闇夜の襲撃2
夜襲を仕掛けてきた敵部隊を撃破した。しかし、ゲオルクの感覚は、これで終わりだとは感じていなかった。理屈から言っても、敵がいない事が確実とされるまで、警戒を怠るべきではない。
「付近を哨戒し、敵を捜索しろ。蟻一匹、近づけさせるな」
傭兵団の兵は、華美な軍装に身を包んでいる。出会い頭に同士討ちをする事は、まず心配要らないだろう。部隊を分け、水も漏らさぬ警戒態勢を取らせた。
必ず敵は他にもいる。その確信があった。
敵の狙いは、砦の攻略であるはずだ。極端な話、砦さえ落とせるのならば、傭兵団は無視しても構わない。
しかし敵は、傭兵団に攻撃を仕掛けてきた。傭兵団が砦を警備しているので当然とも言えるが、ならば傭兵団と交戦した敵は、敵の全てではないという事だ。
傭兵団は砦攻略の障害であり、排除が必要だ。だが排除と撃破は同義ではない。砦から引き離し、その間に別働隊が砦を攻略できれば十分に目標は達せられる。
敵にとって、傭兵団に撃破に全軍を投入する意味はない。ならば、必ず別働隊がいる。それを、砦に取りつかせる前に捕捉し、撃破しなければならない。
ゲオルクは騎兵と共に本陣に戻った。敵を求めて駆け回りたいところではあるが、この闇夜だ。いくら灯りを灯しても、見える範囲は限られる。
やたらに動き回っては、ゲオルクと各隊がお互いの位置を把握できず、命令伝達に支障をきたすという事になりかねない。できるだけ本陣に腰を据えているのが望ましいだろう。
本陣に腰を据えていると、青隊から伝令が駆け込んできた。
「報告いたします。青隊は敵部隊を発見し、これと交戦に入りました。敵はおよそ一個大隊」
「一個大隊? 数にしておよそ三百か?」
「はい」
「分かった。援軍は要るか?」
「不要、との事です」
「よろしい。逐一戦況を報告しろ」
「はい」
伝令が去ると、ゲオルクは参謀として本陣に詰めるテオに向かって呟いた。
「多いな」
「ええ。予想以上です」
正確な数は見せなかったが、砦の守兵は一個中隊かそこらだった。傭兵団にも正確な数は見せなかったが、大きくは違わないはずだ。
砦を攻めるのなら、その砦にどれだけの守備隊がいるかを調べるのは、基本中の基本だ。敵がそれを知らないはずはない。
そして敵が砦の兵力を知っていれば、攻略に投入する戦力はせいぜい守兵の三倍が上限のはずだ。
包囲して長期戦をするつもりならば、十倍を用意する事もあるだろう。しかし急襲を掛けて一息に攻略するつもりならば、三倍以上の兵力を投入しても、一度には襲い掛かれずに無駄になる。
そもそも大軍であるほど奇襲は難しくなるのだから、隠密性維持のため、兵力はぎりぎりまで減らそうと考えるはずだ。
だが敵は確認できただけで二個大隊。すでに守兵の約四倍だ。
「まあ、予備兵力。あるいは、砦の兵が予想より多かった場合に備えてという事もあるが」
「だとしても、奇襲が目的ならば、まとまっているよりも別れて近づいた方が、発見されにくくなります。囮でもないのに大隊規模で行動しているというのは、不可解な気がします」
「そもそも、こちらも斥候は放っている。五百を超える敵を見逃すとは思えん。奴らはどこから現れた?」
ゲオルクとテオが眉を寄せている間に、青隊からの伝令が再びやってきた。青隊はワールブルク指揮の下、優勢に戦いを進めているようだ。
「流石先生。指揮に不安はありませんな」
テオが感嘆する。
「この敵は、砦を狙ったのだろうか」
「どういう事です?」
「最初の敵は、明らかに砦よりも展開する部隊を狙って攻撃を仕掛けてきた。ならば別に、こちらの目を潜り抜けて砦を狙う敵部隊がいるのではないかと思った」
