ダム防衛1
ゲオルク軍の新しい歩みが始まった。
とは言えそれは概念的なもので、実際にはほとんど以前と変わりがない。
ただ一つだけ、ゲオルク軍の支配領域を明確にする事はやった。支配領域の境に、目印の杭を打って回った。
今はまだそれだけだが、いずれ関所や監視塔の様なものを作り、兵を駐屯させる事になるだろう。
支配領域は、砦を中心に半日の行軍距離とした。端から端まで、一日で軍勢が移動できる距離だ。
地形を考慮しているので、領域はいびつな形になるが、おおよそ20㎞四方で、人口はインゴルシュタットからの難民を含めて、五万人前後になるだろう。
本格的に小領主並みになって来たが、ゲオルク軍には軍は在っても行政府は無い。統治は各村の自治に任せているし、村と話し合って決めた傭兵料はあっても、税と呼べるものは取れないのが現状だ。
失職した元役人くらいは、探せばいくらでも見つかるだろうが、彼らに支払う給金をどこから持ってくるかという問題もある。
インゴルシュタットを追われた難民のほとんどが、ゲオルク軍の砦近辺に住み始めている。今はまだ難民キャンプと言った方が近いが、いつか城下町の様になるかもしれない。
新しく街ができていくここならば、新たに税や法を定めるのもやりやすいかもしれない。しかし今はまだ、税を取れるような情況ではない。
少しずつ時間を掛けて、国の形を整えていくしかないだろう。道は遥かに遠い。
当面の活動資金は、やはり傭兵に依って稼ぐしかない。
だが、ゲオルク軍は名を上げ過ぎた。いくら無節操な傭兵になると宣言しても、旧蒼州公派の精鋭部隊であるゲオルク軍を雇おうという奇特な勢力は、なかなかいない。
その代わり、各地に潜む蒼州公派の残党からは、ときおり要請が舞い込む。依頼ではなく、要請だ。ほとんどが碌に金も持っていない。
それでも、いつまでも仕事を選り好みしていられる情況ではない。夏の盛りも過ぎた頃に、ある蒼州公派残党勢力からの依頼を受けた。
珍しくそれなりの報酬が提示されたから、と言うだけではなく、彼らの計画が気になったからだ。
「依頼主から知らされた、作戦の概要を説明する」
砦の広間に各隊の隊長を集め、出陣前の軍議を開く。今回の作戦は、非常に厄介な臭いがした。
「彼らの計画は端的に言って、州都フリートベルクへの無差別テロだ」
「無差別テロ、とは言いますが、一体どうやって?」
「上流のダムを決壊させる気らしい」
フリートベルクは、市内をドネウ川が流れている。市内が洪水に見舞われない様に、上流にダムがあり、市内に流れる水量が一定になるように調整している。
そのダムを占拠し、水を最大限に貯めたところで決壊させようというのが彼らの計画らしい。実現すれば、三十万の人口を有するフリートベルクは壊滅的な被害を受けるだろう。
「ここだけの話、この計画自体には賛同できない。実現可能性も低いが、仮に実現すれば、インゴルシュタット以上の惨劇となる」
まともな指導者のほぼ全てを失って、もはや旧蒼州公派はテロリストの代名詞と化していた。彼らのやる事は、無意味に屍を増やすだけだ。それも、無辜の民の屍を。
「わざわざそんな依頼を受けて、賛同できないなんて公言するという事は、団長はわざと失敗させるつもりという訳ですね」
「察しが良いな、ゴットフリート。正直、うちの台所事情も切羽詰まっている。報酬を請求できる程度に働きながら、この暴挙自体は失敗させる」
「また、難しい事を」
「金のためには手段を選ばぬ傭兵になっても、越えてはならない一線はあると思っている」
「まあ、団長はそうでないと」
「この作戦は現地の勢力の依頼を受けての事だが、彼らと共同した行動を取るつもりはない。我らは我らで独自に動く。それを、皆よく心得て作戦に当たってくれ」
総督府に対する攻撃である以上、敵もそれなりの戦力を差し向けてくるだろう。動かせる全軍で出動した。七十一騎を含む、およそ一千百五十。そろそろ、戦力の摩耗が気にかかる。
ダムは総督府直轄領の境界、州都フリートベルクから、半日強の位置にある。ダムと言うよりは、堰と表現した方が近い。
ダムを占拠している現地の部隊は、五十人ほどだった。すでに何度か交戦し、戦力を失いつつある。
初めから当てにしていない分、むしろ足を引っ張られる心配が少なくて良い。
「州都では、かなりの数の部隊が出動準備を整えています。二千近い部隊を向けてくる事も、予想されます」
「州都が空になるまで動員して、どれだけが動く?」
「三千はないかと」
「ならば、どうにかなるだろう」
再建された総督府軍は、以前とは比較にならないほどに増強されている。入念に斥候を放ち、行動を掴んでおかねば危険な相手だ。
ダムを占拠した残党軍は、まともな偵察も行っていなかった。総督府軍を、以前と同じ少数弱体な軍だと舐めて掛かっていた。その結果が、現状だ。
「最優先で対処すべきは、軍船だな」
