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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter4・勝利か、死か
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取水施設再々確保3

 蒼州(そうしゅう)公派残党軍は、とりあえず冬を越せる拠点を手に入れた。

 すでに放棄された取水施設で、果たしていつまで耐えられるのか。再び敵の攻撃を受けて、冬空の下に放り出されるのではないか。そんな危惧はあるが、そこまでゲオルクが気を回す事ではない。

 我が身の事で精一杯なのは、ゲオルク軍も同じだ。イエーガー軍が砦の付近を荒らしまわったせいで、食糧確保のめども立たない。今のゲオルク軍では、昔のように傭兵をやろうにも、雇い主を見つける事が難しい。

 何より、連戦でじわじわと兵力が減っている。補充も追いつかず、すでに一千二百人を割り込んでいる。

 今はまだこの程度だが、このままではゆっくりと失血死に至るだろう。

 ゲオルク軍の今後を考え、必要な措置を取る。その為には、テオこそが最も頼りになる男だった。

 だがそれも、これで終わりだ。

 七騎士家の争いに決着が着いた。総督府を支持する派が、援軍として呼び寄せた、玄州(げんしゅう)のコウスェン子爵家の軍勢の目覚ましい働きもあり、戦いに勝利した。

 それを受けて、蒼州公家を支持していた派も降伏し、七騎士家全てが総督府に臣従する事になった。

 テオとハンナの実家、ネーター家ももちろん例外ではない。ネーター卿は恭順の意を示すために、当主の座を引退し、テオに家督を譲るという。

 総督府に臣従するネーター家の当主が、蒼州公派最後の勢力である、ゲオルク軍の参謀を務めている訳にはいかない。

 別れるしかなかった。テオに、選択の余地などない。家と、領地と、領民を守る責務がテオにはあるのだ。

 ハンナも、テオに同行して帰るという。テオは残っても良いと言っていたが、ハンナが頑として聞き入れなかった。なんだかんだ言っても、兄を心配し、支えなければならないと思っているのだ。

