要人護衛1
無意味、としか思えない任務だった。それでも、全軍で出撃し、その任に当たる事にした。
取水施設に拠った残党軍は、最終的にどうなるかは別として、現時点では抗戦を捨てていない者達だ。
それとは別に、もはや戦おうという気を無くした者達が、密かにザルツブルクに集結していた。ほとんどが、蒼州公家の重臣達だ。
彼らの目的は、亡命である。降伏しても命の保証がないので、何もかもを捨てて、自分達だけ逃げるつもりなのだ。
ゲオルク軍の任務は、亡命者達が出港するまでの間、彼らを守る事だった。
なぜこの任務を引き受けたのか。恩義があるだとか、報酬が得られるだとか、理由を着けようと思えば、いくらでも着けられる。
しかし本当の所は、どうでも良かったのだ。ただ投げやりに、無意味な任務をするのも良い。それで死ぬなら、それでもいい。そんな気持ちで受けたのだと思う。
それについて、別に隠したりはしなかった。なぜこんな戦をするのかと理由を聞かれれば、どうでもいいのだと本心を語っている。
だが、それを真に受けた者はいないようだ。めいめい勝手に、ありもしない裏の意味を読み取り、納得している。
それを正そうという気持ちも、失せていた。今のゲオルクには、内から自分を突き動かす衝動が、何も無かった。
「団長、よろしいでしょうか?」
「デモフェイか。暇があるなら、部下を見回れ」
「もう見回りました」
「何度でもだ。何度でも、同じものを見ろ」
「分かりました。日に三度、見回りをするようにします」
ただ見回っても意味は無い。そう言おうとしたが、それはゲオルクのやり方だ。他人が、ゲオルクのやり方を真似なければならない理由は無い。本人に真似る気が有れば、何も言わなくても、見て真似をするだろう。
デモフェイは、そこに直立したままだった。
「まだ何かあるのか」
「彼らは、どこへ逃げるというのでしょうか?」
デモフェイは少し言いよどみ、思い切ったように尋ねてきた。
「彼らと言うのは、ザルツブルクの街から、船で逃げようとしている連中の事か?」
「その方々です」
「本人達は、アンドウ家の領地に逃げ込むつもりらしい」
「そのアンドウ家というのは、どこにあるのですか?」
「北の変州の、さらに最北の地だ。古くから流刑地として扱われ、そこに逃げ込んだ者は、罪を問わないというのが慣習になっている」
「そんなところが」
「命の保証がされる代わりに、一生北辺の地から出られず、初めからいなかったものとして扱われる。そうまでして、死にたくは無いらしい」
「勇ましいのは勝っている時だけ。それも、上からただ命令するだけですかい」
そうまでして死にたくないという気持ちが、自分には理解できない。死ぬなら死ぬで、それはもう、仕方のない事だ。
そういうつもりで言ったのだが。デモフェイは重臣らの腰抜けを皮肉ったと解釈したらしい。
「ゲオルク様、斥候からの報告です」
ゴットフリートが陣屋に入ってきた。今のゲオルク軍で、最も部隊としての働きが良いのは、ゴットフリートが率いる赤隊だ。
この間まで赤隊中隊長だったとはいえ、大隊長としてしっかりと赤隊を掌握している。もっとも、大隊と言っても今は、二百八十人前後しかいない。その半数の中隊をまとめていられたのなら、苦にする規模ではないだろう。
「敵軍二千が接近中。うち一千百が騎兵。さらにその内五百騎が、朱耶軍です。他に敵部隊がいる様子はありません」
亡命者を逃がさないために、騎馬主体の軍勢で急行してきた、というところだろう。
「それだけ騎馬が多いと、まともにぶつかっては支えきれないな。どうする?」
敵が迫ってもやはり、胸の内に湧いてくるものは、何も無かった。作戦も浮かんでは来ない。
