騎士の決闘1
総督府との決戦に向けた準備は、もうしばらくかかりそうだった。
元々寄せ集めの軍勢である。碌な武器も持っていない敗残兵も少なくは無く、準備を整えるには、まだ時が必要だ。
だが総督府の方も、まだ動きは無い。諸侯の軍勢が、全くと言って良いほど集まっていなかった。
こちらからはその理由を知る由もないが、以前から一枚岩とは言い難かった。利益の無い戦に参加する事を、どの諸侯も嫌がった、というところだろう。
兵糧だけは、不足は無い。戦備を整えるのに時間を掛けているうちに、秋の収穫を迎えた。
収穫直前の田畑を戦で荒らされる事も無かったので、今年の収穫は例年よりはマシなようだ。無理なく兵糧を集める事が出来た。
食糧がある。その一事だけでも、人というものは寄り集まってくる。食い詰めた傭兵のような連中は極力追い返したが、はっきりと元蒼州公派と分かる者は、受け入れない訳にはいかない。
その中には、意外な人物も何人かいた。
「お久しぶりです、ディートリヒ卿。確か二度目の州都攻略戦の直前にお会いしたのが最後ですから、一年ぶりですな」
「う、うむ。そうだな」
酷くばつが悪そうである。元はユウキ家の四遺臣の一人とは言え、今や何の勢力も無く、ほとんど身一つである。ゲオルクとの接し方には、悩むところであろう。
「それにしても、なぜ今さらこちらに」
「いや、それは」
ディートリヒ卿が口ごもる。
「いえ、責めている訳ではないのです。ただ我らが何をしようとしているか、御存じのはずでしょう?」
ディートリヒ卿は、昌国君には勝てる気がしないとして、非戦派だった人物だ。ゲオルクの活躍もあって蒼州公派が一時勢いに乗ると、影響力を失った。
二度の州都攻略戦に敗れ、昌国君の反撃で蒼州公派が崩壊すると、降伏したと聞いていた。
「分かっている。だがな、いくら降将とは言え、総督府の我らに対する扱いはあまりにも酷い。ケーラー男爵が何故平然としていられるか、理解に苦しむ」
四遺臣のケーラー男爵は、終始降伏派だった。ディートリヒ卿と同時に降伏して、今も総督府に従っている。
だがディートリヒ卿の話に因れば、諸侯ではなく陪臣で、しかも敵の中枢であった彼らへの扱いは、相当に悪いらしい。
つまりそんな扱いに耐えかねて、かつて反対していた昌国君と一戦交える事も辞さず、とこちらに走って来たという訳だ。多分に感情的なものが混じっている。
あまり当てにはできないが、これでもユウキ家の重臣だった男だ。丁重にもてなして、ユウキ家の流れをくむ者達のまとめ役を頼むと、上機嫌で引き受けた。
つまりはそういう扱いがされたいのだ。だがある程度名声もあり、大過なく部下をまとめ上げて、問題を起こしていない。決して無能な人物ではないのだ。
もう一人、意外な大物がいた。元蒼州公家のメルダース男爵。公家再興の立役者である。
「閣下、お変わりございませんか?」
「ゲオルク殿か。足しげく訪ねて来られるとは、存外暇なのかな?」
「まあ、否定はいたしません」
ゲオルク軍だけならば、今すぐにでも戦を始められる用意が整っている。
メルダース男爵が現れたときは、生きていたのか、という驚きが大きかった。消息が全く不明な上、蒼州公家の残党に対する狩り出しは厳しいので、もはや主要な人物の生存者はいないと思われていた。
そして会ってみて、また驚いた。これが一度は公家再興を成し遂げた立役者かと思うほどやつれ、疲れ切っていた。肉体的な面よりもむしろ、精神的な面で。
「ゲオルク殿には迷惑な事だろうが、感謝している。こういう場を得られたのだからな」
「差し出がましいようですが閣下、死ぬために戦をする様な事は無きよう」
メルダース男爵を、何かにつけて気にせずにはいられなかった。どこか、ツィンメルマン卿と同じ匂いがするのだ。
「安心せい。他人を巻き添えて死ぬ気はない。ただ、生死勝敗は人の手の届かぬところにある」
考えを見抜かれている。あるいは、ツィンメルマン卿と言う前例を踏まえての事か。
