取水施設再々確保2
乱戦の一歩手前、という状態だった。
青隊は朱耶家騎兵の攻撃を一手に引き受けている。と言うよりも、集中攻撃を受けていると言った方が近い。それでも、押し込まれながら、どうにか持ちこたえている。
赤隊は総督府軍を相手にしている。こちらは赤隊の方が敵の倍近いので、蹴散らそうと思えば前に出られる。しかし、その度に朱耶家騎兵が側面を突く構えを見せるので、反撃に出れないでいる。
ゲオルクはと言えば、レイヴンズにまとわりつかれている。もはや火攻めの攪乱は無いが、ばらけながら短弓で矢を放ってくる。
振り切って味方の救援に行こうと思えばできるのだが、それをすれば、間違いなく朱耶家騎兵の矛先はこちらに向くだろう。まともにぶつかれば、勝ち目はない。
赤隊とゲオルク旗下の騎兵が牽制で動きを止められ、青隊が集中攻撃を受けながらも耐えている。全体としては、そんな戦況だった。
つまり青隊が力尽きる前に、どうにかして突破口を開くしかない。だがどうやって。
赤隊が猛然と押し始めた。止めろと叫んだ。自殺行為だ。十分に敵を押し込んだところで、横から突撃を受ければ、壊滅する。
だが赤隊は押すのを止めない。それどころか、兵の半数を割いて、こちらへ向けてきた。レイヴンズを掃討し、ゲオルクを自由にするつもりか。
自殺行為と言うレベルを超えている。死にたいのか。自害するに等しい。そう思ったが、止めようにも自由が利かない。
赤隊の半数がこちらの戦場へ来た。横に広く展開している。すぐにその意図は分かった。
レイヴンズは、こちらが蹴散らそうとすると、自ら散ってしまう。赤隊が壁になり、散ってしまう事を防ぐつもりだ。そうなれば、まともに攻撃が入る。
動きの癖から、総督府軍に猛攻を掛けているのがハンナで、こちらの救援に来たのがゴットフリートだろうと思った。
ハンナをむざむざ死なせる訳にはいかない。一秒でも早くレイヴンズを蹴散らし、今度はゲオルクが赤隊を救援する。それしかない。
広がって、レイヴンズを押した。今までなら、散ってしまって打撃を与えられなかったが、赤隊の半数がいるので、逃げる方向が限定され、敵がまとまる。
赤隊のそばを駆け抜けた。やはり、ゴットフリートが指揮を執っていた。すれ違いざまに手を上げて礼を伝え、レイヴンズの背中に突っ込んだ。
散々手こずらせてくれた相手を、今までの鬱憤をまとめて返すように粉砕する。
意図的に散っていたのと、散らされていたのでは、見た目は同じでも、内実はまるで違う。粉砕され、散らされたレイヴンズは、ゲオルクの騎兵に一方的に駆り立てられる獲物だった。
根こそぎに殲滅してやりたいところだが、今はそれどころではない。程々に蹴散らし、すぐに赤隊本隊の救援に向かう。
案の定、赤隊は横から朱耶家騎兵の攻撃を受けていた。だがそれでも、まだ半分以上隊列を保っている。
この事態を想定して備えていた結果だろうが、それにしても驚異的な粘りだ。猛将型のハンナに、これだけの粘りのある戦いができるとは、正直意外だった。
「ゴットフリート、敵歩兵を挟撃しろ。騎兵は引き受ける」
元々数では勝っている。歩兵の方は、これで問題無いだろう。
問題は騎兵のあしらい方だ。五十騎をただ蹴散らして赤隊を救うだけならば、簡単だ。だが下手な事をすれば、全ての騎兵がこちらに向いて来て、そのまま総力戦になる。
今のまま総力戦に突入すれば、赤隊は持ちこたえられない。赤隊が崩壊し、味方を失った青隊がゆっくりと始末される。
それを阻止するためには、赤、青隊が合流し、改めて構える時間が必要だ。それを、どうにかして捻り出さなくてはならない。
だが最優先は、ハンナ隊の横腹に突撃している五十騎を引き離す事だ。あれがいる限り、ゴットフリート隊が総督府軍の背後を取っても、挟撃にならない。ハンナ隊の押す力が弱すぎる。
直接介入しても、あの五十騎を引き離す事はできる。しかしそれでは、青隊を押している残りの二百五十騎がこちらに向いてくる。
