本拠防衛1
年の瀬も押し迫った頃、新たな属州総督が赴任してきた。
任官自体はだいぶ前だったが、蒼州中部を蒼州公家派が押さえてしまっているため、玄州からバイエルン郡を経由し、北から州都に入るという大回りをして総督府に赴任した。
新総督の任務は、言うまでも無く独立を宣言した蒼州公派の討伐であり、そのために様々な権限を与えられて赴任してきた。
まず、新総督は皇族だった。そして政府は今の蒼州公家を認めず、新総督に蒼州公家を継がせる事を宣言した。
一度公認したことを取り消すと言う、政府にしてみれば重大な汚点であるはずだが、蒼州公家を二つ立てる事によって、諸侯を分断する方が得策と判断したのだろう。
果たしてどれほど効果があるかと思うが、総督兼政府公認の新蒼州公家だ。実力と伝統はあれど、今や逆賊の烙印を押された旧蒼州公家と比べると、やはり迷う者も出るかもしれない。
もちろんそうした名ばかりではなく、実の面でも新総督は武器を与えられている。軍の幕僚クラスには人材を多く連れてきているであろうし、何よりも全く新しい法制度として、半済が施行された。
それまで総督府は、州内各地の諸侯や直轄領から税を徴収して、州ごとの上りとして国庫に納めていた。予算は国庫から与えられるもので、総督府が集めた税に手を付ける事は許されなかった。
しかし、来年の年明けから一年間に限り、蒼州の税収は全て総督の裁量で使う事が認められた。一度国庫に納める手間が省けるうえ、予算の規模自体も従来よりも大幅に拡大することになる。
加えて税の配分も、総督府の割合が大幅に増やされた。諸侯の領地からの税収は、六分の一が国に納められ、残りが諸侯の物と言うのが従来の配分だった。
それを、諸侯と総督府で税収を半分に分けると改められた。単純計算で三倍の増収になる。
蒼州諸侯の半分近くが蒼州公家側に就いてしまったことから、残り半分から税収を確保するための措置だ。しかし、当然の如く諸侯の反発は激しい。
少なくとも、ティリッヒ侯爵家。アイヒンガー伯爵家。コストナー伯爵家といった諸侯から、税収の半分を徴収する事は無理だろう。軍事力の裏付けを作りながら、小領主から徐々に半済の範囲を広げていくのが現実的だ。
その他、細々とした権限は数えきれない。例えば臨時徴収を課す権利などがある。州内の全ての領民に、直接臨時税を掛ける事ができる。
総督が諸侯の領民に自由に税を掛ける事ができるので、これもまた諸侯の反発は強い。しかし、これらの諸権利のおかげで、新総督は従来とは比べ物にならない、ほぼ無尽蔵の資金を得る事になる。
新総督の赴任と、新たに与えられた数々の権利は、蒼州公家にも刺激を与えた。
独立国家建設を宣言した公家にとって、国と呼ぶにふさわしい体制の確立は、帝国と対決する上で、政治的に不可欠の案件だった。
そこへ現れた新総督は、諸侯に対して明確な上下関係を築き、自らの統制下で統一された体制を確立しようとしている。
蒼州公家もこれに習う事にした。公家を王、あるいは皇帝として頂点に据え、傘下の諸侯を臣下として、中央集権体制を確立しようと目論んだらしい。
らしい、と言うのは、どうにも公家の態度に強権的なものが無く、諸侯の顔色を窺いながら提案し、少しでも反発があるとすぐに引っ込めるから、本心が見えづらいのだ。
公家の立場に立ってみれば、分からないでもない。下手な事をして傘下の諸侯を敵方に走らせてしまえば、取り返しがつかないのだ。
新総督の行っている強権も、同じ危険性があるはずだが、そもそも帝国の財政再建のために、各地の諸侯に重い負担を課していたのだから、その延長線上に過ぎないとも言える。