「のう、ゲオルク殿。儂はこの頃、自分のしてきた事は正しかったのか。本当に主家への忠義に生きたのか、と考える」
「一度は主家を再興為されました。他の誰にもできなかった事でございます」
「事実としては、確かに主家の再興を成し遂げた。しかしそれは本当に、主家への忠義からだったのだろうか」
「と言われますと?」
「フリードリヒ公には、間違いなく忠を尽くしていた。だがその後は、主公の意思を継ぐと言う名目で、自分のために主家を利用したのではないか。この頃になって、そう考える」
「その様な事は」
「儂が利用しなければ、幼いユリアン殿を死なせる事も無かった。儂は主家の再興とユリアン殿を自分のために利用した。そうでは無いと言い切る自信が無い」
「生きられる事です。生きていればこそ、悩む事も、答えを見つける事も叶いましょう。死ねば、どちらも出来ぬ事です」
「そうだな。儂もそう思うよ」
それきりメルダース男爵は、瞑目して何も言わなくなった。
蒼州公フリードリヒの反乱事件から六年。ユウキ合戦から五年。自分達は、短いが激動の乱世を生きてきた。
後悔した事も多い。人生を狂わされた者も少なくない。恨みと復讐心で生きている者もいるだろう。
そういうものを抱えた者達のために、戦が必要とされているのかもしれない。誰が望んだ訳でもなく、そういう者達があふれる世が、戦を必要としている。
そんなある日、ゲオルク宛に一通の書状が届いた。
古式ゆかしい果たし状だった。差出人は、コンスタンツェ・ワーグナー。総督府所属の『騎士殺し』の異名を取る女騎士だ。
果たし状である以上、内容は決まっている。日時が指定され、決闘が申し込まれていた。
決闘と言っても一対一ではなく、互いに配下の騎士を連れての、戦に近い形式だ。コンシタンツェは、本人含め三十八騎で待つという。
罠と言う可能性は、一瞬たりとも疑わなかった。伝え聞くコンスタンツェの人柄と、わざわざ古風な果たし状を送って来る事が、罠の可能性を否定していた。
「騎士の決闘か。長く聞かなかった事だな」
互いの名誉を賭けての決闘が廃れて、すでに久しい。決闘など、先輩騎士からさらに先輩の話として、伝え聞くだけのものだった。
「団長、まさか受ける気では」
ゴットフリートが訪ねてくる。
「そのまさかだ。決闘を挑まれて断るなど、騎士ではない」
「お気持ちは分かりますが、大事な戦の前にその様な事は止めてください。団長が敵とすべきは、昌国君です」
「大事な戦の前だからこそ、『騎士殺し』を討ち取って士気を高めるべきだろう?」
ゲオルクとゴットフリートが、束の間にらみ合う。
「なんてな。本当は、ただ受けたいのだ」
「仕方がありませんね」
「ほう。止めないのか?」
「止めれば、思いとどまってくれますか?」
「諌死をする覚悟で止めれば、思いとどまるかもしれん」
「止まりませんよ、団長は。その代り、一つだけお願いを聞いていただきたいのですが」
「言ってみろ」
「私も、同行させてください」
「お前は、赤隊の隊長だろう」
「ですから、そこを曲げて」
再び二人が見合う。
「仕方のない奴だ。同行を許そう」
「よろしいので?」
「十六でフリードリヒ公の乱に無断で加わったお前が、止めても聞くとは思えん」
「いや、あれは。若気の至りでした」
ゴットフリートが、それには触れないでくれと言う様に、小さくなった。
決闘の当日、ゲオルクは指定の場所に、本人含め六十八騎で赴いた。約束通りゴットフリートもその中に加わっている。
コンスタンツェ・ワーグナーの三十八騎は、ゲオルクらよりも先にこの場で待ち構えていた。
一帯は荒涼とした原野で、伏兵を潜ませる事ができる場所もない。
「待たせてしまったか?」
「いや、時間通りだ。礼儀として、こちらが先に待っていたに過ぎない」
「一度、お会いした事がある。インゴルシュタット近郊での事だ。覚えておいでか?」
