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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter5・ワルプルギスの夜の宴
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不毛な抵抗1

 チクハ山は、平野が広がる蒼州(そうしゅう)中部において、そこだけ気まぐれに(つま)み上げたような山だ。

 ゲオルク軍はこの山に拠り、高く旗を掲げて数日駐屯した。それで、僅かだがツィンメルマン卿の残党や、行き場を失った市民なども集まってくる。

 集まってくるのは味方ばかりではなく、敵軍も麓に布陣した。しかし、山全体を包囲するような兵力は無く、インゴルシュタットへの道を塞いでいるだけだ。

 初めは何度か小競り合いを繰り広げたが、今はこちらから仕掛けない限り、向こうも手を出しては来ない。そしてゲオルクに、交戦する理由は無かった。

 人数はそれほど増えた訳ではないが、十分な食糧が有る訳ではない。山の反対側から輜重隊を送り出して、食糧を確保してはいるが、あまり長居はできそうにない。


「麦秋になったから、調達自体は移動すれば容易だろうが」


 幕舎を張っている場所より、もう少し登ったところに、岩が突き出していた。その岩に登ると、麓の敵はおろか、インゴルシュタットまで見渡せる。

 ゲオルクは、この岩の上に立つ事が多かった。岩の上は、ゲオルクしかいない。だからここで言う事は全て、独り言だ。

 独り言が増えた、という自覚はある。テオ達がいた頃は、言葉を発すれば返事があった。

 今もゴットフリートや、他の将校達の前で何かを言えば、それなりに言葉が返ってくる。

 だが何か違う。ゲオルクが求めているような応えは、もう返ってこないのだ、という事が、なんとなくだが分かる。

 それでも言葉を発するのは癖になっているので、独り言になってしまう。独り言だと思うと、誰にも聞かせたくはなかった。


「どうしたものかな」


 インゴルシュタットを遠望しながら、今後の方針を決めかねていた。普通に考えれば、このままゲオルク軍の本拠砦に帰還するべきだろう。

 しかしインゴルシュタットは、まだ何か落ち着きが無かった。実際に何かが起こっている訳ではないが、対峙して、相手の隙を窺っている軍勢の様なざわつきがある。

 もう一波乱、何かある。それに、背を向けていいものかどうか、ゲオルクは決めかねていた。

 何より、この事態を招いた当事者なのだ。最後の最後まで見届けるのが、責任というものではないのか。

 しかし、あまり長くここに居座っていては、インゴルシュタットの軍勢をいたずらに刺激し、また要らぬ火種を生み出す事にもなりかねない。

 結局、決心がつくまで考えながら、ここで見極めるしかない。この岩の上で。


 麦秋には珍しく、低い雲が垂れ込めていた。空気も湿っている。ただ、寒くは無く、雨が降る様子もなさそうだ。

 それがかえって、不快な空気を創り出していた。

 岩に登るまでも無く、明らかにインゴルシュタットは混乱していた。麓の軍勢も、それを受けて動揺しているようだ。

 何が起きているのか。


「誰か、街の様子を探って来い」


 食糧調達の部隊が下山できるのだから、一人二人の出入りは問題無い。斥候を放って様子を見ると同時に、すぐに軍勢として動けるように備えさせた。

 まともな軍勢など、ゲオルク軍の他には総督府側に所属する軍しかいない。争いなど、起きるはずもないはずだ。

 だが、毛が逆立つような嫌な予感がする。あるいは、もうすでに分かっている事に、あえて蓋をしているのかもしれない、と思った。

 斥候が戻ってきた。


「暴動だと」


はい(ヤー)。市民が大規模な暴動を起こし、その鎮圧に軍が出動して、市内は大変な混乱の中にあります」

「鎮圧と言うが、つまりは軍が、市民を殺しているのか?」

「はい。始めは武器の使用を避けていた様ですが、むしろ市民の方が武器を手に襲ってくるので、応戦を始めたようです。それで、かえって混乱は広がったようです」


 なぜ暴動が起きたのか、と思った。すぐに、考えても分からない事だと思った。火種は、ずっと燻っていたのだ。些細な喧嘩から発展したとしても、おかしな事とは思わない。

 すでに暴徒は、目的も見失っているだろう。目的も無く、騒ぎをどう収束させるかの当てもなく、力尽きるまで暴れ続ける。すでに、そういう段階に入っていると思った方が良い。

 そういう暴動を前にして、ゲオルク軍はどう動くべきか。それを決めるべき時だ。


「暴徒の数は、どれほどだ?」

「良くは分かりません。しかし、暴動に加わらず逃げ惑う市民も、多く見られました」


 実際、市民全体の割合を計算すれば、暴徒は多くないのだろう。しかし、十人に一人が暴動に参加しても、インゴルシュタットの今の人口ならば、五千の暴徒になる。市内の軍の数倍だ。

 暴徒が暴れ、軍はそれを抑えようと殺す。だが、どちらでもない市民の方が、実は圧倒的に多い。そういう市民達が、巻き添えを食わずにいられるような情況とは、到底思えない。

 実際、巻き添えで殺される者が多いから、逃げ惑っているのだろう。


「インゴルシュタットの市民を救出する」


 ほとんど直感的に、そう決めた。軍と暴徒の両方を敵に回しかねない、などという事は、決めた後になって考えた。

 何を考えようと、もう決めてしまった事だ。決めた事は、変えない。

 ゲオルク軍として市内に突入するには、まず麓の軍勢を突破しなければならない。

 敵は一千二百と二百騎。こちらよりやや多いが、市内での騒乱を受けて、狼狽えている。地の利もこちらに有るので、打ち破るのには問題はないだろう。


突撃(ロース)!」


 騎兵が逆落としで突っ込み、敵を断ち割った。縦列で突っ込んだので、針を通した様なものだ。敵陣の綻びは小さい。

 騎兵のすぐ後に、歩兵の全軍がぶつかる。楔型の陣形で突っ込んだが、数が数だ。敵陣が崩れる。


「蹴散らせ! 徹底的にだ!」


 市内から戻って来たときに、敵が立ち直っていると厄介な事になる。帰りは、市民を連れているかもしれない。百の敵でも、守るべき存在を同行させたまま戦うのは、厄介だった。


