昌国君討滅作戦3
鴉軍が散った。
ゲオルクに背後から突っ込まれる寸前に、歩兵の中央突破を断念した。三つに分かれ、犠牲の大きかった左翼を突きぬけて離脱していく。
後ろが見えているのか。そう思うほどの、際どいタイミングでの転進だった。
三隊に突き抜けられた左翼は、完全に崩されている。
しかしまだ、終わった訳ではない。敵が三つに分かれたのは、むしろ好機だと、今は思える。
「首だ。昌国君の首だけを狙え。他には構うな!」
突撃の勢いのまま直進して、敵の二隊の背後を駆け抜ける。昌国君がいるのは、一番遠い隊だった。
鴉軍は、互いに距離を取るように動いている。決定的な決着を着け損なったので、また仕切り直しというつもりなのだろう。
戦況が仕切り直されれば、次は確実に負ける。今ならばまだ、五分の勝ち目がある。
昌国君の隊。捉えた。まだ遠いが、ぶつかれるはずだ。ぶつかり合いを避けようとすれば、戦場から離れて行ってしまう。
他の二隊も、昌国君だけを狙っている事に気付いたようだ。反転し、戻って来る。だが遠い。右後方から、昌国君の脇腹を食い破れる。
ゲオルクの目の前で、昌国君が急旋回した。ゲオルク隊の鼻先を掠めて、逆にこちらの右手に回り込んでくる。
こちらの馬首を右に巡らし、鴉軍を正面に捉えようとする。ここまで来たのだ。意地でも、喰らいついてやる。
そんなこちらの気迫を感じ取ったのか、鴉軍が正面からぶつかってきた。
昌国君。ゲオルクの正面から、向かってくる。互いに剣を構えた。
すれ違いざまに、剣を振るう。昌国君の剣は、一瞬のうちに斬り上げ、斬り下ろす連撃として襲ってきた。
斬り上げを躱しながら、剣を振るう。体勢が崩れたが、手応えはあった。斬り下ろしが襲ってくる。辛うじて剣で受けきった。
駆け抜けた。被害を確認する。互角だった。鴉軍相手に、互角にやり合った。
肩に痛みが走った。血。躱したと思ったが、昌国君の一撃を躱し切れていなかった。幸い、傷は浅い。駆けながら布で縛り付けて止血した。
昌国君に手傷を負わせたかどうかは分からない。しかし、まだ指揮が取れる状態である事は間違いない。
敵が集まってきた。やむなく一度、昌国君の隊から離れる。合流されるともう、昌国君を討つのは無理だ。三隊を引き離したままにしておかなければならない。
敵が追ってくる。昌国君の隊も、背後についてきた。
左から敵が迫っている。押されるままに右へ動いた。押してきた隊が、昌国君の本隊と合流する。
あえて、合流した敵に向かった。まともにぶつかれば、潰される。ぶつからず、すぐそばを駆け抜ける。
敵の一隊がすれ違い、ゲオルク隊と逆方向に駆けて行く。完全に、意表を突く事が出来た。
だが別の一隊が、ゲオルクの前にいた。昌国君の本隊だった。さらに、左から別の一隊が突っ込んでくる。
この動きすら読まれた。いや、誘われたというのか。
避けきれるものではなかった。横から突っ込まれる。逃げて、少しでも犠牲を減らすので精一杯だった。それでも、かなりの兵が討たれた。
敵は執拗に喰らいついてくる。振り切れない。気が付けば、昌国君の本隊が並走していた。今ここで二方向から突撃を受ければ、間違いなく全滅する。
無理を承知で、昌国君の本隊にぶつかっていった。死なば、もろともだ。
しかし昌国君は、あっさりとそれをはぐらかして逃げた。
昌国君とぶつかれなかった時点で、全力で退避した。無理に昌国君を狙ったせいで、他の隊に対して隙だらけだ。
案の定、一隊が背後にぴったりとついてきた。しかも、昌国君の本隊までもそこに加わってくる。
完全に追い回される立場に置かれてしまった。
ならば、引き回してやる。
敵は三隊。うち、昌国君の本隊を含む二隊が追ってきている。あえて、残りの一隊の方へ向かった。それも、正面からぶつかっていく。