戦う意味を見失ったからだろうか。今の様な情況に追い込まれても、テオ達がいれば、違ったという気もする。それはそう思うだけで、実際どうかは分からない。
今は作戦を相談できる者も、指揮に絶対の信頼を置いて任せられる者もいない。それだけは確かだ。それだから自分は、指揮を取ろうという意欲まで失せてしまったのだろうか。
「攻撃しましょうぜ。縮こまっているなんて、俺達らしくなない」
デモフェイが威勢の良い事を言う。無謀だな。敵に騎馬が多いのなら、大人しくザルツブルクの城壁に拠るべきだ。思っただけで、言葉にはしなかった。
「そうだな。ここはまず、機先を制するべき所だろう」
ゴットフリートも賛同する。
「団長。御裁可を」
「そうだな。待つよりかは、こちらから行こうか」
敵に突撃して、華々しく斬り死にするのも悪くない。
死んではならぬ、という思いがある。だから、自殺などはしない。しかし、生きていたくないという思いも、消えない。
戦場で討ち死にすれば、死ぬにしても言い訳が立つ。そんな気がした。
「兵力は、どういたしましょう?」
「任せる。少ない方が良いだろう」
自殺の様な戦に、他人を巻き込むのは流石に憚られた。
「分かりました。少数精鋭を選抜して、奇襲部隊を編成します。ゲオルク様が率いられるのですね?」
「当然だ」
「ではそれを踏まえて、兵を選抜します」
ゴットフリートが陣屋を飛び出して行く。その他の将校も、急に慌ただしく動き出した。
ゲオルクはそれをぼんやりと眺めながら、ただ座っていた。何かをするという気分が失せている。以前の様に、頭の中も目まぐるしく考えが飛び交ったりはしない。
「ゲオルク様、用意が整いました」
「そうか」
ようやく立ち上がり、選抜された兵の前に立った。ゲオルク隊の騎兵を含めた、二百人といったところだ。
死出の道行には多すぎるくらいだが、独りで死にに行こうにも、そうさせてはもらえない身だ。仕方のない所だろう。
「行くぞ」
静かに言い、案内の兵の先導で、進み始めた。
部隊に加わっているゴットフリートが馬を寄せてくる。すでに大隊長なので、ゴットフリートも騎乗して指揮を執る身だ。
「ゲオルク様はこのところ、貫録の様なものが出てきましたね。やはり、歳を取るとそうなるものなのでしょうか」
「私に貫録だと?」
「はい。以前とは違う、重しと言うか、安定感の様なものがあります」
「何でもかんでもやるのが、億劫になっただけだ」
「そういう物言いが貫録を感じさせるのですが、やっぱり自覚の無いままにじみ出るものなのでしょうね」
「知らん」
「正直、不安だったのですよ。テオ様やハンナ様、ワールブルク様が一斉にいなくなってしまって。みんな不安だったと思います。でもゲオルク様を見ていたら、なにか落ち着くんですよ。ただそこに座っているだけなのに」
「ゴットフリート」
「はい」
「おしゃべりが過ぎる」
「申し訳ありません。戦の前でした」
斥候が、敵の情報を知らせてきた。歩騎混成の四百が先鋒として、近くまで来ているようだ。
「団長様、こいつはおあつらえ向きですぜ!」
デモフェイがはしゃいだ声を上げる。
「このままだと連中、細い道に差し掛かります。しかも両側は森ときてる。奇襲を掛けてくれと言わんばかりですぜ!」
確かにそうだ。敵は急いでいるのだろう。迂回する事もできるが、多少危険でも最短距離で接近する事を選んでいるようだ。
とりあえず、細い道の出口の所まで進軍した。そこで、軍を止めた。
「団長様、もたもたしていたら、奇襲の機会を逃しちまう。まともにやり合う事になりますぜ」
「おいデモフェイ。少し黙っていろ。承知の上でゲオルク様が止まれというのだ。何かお考えがあるのだろう」