それに万が一、蒼州の全てが反帝国を掲げたとしても、他八州の諸侯と軍勢を動員すればいい。つまり、ここでしくじっても破滅ではないという意識があるから、強気に出られるのだろう。
しかし、だ。公家の態度は弱気に過ぎるのではないかとゲオルクは思う。多少の負担を課したところで、今公家と同心している諸侯が、そう易々と敵方に走るとは思えない。
そもそも中央のために地方が犠牲になる事に納得ができず、少なくない諸侯が蒼州公派に立って兵を挙げたはずだ。
蒼州公家は諸侯の権益を侵害する事を恐れている様だが、彼らとて自分の事しか考えていない訳ではない。自らの保身だけを考えるのなら、背後に帝国全てがある、総督府派に就いた方が良かったはずだ。
帝国政府のために搾取されるのは納得いかないが、蒼州の為ならば、負担を背負う事も辞さない。こちら側に就いた諸侯の多くは、そういう意識があるはずだ。
その典型が七騎士家だ。七騎士家という集団を守るため、個々の騎士家が身を捧げる事を辞さない。そうして千年、七騎士家という集団を守ってきた。
もし七家が、それぞれ自身の保身しか考えなかったら、とっくに一家ずつ順に滅びていただろう。
蒼州公派に立って帝国と戦う道を選んだ時点で、自発的な協力の意思があることは明らかだ。蒼州公家は、諸侯のその意思を軽視してはいないか。
端的に言えば、諸侯を信用していないのではないか。
慣習的に、冬季と言うのは休戦の季節だ。雪または雨が多く、その上寒いと戦に適していない条件が多すぎる。
年の瀬ともなると、どこも一旦武器を置いて、僅かな間だが戦の無い、平穏な季節が訪れる。
傭兵団もこの時期となると仕事も無く、ゆっくりとした時間を過ごしていた。兵にも交代で休暇を与える。
兵たちはほぼ全員が故郷も無い独り身なので、砦に残ってごろごろする者もいるが、大抵は大きな街に繰り出していく。
ゲオルクも砦の私室で、楽な服装をして暖炉のそばに座っていた。休暇を与えたとは言え、砦の兵がそれほど減った訳ではない。それでも、ずっと静かだと感じた。
鎧戸を締めた窓の隙間から、細い陽光が差しこんでいる。雪が降っていたはずだが、いつの間にか止んだらしい。
外の見張り当番になった兵は気の毒だと思っていたが、雪が止んだのなら少しはましになるだろう。
突然、鉦を乱打する音が耳を襲撃した。体が飛び起き、弛んでいた肉体に緊張が走る。しかし頭の方は、まだぼんやりしていた。見張りの兵が寝ぼけて襲われる夢でも見たのだろうと思った。
部屋を出て、足早に上の見張り台へ向かった。途中ですれ違う兵たちは、何事かと戸惑っているが、危機感は無い。
砦の上、屋外の見張り台に出ると、寒風に思わず身をすくめた。鉦はまだ狂った様に打ち鳴らされていた。
「喧しい。今すぐその音を止めろ!」
「団長、あれを、あれを!」
見張りの兵が要領を得ない事を言いながら、北を指さす。指された方を遠望して、ゲオルクは我が目を疑い、何度も目をこすった。
無数の軍勢がそこにいた。距離は目測で、500m。陽光を反射するむき出しの武器の刃が、あれが味方でも、移動中の軍勢でも無い事を物語っていた。
「全軍戦闘用意!」
叫んだ。再び鉦が打ち鳴らされ始める。ともかく迎撃に出ない事にはやられる。ゲオルクも自室に駆け戻り、大急ぎで鎧を着て剣を引っ掴んだ。
広間に移動する頃には、誰もが事態を把握し、大急ぎで武装を整えていた。しかし広間にいた上級将校は、ハンナとワールブルクだけだった。
「これだけか、他は?」
「皆休暇を取って街に遊びに行っている。図った様に、男共ばかり不在だ」
そう言えば、こんなときに限ってテオもいない。軍勢指揮は最初から期待していないが、緊急事態に参謀が不在と言うのは、ずいぶん心細いものだった。