あの二百五十騎を動かす訳にはいかない。動きを封じつつ、五十騎をどうにか引き離す。使えるのは、旗下の騎兵だけだ。
二百五十騎の背後に回り、青隊と挟撃する構えを取った。金床戦法だ。まともに決まれば、二百五十騎は壊滅させられる。
それを阻止するために、ハンナ隊に喰らいついていた五十騎が戻ってきて、ゲオルク隊を横から突くはずだ。それでハンナ隊は助かるが、代わりにゲオルク隊が死ぬ。
だからこれは、陽動だ。攻めると見せかけて、攻めない。だが敵も、ゲオルクの突撃は形だけのものだと見抜くはずだ。
そのさらに上を行く。陽動と見せかけて、本当に攻める。そう思わせる様な陽動をしなければならない。
これはもう、戦術ではない。心理戦の駆け引きだ。敵将の事が少しでも分かっていれば、どの程度の動きを見せれば、騙しきれるかも想像できる。しかし、何も分からない。勘に頼るしかなかった。
陽動を見抜かれて、そのままハンナ隊が潰される。それも悪い。だが最悪は、引き際を誤って、まともに戻ってきた五十騎の攻撃を受ける事だ。
金床戦法が本気だと思わせるために、粘り過ぎれば退き時を逃す。あまりに早く退けば、陽動だとばれる。
綱渡りも良い所だが、これしかない。
五十騎の動きに気を配りながら、二百五十騎の背後に向かって走った。このまま突撃する構えだが、どこか嘘っぽくだ。あからさまに、陽動の動き。それで敵は、まず惑う。
五十騎が、ハンナ隊への攻撃を止めて、反転した。決断が早い。思い切りも良い。流石、昌国君の配下と言うべきか。
退くにはまだ早い。敵に向かって、徐々に馬速を上げていく。五十騎をぎりぎりまで引き付けて、退避しなければならない。それまで、攻撃を本当だと信じて疑わせてはならない。
五十騎が近くまで迫る。もう完全に、ゲオルク隊の脇腹を捉えられている。その向こうでハンナ隊が、僅かに隊列を保っていた兵だけで攻勢に出ていた。
それで良い。敵を討つのは、背後のゴットフリート隊がやる。ハンナ隊は、正面から圧力を掛ければ良い。
反転すべきか。いや、まだ早い。総督府軍がある程度崩れるまで粘らなければ、五十騎が舞い戻って救援してしまう。
二百五十騎の背中が、鼻先と言うところまで踏み込んだ。五十騎も、ゲオルク隊の脇腹に切っ先を当てる距離まで迫る。
犠牲無く離脱するためには、タイミングも重要だ。早すぎれば、尻尾に喰らいつかれる。ぎりぎりまで引き付けて躱せば、敵は味方に突っ込みかけて止まる。
「反転!」
手で合図を出しながら、叫んだ。間髪入れずに馬の向きを変え、離脱する。敵の皮一枚だけ切った様な、ぎりぎりのタイミングだった。
「どうなった!?」
「敵は、同士討ち寸前で止まり、混乱しています」
「犠牲は出なかったか?」
「一人、逃げ遅れて討たれたようです」
「そうか」
その一人に運が無かったのか、それとも、命令を下すのが一秒早ければ助かっていたのか。今は考えないようにした。
挟撃を受けた総督府軍は、崩れていた。しかし、まだ敗走には至っていない。一時的に無力化された、という程度だろう。
ハンナ隊の状態では、仕方がない。ハンナもゴットフリートも追い打ちをせず、部隊をまとめる事を優先していた。何を最優先とするべきか、常に見失っていない。
むしろ、自分が一番何を優先するべきか分かっていないのかもしれない。そうゲオルクは思った。
朱耶軍騎兵の圧力から解放された青隊と、立て直した赤隊が合流し、並んでしっかりした陣形を組み、槍衾を並べる。
「ハンナ、生きているか」
「死ぬ訳にはいかないさ」
家伝の剣も鎧も、血に濡れていた。ハンナ自身、相当敵兵を手に掛けたようだ。
「済まん、ゲオルク殿。敵将を討ち取ったと一度は思ったのだが、とっさに身代わりになった従者だったようだ」
「あの情況で、逆に敵将の首を獲ろうとしたのか」
「あの情況だからだ。助かるには、敵将の首を獲るのが一番いい。獲れていれば、今あのように敵が立て直す事も無かった」
朱耶軍騎兵と総督府軍が、改めて攻撃の構えを取っている。互いにしっかりと態勢を整えて、正面からのぶつかり合いになる。