後ろの敵が戸惑った。対応が追い付かず、引きはがされる。
しかし、昌国君の本隊だけは、やはり着いてくる。このまま行くと、前後から挟み撃ちだ。
反転した。背後の昌国君に挑む。前にいた敵が、好機と見て猛然と迫ってくる。そこへ、一度は引き離した敵も追いついてくる。
敵味方の全部隊がぶつかった。しかし、秩序だってぶつかったのは、ゲオルク隊と昌国君の本隊だけだ。他の二隊は、お互いに相手の存在が予想外だったおかげで、混乱している。
それどころか、昌国君の本隊の動きを邪魔してさえいる。互角どころか、ゲオルク軍が押していた。
昌国君。いた。今度こそ首を。そう思ったが、敵味方が入り乱れていて、思う通りに駆けられない。
すれ違いざまに一度、剣を打ち合った。そこまでだった。これ以上留まる事は、無理だ。
抜けた。昌国君本隊の兵を、十騎以上討ち取ったはずだ。
だが、昌国君の首は取れなかった。鴉軍が、完全に一つにまとまっている。
勝ちの目が、完全に消えた。今の鴉軍なら、どう動いてもゲオルク軍を倒せるはずだ。このままゲオルク隊とぶつかって殲滅もできるし、歩兵に再び突撃すれば、今度は壊滅させられるだろう。
だが、負けるにしても、負け方と言うものがある。
「死ねや、者共! 昌国君を道連れにして死ね!」
それしかない。もはや、差し違える方法でしか、昌国君を討てない。それすら、酷く分の悪い賭けだ。それでも、万に一つでも可能性があるのなら。
ゲオルクは雄叫びを上げ、先頭切って敵に突撃した。付き従う味方は、すでに半分を切っている。三十数人。敵は、こちらの五倍ほどか。
だから、なんだ。一人が五人斬り倒せばいいだけではないか。そう考えれば、大して無茶な事でもない。
鴉軍が、楔型の陣形を組んで突っ込んできた。正面からぶつかる。ぶつかり合いとは言えなかった。黒い奔流に、飲み込まれるようなものだった。
昌国君。向こうからやって来た。俺を討つ気か。だが、そちらからやって来るとは好都合な。
首を狙って、横一文字に剣を振り抜く。容易く止められた。目が合った。昌国君が、笑いかけた。
認められたのだ。俺は、この人の記憶に残ったのだ。
剣が弾き飛ばされた。死を覚悟した。目を閉じた。風が、吹き抜けていく。
風が過ぎ去った。とても穏やかだ。これが、死なのか。
「団長」
目を開いた。生きている。馬にも乗っている。
最後の突撃を試みた兵達は、散り散りになっていたが、ほとんどが生きていた。
「昌国君は?」
「去って行きました。正直、今も信じられません」
歩兵も騎兵も、油断無く隊列を整えている。しかし、戦は終わったのだと理解した。戦場を覆っていた、戦の気配が感じられない。
「団長!」
歩兵からゴットフリートが、馬を飛ばしてきた。
「御無事で」
「どうも、そうらしい」
「最後の突撃で、団長の討死を覚悟しました。情けを掛けられたのでしょうか?」
「多分、違う」
自分は確かに昌国君に認められたのだろう。しかし、だからと言って情けを掛けて、討てる敵将を討たないという事は、昌国君はしない。
それに、ゲオルク自身、情けを掛けられたという感じはしないのだ。もっと他の何か。
「おそらく、勝ったのだろう。昌国君は、逃げたのだ」
「勝った、ですか?」
「差し違える気で、最後の突撃をした。あの時我らは、死兵になっていた。昌国君は、死兵と戦う事を避けたのだと思う。受け流された、と言えばいいのかな」
「しかし、そんな事をしなくても、団長らを全滅させられたと思うのですが」
「全滅していただろうな。だが、引き換えに昌国君を討てていたかもしれない。万が一にも討たれる事を、昌国君は避けたのだ」
