正しい人ゆえに苦しむ
キリスト教は自殺を禁じている。
もっとも「自害してはいけない」とは言っても、日本にキリスト教徒は100万人いるかいないかのマイナー宗教である。そこで、「キリスト教では――」ではなく、聖書から自殺を考える。キリスト者にならずとも、聖書は読めるからである。
聖書は自殺をどう記しているか?実は聖書に自殺者は驚くほど少ない。サウル、アヒトフェル、ジムリ、そしてイスカリオテのユダの実質4人だけである。なべて血なまぐさい聖書だが、案外自殺に関して記すところは少ない。また、モーセが神と契約を交わして受け取る律法もイエス・キリストも自殺を明確には禁じていない。ただ、以下のような言葉はある。
「あなたは正しすぎてはならない。
自分を知恵のありすぎる者としてはならない。
なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。
あなたは悪すぎてはいけない。
愚かであってはいけない。
時が来ないのに、なぜ死のうとするのか」。(伝道者の書 7:16,17)
自分の力で自分の生死を決めるのは適切ではないというのである。これについても後述する。
聖書では確かに自殺への言及は非常に少ない。ただ、「死にたい」「生まれてこなければよかった」のたぐいの発言は多い。そしてここには一定の傾向性がみられる。逐一枚挙的にこのような発言を拾っていこう。
●預言者エリヤ
「彼はエニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。『主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていないから』」(列王記第一19:4)。
※エリヤ 悪王アハブの治世下、邪神バアル崇拝者と戦った預言者。生きたのは紀元前9世紀の人だが、『ヨハネの福音書』で代表的預言者とされる。1000年近くたっても偉人として尊敬される人である。
●義人ヨブ
「ヨブは言った。私が生まれた日は滅び失せよ。『男の子が胎に宿った』と告げられたその夜も。…(中略)…その日が、私をはらんだ胎の戸を閉ざさず、私の目から労苦をかくしてくれなかったからだ」(ヨブ記3:3,10)。
※「義人」とは信心深い人、正しい人の意。英語で言うと”righteous”、まさに〝right”な人。神に過酷な試練を与えられるが、苦労して信仰を守り抜く。生きた時代は不詳だが、新約聖書の時代でもその忍耐は尊敬の対象となっている。
●王ソロモン
「いのちがあって、生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人に、私は祝いを申し上げる。また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行われる悪いわざを見なかった者だ」(伝道者の書4:2,3)。
※賢人王として有名。晩年は放埓な政治を行ったが、王国に繁栄をもたらし、初めて神殿を立てた。
●預言者エレミヤ
「なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。私の一生は恥に終わるのか」(エレミヤ書20:18)。
※四大預言書のひとつの著者。バビロン捕囚直前期(紀元前6世紀)に活躍した預言者。目まぐるしく代わる悪王の治世下で南ユダ王国の滅亡を預言するという困難な役割を神から与えられ、数々の迫害や拷問に耐えながら活動。自らもバビロンに連れ去られる。最後はエジプトで刑死。イエス・キリストを彼と間違う人がいるほど尊敬された。
●預言者ヨナ
「太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱りはて、自分の死を願って言った。『私は生きているより死んだほうがましだ』」ヨナ書4:8。
※神に選ばれた預言者。ユダヤ人に対し重大な脅威であったアッシリア王国の首都ニネベを救うが、神が残虐な王国アッシリアを救ったことに憤懣やるかたなく、死を望む。大魚に飲み込まれた逸話で有名。
明確に死を望んだり、生まれてきたことを呪うものとしては以上だが、いずれも正当な尊敬を集める人物であることが特徴である。悪人が死を望むということがなく、正しい人間こそ苦しむ。これが聖書の特徴なのである。
このことについて『ヨブ記講演』岩波書店、で内村鑑三は以下のように解説している。
「苦難に三種あるを我らは知る。第一は罪の結果としておこるものである。これ、神の義において当然しかるべきものである。第二は神より人に下る懲治としての苦難である。これ、愛の笞である、恵みの鞭である。……これ第三のそれであって、すなわち信仰を試むるために下る苦難である。故にこの苦難に会するは特に神に愛せらるる証左である」(46頁)
神に愛せられているからこそ、苦難が下る。一見したところ、理解しがたい理屈である。だが、「へブル人への手紙」にこうある。
「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。
主はその愛するものを訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」(へブル人への手紙12:5,6)。
こういうと悲惨なように聞こえるかもしれないが、時に主の過酷な訓練は人を正しくし、卓越した能力を与える。先にあげたエリヤからヨナまで、いずれも卓越した能力の持ち主や、神の言葉を取り次げる預言者であったり、正しい人であったりする。決してその人生は楽ではないが、みな後世になると高く評価されている。
そうした例として、ある時には死を思い、その克服から新たな人生を見出した人物として歌人鳥居の場合を見てみよう。聖書から挙げた人名はみな古いものばかりである。では現代社会ではどうか?苦しみを経てその中から新たな自分の境地を開いた人はいないのか?歌人鳥居は決して特別な人ではない。あくまでも一例であるが、筆者は重要な例と考えている。