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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter4・勝利か、死か
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要人護衛2

 敵の先鋒部隊に痛撃を与え、進撃は一時止まった。

 しかし、敵軍は一つにまとまって押してくる戦法に切り替えてきた。

 大掛かりな交戦は避けたが、その圧力はかなりのものだ。四日踏み止まったが、そろそろ退却して、防衛線を構築し直さなければ、持ちこたえられない。


「あれだけ痛い目に遭わせて、士気も落ちているはずなのに、ずいぶん押してきますね」

「焦っているのだろう。街の連中を取り逃したくない上に、真冬の長期戦は避けたいという思いが強いはずだ」


 軍議を開いても、ゲオルクが何か言う事は少なくなっていた。大抵はゴットフリートが中心になって、他の将校達の意見をまとめる。

 ゲオルクは重要事項を、いくつか確認されるくらいだ。それもほとんどゴットフリート達の意見をそのまま採用する。そういう事への関心も、あまり無くなっていた。

 ただゴットフリートらには何か思う事があるらしく、ゲオルクが何気なく言った事に、はっとした表情をする事がある。


「ゲオルク様、街に近い所まで防衛線を下げるしかない、という意見が多数を占めます。ご判断を」

「そうだな。退くしかあるまい。退き方は任せる」

「退き方、ですか?」

「何か問題か?」

「いえ。分かりました。退き方を検討して、報告を上げます」


 残存物資の確認や、運搬の手順などの些事は任せる。というつもりで言ったのだが、上手く伝わらなかったかもしれない。

 そうだとしても、確認して、訂正しようという気にはならなかった。

 蒼州(そうしゅう)の中でも温暖なニーダザクセン郡では、雪が積もる事はあまりなく、積もっても一日で消える事がほとんどだ。

 それでも冬の盛りとなれば、毎日のように雪は降る。海に囲まれた半島で、空気の湿り気が多いので、湿った雪が多く降るのだ。

 寒さならば北の方が厳しいが、そちらは内陸なので雪は少なく、降っても乾いた雪が多い。

 どちらかと言えば、ゲオルクは北の乾いた雪の方が好きだった。湿っぽい雪は、心まで重く湿ってくる気がする。


「ゲオルク様、御報告に上がりました」


 ゴットフリートが幕舎に入ってくる。肩が雪で濡れていた。


「敵に対して夜襲を掛け、そのまま退く、という方針でおおむねまとまりました」

「夜襲?」

「はい。物資とその護衛を後方に送り出し、それと同じくして戦闘部隊は敵陣に夜襲を掛けます。退路の安全を確保しつつ、敵に打撃を与えられるかと」


 意外な提案が出て来たものだと思った。

 敵もそう易々と夜襲を受けたりはしないと思ったが、それならそれで、死ねる良い機会かもしれない。


「作戦は?」

「四百ほどの夜襲部隊を編成し、敵の兵糧を焼き払う事を目標とします」

「駄目だな」


 兵糧を狙っていては、焼き払えないと見たら退く、という事になる。それでは死ねない。


「駄目ですか」

「敵軍のど真ん中を突っ切る」

「敵将の首狙い?」

「いや。火を掛けて、派手に暴れる」

「危険ではありませんか?」

「危険でなければ、戦ではない」

「ごもっとも」


 物足りない、と感じた。ゴットフリートは、テオの様に意見をぶつけては来ない。

 テオは命令を下せばそれに従ったが、結論が出ない間は、どこまでも真正面から反対意見をぶつけてくる事もあった。テオが反対するのを、心待ちにしていた部分もある、と今にして思う。

 ゴットフリートにテオと同じ事を期待するのは無理だ、というのは分かっている。本来ならばゲオルクの方が頭を下げていてもおかしくない、領主の子であるテオと、昔からゲオルクを手本とすべき先達と仰ぎ見ていたゴットフリートが、同じ事をできる訳は無い。

