本拠防衛3
傭兵団を襲撃したのは、オステイル解放戦線の残党だった。どうやってかは知らないが、傭兵団が彼らのリーダー、オイゲン・ノイベルクを討ち取った事を知り、復讐を図ったのだろう。
恨みによる復讐。そう単純に片づけられないかもしれない。彼らにとって解放戦線の存在は、絶望の中の最後の希望だったはずだ。
傭兵団は彼らから、その最後の希望を奪い取った。一切の希望を失った彼らには、もう死ぬしか残されていなかったのだろう。復讐は、死に方に方向を与えたに過ぎない。
傭兵であろうとなかろうと、どの陣営に身を置こうと、戦争に加担する以上、恨まれる事は避けられない。そして中には、今回の様に復讐に動く者たちもいる。
別に自分たちが傭兵だから恨まれた訳ではない。正規の騎士団であっても、行為が同じであれば、同じ様に怨みを駆って、同じ結果を招いた。そう信じたいと思う。
もし傭兵だから恨まれたのだとしたら、それは騎士が相手なら諦めるが、傭兵が相手なら許さないという事だ。
行為は同じでも、相手の肩書によって気持ちが変わる。それはただの偏見だ。偏見で恨まれたのなら、気に病むだけ無駄というものだ。
わざわざそう自分に言い聞かせているという事は、気に病んでいるという事だ。自分たちが、騎士ではなく傭兵だから恨みを買った。
我らが傭兵だから解放戦線の残党は報復に出て、犠牲を出した。双方共に。
相手が騎士だから、理不尽な事があっても仕方がないと諦めるのが、正しいとは思わない。
それでも、自分たちが騎士だったら、相手が諦めてくれれば、これだけ多くの人間が死ぬ事は、無かったのかもしれない。
今回の様な事は、今後何度でも起こりうる。傭兵として、蒼州公派の先兵として戦い続ける限り、恨みを買い続ける。復讐者は、きっと現れ続ける。
それでも、戦い続けるしかない。戦いを止める事はできない。蒼州公派の理想のため、だけではない。多くの傭兵は、戦う以外に生きる糧を持たない者たちなのだ。
自分たちの稼業が何をもたらすか、決して忘れてはならない。しかし、それが生業である限り。それに頼って生きる限り、それを悔いてはならない。
生きるための術を悔いるという事は、生きる事を悔いる事だ。生きる事を悔いながら、本当に生きる事は出来ない。
我々は、死ぬ訳にはいかない。肉体的な意味だけではなく、精神的な意味においても、死んではならないのだ。なぜなら、まだ生きているからだ。
「ゲオルク殿、よろしいですか?」
戸を叩く静かな音。次いで、テオの声。
「開いている」
テオは部屋に入ると、ゲオルクの前に立ち、深く頭を下げた。
「申し訳ありません。この様な緊急事態に、不在にしていたなど」
「頭を上げろ、テオ。お前には何の責任も無い事だ。むしろ留守にしていたのが、お前でよかった。ハンアかワールブルク殿が不在だったらと思うと、背筋が凍る」
努めて冗談めかしたが、テオは笑わなかった。
「そうだとしても、あれだけの規模の敵が砦を窺っていることを、直前まで掴めなかったなど、償いようも無い失態です」
「ならば、責任を取って団を辞め、国に帰るか。それともいっそ、自裁でもするか?」
「それは……」
「お前を処罰するなど、団にとって損失でしかない。それが分からぬお前ではないだろう」
テオは何も言わずに項垂れていた。やがて肩が震えだす。
「許しがたいのです。不甲斐無き自分が。この様な事態を招いておいて、どんな責任も取りようの無い自分が、許せません」
「これからも団の参謀として、何度でも団のために功績を立てろ。責任を取ると言うのは、長く地道で険しい道だ。当然の責任を、何年もかけて果たしていく。それ以外に、責任を取る方法など有るものか」
「厳しい事を仰る」
「誤魔化しができるほど、器用じゃない」
「それでもやはり、私は……」
テオは明らかに打ちのめされていた。まだ若いテオには、初めての挫折なのだろう。
厳密な意味では初めてではないかもしれないが、一歩間違えば傭兵団が壊滅していたかもしれない。それほど大きく重い挫折は、間違いなく初めてだろう。
「テオ。命令だ。今後も傭兵団参謀として、職務に励め。拒否権は無い」
「私なんかがお側にいて、本当によろしいのですか」
「そこまで言うなら、貴様は死罪だ。しかし、特別の温情を持って、執行は無期限猶予してやる。分かるか。お前は私に、命を一つ借りたのだ。お前の命は私のものだ。借りはいつか返してもらう」
テオは呆然とゲオルクの顔を見ていたが、ようやく笑みを浮かべた。
「大きな貸しが出来てしまいましたな。これは一生懸命返さなくては」
「命を借りたのなら、命で返すしかないさ」
ゲオルクは席を立ち、戸棚から正月用に用意した酒瓶と、グラスを二つ取り出した。
「この際ついでだ。酒を奢ってやろう。これも、貸し一つだ」
「いただきます。これは、何で返せばいいのでしょうか」
「命は命で返す。酒は酒で返せばいい」
「なるほど、分かりやすい」