「歩兵は、騎兵を止めろ。敵歩兵は、私が崩す。その後、敵を挟撃だ。つまり、いつも通りだな。楽な戦だろう?」
ゲオルクが笑うと、周囲の者達も笑った。笑えるならば、勝てると思った。
「来るぞ。しっかり受け止めろ!」
初めに動き出したのは、朱耶軍騎兵だった。一呼吸遅れて、ゲオルクも動き出す。朱耶軍とゲオルク軍歩兵がぶつかった。ほぼ同じくして、ゲオルクは総督府軍のただ中へ斬り込む。
ただ数だけならば、敵の方が倍近いが、所詮歩兵と騎兵だ。しかも敵は、小さくまとまっている以外、これと言って騎兵に抗する手段も持ち合わせていない。
敵中を駆け抜け、二つに断ち割った。流石に、一撃で粉砕はできなかった。そこは、良く鍛えられていると敵を褒めるべき所だろう。
突き抜けるとすぐに反転し、敵を押す。各個撃破する必要もない。二つに割れた兵が一つになっても、二つに割れた指揮系統はすぐには回復しない。ただ集まっただけだ。
指揮系統が回復しないうちに押し込んで、まとめて敗走させる。各個撃破しようとすると、放置された片方が新たにまとまってしまって、かえって面倒だ。まとめて始末した方が早い。
流石に敵も、これには耐えられなかった。乾いた泥団子が潰れる様に、まとまっていたのがぼろぼろと崩れていく。
追撃の必要も感じなかった。それくらい、再起不可能な崩れ方だった。心まで、崩れたのだ。
「次、行くぞ!」
残る朱耶軍に向かう。ゲオルク軍の歩兵は、朱耶軍騎兵を完全に止めていた。
昌国君がいなければ、朱耶軍と言えどこんなものだ。ふと、寂しさの様な、物足りなさの様なものを覚えた。
背後から、ぶつかっていく。ぶつかってみて、抵抗が思いのほか強い事に驚いた。
この期に及んで、まだ抗うか。いい加減、崩れてしまえばいいのだ。そう思い、むきになって押し込んだ。急に手ごたえが無くなり、敵中深く入り込む。
血の気が引いた。底無し沼に踏み込んでしまったような、嫌な感覚がする。また急に、抵抗が激しくなった。
これ以上、前に進めない。そう思ったとき、左右から締め上げられていることに気付いた。あえて腹の中に取り込み、左右から押し潰す気だ。
潰される。このままでは、潰される。敵も騎兵であるのに、まるで歩兵の様な戦い方をする。そしてそれは、ゲオルク隊に痛烈に効いた。
反転し、離脱を試みた。離脱させてなどくれないかもしれないと思ったが、案外容易く敵の中から飛び出す事が出来た。
ほっとしかけて、違うと気付いた。抜けられたのではない。抜けさせられたのだ。
敵中から抜けたゲオルク隊に、少数の敵が左右から突撃してきた。部隊の後備が切り離され、それは飲みこまれるように敵中に消えた。尻尾を斬られ、食われた。
「この――!」
反転し、怒りに任せて敵に突っ込む。そう見せて、直前で向きを変え、ぶつかる点をずらす。
不意を突かれた敵が、面白いように討たれた。だがそれも、一瞬の間だ。すぐに、まともなぶつかり合いになる。それは、避けた。
歩兵の金床に叩きつけるには、圧力が足りない。歩兵が牽制しながら、少しずつ削っていくしかない。
不意に、敵の全軍。いや、大部分がこちらに向かってきた。
数百騎の圧力をまともに受けたら、ひとたまりもない。全力で避けた。避ける事に専念してしまえば、避けきれない様な突撃ではない。
そのまま、敵が駆け去っていく。唖然として、前にも何度かこんな事があったと思いだした。
味方が、取水施設の奪回に成功していた。騎兵のみでは、施設に拠った兵の掃討はできない。歩兵もすでに敗走してしまっている以上、無益と判断して引いたのだろう。
憎らしくなるほどの、思い切りの良さだった。しかも、最後の突撃は、こちらが一瞬でも逡巡していれば、押し潰せたかもしれないのだ。逃げながら、あわよくばゲオルク隊を壊滅させられる動きを見せた。
やはり、昌国君の部下なのだ。他の部隊とは、一線を画す何かを持っている。それが何かは上手く言葉にできない。
言葉にできたら、昌国君までも刃を届かせる事が出来るのだろうか。