 同様にハンナの様な突破力も、ワールブルクの様な老練な用兵も無い。その代り、鋭い用兵を見せる。夜襲案など、鋭い着眼だ。

 今はまだ鋭いだけだが、いずれ太いと言うというか、タフというか、そんな折れない用兵もこなすようになるだろう、という気はする。

 ただそれを、期待して見る様な感情は湧いてこない。鋭いものを持っているのなら、使わせてもらおう。そんな気持ちがあるだけだ。

 夜襲決行の夜。ゲオルク旗下を含めた夜襲部隊四百が、密かに敵陣へ向かった。それと同じくして、残りの部隊は撤退を始める。

 今夜も雪が降っていた。ただ夜は気温が下がるせいか、大粒ではあるが、濡れてはいない雪だ。

 大粒の雪が、視界を遮っている。音も、いくらか吸い取っているようだ。

 慎重に斥候を掻い潜って敵陣に接近した。敵陣に突入する前に発見され、奇襲が失敗すれば、碌に戦わずに逃げるしかなくなる。

 死ぬにしても、そこまで無意味で無様な死に方は、なんとなく受け入れられなかった。自分でも良く分からないが、死にたがっていても、自殺はしていないのと同じだ。

 死がやってくる。それを受け入れる。そういう死に方でなければならないのだ。こちらから、死に向かって行くのではない。死が、訪ねてきやすい情況を作り、待つ。


「ゲオルク様、敵陣です」


 雪でよく見えないが、総勢二千近い敵の野営地だ。兵の幕舎が多く並んでいる。あの中に四百で斬り込めば、誰かが殺してくれるだろうか。


突撃(ロース)!」


 先遣隊が野営地を囲む柵の一部を撤去したのを確認して、突撃命令を下す。剣を抜き、敵陣に飛び込んだ。


「火を掛けろ。手当たり次第そこら中にだ!」


 明るくなれば、自分の姿が良く見える。それで、敵兵が殺到してくればいい。そんな事を考えた。

 幕舎が軒並み炎を上げる。丸腰で飛び出してくる敵兵も少なくは無かった。

 ゲオルクは陣営の中を、やたらめったらに駆け回った。当たる敵はなぎ倒す。自分を殺してくれそうな、手応えのある敵はいなかった。どいつもこいつも、まるで木偶だ。


「ゲオルク様、そろそろ良いでしょう。退却を」


 ゴットフリートの顔が赤かった。血だけではない。燃え上がる幕舎の炎が、赤く照らしている。気が付けば、一面火の海だった。


「退け!」


 この期に及んでまだ踏みとどまるというのは、あまりにも不自然だ。舌打ちしたい気持ちを抑えながら、退却の命令を下した。

 防衛線を新たに引き直し、再び膠着(こうちゃく)に持ち込んだ。

 夜襲に拠る敵の被害は、軽微なものだった。兵糧を失った訳でもないし、多数の戦死者を出した訳でもない。ゲオルク軍はただ陣営の中を駆け回って敵を混乱させ、幕舎を焼き払っただけという事だ。

 しかし、敵にとっては軽微ではあるが、同時に深刻な被害だった。

 湿った雪が降りしきる中で、幕舎を失ったのである。代わりの布を張ったところで、風は凌げても、防水加工が無いので、浸みてくる水を防げない。酷い雨漏りのような状態になって、碌に休めないでいる。