かつてはドネウ川上に、まともな水上戦力など存在していなかった。しかし、蒼州公派連合軍が州都に迫った戦い以来、総督府は小規模ながらドネウ川の水上に船団を配備している。
小規模な船団でも、攻撃手段を持たないこちらは、水上から一方的に攻撃を受け、反撃も難しい情況に置かれる。これは小さくない脅威だ。
特に、最終的には失敗させるつもりでも、当面はダムを防衛しなければならない今回は、水上戦力の脅威は大きい。
時間さえあれば、水中に杭を打つなどの対策も取れるが、それ程の時間は無い。
「どうしたものかな」
「団長。船の相手なら、俺にやらせてもらえませんか?」
デモフェイが一歩前に出て言った。
「俺が泳ぎの得意な部下を連れて、船底に穴を開けてやりますよ」
「できるのか?」
「軽い軽い。なかなか活躍する機会が無くて、腕が夜泣きしてたところです」
川と船の事なら、川漁師出身のデモフェイ以上に詳しい者は、ゲオルク軍にはいない。そのデモフェイがやるというのなら、任せようと思った。
「分かった。すぐに潜水部隊を選び出して、名簿を上げろ」
「はい」
水上戦力の対策さえ取ってしまえば、後は普通の戦だ。対策にどれほど効果があるかは分からないが、限られた時間で打てるだけの手は打った。
デモフェイは三十七人を選び出して潜水部隊を編成した。少ない様だが、急造の敵船団も多くは無いはずだ。圧倒的劣勢にはならないだろう。
それにしても、総督府軍の増強に、船団の新造。必要な資金は相当な額に上るはずだ。
総督府にそんな蓄えがあるはずもなく、無ければ取り立てて用立てるしかない。特に今の総督府は、半済令によって州中から税を取り立てて懐に納められる。
民の負担はいかほどであろうか。さらに言えば、取り立てた税の何割が、いつの間にか消えている事だろうか。
「敵部隊接近。百騎、一千八百。騎兵は朱耶軍」
現れた。時間、兵力共に、想定の範囲内だ。
敵は歩兵が鶴翼に広がり、騎兵が前に出てきている。こちらは方陣を組み、騎兵を後ろに下げて受けの構えを取った。
今更言うまでも無く、ゲオルク軍の対騎兵密集隊形の固さは知れ渡っている。敵騎兵も突っ込まず、牽制してくるだけだ。
牽制している間に包囲する。その際、騎兵は背後に回る。定石通りの戦術だ。
歩兵は、動かさない。その場に踏み止まり、牽制に対して堪えるだけで、動かさない。騎兵は、僅かだが右に移動させた。
敵の包囲が近づいてくる。
不意に、敵の騎兵が左へ走った。こちらの左側を回りながら、背後に回る気だ。すでに、囲まれかけている。
ゲオルクは右手に飛び出した。敵の左翼に、真っ直ぐ突っ込む。
敵騎兵を野放しにするが、赤、青、白、緑のうち一隊は崩されても、残り三隊でカバーできる。敵の包囲さえ崩していればだ。
左翼を断ち割る。崩壊にまでは持っていけないが、包囲を崩すには十分だ。崩れた敵の一部を押し、隊列から引きはがす。
左翼が崩れた事で、正面の敵部隊の側面が開いた。そのまま、正面の敵を横から突っ切る。
敵を突きぬけたところで、異変に気付いた敵騎兵が戻ってきた。
騎兵同士の駆け合いになる。だが、すでに騎兵同士で鎬を削る意味は無い。
左翼、正面が崩れた間に、歩兵は敵右翼を押し込んでいた。戦場の中心が移動した事で、すでに包囲は破れている。
敵が退却の鉦を打ち鳴らした。追撃はしない。敵もまだ余力を残し、追撃を警戒しながら退いている。
最初の攻撃を凌ぎ、敵の兵力を二百ほどは削ったはずだ。十分な初戦である。
「とりあえず、陸の敵を凌ぐ事は問題なさそうだな。あとは、水上の戦がどう動くかだが」
船団が州都を発った事は報告が入っている。まだ姿を現さないのは、流れに逆らうので船足が上がらないのと、練度の不足だろう。
「あまり長引かせると、敵の感じる脅威も大きくなります。なりふり構わない攻めに出られると、こちらの犠牲も大きくなります」
ゴットフリートが言う。分かりきった事だ。分かりきった事をあえて言う。少し、テオに似て来たかも知れない。
「思う存分暴れさせてやれないのは、お前には歯痒い事だろうな」
「一隊を預かる身として、分別は弁えているつもりです」
「お前があまり分別臭くなるのも、嫌なものだ」
ゴットフリートが、ちょっと困ったような顔をした。
「次の攻撃は、水陸同時攻撃を狙うだろうな」
「連携を取らせない事が、肝要になりますね」
「そうだな。それと、ダムを占拠している連中に、誰か着けておけ」
「連中、足を引っ張りますか?」
「いや、報酬をきちんと取り立てておかねばならんだろう?」
「確かに」
ゴットフリートが、弾けるように笑った。こいつは、それでいい。
もう一つ、測らなければならない事がある。いつ負けるか。どのようにして負けるかだ。自然に、犠牲無く、かつ報酬は要求できるような負け方が望ましい。依頼主側の落ち度であれば、なお都合が良い。
テオがいれば、こういう謀もやりようがあっただろうか。ついそんな思いがよぎった。