「当然だ。あれ以来私は、お前と勝負して見たくなった。朱耶伯爵には悪いが、お前の首は私が貰い受ける」
「光栄だ。だが首を貰い受けるのは、私の方だ」
お世辞ではない。勇名を馳せるコンスタンツェに目を着けられたのは、騎士として栄誉であると、本心から思った。
「同数で、相手をすべきであったろうか。今からでも、下がらせるが?」
「いや、構わない。決闘とは言え、真に同じ条件という事は無い。その程度ならば、問題にならん」
「ほう」
三十八騎対六十八騎でも、数の差など問題にならないと豪語するか。
多少、ゲオルクの神経を逆なでした。ゲオルク直属の騎兵を、弱兵と侮られては心外だ。
「女とは言え、手加減はできませんぞ」
「当然だ。女と油断して討たれた首など、なんの価値も無い」
反撃のつもりだったが、軽くいなされてしまった。
「ところで、ゲオルク・フォン・フーバー殿を見込んで、決闘前にしばし付き合ってくれぬか?」
「可能な限り付き合うが、一体何を?」
「なに、剣を交える前に、お互いの信念を、言葉によってぶつけ合ってみたいと思ったのだ」
「よろしい、お相手いたそう」
コンスタンツェが単騎で前に出てきた。ゲオルクも同じく、単騎で前に出る。
先に口火を切ったのは、コンスタンツェの方だ。
「騎士とは、何なのだろうな。私はずっとそれを考え、騎士である事にこだわってきた」
「幼少期より騎士見習いとして文武に修業を積み、二十歳で主君から叙勲を受けて騎士の資格を得て、以後はどこへ行っても騎士として身分を認められる」
「それは、制度の上での話に過ぎない。身分上騎士である事と、私の考える騎士は違う」
「しかし世間では、そうして騎士の身分を得た者が騎士です」
「では世間が無ければ。この世に自分一人しかいなければ、自分は騎士ではないのか。騎士であるとは、他人に決められるものなのか?」
「己がいくら騎士だと叫んだところで、叙勲された事実が無く、誰もそれを認めなければ、社会的には騎士とは言えぬでしょう。ですが、己の心の中の騎士までは、消せぬと思います」
「まさにそれだ。私は、自分の中にある騎士にこだわってきた。今の世に、真に騎士の精神を持った者は、何人いるだろうか」
「滅びゆく種族なのかもしれません。我ら騎士は」
「そう思うか?」
コンスタンツェが、寂しそうな表情を浮かべる。
「貴族である領主や、騎士が土地を支配していた時代は過ぎ去りつつあります。ならば騎士や貴族の存在意義は、もうありません。制度としての騎士が滅びれば、心の中の騎士も、やがて消えざるを得ないのでしょう」
「ならば、私やお前のような人間に、生きる世界は無いという事になるな」
「あるいは、そうなのかもしれません。しかし私は、そういう事を考えて戦ってはこなかった。これからも、そうでしょう」
「私もだ。ただひたすらに戦ってきた。私の望む騎士の姿が、その先にあると信じて」
「ありましたか、望む騎士の姿は」
「永遠にたどり着けないものではないか。近頃そう思い始めた」
「そしてたどり着けないまま、騎士の時代は終わる」
「ならば最後の騎士として、最後まで騎士らしく戦うだけだ。私の思う様に、騎士らしく」
「なるほど。私もそう思います。最後まで騎士らしく、戦い抜いてみようと思います」
その先でまだ生きていたら、その時はまた、別の生き方を探すのだろうか。
そのときになってみないと分からない事だ。今はただ、今を精一杯生きて、戦い抜けばいい。
「ゲオルク殿は、何のために戦う?」
「さて、何のためと問われると、自分でもよくは分かりません。ですがおそらく、忠を尽くすために」
「貴殿の主家であったユウキ公爵家はすでに無く、公爵家が奉じた蒼州公派もすでに無い。何に対して忠を尽くす?」
「確かに、私は一度は忠を尽くす対象を失った。そう思った」
「違うと?」
「公爵家も、蒼州公派も無くなって、真に自分が忠を尽くすべきものが分かったと思っている」
「では改めて問おう。何に忠を尽くし、何のために戦う?」
