取水施設再々確保1
昌国君に勝るとも劣らない戦の天才、ジギスムント・イエーガーの軍勢を辛くも退けた。
その間に、蒼州の勢力図は、総督府派一色に染まっていた。ゲオルク軍の本拠砦攻略を一時的に断念して南下したイエーガー軍の働きもあり、旧ユウキ家勢力も残らず掃討されていた。
その一方で、ティリッヒ侯爵家が滅亡を迎えていた。ティリッヒ家の旧領は、蒼州公派連合軍の州都攻撃に合わせて寝返ってきた、ヴォルフガング・シュピッツァー男爵が占拠している。
呆れた事にと言うべきか、当然というべきか、ティリッヒ家を滅ぼした直後にシュピッツァー男爵は総督府に降伏している。ティリッヒ家の旧領を自分の物として認めさせるくらいの駆け引きはしたのだろうが、ゲオルクには知りようの無い事だ。
オルデンブルク卿も、何も言いはしないが、総督府に逆らうつもりはないだろう。己の所領さえ保証されれば、滅びた蒼州公政権に義理立てする理由も無い。
蒼州公派と言えるのはもはや、ゲオルク軍と、七騎士家の一部だけだ。
騎士家の方は、遠からずどちらかに意思統一がなされるだろう。総督府や昌国君も、それを承知で結果が出るまでは静観するだろう。とはテオの言だ。
長い歴史に裏打ちされた、蒼州では高い権威を持つ七騎士家に、下手な手出しはしない方が得策である事を、彼らは良く知っている。
それに、騎士家も自己の存続と権益が第一である事は、他の諸侯と変わりない。むしろ、家の存続にかける執念は、どこよりも強いと言っても良い。
そうである以上、もはや死に体の蒼州公派にこれ以上、与する事は無い。それが大半の見方だ。そしてそれは、多分間違っていないのだろう。
つまり、ゲオルク軍は完全に、最後の蒼州公派勢力になってしまったという事だ。
そのゲオルクの下に、蒼州公派の残党から救援要請が届いた。
掃討戦によって拠点を失った蒼州公家と旧ユウキ家勢力の残党は、かつてゲオルクが二度戦を繰り広げた取水施設を、仮の拠点として集結していたらしい。
しかしそこすらも追われて、いよいよ拠るべき所を完全に失ってしまったようだ。
せめて仮の施設である取水施設くらいは取り返したいが、残存兵力では心もとない。そこで、ゲオルク軍に助けを求めてきた、という事の様だ。
「助けるのですか? ゲオルク殿」
「見捨てる訳にもいくまい」
「本当に、そうでしょうか」
「何が言いたい」
テオをつい横目で、睨みつけるような感じで見る。
「いまさら、蒼州公派の理想も無いでしょう。全てはもう、終わってしまったのです。ならば、彼ら等見捨てて、降伏しても良い。昌国君ならば、我らを粗略にはしないでしょう。あるいは新たな勢力として立つ道もありますが、この場合も、彼らを助けなければならない理由はありません」
「それは理屈だ、テオ」
「理屈以外に、何があるのです」
「一度は、蒼州公派の理想を信じ、それを目指して戦ったのだ。そして、蒼州公家やユウキ家は、言わば我らの親の様なものだ。親が助けを求めているときに、子である我らがそれを見捨てていいものだろうか」
「お言葉ですがゲオルク様、本当に蒼州公派の理想をまだ守り続けて戦うというのなら、彼らの方が我らに合流してくればいいのです。こちらから危険を冒して彼らのために、価値の無い拠点を取り戻す事に、大義など有りません」
「大義など、初めから無い。テオ、大義など、初めから無いのだ。私は、大義などというもののために動くのではない」
「では、何のために。ゲオルク様はなんのために戦い、何のために彼らを助けようというのです」
「なんだろうな。強いて言うなら、小義のためかな」
「小義?」
「義理とか、義務とか、世話になった恩があるとか。そんな些細なしがらみの為だ」
「それだけの事のために、不毛な戦を為されると?」
「それだけの事なのだ。テオ、私が戦う理由なんてものは、確かに大義もあったが、結局はそんな小さなしがらみが理由なのだ。御大層な理想など、やはり私には重すぎる」
ゲオルクが明るく笑う。それをテオは、信じられないという顔で見ている。
「ゲオルク殿はそれで良いとして、配下の者達はどうなります。彼らにも、その小義を理由とした戦いを強いるのですか。それでよろしいのですか」
「それは――」
「兄上は何も分かっていないな」
ハンナが割り込んできた。
「兵達はとっくに、団長の行く所ならどこでも、どんな戦でも、喜んで戦う覚悟を決めている。だから団長。小難しい事など考えずに、やりたいようにやれば良い」
「そんな馬鹿な。不毛でしかない戦ではないか。どうして兵が、喜んでそれに従うというのだ」
「我が兄ながら、これが次期ネーター家の当主かと思うと、不安になるな」