「流石ゲオルク様。これが経験の差というものなのでしょうか、私どもでは思いもよりませんでした」


 ゴットフリートがしきりに感心している。ゲオルク自身、この様な結果を生むとは思ってもみなかった。ただ手当たり次第に焼き払ったら、こうなったというだけだ。


「兵糧は、警戒を厳しくしていただろうからな」

「確かに。奇襲と言うとまず兵糧と考えますが、敵も当然、それ相応の対策は取っているはずですな。だからと言って、他に狙うべきものも思い浮かばなかったのですが」

「ゴットフリート」

「はっ」

「お前いつの間にか、口調が他人行儀になったな」

「私ももう大隊長の身です。団長に対して軽口を言う訳には参りません。軍律というものがあります」

「そうだな」


 誰も彼も、ゲオルクから遠くなった。

 敵は寒さに震え、かと言って稚拙な攻撃をする訳にもいかず、難渋している。結果としてはそうだが、ゲオルクはただ、死に場所を求めて、死に損なっただけだ。

 死に場所を求めるほどに、敵を苦しめている。そして街にいる重臣達を守っているという、皮肉過ぎる結果を生んでいる。

 自嘲の笑みを浮かべた。それを見てゴットフリートなどは、機嫌が良いと解したようだ。それもまた、皮肉な笑みを煽った。


 新しい防衛線で対陣する事三日。敵軍から六百騎が挑んできた。

 総督府の騎馬隊。そのほぼ全軍だ。州都フリートベルク攻略戦で、コーツ家の鉄砲隊を撃破したという敵。指揮官の変更が無ければ、エルモア伯が指揮を執っているはずだ。

 防衛線と言っても、急ごしらえのものだ。しかも連日の小競り合いで、所々破損している。六百騎の総攻撃が相手なら、防衛線に頼らず、野戦に出るしかない。

 一千二百。いや、今は一千百のゲオルク軍歩兵が密集隊形を取り、槍衾(やりぶすま)を突き出す。ゲオルク隊も、歩兵の背後で戦況をにらむ。

 敵軍六百騎は、正面からぶつかってきた。受けて立つ。まともなぶつかり合いは、久しぶりだという気がする。ゲオルク軍は、良く敵の騎兵を防ぎ切っていた。


「妙だな」


 聞いた話のみなので確かではないが、エルモア伯は凡庸な武将ではないはずだ。それが、愚直な正面攻撃に固執している。

 何かの企みがあるのかと思ったが、今のところそれらしいものは見えない。目の前の六百騎以外の敵も、いつでも動けるように構えてはいるが、動く気配が無い。

 戦況はむしろ、ゲオルク軍がやや優勢で推移していた。ここでゲオルクが突撃を掛ければ、それで勝てそうな気がする。

 押している。押し続けている。不可解としか言いようがないほどに。

 敵が動きを変えた。一度退き、また突っ込んでくる。ただし今度は正面からぶつからず、右側面を狙う動きだ。

 ゲオルクは馬を駆けた。敵の先頭を横合いから、掠める様にぶつかる。それで敵の脚を遅らせる事はできる。

 その間に左翼が前に出て、全体が斜めに右前方を向く。正面突撃になってしまった敵は、ちょっと突っかけた程度で下がった。

 敵が今度は左の側面を取ろうと動く。もう一度ゲオルク隊が牽制し、その間に歩兵が向き直る。するとまた敵は、右側面を取ろうとして来る。

 明らかにおかしかった。敵は、無駄な機動を繰り返している。こちらを振り回し、疲弊させる事が目的か。しかし動きの大きさから言って、明らかに敵の方が疲労が大きい。

 側面を取ろうとしては失敗し、また逆の側面を取ろうとする。何度も何度も、それを繰り返している。それで敵は、何が得られるというのか。

 不意に、何か触れて来るものがあった。


「今どこだ!」

「は?」

「元の場所から、今どのくらいの距離だ!」

「しょ、少々お待ちを」

「急げ!」


 見渡す限り枯れ野と残雪で、景色から場所を特定しづらい。土地勘が無いので、山などの位置からも場所を割り出せなかった。


「防衛線から今、500m程です」


 舌打ちをした。誘い出されている。半歩ずつ、元の場所から引き離されていた。

 これ以上離れると、残りの敵が無抵抗でザルツブルクまで進軍できるようになる。


「これ以上進むな。その場に踏み止まって防戦しろ!」


 すぐに退却をするべきだ。しかし、退けば六百騎の追撃をまともに受ける事になる。殿(しんがり)を残して退くしかないが、殿(しんがり)を務める部隊は、全滅も覚悟した方が良い。


