まない。染音の母、彩羽さんを救えなかったことは、俺に非が有る。本当に、済まない。」

「・・・いえ、結城さんが謝ることじゃ・・・お母さんと・・結城さんが・・その・・・安心しました・・」

「・・然うか。」

此処で俺は馬を止めた。濠が左右に続き、目前には木製の橋が架けられている。馬から降り、次いで染音を支えながら降ろしてやった。

「此の先は神社だ。染音を連れて行きたい、いや、連れて行くべき場所が有る。」

「・・・?」

俺が歩みを進めると、染音は後ろを連いてくる。橋を渡った先は、広い野が有り、其の中心に神社の本殿が有る。桜木が充分な間隔を持って植えられ、今は満開だ。時折吹く風に花弁(はなびら)が舞い、いずれは地に落ちる。野は足首程の高さの草に満たされ、鮮やかな若草色を放っている。風に吹かれる音は心地良い。其の中を、俺等は歩いて行く。



 俺が立ち止まると、染音も数瞬遅れて止まった。

 俺は一度、深く息を吐いた。

「此の桜木の元に、彩羽さん、染音の母は眠っている。」

「!・・・ここに・・お母さんが・・・!」

染音は驚きを見せるが、暫くするとそっとしゃがみ込み、其の(てのひら)を地に優しく当てる。そして、目をゆっくりと閉じた。辺りは静寂に包まれ、緩やかな風が野を駆け抜ける。此の桜木の花弁が一枚、染音の肩にそっと乗った。気付いていないのだろう、変わらずじっとしている。少し丸まった背を、俺は眺めていた。深呼吸をしているのか、肩が僅かに上下している。



 此の姿を見ているのだろうか。俺は約束を果たせているのだろうか。彩羽が言っていた様に、染音は決して強い子ではない。だが、とても優しい子だ。


 殺してしまったことを、此の姿を見せられなかったことを――()そう。


 後の事は、任せてくれないか。必ず、染音を幸せにしよう。



「・・結城さんも・・・」

「・・ん。」

「結城さんも・・」

「・・・嗚呼。」

俺も染音の横に片膝を突く。すると、染音は、俺の手をそっと握った。



 とても小さな手だ。














連載小説10本目をお読みいただき、ありがとうございます


更新がありましたら、引き続きお読みくださると幸いに思います


また、意見等ありましたら、遠慮なくお声かけください

お待ちしております


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