「そう虐めてやるな、ハンナ。テオは、兵は命を賭けるのだから、それに見合う見返りがあって当然だと考えているのだ。優しい男だよ」
「そうやって団長が兄上を甘やかすから、このボンクラはいつまで経っても兵の気持ちが理解できんのだ」
ついにハンナの矛先が自分にまで向いて来たかと、ゲオルクは苦笑いを漏らした。
テオは、本人にしてみれば理不尽な事をさんざん言われても、何も反論できずにいる。反論すれば、今度は蹴り飛ばされる、と読んでいるのだろう。
「兵に異存が無いのなら、まあいいのかな。救援軍を出そう。構わないな、テオ」
「もう決められたのでしょう。でしたら、これ以上何も言いません」
「お前のそれは美徳ではあるが、もう少しわがままになっても良いと思うぞ」
砦を空にできる情勢でもないので、赤隊と青隊、そしてゲオルク旗下の騎兵のみを率いて取水施設へ向かった。
すでに主要な都市には敵軍が駐屯している。道中で発見されない様に、迂回を重ねて現地まで行かなければならなかった。
どうにか敵との遭遇を避けて、施設近郊で残党軍と合流する事が出来た。残党軍は意外に多く、一千二百の兵力を保っていた。ただし、兵糧などには困窮している。
「ツィンメルマン卿、御無事で何よりです」
「無事なものか。この様な有り様になって、ユウキ公爵閣下に申し訳がない。いつ、どのように死ぬべきかばかり考えている」
ツィンメルマン卿は、主戦派の中でも最過激派とされていた。それだけに、自分が生き残ってしまった事への自責が強い様だ。
「他の方々は?」
「ディートリヒ卿は、兵糧の確保に駆け回っている。ケーラー男爵に至っては、あろう事か敵に降伏しおった」
ケーラー男爵については、無理もないだろう。元々降伏を唱えていたが、ゲオルクの働きもあって主戦派が主導権を得た事で、協力せざるを得なくなっていたようなものだ。
「蒼州公家の方々は?」
「兵は公家の者も多い。だが上の連中の事など知らん。どこぞで動いている様だがな」
侮蔑のこもった、吐き捨てるような言い方だった。
追い詰められているのに、と言うべきか。追い詰められているからこそと言うべきか。内輪もめがあった事は、想像に難くない。
「まあ、今は戦の事だけ考えましょう。敵の様子は?」
「一千三百。大半は施設の外に陣を敷いている。やはり、奪回を警戒されているな」
ちなみに取水施設自体は、度重なる戦での損傷もあって、廃棄されているらしい。今は水も流れない、ただの石造りの建物だ。
「雪が降るのもそう遠くない。今はとにかく、屋根と壁が必要なのだ」
「分かっております」
ゲオルク軍でも独自に斥候を放ち、様子を探る。その間に残党軍の様子も確かめた。流石に兵糧や武器は欠乏しているが、予想よりもずっと軍としての体裁を保っていた。精鋭が相手でなければ、十分戦えるだろう。
施設の方は、正面入り口と、水道管の二か所から内部に突入できそうだった。一度内を占拠して固めてしまえば、かなり持ちこたえられるはずだ。
今は逆に敵に占拠されてしまったため、互角の兵力では奪還できないと救援を要請したのだろう。
外に布陣している敵は一千。内部は分からないが、ツィンメルマン卿の言った事が正確ならば、三百が内部にはいるはずだ。
それは、ゲオルク軍が合流した今ならそれほどの脅威とは思わないが、問題は敵の増援だ。ここはインゴルシュタットからも遠くない。攻撃を開始すれば、付近の敵が集まって来るだろう。その中には精鋭がいれば、残党軍では持ちこたえられまい。
できるだけ素早く外の一線を撃破し、施設攻略は残党軍に任せる。ゲオルク軍は、敵の増援を警戒する。そういう戦い方をするのが良いだろう。
基本的な戦略をツィンメルマン卿に提案し、入れられた。即座に全て承知したので、むしろゲオルクの方が面食らったくらいだ。
「よろしいのですか?」
「この情況で、どちらに主導権があるかくらい心得ている。重荷を背負わせる事になるが、万事貴殿の指示に従おう」
「分かりました。全力を尽くします」
作戦が決まると、すぐに行動を開始した。機を窺うような戦ではない。
敵はまだ、ゲオルク軍の存在に気付いている様子はなかった。なのでまず、残党軍に敵を攻撃してもらう。
一千対一千二百のぶつかり合い。特に目立った動きも無く、単純な押し合いの戦だった。敵軍の質も、弱兵ではない、という程度だ。
旗下の騎兵だけを率いて、敵の背後から突撃した。互角で押し合っていた所に、背後から突撃を受けた敵は、脆くも崩れ去った。
施設内に逃げ込もうにも、赤隊と青隊がそれを遮っている。敵は、どこか付近の拠点にでも逃げ込むしかない。
敵を追い散らしてしまうと、作戦通り残党軍は施設への攻撃を開始した。兵力比で三倍あるので、時間を掛ければ十分に落とせるはずだ。
