ブランデンフェルト再奪回3
ブライデンフェルト城中枢を守るレイヴンズは、構造物に拠っての抵抗に戦術を切り替えてきた。
ごく一般的な、ありきたりな戦術。しかし、城の最奥部だけあって防御の設備は固く、相当な程度に残っている。
正攻法で守りを固められると、こちらも正攻法でしか崩し様がなく、非常に厄介だった。
「ここまで来ておいて、忌々しい」
「ここまで来たからこそ、焦らぬ事だ。一枚一枚防御を剥がしていくしかない」
歯噛みするゲオルクを、ワールブルクがなだめる。敵が隊長格を討ち取る事を諦めて、できるだけ多くの犠牲を払わせようという戦術に切り替えたため、こちらも隊長格は指揮に専念できるようになった。
「ところで、テオドールの容体は?」
「心配して損する様なかすり傷だ。あれも悪運が強い」
「良かったじゃないか」
「どうせだから、司令部とのつなぎを任せたよ。重装兵を回してもらって、交替した方が良さそうだ」
「それは丁度良い。火攻めの許可を得られるように、伺いを立てたらどうだ?」
「火攻め? 城を焼き払うというのか?」
「城攻めならむしろ、当然の戦術だろう」
「しかし、この城は州都攻略の前線基地にするつもりでいる城だ。それを焼く許可など」
「なにも、城の全てを焼き払う訳ではない。ここに立て籠もっている厄介な連中を、あぶり出せばそれ良い。防御は多少不安になるだろうが、前線基地としての役割は果たせる」
「なるほど。分かった、その辺りの事を、テオに説得させよう」
「怪我人使いが荒いな」
「あんなもの、怪我の内に入らん。せいぜいこき使ってやらねばな」
人を送り、火攻めの許可を取り付けるよう、テオに司令部の説得を命じた。
いくらなんでも、説得には時間が掛かるだろう。それまでは、あまり犠牲を出さないように攻め続けるしかない。
そう思っていたら、一時間半もしないうちに、火を掛ける許可を得たと、テオから連絡が入った。
「良し、火を放て!」
火矢の備えはないので、即席の松明を次々と投げ込む。そう容易く燃え落ちないような造りにはなっているが、熱と煙は充満する。
「射撃隊、敵が出てきたら、片端から狙い撃て」
射撃隊がそれぞれ弓矢や弩、鉄砲を構え、敵が飛び出してくるのを待ち構える。
しかし、いくら待っても敵は飛び出してこない。
妙だと思った。敵が出てこない事だけではない。やけに火の回りが早い。
爆発音がして、建物のあちこちから盛大の炎が噴き出した。
「いかん、退避!」
見る間に建物が炎の柱になり、辺りに火の粉の雨を降らす。
「消火だ。延焼を防げ!」
あちこちに火薬を仕掛けて、火が入ると一気に燃え上がる様に仕込んでいた。多分、そういう事だろう。
レイヴンズが、大人しく炎の中で自害などするとは思えない。城を奪回したとき、どこからともなく現れたというから、逃げ道くらいは用意していたのだろう。
とにかく今は、消火が最優先だ。城の一番高い所が炎上し、火の粉をまき散らしている。城の各所に燃え移り始めていた。
突然の大火に、城内は混乱していた。ここで敵の襲撃を受ける事を考えると、背筋が冷たくなったが、敵は残らず城を落ち延びたようだ。
結局、火元の建物ともう一つが全焼した。危うく城が丸焼けになる所だったので、無事に消し止められた、というべきだろう。
焼け跡から、ほとんど遺体は出なかった。出たのは、死後焼けの遺体ばかりだ。やはり、どこかから逃げ延びたのだろう。どこからどう逃げたのかは、すっかり焼け落ちてしまって分からない。
ともあれ、ブライデンフェルト城の再奪回は果たした。城の防御力は、敵による奪回も含めて三度の戦いで激減したが、州都攻略のための前線基地確保の目的は、未だしっかりと果されている。
城の片付けと簡単な修繕をし、物資貯蔵の倉庫も増設した。再奪回部隊がほぼそのまま城の守りに就き、また奪われる事は絶対に無い様に、全力を尽くしている。
州都攻略戦の準備は、着実に進んでいた。
しかし、まだ分からない事がある。
「なあ、テオ。今度の戦、どう思う?」
「終わってみれば、敵の犠牲がやけに少ないですね。脱出路がどこかに在った件も併せて考えると、初めから死守と言う気がなかったとしか思えません」
「結局、城を攻めている間、どこからも横槍は入らなかった。敵は何が目的だったんだ? もちろん、付け入る隙が見つからず、何らかの計画を断念したという事も考えられるが」
「今、敵の総指揮を執っているのは、昌国君です。作戦の一つ一つ全てに目を通しているという訳ではないでしょうが、杜撰な作戦を放置するというのも考えにくい」
「分からんな。この城がこちらの手にある以上、次の戦場は州都か、その近辺しかあり得ない。わざわざ州都の近郊で決戦をするつもりか?」
「地の利があると言えば、ありますが、わざわざ引きこむほど有利な戦場かと言えば、疑問ですね」
そもそも昌国君は、今どこで何をしているのか。足取りが今も掴めていない。