 兄妹二人に、ワールブルクも同行する事になった。ワールブルクはもはや絶対安静という段階は過ぎたが、怪我の後遺症で、もはや剣を振るう事は適わないらしい。

 この機に完全に傭兵家業を引退し、ネーター家の世話になるという。兄妹も、師であるワールブルクを歓迎した。

 特別な別れなどは無かった。ただ、ここに残していく者達と、最後に語り合う。それが別れだ。


「こんな風に別れなければならないなんて、思ってもみなかったよ。ゲオルク殿」

「私もだ、ハンナ。お前達兄妹には助けられたが、特にお前の隊の突撃力は、戦場ではいつでも頼りになった」

「人生は、思ってもみなかった事ばかりだな。私は昔、今頃はシルヴェスター殿の子でも産んでいるものだと思っていた」

「シュレジンガー家の嫡男殿か。お前の婚約者だったな」

「いくら武芸に傾倒して強がったところで、結局は落ち着くべき所に落ち着くのだ。そんな諦めが、どこかにあったのだ」

「意外だな」

「ところが婚約は破談。私はゲオルク殿の傭兵団立ち上げに参加し、今日まで戦い続ける事になった」

「後悔しているか?」

「逆だ。これ以上無い、充実した日々だった。諦めていたのが、馬鹿みたいだと思った」

「手に負えないな。その様子では今さら帰っても、嫁になど行けそうにないな」

「無理だろうな。兄上の代わりに、戦場に立つだろう。むしろ兄上を戦場になど出したら、どこで恥を晒すか分からん」


 笑った。なんだかんだ言っても、兄を戦場に出さないというのは、彼女なりの気遣いだろう。ハンナが戦場に出る事については、テオはとっくに諦めている。

 女騎士が一人、葡萄酒の瓶を持ってきた。ハンナとゲオルクに酒を注ぐと、瓶を置いてどこかへ行った。


「今のは確か、お前が従者として連れてきた者だったか」

「良く覚えているな」

「いや。今の今まで忘れていた。もう一人、いなかったか?」

「死んだよ。ついこの間、朱耶(しゅや)軍騎兵の突撃を受けてな」

「そうか」

「本当に、思ってもみなかった事ばかりだ。思ってもみなかった者が、不意にいなくなる」


 ハンナが葡萄酒を煽る。


「戦に倦んだか?」

「いや。まだ、戦場に立つと逸る気持ちはある。これからはむしろ、守るべきものが明確になるしな」

「ネーター家の領民か。顔が見える分、守れなかったときは、辛いぞ」

「イエーガー軍が教えてくれたよ。だから私は、絶対に領民達を守る」


 そして兄も。口の中で、ハンナがそう呟いたような気がした。

 兵達と話してくる。そう言ってハンナは、酒瓶まで持って行ってしまった。その際に、ワールブルクの所は、今は人がいないとも言った。

 気を使われたのだろう。ハンナ達には、これからいくらでもワールブルクと話す時間はある。

 ワールブルクの部屋は、なるほど図ったように誰もいなかった。ワールブルクは、寝台の上に座っていた。


「怪我の具合はだ。ワールブルク殿」

「疾駆しなければ、馬にも乗れる。といったところかな。道中、不便はしないだろう」

「ワールブルク殿には世話になった。いや、世話になったのは皆同じなのだが、ワールブルク殿がいてくれたから、ハンナなども好きに暴れられたのだと思う」

「あれも、もう私がいなくても心配はあるまい。戦場というものを実際に知り、辛いものも多く見て、彼女なりに一人悩んだ。その果てに、今のハンナがある」

「弟子を見ること師に如かず、ですな」

「まあ、良い弟子を持った。それはこの稼業をしていて、良かった事と言えるだろう。怪我が無くても、退き時は考えていた。お前には悪いが、ここらで未練無く退くべきだろう」

「やはり、身を退かれますか」

「指揮ならできると無理に戦場に残っても、いつどこで足手まといになるか分からんからな。戦でも何でも、思い切りだ」

「分かってはいるのですが」

「一人になるのが不安か?」


 ゲオルクは、答えなかった。


「傭兵団として立ち上げた頃を知っている者は、もう百人も残っていないからな。一人になると感じるのも、無理は無い」

「人数まで、把握しておられましたか」

「甘く見るなよ。どこに誰がいて、どういう情況かなど、全て頭に入っている。そこまでやるから、生き延びて来れたのだ」


 お前はまだ甘いと、叱咤するような厳しい言い方だった。思わず身をすくめる。


「お前は今無意識に、生き延びる事を捨てようとしている。信じた理想も、共に戦った仲間も、全てが去ってしまい、自分一人が取り残される。そんな事になるくらいなら、あえて死を選ぼう。心の底で、そう思っている」