「兵はどれくらい残っている?」
「幸い、五百人はいる」
それだけ残っているのは、確かに不幸中の幸いと言えるだろう。しかしゲオルクが見張り台から見た軍勢は、一千はいた。
「とにかく迎撃するしかない。ハンナ、ワールブルク。用意ができた兵がそれぞれ二百人に達したら、出撃しろ。残りの兵は、私の手元に置く」
「了解した。ハンナ、まずはお前が連中の鼻っ面を叩いてやれ」
「はい、先生」
二人が準備のできた兵を率いて出撃する。ゲオルクは砦に残り、準備の遅い兵を急かし、臨時編成を作る事を急いだ。
遅い兵百は、彼ら自身に問題があると言うよりも、指揮官が不在のために動きが遅かった。イリヤもデモフェイも、ヴィンベルガーも不在だった。一兵卒だが、ゴットフリートまでいない。
どうにか編成を整えると、兵にはいつでも出撃できる体制を取らせて、見張り台から戦況を観察した。
敵は最初に見た通り一千。横一線に広がって押し寄せてくる。砦の包囲を志向しているのだろう。
敵の中央に、ハンナ率いる赤隊二百が突っ込んだ。横に薄く伸びた敵を、兵力差で圧倒する。
赤隊とぶつかった敵の中央一点だけが、押し込まれて後退する。左右両翼は構わずに前進してきたので、赤隊は敵中にめり込んだ様な格好だ。
左右の敵は中央を助けようと言う動きが無い。連携が取れていないとも言えるし、味方を見殺しにしても構わないと思っているとも言える。
敵の左翼、こちらから見て右側の敵の前に、ワールブルク率いる青隊が立ち塞がった。左側、敵右翼は遮る者も無く、前進を続けている。
赤隊とぶつかっていた敵中央の一隊が、たまらず後退した。赤隊はそれを追わず、右に向きを変えて、青隊が押し止めている敵の側面に狙いを付けた。
そちらの戦況を見届けず、ゲオルクは百名を率いて出撃した。左から迫る敵の一部が、砦に攻撃を掛ける直前だった。打って出て、攻撃を掛けようとする敵を粉砕する。
敵を粉砕したらすぐに反転して、砦の西側に回り込んで攻撃をしようとしていた敵を蹴散らす。こちら側にいる敵は五百だ。死骸に群がってくるアリを追い払うようにしながら、時間を稼ぐしかない。
だが少し耐えればいいはずだ。赤隊が敵の側面を捉えた所までは見た。側面を捉えた上、赤隊の位置は敵よりわずかに高い丘の上だ。ハンナが率いる赤隊が、逆落としで側面攻撃を掛ければ、瞬く間に敵は崩壊する。
ハンナが敵を粉砕すれば、老練なワールブルクが、こちら側の危機に手をこまねいているはずもない。
今は無人の砦に群がってくる敵を、とにかく打ち払い続ける。敵は練度も高くなく、兵装も貧弱だ。だが異様に士気は高い。と言うよりも、はっきりと憎悪を向けられている。
さすがに五倍の敵を打ち払い続ける事は出来ない。敵の一部が、ついに砦への攻撃を始めた。貧弱の兵装に不釣り合いな、攻城用の大型弩砲まで持ち出してきている。
だが砦に取りつこうとする敵に、矢の雨が降り注いだ。青隊が砦に戻り、敵を迎撃している。時間稼ぎはどうにか間に合ったらしい。
赤隊もこちらへやって来て、ゲオルクの目の前で敵の一隊を叩き潰した。
ゲオルクは砦に戻り、見張り台に登って全体の情況を見渡した。砦は西から南に掛けて、回り込んできた敵よって半包囲攻撃を受けている。
しかし青隊が良く守っており、赤隊が敵の背後を取ろうとしている。
赤隊に蹴散らされた右手側の敵だが、どうにか混乱を治めて、再びこちらを攻撃する構えだ。
「ワールブルク殿、砦は任せてくれ。東の敵を頼む」
「いいだろう」
砦を守るのならゲオルク旗下の百でも十分だ。赤隊も砦を攻める敵に背後から攻撃を始めたし、こちらは問題無い。