ゲオルク軍は、敵の増援に備えて残党軍の背後を守る。
「つまらん戦だったな」
ハンナが馬を寄せてきて言う。つまらないというのは、本心からの様だ。
「まだ戦は終わっていない。油断するな」
「油断をしているつもりはないのだが、あまり温い戦ばかりしていては、兵が緩む」
「そこを緩ませないのも、指揮官の務めだ」
「分かっている。言ってみただけだ。ただ、私がこうして戦場に立てるのも、いつまでできるかと思ってな」
それは、師であるワールブルクを見て思った事か。そう聞こうとしたが、その前に敵の増援が現れた。
「ここからが本番の様なものだ。弛むなよ」
「誰に物を言っている」
ハンナが赤隊の指揮に戻る。不意に、聞きそびれた事を後悔するような気持ちになった。
敵の総勢は、六百。内訳は、朱耶家の騎兵が三百騎。残りが総督府の兵と傭兵で半分ずつ。傭兵隊は、レイヴンズだ。
「これはいい。いつぞやの借りを返す、良い機会だ」
誰に言うでもなく、独り言ちた。
槍衾を組んでぶつかる。ゲオルクは後方で全体を見ていた。押されている。騎兵が多いので、勢いを止めきれていない。
総督府の兵も、練度も指揮も良い。新総督と共に送り込まれてきた将校による軍の再建が、成果を上げ始めているのだろう。侮れない敵となりつつある。
周囲に斥候を放ち、伏せている敵兵がいない事を確かめた。駆け出し、敵を側背を突きに掛かる。
レイヴンズが戦線から離れ、こちらへ向かってきた。止める気か。こちらは七十五騎に対して、レイヴンズは百五十人。たとえゲオルク軍の兵でも、止められる兵力差ではない。
敵が近くなる。突然、地面が燃えた。馬が驚くのを、手綱を引いて何とか抑え込んだ。とっさに方向を変えたが、そちらも燃え上がった。
「なんだ、これは!?」
火勢は強くない。一時的に燃え上がっただけで、すぐに消える。しかし、足を止めたところに、横から矢が飛んで来る。
このままでは的になる。散開を命じた。ばらばらに駆ければ、全てが火に遮られるという事は無いはずだ。
この戦場は、こちらが待ち受けていた所に敵が来たものだ。地面に仕込みをする時間など無かった。藁束や薪の類も見当たらない。ならば、何が燃えていた。
駆け回りながら、兵をまとめる。一つにまとまりたいが、そうするとまた火で止められる。二、三十騎単位でまとまるしかない。
レイヴンズの兵が、別の一隊の前に立ち塞がった。ゲオルクそこに、横から突っ込んで崩した。
蹴散らされた敵が、筒状の容器を落とした。中から液体がこぼれる。水筒の様だが、水ではない。油だ。
油を撒いて、火を着けていたのだ。それほどの量は無いので、一瞬激しく燃えて、すぐに消えてしまう。だが、目の前で炎を上げられれば、攪乱の効果は高い。
油の用意はそう大量にあるはずがない。いずれ手品の種は尽きるはずだ。しかし、それまでは目の前で上げられる炎に打つ手が無い。せいぜい今の様に、横合いから妨害するくらいだ。
だが妨害できるように分散していると、敵を崩すだけの突撃力がない。
厄介な事に、レイヴンズの一部が歩兵の後方にまで回っている。背後で突然炎が上がれば、兵は動揺する。朱耶家騎兵の圧力を受けている情況では、致命的だった。
歩兵が崩れる。阻止しようにも、うるさくまとわりついてくるレイヴンズが、どうにもならなかった。
崩れたといっても、まだ敗走に陥った訳ではない。部隊ごとにまとまり、交戦を続けている。しかし、朱耶家騎兵三百騎を止めるだけの力は無かった。せいぜい、これ以上崩されない様に耐えるのが精一杯だ。
歯噛みした。ゲオルクが縦横に駆けられていれば、なんでもないはずの敵だ。
対騎兵戦術には、自信を持っていた。ところがレイヴンズは、ゲオルク軍よりはるかに少ない兵力で、ゲオルクの騎兵を止めて見せた。それが、この情況を生んだ。
止めるといっても一時的なもので、持ちこたえるというような事は出来ない手段だ。しかし、一時的でも封じ込められたら、それで十分という戦況では、ゲオルク軍の槍衾よりずっと有効だ。
すでに出来上がった戦術に安住して、それ以上を考える事を怠ったか。苦い自嘲があった。
時折上がる炎は、もうかなりまばらになっている。すでに油の用意も尽きる頃だろう。
ここから反撃、と言いたいところだが、それには三百騎とまともにぶつかりあう事になる。七十五騎では勝ち目はない。
負けるのか。ここで、こんな戦で。そんな考えが、一瞬よぎった。すぐに良くない考えだと打ち消した。本当に負けるまで、負ける事など考えてはならない。
だが、必死に戦場を見回しても、勝つための糸口を見るける事が出来なかった。




