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前書きでは本文に登場する一部の単語の説明をしておきます。
(毎度、初めて登場する単語に関する説明を前書きに記載します。一度登場した単語に関しては、手間をおかけしますが該当回を参照してください)
・華街
遊女と談話などを楽しむ場所。通常各部屋で一対一、客が遊女を指名する。時には宴会などを開くこともある。主に華族の男性が利用し、女性は身分に関わらず、基本的に立ち入りが禁止されている。
・侍女
主人に仕える使用人の女性。複数人雇われるのが通常。
僅か十六年前の事だった。
隣國との戦争が終結し、平和になったと誰もが思っていた時だった。
祖國を愛した一族は、其の想いが通じることなく、処刑された。
処刑の前夜、あの人が囁いた最期の願いを忘れることなど出来ない。
「―――、―――」
「ああ、わかった」
「――――、―――」
「――だな、わかった」
「―――」
「……」
「起きたのね」
「……後どの程度で着く」
「数十分程度」
「……」
目が覚め、徐徐に意識が覚醒していき、馬車の揺れを感じる様になってきた。
俺は一度窓掛を開けた。突然の強い光に、目が痛むのを感じて、直ぐに閉じる。
「全く、華街に行って許りだから、昼間に寝てしまうのよ。当主なのだから、もっとしっかりしなさい」
「……然うだな」
隣の姉は、呆れた顔をして、溜め息を吐いた。
姉の言った通り目的地には数十分で着き、馬車が止まると程無くして扉が開いた。
姉から刀を受け取り、降りる。
其れから、馬車に付随させていた愛馬に乗って向かう。
外に出ると侍女が立っており、馬車も有った。
「御疲れ様でございます。時刻は午後十時となっております」
「嗚呼。此の儘華街に行ってくる。日付が変わる頃には戻る」
「かしこまりました」
侍女は一礼すると、馬車に乗り, 戸を閉めた。俺は愛馬に乗り、華街を目指した。
「山城様!」
華街の門兵は驚いた様に俺の名を呼ぶ。
俺は馬から降りて、軽く挨拶をし、門を開けてもらい、敷地に入った。
館に入ると、案内人が俺の元へ来た。
「山城様、何時も有難うございます」
其の人は何時もの事ながら深く礼をした。
「今日も、御願いしたいのだが」
「はい、ですが、申し訳ございません。只今、空きが無いのです。皆既に……」
「然うか、其れならば、亦今度で構わない。有難う」
「申し訳ございません。でしたら、せめて御予約を」
「其れは規則違反であろう」
「然うでございますが……此の儘御帰りいただく訳には参りません。山城様でしたら、何方も文句は言わないでしょう。山城様には市民も大変良くしていただいております故……」
「其れでは、皆に申し訳無い。特別扱いは不平等というものだ。此の様な場所では身分は関係無い」
「……申し訳ございません」
「其の気持だけでも有難い。然ういう事だ、今日は帰ろう」
「申し訳ございません」
案内人は深く頭を下げた。
俺も小さく礼をしてから、其の場を去ろうとした時だった。
案内人が、あ、と小さく呟くのが聞こえた。
「如何した」
「!……いえ、何でもございません」
「何か有るなら、聞かせてほしいのだが」
「……はい。実は、大変申し上げ辛いのですが……」
僅かに顔を伏せる案内人に俺は、構わない、と答える。
「……実は…一人、遊女が居りまして……」
「然うなのか。では、其の人では駄目なのか。」
「其れが、未熟者で……一度も接客したことがなく、容姿は問題無いのですが……御酒も飲めないのです。其の様な者を山城様の御相手をさせる訳には……」
「構わない。其の人を頼む」
「!……然し、申し上げた通り――」
「問題無い。」
「其れでしたら、せめて半額に――」
「先程も言っただろう。其の様な事は控えろ。其れに、俺の方から願い出たことだ。貴様は悪くない」
案内人は半ば納得がいかないという様に承諾した。
「其れと、最上階の例の部屋は空いているか?」
「はい」
「では、其処で頼む」
「かしこまりました。直ぐに向かわせますので、其方の部屋で御待ちください」
案内人は頭を下げてから奥に行った。俺は其れを見てから、例の部屋に行った。
