序 その1
まず、この文章を読んでいて、自分の心の中に「自殺したい」という思いがある方は、とりあえず、本文をお読みいただくのは後にして、精神科や心療内科への受診を検討していただきたいと思います。
うつ状態にある方はうつ病の治療をまず受けなければなりませんし、日本にあまたいる自殺者、自殺企図者のうち何割がうつ病を原因としているのかははっきりしませんが、相当数に上るであろうことは否定できません。
抗うつ剤や精神安定剤などの服用で問題が解決することもあると思います。
さらに、自分の心の中にある「自殺したい」という思いの原因が社会的要因であり、それが特定できるようなら、しかるべき相談窓口に相談する必要があり、それは、WEB環境があるのなら、「自殺相談窓口」と検察するのもいいでしょうし、自治体で相談窓口をまとめたサイトもあります。
私が住んでいるのは埼玉県ですが、埼玉県でしたら、県庁のホームページに、「自殺予防に関する埼玉県の相談窓口の御案内」という案内があり、「辛い時・気分が落ち込んでいる時」、「多重債務に関する相談」「民間団体による相談」、など6つに分けて相談窓口が設けてあり、市町村レベルの相談窓口も電話番号が明示してあります。
「自殺者社会的他殺である」と言い切ったジャーナリストの本を高校時代に読んだ記憶があります。
自殺には社会が関係している場合がほとんどなのですから、社会的に解決するのが筋であります。
しかし、以上のような手を打っていても、すぐに自殺の原因が取り除かれるという事は極めて珍しいと思います。
医療機関に受診しても、もしうつ病でしたら、すぐに根治できるとは限りませんし、多重債務が原因でしたら、これも簡単に問題が解決しないケースが多いでしょう。
また、私の経験上「腕の悪い医者」も残念ながら実在しますし、相談窓口によっては、親身に相談してくれないことがあるかもしれません。
そういう場合は医者を変えたり、相談窓口を変えたりするわけですが、いずれにしても、しばらくの間、忍耐が必要になるでしょう。
さて、生きていくうえでの苦難があるからこそ、人間は自殺するわけですが、反面、生きていくうえでの苦難があるからこそ、人間は成長もします。
苦労が過ぎて自殺してしまうのも困るのですが、苦労が無さ過ぎて忍耐力や、物事を成就させる喜びを知らない事もまた困るのです。
私が思うに、聖書というのは、生きていくうえで、「苦しみとの付き合い方」を理解するのに好適な本だと思います。
聖書には古代ユダヤ人の数千年にわたる知恵が込められています。彼らが真に「苦しみの民族」であったことは一読してすぐにわかります。
この苦しみがいかに壮絶なものであったかは、旧約聖書の歴史や預言書に書いてある通りですし、預言者というのは実に苦しみます。
神様に向かって「わたしの命を取ってください」と願うのは(律法には明記されていませんが、自殺は禁じられていたようです)珍しくはないのです。
殺戮や飢餓も珍しくはありません。
これを現代の社会に置きなおして、かつ、聖書を読んだこともなければ、神様は信じていないという方にも、理解いただけるように配慮しました。
「序」だけでも長いので、「その1」「その2」に分けました。「その2」に続きます。