「なるほど。先生が遭遇したのは、砦への直接攻撃を狙う部隊だった。だから先生の攻撃に、対応が遅れて押されているのかもしれないと?」
「そうであったら良いと思うが、どうかな」
また伝令が駆けこんできた。青隊は敵の大部分を包囲し、殲滅に掛かったようだ。
「少し、惜しいという気もします」
「捕らえて吐かせる気か? やめておけ。知らなくても良い事を知る事になりかねん」
「知っていても、知らないふりくらいはできます。知らぬより知っている方が良いでしょう。何も知らなければ、対処のしようもありませんから」
「減らず口だな。現場に出る人間が、大した事を教えられはしないと、今まさに身を以て思い知っているだろうに」
「まあ、それはそれ。可能性があるなら、全ての手を打っておきたい性分でして」
「気持ちは分からないでもない。が、それに囚われすぎると、身動きが取れなくなるぞ」
「意気地が無いもので」
テオが苦笑いを浮かべる。意気地がないどころか、ゲオルクも知らぬ間に、どんな危険を冒しているか、知れたものではない。
しかしそれが、不安と小心に由来しているというのも、嘘ではないのだろう。
「テオ。お前は当事者になりすぎるぞ。もっと安全圏から命令だけ出して、危険な事は他人にやらせるべきだ」
「これは、ゲオルク殿からそんな言葉を聞くとは、思いもよりませんでした」
「お前の身に何かあっては困るからな。あまり危ない事は自分でやるな。私が言えた義理ではないかもしれないが」
「いえ。ご忠告、心に留めておきます」
青隊はついに、敵の大部分を討ち取り、殲滅させた。その報告を受けると入れ違いに、今度は赤隊からの伝令が駆けこんできた。
「ハンナ様よりご報告です。赤隊は敵部隊を確認し、これと交戦状態に入りました。敵兵力はおよそ三百」
「向こうにも現れたか。一体的はどれだけいるのだ」
「こうなると、水運を使ったのかもしれませんな。上流から川を下れば、素早くこの砦に接近できます」
「この闇夜に川下りをしたというのか? 正気の沙汰ではないな」
「しかし、一千近い敵が斥候の目を潜り抜けてこれだけ接近したとなると、そのくらいのことはやってのけたと考えるべきです」
「そうだな。だがだとしても、砦の攻略を阻止すれば、敵の目論見は失敗だ。今更敵がどんな手を使ったのかなど関係ない。守り切れればそれで良い」
「あの――」
伝令兵が、遠慮がちに言葉を挟む。
「なんだ」
「報告は、まだ途中でして」
「うん? そうだったのか。済まぬ。続けてくれ」
「はっ。赤隊はすでに敵を撃破して、敗走する敵を追撃しております」
「もう敵を撃破したというのか?」
「はっ。部隊長が、報告よりも目の前の敵の始末が先だ、と仰せになられて」
「ハンナは相変わらずだな」
ゲオルクがテオの方を向いて言う。テオを額に掌を当て、天を仰いでいる。
「それで、追撃の結果、敵の増援もしくは本隊と思しき灯火の一団を発見いたしまして、援軍を要請しております」
「それを最初に言わんか。赤隊だけで突っ込むような真似はしていないだろうな?」
「流石に、部隊長も味方の増援を待ってから攻撃を掛けるとの仰せです」
敵を瞬時に粉砕するあたり、ハンナの力量は大したものだ。とは言え、報告を後回しにするあたり、軍人でも騎士でもない。
厄介なのは、配下の将兵もそれに染まって、それをおかしいとも思っていない事だ。
しかし、その何を後回しにしてでも敵の撃破を最優先する性向が生みだす攻撃力が最大の長所なので、あまり咎めだても出来ない。
そもそも傭兵団は、その名の通り正規の軍隊ではないのだ。秩序を乱しても成果を上げれば不問と言うのは、軍隊では問題だ。