此の部屋は最上階で――最上階と言っても三階だが――端の部屋だから景色も良い。だから、気に入っている。
暫くすると、襖越しに小さな声が聞こえた。
「今宵、相手をさせていただく者です」
「嗚呼、入ってくれ」
ゆっくりと襖は開いた。
其処には、薄い桃色に、袖に桜が刺繍された振り袖を来た女が正座していた。俯いていた為、表情が余り見えなかった。
其の女は慣れない様子で酒の乗った盆を持って、隣に座った。
「宜しく」
「!……はい、宜しくお願いします……お酒…いかがですか」
「では、貰うとしよう」
俺が杯を持つと其の女は酒を注いだ。
「名は」
「!……染音…です」
「姓は。」
「……大淀です」
「齢は」
「……十五歳です」
「俺は山城結城だ。如何呼んでくれても構わない」
「………」
大淀染音は小さく礼をしただけだった。
其れからも大淀は自分から話すことはなかった。俺が話を振ったりした時に、一言答える程度だった。酒も、其の杯を飲み終わっても直ぐには注がなかった。
他の遊女であれば、話を盛り上げるのも上手だし、時には冗談を挟む。其れに、酒も一言言ってから直ぐに注ぐし、会話中であれば、小さく合図をしてから注ぐ。本当に慣れているといった感じだ。
何より、唯座っているだけでなく、体を寄せてきたりするのだが。
あの人があれ程断ろうとしたのも納得がいく。最初の挨拶だけだな。
「確かに、な」
俺は何気無く然う呟く。大淀は何も反応を示さない。自分の事を言っているとは思わないのだろう。
軍服の内衣嚢から懐中時計を取り出して見ると、深夜一時を回ろうとしていた。大淀を見ると、うとうとしてしまっている。こんな時間で、しかも十五歳だ。余り体力も無く、辛いのだろう。
「大淀、大丈夫か」
「………!…ごめんなさい…! こんな時に…!」
大淀は距離を取ろうとしたのだろう、少し後ろに下がった。
だが、其の時、後ろに置いていた酒瓶に当たり、倒してしまった。
其れに気付き、驚き、膝立ちの様になった。すると今度は障子に当たり、立てかけていた刀が音を立てて倒れた。
「!…ごめんなさい…!……ごめんなさい…!」
大淀は如何したら良いのか分からないといった様におどおどしていた。
俺は大淀の肩を掴み、抱き寄せた。
「大淀、落ち着け。瓶を倒したといっても空だ。酒を零した訳ではない。刀も倒した程度では傷一つ付かない」
「……ごめんなさい」
「謝るな。俺の方こそ、悪かった。こんな時間迄付き合わせてしまったな。辛いだろう。今日はゆっくり休むと良い」
「……」
「共に下迄行くか」
俺等を見ると、案内人は目を見開いた。
「そろそろ帰ろうと思ってな。其の序でに連れて来た」
「はぁ…然うでございますか」
「此の娘、しっかり休ませてやってくれ。慣れないことで疲れただろうからな」
「……かしこまりました。御気遣い有難うございます」
「では、亦近々」
「有難うございました。御気を付けて御帰りください」
俺は大淀を案内人に預けてから、其の場を去った。案内人は亦、深々と礼をして、俺を見送ってくれた。
「只今」
「御帰りなさいませ」
愛馬を小屋に入れてから屋敷に入る。
何時もの様に侍女が待っており、荷物や軍服を預けた時だった。
「結城!」
「……姉さん」
姉が勢いよく部屋から飛び出してきた。
「亦こんな時間迄! 良い加減にしなさいと言ったわよね!」
「華街だから仕方無いだろう」
「華街に行くのを已めなさいと言っているのよ!」
俺が黙っていると、姉は大きな溜め息を吐いた。
「結城だって、もう良い歳なのだから」
「……」
「何、如何したの。」
「……いや、少し思い出していただけだ」
「あの人の事ならもう忘れなさい。結城の気持はよく分かるわ。でも、だからこそよ」
「……然うだな」
「気を紛らわせたくなるのも分かるわ。でも、華街にはもう行かないで」
「……」
姉は亦大きな溜め息を吐いた。
「取り敢えず、早く寝なさい。明日も仕事が有るのだから」
「…然うだな」
この度はお読みいただきありがとうございます。
この小説は連載小説ですので、更新がありましたら、お読みくださると幸いです。
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