後方から緊急の早馬が駆け込んできたのは、城を再奪回してから二日後の事だった。主だった将が招集される。ゲオルクとテオも、その中にいた。
「緊急との事だが、一体何事か」
「州都攻略のための兵糧をインゴルシュタットからこちらへ向けて輸送中に、敵軍の攻撃を受けて、兵糧をことごとく焼き払われましてございます」
「なんだと!」
諸将が一斉に色めき立つ。無理もない。せっかく城を再奪回しても、兵糧が無ければ州都攻略など不可能だ。
「後方の連中め、兵糧の警護はどうしたのだ! やる気があるのか!」
「それが、その。輸送部隊を襲撃したのは、鴉軍だとの事です」
怒りで真っ赤になっていた諸将の顔が、一気に蒼ざめた。
「昌国君は、初めからこれが狙いで……?」
「だとしても、いつ大量の兵糧を輸送するかなど、どうやって知られた」
「――そういう事か」
ゲオルクはすぐに昌国君の思考に気が付いた。しかし、気付いた事で得たのは、苦い思いだけだった。
「どういう事だ、ゲオルク殿」
「我々は誘い出されたのですよ」
初めにブライデンフェルト城が落ちたのは、純粋に向こうにとって失点だった。しかしすぐに、昌国君はそれを逆手に取る策を立てたのだ。
城を奪回し、連合軍に再奪回させる。再奪回させる事が目的なので、敵は奪回したこの城を守り抜く事にこだわらない。
前回の攻城戦の事があるので、再奪回に際して連合軍は、兵力をつぎ込むだけではなく、周辺の警戒も厳重にする。
それに因ってまず後方の兵力と警戒が手薄になる。
そしてこの城を再奪回すれば、当然州都攻略の準備として、大量の兵糧、その他物資を運び入れる。
一度落とした城を奪い返された経験から、不測の事態の起こらぬうちに、さっさと兵糧の運び込みを済ませてしまいたいと思うのが、当然の心理だ。
そしてこちらは、まさにその通りに動いた。城を落としてすぐ。輸送路に敵が待ち構える様な事態になる前に、兵糧の運び込みを済ませようとした。
全て昌国君の掌の上だったという事だ。昌国君はずっとこの機会を窺っていたのだ。我らの本拠のすぐそばで。
誰も、何も言わなかった。昌国君に完敗した。それに対して、何を言う気力も沸かなかった。
「まだだ。まだ全ての兵糧を失った訳ではない」
「そうだ。まだ州都攻略作戦は、潰れてはいない。残りの兵糧をかき集めて、すぐに州都へ侵攻すれば、十分に兵糧は持つ」
確かに、全ての兵糧を焼き払われたと言っても、輸送部隊一つ分の兵糧全てだ。まだインゴルシュタットや、その他各地に蓄えている兵糧はある。
だが、空元気だった。虚勢を張っているに過ぎない。
兵糧を焼き払われた。その事実は、まず士気に影響を及ぼす。兵糧が無い事が知れれば、これ以上新たに軍勢が集まってくる事も、期待できない。
また、兵糧が無くなった事で、すぐに州都侵攻を始めなければならなくなった。腰を据え、調略などを巡らしながら、最適な機を探るという余裕は残っていない。
いつ攻め込むか。それが密偵が働くまでも無く、敵にほぼ筒抜けになっている。
誘われているのだ、昌国君に。戦うべき場所。戦うべき時。動員する軍勢の規模。こちらの何もかもを決めているのは、自らの意思ではなく、昌国君の意思だ。
勝てるのか、これで。いや、とてもではないが、勝てる気などしない。それでも、誰もそれを言わない。
今更、戦いを止めるなどという事は出来ない。兵糧が無かろうと何であろうと、ここで州都攻略を諦めたら、それは敗北だ。これだけ大掛かりな動員をしておいて、州都に触れることも出来ずに退き下がるなど、できる訳がない。
蒼州公派は、崖の縁にいるのだ。ここで無様な敗北をすれば、もはや足元から崩れかねない様なところにいる。
逆にここで勝てば。いや、引き分けでもいい。昌国君相手に、五分に戦った。それは実質的な勝利だ。
その勝利さえあれば、まだ命をつなげる。それどころか、蒼州の諸侯は、残らずこちらの軍門に降るだろう。
蒼州を平定して、そこから先は、他州の軍勢を動員した帝国政府から、蒼州を守る戦だ。蒼州独立国家が、名実ともに形になる。
この大戦に勝った方が生き残り、負けた方は滅びる。もはや、そういう戦なのだ。負ける事は、絶対に許されない。
そして、戦わなければ負けなのだ。戦わずに勝つという事は、ありえない。そういう情況に、既になってしまったのだ。あるいは、追い込まれたのか。
ブライデンフェルト城に、連合軍の大半が集結した。兵糧も運び込まれる。
かき集められた兵糧は、百日分も無かった。全て食べつくす前に秋の収穫が得られるだろうから、希望があると言えばある。
軍勢が集まるごとに、決戦が近づいている事を感じる。城全体が熱狂に包まれ、熱で不安を融かしていく。
いつしか、ただ熱狂だけになっていた。大きな戦を前にした、この上ない熱狂。誰もがそれに当てられている。
かつて一度だけ身を焦がしたこの熱狂を、再び感じられる事に、ゲオルクも喜びを感じる事を抑えられなかった。