「死に所かな」

「団長。今何と?」

「なんでもない。殿(しんがり)を残して、全軍防衛線まで退却。殿(しんがり)は――」


 ゲオルク隊が務めると言っても、こぞって止められるだろう。


「緑隊から一個中隊。その後ろに私が就いて、殿軍の離脱を援護する」


 命令が全軍に通達される。ゴットフリートが、血相を変えて駆けてきた。


「ゲオルク様、殿(しんがり)を仰せ付けなら、ぜひ俺に。死ぬ気で敵を食い止めて見せますから!」

「駄目だ」

「なぜですか。言っちゃあなんですが、緑隊は一番弱いです。全滅しますよ」

「だからだよ」

「全滅しろと?」

「精鋭を失う訳にはいかない」

「『桃の代わりに李が倒れる』ですか。赤隊や青隊を被害無く退かせるために、緑隊を犠牲にすると」

「不満か?」

「いえ。ゲオルク様の言う事が、正しいと思います」


 そう言ってゴットフリートは、血が出るほど唇を噛みしめながら戻って行った。

 むざむざ部下や仲間が死ぬのを、見ていられないのだろう。それは将として良い資質だ。戦場で死なせないために兵を鍛え上げ、自身の采配も磨く。大きく伸びるタイプだ。

 だからこそ、ゲオルクに付きあって死ぬ事は無い。と言うより、自分の死は自分一人だけのものであるべきだ。できれば誰も巻き添えにしたくはない。

 なまじ軍を率いる身であるために、そうもいかないのが悩みだ。一兵卒であれば、単身敵に突撃して、討ち死にする事も出来ただろうに。

 全軍が一斉に退却を始めた。緑隊の一個中隊が殿(しんがり)に残る。悲壮な覚悟を漂わせているというのが、離れていても感じられる。

 ゲオルク隊はその少し後ろで待機した。本隊が十分に退いたら、殿の離脱を援護する。そういう名目だが、実際は機を見て殿と共に死ぬつもりだ。

 敵の六百騎が突撃の態勢を取る。直接対峙している訳では無くても、相当の圧力を感じた。背中に、冷たい汗が流れ落ちる。

 敵は、構えたまま動かない。機を見ているのか。剣の立ち合いの様に、長くにらみ合った後、一瞬の勝負でどちらかが斬られているのだろう。


「ゲオルク様」


 どれほどそうしてにらみ合っていただろうか。名前を呼ばれて、我に返った。


「どうした」

「味方が、防衛線までの退却を完了いたしました」

「なに。いや、そうか」

「ゲオルク様、敵が退いて行きます!」


 信じられないものを見る様に、兵が叫んだ。実際、信じられないのだろう。千載一遇の機会を、にらみ合ったまま見逃したのだ。


「全軍、退却」


 また死ねなかったのか。そういう思いを抱えながら、ゲオルクは静かに命じた。

 防衛線に戻ると、先に戻っていた兵が歓呼を上げて迎えた。全滅してもおかしくないと思っていた殿が、一兵も損なわずに帰ってきたのだ。


「しかし、なぜ敵は動かなかったのだ」


 流石にゴットフリートら将校は、浮かれる事無く首を(ひね)っている。


「エルモア伯が名将で、助かったな」

「どういう事ですか、ゲオルク様」


 敵の目的は、あの六百騎がゲオルク軍をこの場から引き離し、残りの兵がザルツブルクまでの道を一気に急行して抑えてしまう事に有った。

 ゲオルク軍はそれを見破り、退却を決めた時点で、敵の戦略目標は達せられない事が決まったのだ。

 そうである以上、ゲオルク軍の兵を何人血祭りに上げたところで、それは目標の達成になんの寄与もしない、無価値な戦果になる。

 その無価値な戦果を得るためにも、犠牲は出る。特に殿の兵は死を覚悟していたため、戦えば犠牲は大きくなっていただろう。

 無価値な戦果を得るために払う犠牲など、無駄な犠牲でしかない。エルモア伯はそれを見切って、戦う事は無意味と判断して兵を退いたのだ。


「エルモア伯が目先の手柄に飛びつくような人物だったら、殿は全滅。本隊も追撃を受けていたかもしれん。しかし本隊の全滅はあり得ん。せいぜい散り散りになってザルツブルクに逃げ込み、部隊を再編して籠城戦に移るくらいだろう」

「なるほど。得心がいきました」

「とは言え。これ以上は我が軍も厳しいかな」


 敵より条件は遥かに良いとは言え、真冬の野営はじわじわと兵の体力を蝕んでいる。

 それに、善戦している様でも、元の兵力差というものがある。今までは全軍を上げてのぶつかり合いを上手く避けてきたが、そろそろそれも限界だ。敵が総攻撃の腹を決めたら、それをいなし切れない。

 もう十分だろう。そう判断したゲオルクは、ザルツブルクの街までの退却を決めた。ここから先は、籠城戦である。

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