思えば、昌国君と剣を交えたとき。ゲオルクを殺す気で攻撃してくれば、こちらも本能のままに食い下がっていただろう。あえて剣を奪うに止めた事で、毒気を抜かれたという感じがある。
「怯懦ではないぞ、ゴットフリート。昌国君は、自分の戦場を見誤らなかった。ここで死ぬ事、死を賭して戦う事は、彼の戦場ではなかったのだ」
「この戦場で負けても、この戦争全体を勝利に導くために、生きる事を選んだ。という事ですか?」
「これは、勝ったが負けたな。昌国君を撤退に追い込んだのは、間違いなく我らの勝利だ。しかし、昌国君を討てなかった。次に会うときは、さらに強くなった昌国君を相手にする事になるだろうな」
ゲオルクは、しばらくの間その場に佇んでいた。満ち足りた気持ちだった。
先の事を考えるのなら、ここで昌国君を討ち損なったのは、痛恨事だろう。だがゲオルクには、どうでも良い事としか思えなかった。
自分が空になるまで、全てを絞り出した。そして絞りきり、空になった自分の中に、清々しいものが満ちている。それに比べれば、他の事など全て、どうでも良い事としか思えなかった。
やはり、自分は指揮官など向いていないな、と思った。まともな指揮官ならば、昌国君を討てなかった敗北を悔いるのだろう。
自分は今、これでこのまま負けるのならば、それでも良いとすら思っている。
反総督府勢力の軍勢は、各地の重要拠点のいくつかを潰す事に成功したらしい。
ただ順調に行ったのは初めだけで、本格的な反撃が始まると、壊滅的な打撃を受けて敗走した。
とは言え、これまでの残党によるテロとは、比べ物にならない被害と脅威を与えた事は、間違いない。
それを裏付ける様に、改めて昌国君が六百の軍勢を連れて州都に入り、総督府はゲオルク軍を含む、蒼州公派残党に対する殲滅戦の用意を始めた。
と言っても、反総督府派の攻撃によって、総督府の直轄軍は相当の打撃を受けたらしい。まとまった軍勢の動員には、多少の時間が掛かるだろう。
また、どれほどの軍勢が動員されるかは、諸侯の動静次第、という事になる。
諸侯軍の集まり方次第では、まだ対抗できるという見方をする者も、少なくは無かった。
そういう、まだ諦めていない反総督府派は、軒並みゲオルク軍の下へと集結してきた。
迷惑な話ではあるが、今や反総督府勢力中、最大最強で最も名声高いのは、ゲオルク軍なのだ。ゲオルク軍と共に、総督府と戦おうという希望を持たれるのも、致し方ない所ではある。
ゲオルク軍の砦近郊には、反総督府派の将兵に加え、彼らが集めたのか傭兵まで集まり始めて、一千近い軍勢が集まろうとしている。
「否応無しだな、これは。うっかり追い散らそうものなら、反乱を起こされかねん」
日に日に増えていく軍勢を眺めながら、ゲオルクは長溜息を吐いた。
「昌国君を撃退した、という噂が広まり、すでに勝利を疑っていないような情況の様です」
「嘘ではないだけに、否定しにくい所だな」
「このままでは、総督府との戦は避けられません」
「良いではないか。どうせ、避けられない事だ」
ゲオルクが笑う。楽しんでいる様な笑みだが、酷く虚無的なものも漂う。
「我が領内での乱暴狼藉だけは、絶対に許すな。問答無用で斬って構わん」
「はっ」
最後の戦いに向けて、全てが動き出したと思った。昌国君と雌雄を決しようという時も、最後の戦いだと思ったが、それ以上で、それとは違う。
勝っても負けても。生き残っても死んでも。何か大きなものが、これで終わる。そういう戦になるという予感がした。
もしそれを戦い抜いて、まだ生きていられたら。そのときは何か、新しいものを始められるのだろうか。
まだ、気持ちの中にしかない理想の国へ向けて、全力で邁進できるようになるのだろうか。