だが傭兵団では、何よりの成果を上げない事には存在価値を失う。ハンナの暴走気味の行為も、それが成果につながる以上、咎める理由にならない。
「ともかく、私が増援に向かう。テオは各隊の様子を見て、余裕がありそうなら後詰を手配してくれ」
「はっ」
「さっさと行かないと、赤隊だけで突っ込みそうだ」
口ではそう言ったものの、未確認の敵相手に立ち止り、増援を要請するなど、ハンナも猛将型ではあれど、猪武者ではない。本気で暴走を案じてはいない。
しかし、情況の如何によっては赤隊だけで攻撃を始めるだろう。一刻も早く合流した方が良い事には変わりない。
だがこの闇夜だ。一帯には林も丘陵もある。不用意な道筋をたどれば、合流が叶わないどころか、現在位置すらも見失いかねない。
灯台や、野営地の明かりを伝って、確実に赤隊の後を追う。
幸い、敵と交戦を始める前の赤隊と、無事に合流する事が出来た。
「ハンナ、情況は?」
「前方に敵部隊と思しき灯火を視認。数は多分、多くはないだろう。だが灯火を厳しく制限している様で、良くは分からない」
確かに目を凝らすと、前方に米粒の様な明かりが見える。松明ではない。おそらくランプか蝋燭だろう。それも、光が拡散しない様に、傘を着けているようだ。
「斥候を送ろうにも、この暗がりではそれこそ鼻先まで近づかん事にはな」
ハンナが苦々しげに言う。
「敵は、ずっと動かんのか?」
「ああ。あの場所で鳴りを潜めたまま、不気味なくらい動かない。味方の敗走を、分かっていないはずはないのだが」
こちらに気付いていないという事は、無いとは言えないだろうが、希望的観測だ。もしそうだとしても、味方の敗走を受けてなお動かないというのは、確かに理解しがたい。
これはどう対処したものかと思っていると、近くに大きな影がうずくまっている事に気付いた。
「この近くにも、灯台があるのか」
「ああ。こちらの姿も晒す事になるから、灯さずにいた」
他の灯台の照らす範囲から推察して、敵味方共になんとか視認できる範囲に入るだろう。
「灯台を灯すと同時に攻撃。その前に、一隊をできるだけ敵に接近させておき、着火と同時に奇襲を試みる。大体そんなところだな」
「後は、露わになった敵の姿次第という訳か」
「これだけ不可解な行動をしている以上、ただの兵ではないはずだ。気を抜くなよ」
「誰に物を言っている」
「これは失礼した」
小隊を一つ、夜陰に乗じて密かに敵に肉薄させる。気付いていないのか、それともあえてなのか、敵に動きは見られない。
灯台に松明が投げ込まれた。瞬く間に炎が大きく立ち上り、辺りが薄明るくなる。
ゲオルクは馬腹を蹴った。歩兵も、一斉に攻撃を始める。
敵の姿が浮かび上がった。壁。比喩ではなく、本当に壁が建っている。狭間が開いている。そこから、細い物がこちらへ突き出している。
「止まれ」
叫んだ。声が雷鳴の様な音にかき消される。先陣の歩兵が倒れ、算を乱している。
「退け。退け」
闇夜に突然轟いた銃声は、赤隊本隊の兵にも動揺を与えた。ハンナが混乱を鎮めるために、声を上げている。
逃げ戻って来る兵を回収しながら、ゲオルクは改めて敵の姿を見た。
「装甲馬車か」
長方形の箱のような車両が、四両並んでいる。今は馬を外されているが、戦闘用の装甲馬車だ。中に銃兵が乗り、銃撃を浴びせてくる。
車両の外壁は分厚い木材で出来ているはずなので、弓矢程度では貫けない。接近して取りついても、剣や槍程度ではどうしようもない堅牢さを誇る。
「あんなものまで持ち出すとは」
一体どこの差し金だ。そういう思いがよぎったが、今は目の前の装甲馬車をどう撃破するかが先だ。