体勢を立て直した東側の敵の迎撃をワールブルクに任せた。敵は四百はいたが、質と指揮の差を考えれば、十分止められる。
戦況はこちらに有利なように展開しているように思える。しかし、敵はまだ八百以上は確実に兵力を残していた。
こちらは敵に包囲を完成させず、右へ左へと打って出ては敵を大破しているが、その分動きは激しかった。赤隊など、すでに三度も敵に突撃を敢行している。
このまま戦い続ければ、遠からず兵の疲労は限界に達する。できればその前に決着を着けたい。
だが敵は、憎悪をむき出しにしてしつこく食い下がって来て、一向に士気が衰えて引き様子を見せない。
兵が限界に達する様なら、砦に籠城するしかない。しかし、敵に長期戦の備えがある様には見えないが、砦に蓄えた兵糧も十分とは言えない。元々籠城戦を想定した砦ではないのだ。
それに籠城しても、外からの援軍があるかどうか分からない。休暇で外出している兵がいるので、包囲されても事態そのものはすぐに知れ渡るだろう。
しかしそれを受けて、すぐに救援の軍勢を送る事の出来る味方がいるかは、はなはだ心もとない。
外からの援軍の見通しが無いまま籠城をする事は、事態の先延ばしに過ぎず、上策とは言えない。
ならばどうにかして、野戦で敵を撃破するしかない。
東側では、青隊が二百対四百の兵力差にもかかわらず、巧みな用兵で敵を止めている。西側では、赤隊の攻撃に敵が算を乱して崩れ始めた。
この機を逃さずゲオルクも打って出て、敵の一隊を打ち破った。しかし、敵に与えた被害が思ったほどではない。兵の動きが普段よりも悪く、上手い攻めが出来ていない。
兵の動きが悪いと言うよりも、動きが単調なのだ。下級将校クラスの人材が多く不在にしているせいで、小隊レベルでの動きが単調になる。
普段だったら、逃げる敵を動きの鈍る方向へ追い立てるくらいの事はやる。しかし今は、ただ敵を追いかけ回すだけだ。ゲオルクの立場では、細かい兵の動きまでは指示していられない。
それでも、敵の一隊を他の敵から切り離す事に成功した。そこへ赤隊が突撃してくる。部隊の動きで意思を疎通し、すれ違って反対方向に駆けた。
赤隊が孤立した敵を蹂躙する。百程度の敵に対して、赤隊二百の突撃は、理不尽なまでの圧倒的暴力だった。瞬く間に殲滅されて行くのを後ろ目に見る。
ゲオルクの隊は、立て直りかけの敵に一撃を加えた。敵は三百はいたが、統制が取れていなければ物の数ではない。
一撃を加え、すかさず砦に取って返す。これでまた少し、時間を稼いだだろう。
砦で、鉦が打ち鳴らされている。敵の攻撃が砦に及んでいるのだ。
砦に戻ると、ハンナの赤隊も、ワールブルクの青隊も戻っていた。東側から敵が攻撃を仕掛け、それの対応に追われている。
「済まない。これ以上、野戦で支え切るのは難しかった」
ワールブルクが頭を下げる。
「いや。半分の兵で、良くこれだけ時間を稼いでくれた。ワールブルク殿には、いつも難しい任務を任せてばかりいる」
「せめて五分兵を休ませることができれば、一撃くらい食らわせてやるのだが」
人間の疲労は五分で取れると言われている。十分休んでも十五分休んでも、回復の度合いは五分と大差ないと言われている。
次の回復の目安が三十分で、それ以上は長い休みが必要と言う。
「私の方も、済まないが限界だ」
ハンナが苦々しげに言う。この短い間に、自分より多い敵に突撃する事を繰り返していたのだ、無理も無い。
「まだ砦が落とされそうな訳じゃない。そう悲観する事も無い」
そう言ったが、東から敵の攻撃は続き、西側に展開した敵もとうとう立ち直って、攻撃の準備を始めていた。