二つのグラスに琥珀色の液体が注がれた。二人はグラスをちょっと持ち上げて、ほぼ同時に喉へ流し込んだ。
「ところで」
すっかり平静を取り戻した様に見えるテオが、思い出した様に言う。
「オステイル解放戦線の残党。彼らだけでこの砦の存在を調べ上げ、気付かれずに襲撃する計画を練る事が出来たとは、ちょっと思えませんね」
「どうかな。私は最近、世の中は何でも起こりうるという思想を持ちつつあるよ。現に解放戦線の存在自体が、誰にとっても予想外の出来事だったじゃないか」
「そうかもしれません。が、手品にはタネがあります」
「そのタネをここで暴こうと言う訳か」
「そんな大層な事じゃありません。解放戦線の中に、異質な部隊が混じっていたでしょう」
「いたな。そんな奴らも」
「彼らが黒幕。あるいは黒幕の手先と考えるのは、ごく自然な成り行きです」
「皆殺しにしてしまったのは、失敗だったかな?」
「捕らえたところで、何かを吐いたとは思えませんが。それに、捕らえて吐かせるまでも無いでしょう。解放戦線の裏には、いつだって侯爵の影がチラついていました」
ティリッヒ侯爵家。オステイル解放戦線の蜂起から一貫して、黒幕として操っていた。
今回も、裏に誰かがいるとしたら、侯爵に違いないだろう。支援する誰かがいなければ、リーダーを失って四散した解放戦線が、一千もの軍勢として再びまとまれるとは思えない。それができるのなら、とっくに組織を再建していただろう。
それに支援者がいなければ、大型弩砲はどこから調達したのだと言う話になる。
「侯爵は、相も変わらず同じ手を使っているのか。進歩の無い事だな」
「使えるものはなんでも、最後の一滴まで使い倒すという事では?」
「突然訪問したら、出涸らしの茶を振る舞われそうだ」
ゲオルクは笑った。
「とは言え、流石にこれで解放戦線は手札としての価値を失ったでしょう」
「もう存在していると言えるかも怪しいかもしれん」
「まだ存在していると言えても、有力な手札にはなりえないでしょう。最も、弱い手札も使い方次第では、恐ろしい脅威となりうる事もあります」
「真面目だな。もっと肩の力を抜いても良いだろう。少なくとも、今はな」
空になったテオのグラスに、もう一杯酒をなみなみと注いだ。テオは少し困った様な顔をしたが、小さく礼を言ってグラスを空けた。全く、酒を飲むときまで真面目な奴だ。
結局、グラス三杯を開けたところでテオは前後不覚になり、人を呼んで私室へ送り出した。一人になると自分のグラスに三杯目の酒を注ぎ、舐めはじめた。
傭兵団は怨みを買う以上に、ついに敵対勢力から危険な存在と認識されて、直接攻撃の対象とされた。蒼州公派の有力諸侯並みという事だ。
それを喜ぶ気は全く無い。それよりも、危険な存在と目された以上、我が身を守るためにも、更なる兵力の増強は不可欠のものになるだろう。
兵力の増強は、自衛のためと言うだけでなく、より有利に戦を展開するためにも必要になる。傭兵団の志向する、長槍を用いた密集隊形戦法は、規模が大きい方が効果を発揮する。
今ならば、自衛のためと言う名目で、警戒心を煽らずに戦力を強化できる。今後の事を考えると、新兵の調練に専念できるのも、今が最後の好機だろう。
締め付けられる様な緊張と、果てしない水面下での抗争。すでに導火線に火は着いている。限界のときは、遠くない。
いつ開かれてもおかしくない全面戦争の火蓋が未だ開かれないのは、むしろ破局をより大きなものにしていると言う予感がする。
もはや、誰にもこの流れは止められない。ユウキ合戦以来、数多くの戦場を歩いてきたゲオルクには、一つだけ分かった事がある。
戦争は、人の意思で制御できるようなものではないという事だ。一度野に解き放たれた戦火は、燎原の火の如く、大きくなりながら周囲に拡大していく。
それは人の意思すら呑みこんで、理性や計画を焼き尽くし、敵意と復讐心で人間を支配する。戦争が人間を支配してしまうのだ。
そうして戦争は、まるでそれ自体が生き物であるかのように、あらゆるものを食いつくして成長・拡大していくのだ。その有様を、ずっとこの目で見てきた。
そしてゲオルクと傭兵団も、戦争の中にすでに取り込まれている。いや、戦争の申し子とすら言えるかもしれない。どちらにしても、逃れる術など、どう考えても無い。
古人は言った『戦争は自分自身を養う』と。今、その意味が分かった気がする。
戦争は、手段でも、目的でも、現象でもない。自己の存続と拡大を望む、生き物の様な何かだ。魔物とでも呼べばいいのかもしれない。
ならばこの戦争に、終わりは来るのか。終わりが来たとして、その時に残るものは何なのだろうか。
ゲオルクも、他のどの勢力も、自らの望む答えを得るために戦っている。だが答えなど無く、あるのは真っ黒な焼跡だけなのだろうか。それとも、答えも終わりも無いのだろうか。
確かめるには、戦うしかない。戦い抜いて、その先に何があるのか確かめる以外に、方法は無いのだろう。
そうしてまた、新たな戦争を生み出すのだ。




