18禁の謎
私は高校に行っていない満18歳なので、エロ本が合法に買えるんですよ。
この小説家になろうでも「ノクターンノベルズ」や「ムーンライトノベルズ」を閲覧できる。
でもこれっておかしな話だなと個人的には思います。
高校に行っていないだけでそこまで精神的(もちろんそれ以外にも理由があるのかもしれませんが私はよく知らないので端折ります)な差が生まれるのかと言われたらそんなことはないと断言できるからです
少し私の話をさせていただきますと、私は精神疾患を主な原因として高校を中退しました。
おかげである一点の精神年齢はとても成熟した大人のそれですが、しぐさや振る舞いはむしろ幼児退行しました。
けれど仕事をしているのである意味社会の一因ともいえる。
私の場合は少々特殊なケースですが、そこから18歳というのはまだまだ子供な部分を大人(この場合の大人は社会に出て良識のある人を指す)に比べると多く持っていると感じています。
兄は21歳で時折自分よりも広い世界を見ていてとても大人だと感じます。(両親曰くまだまだ子供らしいですが)
つまり何が言いたいかというと18歳の私は学校に行っていないにも関わらず実はかなり精神的に子供であるということです。
少し話を変えて、酒やたばこなんかもどんなに自制心のない人でも20歳という一律の年齢で解禁されることが法律で認められています。
全員が平等であるためには年齢という指針そのものは悪くないと思います。
健康や精神への被害などを考えた際にとりあえずは大多数の人が酒やたばこをたしなむ程度に楽しめる可能性の高い年齢をどこかの有識者が決めたことでしょうから。
さて、前置きが長くなりましたが、今回問題にしたい18歳以上(高校生不可)についてです。
高校という義務教育でもない行っても行かなくてもいいものが、通学していないからといって精神的に成熟している根拠にならないものが、区別の対象に含まれている不自然さです。
18歳未満の人が見るのに似つかわしくない内容だと誰かが決めた。
ここまでは何の問題もない。むしろ必要な措置です。
例え私のような精神的に子供なものが見る可能性があったとしても、世間の大多数の18歳はそれを見るだけの精神成熟をしているという前提のもと決められたことでしょうから。
精神的に子供な人も見るかもしれないのに何で18歳なんだとか言い出したらキリがないですしね。
けれどそこになぜ高校に行っているかどうかが含まれるのかが謎です。
だったら初めから19歳以上ないしは〇〇年の四月から〇〇+1年の三月までに18歳となったものとかの表記にすればいいことと思います。
今回話したいことでは誕生日で同学年でも差が出るとうのことはないものとします。
私が個人的には誕生日というのは誰もが同じ期間を過ごした一つの区切りとしてありと考えているからです。
さて、ここまで長々と私は清廉潔白で高校生不可って書いてあるからたとえ高校に行っていないからといって、エロ本も買わないし18禁のサイトは覗いてないぜ!みたいな書き方をしましたがそんなことはありません。
いえ、エロ本は買ってませんよ。
私は齢18にして童顔がひどくて見た目16歳ぐらいですから、買おうにも買えませんし。
身分証明書を見せても学生と勘違いされそうで買うのは控えてます。
もともとリアルな性的なものにあまり興味がないという理由もありますね…
ちなみに谷崎潤一郎さんにシンパシーを感じるような人間です(同族嫌悪をしていたりもするのですが)。
文学(文章で想像できるもの)のそういうのはむしろ好きです。中学生の時からそういうちょっと官能的なあれを読んでいます。
どこかから谷崎潤一郎さんの文学は芸術作品でそんな目で見るなという声が聞こえてきそうです。
話が少しそれましたね。
高校生不可にするぐらいならなぜ高校生が含まれる18歳をわざわざ区切りにしているのかが不思議で仕方ありません。
昔の慣習をそのまま踏襲しているのでしょうか?
もしかしたら昔だったら「高校に行ってない=働いている=社会的に大人」だったのかもしれませんが、今の社会には即していない気がします。
少し話を変えて、そもそもネットでそういう情報に簡単に子供でもアクセスできるようになった今子供の性成熟はとても早く、けれど早いがゆえにゆがんだものになっている気がします。
中学校の先生の話を聞くと特にそれを露骨に感じます。
性的なコンテンツを正しく理解するにはきちんとした知識と常識が必要です。
そのため人生経験も知識も思考能力もまだまだこれからの大多数の中学生は理解することができるはずがないんですよね。
だったら徹底的に性に関する不適切になりえる情報を一定の年齢まで遮断する(私のように子供時代から文学をとおしてちょっとあれなものに触れることをなくす等)かもしくは逆に性的なコンテンツを見せてそのコンテンツはあくまでフィクションであることを徹底して伝えるべきだと思います。
それをしないのに一方的に学生という存在は精神的に未成熟であると決めつけて、高校生はダメでも同じ年齢の社会人(?)はオッケーとするのは、安直ではないかと考えるのですが皆さんはどう思われますか?
追記、感想欄にて18歳が学校に持って行くことで17歳が見る危険があるからと教えていただきました。その視点はなかったので、お恥ずかしい限りです。
けれど公平性という部分を考えると、やはり少し変なのではと思います。
もちろん17歳が見ない為の措置を取るべきということは納得できます。しかし18歳になってないけれど18禁コンテンツを見る人はそれらを何かしらの手段で見るでしょう(インターネット上で年齢を偽るなど)、逆に18歳になってないからそういったものは見るべきではないと考えている人は学校に18禁コンテンツを誰かが持ってきても見ないと私は考えます。
そこまで想定してしまうと、見る見ないの問題は個人のモラルに依存すると考えます。(とはいえ売った人が責任を問われるかもしれない(法律、条例などは詳しく知らないのでかもしれないと言わせていただきます)以上難しいですが……けれどそもそも悪いのは18歳未満に見せる人及び18歳未満なのに見る人です)
なので、やはり18禁(高校生不可)の表記は変えるべきだと考えます。
私がこの年齢になって常々不思議に思っていたことを書きました。
あと数日でこのちょっと不思議な18歳以上(高校生不可)に含まれない高校生じゃない18歳ではなくなるちょうどいい時期に書けた気がします。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。