 胸に、痛みを感じた。


「だが生きねばならん。お前が団長だからではない。人は、理由が分からなくても、まず生きねばならん。生きる意味が分からないから死ぬだと? 甘ったれるな!」


 一息で言い切ると、ワールブルクは深く息を吸って、吐いた。


「まあ、取り残される気持ちも分からないではない。私も、ディアナと呼んでくれる者がいなくなって、ずいぶん経つ」


 ディアナと言うのがなんの事か、一瞬分からなかった。ワールブルクの名前(ファーストネーム)だと気付いたが、どうにもなじまない気がした。

 ゲオルクや、テオやハンナにとっても、彼女はずっとワールブルクいう名の師、あるいは歴戦の傭兵であり、ディアナという名の女性ではなかったのだ。

 それが、彼女を孤独にしていた。誰も彼女をワールブルクとして扱い、ディアナとして扱ってこなかった。


「最後の最後まで、ご迷惑をおかけします」

「もういい。先に行く者がいれば、取り残される者もいる。ただ、それだけの事だ」

「はっ」


 これ以上、ゲオルクは何を言えばいいのか分からなくなった。


「生きろよ。ゲオルク殿。最後の瞬間まで」


 それを見越した様に、ワールブルクは最後の言葉を言い、それきり黙った。


 夜空が、冴え冴えとしていた。星が良く見えるが、星明りもどこか、冷たく堅い。

 ゲオルク一人、砦の見張り櫓の上に立っていた。


「ここにおられましたか、ゲオルク殿」


 テオの声。振り向きはしなかった。隣に並んでくる。


「ハンナや先生とは話して、私とは別れの言葉も無しですか。酷い人だ」

「兵達と別れをするのに忙しかったのは、お前だろう」

「はて、何の事ですか。私は、部隊など持ってはいませんが」

「その分、全ての兵を見ていた。名簿でな。兵と直接語る事は避けていたが、一人一人の事は、良く知ろうとしていた」

「本当は語り合いたかったのですが、それをすると情が移る。情が移っていては正しい判断ができず、かえって兵を死なせる。そんな気がいたしまして」

「今日は、とぼけないのだな」

「最後くらい、本心を偽らずに語りたいと思います」

「つまり今までは、私の前でも本心を偽っていたと」

「いじめないでください」

「悪い悪い」


 ゲオルクはいたずらっぽく笑った。


「ゲオルク殿、私たちは今後、敵味方に分かれるという事になります」


 顔を見なくても、テオが堅い表情をしているだろうという事が、良く分かった。


「ですが何があろうと、騎士家の軍勢をゲオルク殿に向ける様な事は――」

「止めろ、テオ。戦場で見えれば敵同士。遠慮も容赦も不要だ」

「しかし」

「お前はこれからネーター家の当主として、ただでさえ重いものを背負うのだ。これ以上、余計な重荷を背負う事は無い」

「ですが、私はゲオルク殿に、何のお礼も出来ていません」

「礼をしたいのはこちらの方だ。今まで、どれほど助けてもらったか知らん。戦場以外の所は、全部お前に任せ切っていたようなものだ。今後の事を思うと、頭が痛いわ」

「事務方として私が使っていた者達に、引き継ぎは済ませてあります。私がいなくなっても、すぐに困るという事はありません」

「流石だな」

「私が抜けた途端に傭兵団が潰れては、私の名折れですから」

「傭兵団か」

「私にとっては、いつまでもゲオルク傭兵団です。私の、なんでしょうか」

「青春だな」

「青春ですか。そうかもしれません。青臭くて、心地の良い時でした」


 それ以上、テオとは何も語らなかった。言葉は無くても、そこにいるだけで、通じ合うものがあった。

 翌日、テオ、ハンナ、ワールブルクと、どうしても彼らについて行くという数人が、砦を去って行った。

 ゲオルクは見送らなかった。別れは、もう済ませた事だ。見送りは、心の中ですればいい。

 ほんの数人がいなくなっただけなのに、砦の中は酷く寂しくなったような気がした。


「ゲオルク様、部隊の再編が終わりました」


 新任の将校達が並んでいた。赤隊隊長はゴットフリート。青隊の中隊長にデモフェイ。古くからの部下は、その位だ。将校の顔ぶれも、気付けばすっかり変わっている。


「ご苦労。しばらくは部下の掌握と、緩みの出ない様に調練に励む様に」

はっ(ヤー)


 解散する将校達を見送る。生きねばならない。戦わねばならない。

 理由などない。理由は後から付けられるものだ。今を生きる事に、誰も理由を持たない。

 それでもゲオルクは、武器を置いてはならないのかと考えた。全てを終わりにしてしまう事は、許されないのか。

 自分がこれから続ける戦いに、どんな意味が付くというのか。

 生きて、それを見届けるしかない。少なくとも、今ここで全てを投げ出しては、テオ達に合わせる顔が無い。

 自分を信じてくれた者達を失望させないために、もう少しだけ、戦ってみようと思った。

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