「天に忠を尽くす。天に恥じない行いをする。それは同時に、自分の心に恥じないという事でもある。自分の心の中にある騎士道に」
弱き民を戦や盗賊から守り、豊かとは言えなくても苦しくない生活を送れるようにする。結局はそんな、当たり前の事のために戦ってきたのだ。
当たり前の事が当たり前で無くなり、苦しむ者がいる。それに対して声を上げる。何かを為す。それが自分の、戦う理由だった。
「コンスタンツェ殿、貴殿はどうだ。何に忠を尽くし、何のために戦う?」
「ゲオルク殿と大きく違いはしない。弱き者を守り、真実と誠実を貴び、国を守る」
「その国が、民を苦しめている。それが今の真実ではないのか」
「過ちは、正せば良い。一度、正す事に失敗したからと言って、国を倒して良い理由にはならないはずだ」
「ではなぜあなたは、国を正さない?」
「私に、そんな力などは無いさ。それが貴殿も同じだろう。正せる者がいつか正してくれる。それを信じて、国を守り続ける。その為に剣を振るう。それではいけないか?」
いけない、とは言えなかった。例えば蒼州公フリードリヒやユウキ公爵の立場が違ったら、違う行動を選んでいたら、ゲオルクもそちら側だったかもしれない。
だがフリードリヒ公やユウキ公爵が、兵を挙げる事に悩まなかったとは思わない。悩んだはずだ。そして、それしかないと覚悟を決めて、行動に移したはずだ。
つまりこの国の過ちは、もう正せないと思ったのだろう。
正せるか正せないかは、ゲオルクに分かるはずもない。だが、一度選んでしまった道は、選び直す事は出来ないのだ。ゲオルクは、彼女とは違う道を進むしかない。
「あなたは、まだ幸せだ。自分の理想と、国への忠義の間で引き裂かれる事が無いのだから」
「いつか引き裂かれる、そう言わんばかりだな」
「民の苦しみを無くすために戦っているはずなのに、実際は戦で民を苦しめている。その矛盾に、何度も身を引き裂かれる思いがしたよ」
「あるいは、そんな日がいつか来るのかもしれない。だがそれでも、私は国への忠を捨てはしないだろう。それは、私の騎士道に反する」
「我らはどちらも、己の心にある騎士道に忠を尽くしながらも、違う道を歩んでいる様だな」
「そしてそれ故に、戦うしかない。ここで決闘をせずともな。そう予感したから、お前に決闘を挑んだ」
ゲオルクは深く肯いた。戦う事を避けられない運命。そういうものが、確かにある。
「勝負だ、ゲオルク殿。どちらが正しいかは、戦って決めよう」
「待て! 勝った方が正しい。その理屈は、私の受け入れられるところではない」
「だとしても、勝った方が正義として世にまかり通る。それが事実だ」
「戦いに勝利した。力が強い。数が多い。そういうものに拠らない正しさが、人には必要だ」
「正しさなど、人の数だけあるものだろう」
「そうやって、それぞれの都合を主張して争い、勝った者が正しいとされる。それでは、争いは無くならない。人を越えた正しさが、何か必要なはずだ」
「そんなものが、存在するとでも?」
「人を殺して財貨を奪う。それを否とする者は多いはずだ。勝った者、強い者が正しいのなら、なぜ強者が弱者から奪う事が、世に正しいと認められていない。そしてそれを間違っていると思うからこそ、弱者を慈しむ騎士道はある。違うか」
「それは」
コンスタンツェが、渋面で口ごもる。
「勝ち負けと、正しさは無関係であるべきだ。そして、個人を越えた正しさを、人は求めなければならない」
コンスタンツェは沈黙したままだ。やがて力を抜くように、一つ息を吐いた。
「私の負けだな。元々、こんな事は得意でもない」
苦笑し、また表情を引き締めた。
「これで、心置きなく戦える。私の剣の鋭さは、言葉の比ではないぞ」
「心して、お相手いたそう」
二人が馬首を巡らし、互いの兵の元へ戻った。これ以上は、一言半句の言葉も不要だ。
秋風の吹く荒野に、戦機が満ちはじめていた。