「それならそれで、教えてくれたって」
「いちいち作戦を説明して、どこからか情報が洩れたらどうする。知らなくても支障の無い事は知らず、ただ命令に従うのが軍人だ」
やかましい。奇襲では勝ってしまって、死ねない。真正面からのぶつかり合いならば、死ぬ機会もあるだろうと思っただけだ。
敵が道を抜けてきた。待ち構えていたゲオルク軍を見て、戦闘態勢を取り始める。
「団長様。敵はまだ、戦う準備ができていません。チャンスですぜ」
無視した。敵が全て揃うまで待った。四百の敵が揃い、しっかりと陣形を組む。しかし、攻めては来なかった。
攻めてこないのなら、こちらから攻めるだけだ。
「全軍突撃!」
馬腹を蹴り、敵へ向かって突っ込んだ。敵が戸惑っている。対応が遅い。敵中に飛び込み、二人、三人と首を飛ばした。体に染みついた戦い方が、自然に出る。
二百人の部下が、ゲオルクに続いて敵とぶつかった。敵が崩れるのは速かった。隊列が崩壊し、我先に逃げようとする。
ゲオルクは手綱を引き、離れていく戦場を眺めた。細道の入口で渋滞した敵が、バタバタと討たれている。敵兵は皆、戦う事よりも逃げる事しか頭に無い様だ。
死ねる戦ではなくなった。そう思うと、もう興味は無かった。
程無くして、敵を掃討した味方が戻って来る。誰が音頭を取った訳でもなく、勝鬨を上げていた。
「見事です、ゲオルク様。あえて奇襲をせずに待ち構えたおかげで、疑心暗鬼になった敵を、正面から完膚なきまでに叩き潰す事が出来ました。敵は崩れる寸前まで、罠ではないかと迷っていた様です」
ゴットフリートが興奮した面持ちで語っている。本当は、無謀な事をして死にたかっただけだ。
「ゴットフリート」
「はっ」
「しゃべりすぎだ。口を噤め。兵も、黙らせろ」
「失礼しました。初戦に勝ったとはいえ、厳しい戦況に変わりはありません。浮かれすぎました」
そういう事ではない。自分は、誉められる資格も、讃えられる資格も無いのだ。
ワールブルクの言葉に反して、死のうとした。しかもそれに、部下を巻き添えにしようとした。
自分はむしろ、口を極めて罵倒されるべきはずなのだ。
戦場跡を見た。無数の敵兵の死体が折り重なっている。
「大勢死んだな」
「はっ。八十人は討ち取りました」
自分はなぜ、そこに倒れている者達の仲間に入っていないのだろう。そちらに行く事を、望んだはずなのに。
「埋葬をいたします」
「不要だ。戦場の死は、ただ打ち捨てられる事だ。あえて、埋葬などしなくていい」
「それは、大将であろうとですか?」
「誰であろうとだ。戦人は、墓に入れる死に方などはできん」
そして、そういう無残な死こそを、自分は望んでいる。自分にふさわしい死に方としてだ。
「帰還する」
軍勢は、ただ粛々と帰還の途に就いた。自殺を図るつもりが死ねず、亡命を図る者どもを助けてやる結果になった。
皮肉とも思わなかった。やはり、どうでも良い事としか思えない。
陣営に帰り着き、兵糧を取って、兵を休ませる。
雲に覆われた、暗い夜だった。空を見上げても、光は見えない。それでもゲオルクは、空を見上げていた。
生きる事に、意味などない。ワールブルクはそう言っていた。しかし、この夜空のような闇の中で生きていく事に、何の意味があるのか。
昨日に意味が付いたところで、今日に何も無ければ、明日に光が無ければ、何の価値がある。昨日は、ただ過ぎ去ったものでしかない。
空を見上げている間に、雪が降ってきた。冬の、一番寒い時期だ。比較的温暖なこの辺りでも、雪は降る。
翌朝には、一面の銀世界だった。敵の本隊が接近しているという情報が入ったので、雪に覆われた道を、ザルツブルクまで退く。
白い道。美しくは見えるが、冷たすぎる道だった。