「防衛ならばともかく、攻めて来るような代物ではない。いっそ見逃すという手もあるが」
「このままおめおめと見逃すというのか?」
混乱を鎮めたハンナが、不満を鳴らす。目の前に敵がいて、負けてもいないのにそれを見逃すのが不満なのだろう。
銃撃を受けた先陣も、暗がりが功を奏してか、被害は少ないようだ。戦力としては、まだほとんど無傷だ。
「どこの誰かは知らないが、どうせ敵には違いない。今撃破する理由は無くても、どうせいつかは戦う相手だろう。ならば、早いうちに潰してしまった方が良い」
「そうこなくては」
「だがどうする? あの装甲を打ち破れる、槌の様な物は無いぞ」
「陣地を攻めると割り切れば、倒せぬ相手ではない。団長は、上手く牽制をしてくれ」
陣地を攻めると割り切る。つまり、ある程度の犠牲は覚悟するという事だ。それは牽制でどれだけ敵の動きを封じる事が出来るかで、犠牲の多寡が決まるという事でもある。
「難しい事を言ってくれる」
「駄目とは言わぬのだな」
「好きな様にやればいい。後はこちらで何とかしよう」
「恩に着る」
「なら戦果で返せ」
「良いだろう。機はこちらで判断する。上手く牽制してくれ」
これではどっちが上官か、分かったものではない。だがゲオルクは、笑って敵の牽制に向かった。
牽制、といっても野戦の敵ではない。騎兵で突っ込む素振りを見せたところで、牽制にはならない。
ゲオルクは灯台から、薪として組まれている丸太を一本引き抜かせた。表面が焦げてはいるが、まだ火の着いていない物だ。
これに縄を掛け、二頭の馬で牽いて叩きつける。簡易な衝車の代用だ。これならばある程度の効果が見込める。敵も無視できない。
また一人に一つ松明を持たせた。装甲馬車は木材がむき出しなので、火攻めが効くだろう。武器が持てなくなるが、どうせ持っていても、効果はないので問題無い。
松明を持ち、丸太を引きずって敵へ向かった。牽制が目的なので、無理をする必要はない。届くか届かないかの距離で松明を投げつける。丸太を牽いて肉薄し、打ちつける手前で断念する。それをしつこく繰り返した。
並んだ車両の片側に攻撃を集中する。あからさまではあるが、火攻めや丸太ははっきりと驚異のはずだ。そちらに集中するしかない。
比較的脅威になりにくい歩兵への対処は、甘くならざるを得ないだろう。それでも、無防備と言う訳ではない。しかし、ある程度の犠牲を覚悟してしまえば、手薄になったという程度で十分だった。
赤隊が、大挙して装甲馬車に肉薄した。銃撃を受けて兵が倒れるが、反対側からの騎兵の攻撃に戦力を多く充てなければならない以上、銃撃は多くは無い。
装甲馬車に取りついた歩兵は、どう攻略するのかと思いきや、実に単純な方法に出た。
装甲馬車に手を掛け、一斉に揺すり始めた。そして勢いを付け、装甲馬車を横転させた。堪らず、中の兵が飛び出してくる。
敵もただ黙ってやられている訳ではなく、取りついた兵を撃ち殺すが、いかんせん数が違い過ぎた。四両の装甲馬車は、残らず倒された。
後はもう、戦いと言うほどの事もなかった。丸裸の銃兵など、弾を込める前に蹴散らして終わりだった。
どこかで、鉦が打ち鳴らされた。味方のものではない。
「構うな。ここだけじゃない!」
知らぬ声。敵の指揮官か。どこかで見ていて、退却を命じたのだろう。
残念だが、暗闇の中、音だけで正確な位置を掴む事は出来ず、それらしい敵の姿を認める事も叶わなかった。
やがて夜が明けた。日の光に照らされるのは、昨夜の戦いの痕跡だけで、生きた敵兵の一人の姿もすでに残ってはいなかった。