「白隊。緑隊。市内に突入し、北門までの安全を確保。逃げる者を誘導しろ」


 崩れた敵を蹴散らすには、歩兵は半分もいれば十分だった。一度に市内に全軍を入れても、身動きが取れなく恐れもある。

 ただ、騎兵は敵の掃討に必要だった。市内の情況を、ゲオルク自身の目ですぐに確認できないのは、この際やむを得ない。

 外の敵を徹底的に蹴散らして、再びまとまる心配はないと判断すると、市内へ乗り入れた。

 すでに、ゲオルク軍で抑えた北門から、戦火を逃れて逃げ出す者達が多く出ている。

 市内は酷い有様だった。ありとあらゆる無秩序が横行し、敵と味方の区別もつかないような混乱の中で、互いに殺し合っている。

 白隊と緑隊を投入したにもかかわらず、北門から街の中央まで続く大通りの、半分を抑えるのがやっとというありさまだった。迂闊に路地に足を踏み入れれば、逆に殺されかねないという。


「歩兵はともかく、この辺り一帯を抑えて、一切の暴行、略奪を止めさせろ。逃れてきた者は、全員一旦外に誘導しろ。騎兵は、暴徒を鎮圧して、この騒ぎを収束する」

「収束と言いましても、この情況をどうやって」

「暴徒を蹴散らすより他あるまい。行くぞ!」


 街路を駆ける。すぐに、暴徒の一団と遭遇した。どうやらいくつもの集団が街中を暴れ回り、互いに衝突する事もあるようだ。

 こちらに気付いた暴徒の一団は、手にした棒や刃物を振りかざし、逃げるどころか襲い掛かってきた。

 構わず突っ込んだ。剣を振るう必要もなく、騎馬隊が一丸となって突っ込めば、それで蹴散らせるようなものだった。軍とは、まるで違う。

 できるだけ殺さずに、大通りや広場から追い立てた。狭い所に追い込めば、自然と一人になる。一人になれば、狂乱も覚めるはずだ。

 いまさら、できるだけ殺さずに収めようというのも、虫の良い話だと思った。それでも、殺せと命じるよりは楽だ。

 つまりは、自分が楽をしたいのだ。辛い命令を下す事を、避けているだけだ。そんな思いが、自分を(さいな)んだ。


「団長。市内の駐屯軍です」


 どうにか部隊としての体裁を保っている、五十人ほどの軍勢がこちらへ向かってきた。ただ、目の色は尋常ではない。


「話し合いができる状態ではなさそうだな」


 この情況だ、暴徒の扇動者だと思われても、仕方がない。余計な戦闘を避けようと、手綱を引こうとした。そのとき、風に乗って微かに、火薬の臭いを嗅いだ。


「散開!」


 横道に飛び込んだ。飛び込む前に、駐屯軍が鉄砲を構える所までは確認した。横道に飛び込んだところで、銃声が鳴り響いた。


ちくしょう(シャイセ)! 見境なしか」


 その場にいたのはゲオルク軍だけではない。暴徒もいるし、暴徒以外の市民もいる。流れ弾が誰かを傷つける事など、微塵も躊躇(ちゅうちょ)していない動きだった。

 この場を安全に逃れるためにも、これ以上無辜の市民を傷付けさせないためにも、打ち破るしかない。


「蹴散らせ!」


 敵に向かって駆ける。一息で戦列に突っ込み、屠って行った。


「北門から外へ出られるぞ! 北門へ向かえ!」


 言って、ついて来れる程度の速さで騎馬隊を走らせた。その後に、目的地も無く逃げ惑っていた人々が、続々と着いてくる。

 混乱した部隊を立て直す時と同じだ。明確な目印や目的地を与え、それに向かって真っすぐ進む動きを与えてやれば、自然にその後に着いてくる。

 ゲオルク軍で制圧している一帯まで誘導すると、後は歩兵に引き継いだ。


「ゲオルク様、ちょっと厄介な事になってきました」


 ゴットフリートが馬を寄せてくる。


「どうした?」

「駐屯軍と言うんですか、街の兵に目を着けられたようで、しつこく仕掛けてきます。安全を保障するには、戦線を縮小するしかありません」


 舌打ちを漏らした。今、駐屯軍と戦う理由は何もないのだが、そんな理屈が通じる情況ではない。


「退く、というのも手だと思いますが」


 確かに、それもありだろう。短い時間だったが、千人か二千人かは街の外へ出られたはずだ。

 しかし、これで良しとしてしまって良いのか。街の混乱を収めたり、逃げ惑う人々を全て助けるなどと言うのは、到底不可能だが、それでもまだ、死力を尽くしてはいない。


「歩兵は戦線を縮小し、脱出口を死守しろ」

「ゲオルク様は?」

「街中を派手に引っ掻き回して、駐屯軍を引き付ける。その間に、逃がせるだけ逃がせ」

はい(ヤー)。ゲオルク様、お気を付けて」


 ゲオルクは再び、混乱のるつぼと化した街を駆けた。駆けながら、北門から逃げろと誘導する事も続けた。

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