害虫の群れ1
ゲオルクは机に突っ伏して唸っていた。
事情を知らぬ者が見たら、何事かと思うだろう。だが事情は、ほとんどの者が容易に想像できた。
正式な発足から一節(十五日)。ゲオルク傭兵団の金欠は、致命的な水準に達していた。元々支給された予算が、傭兵団を運営するには桁一つと言うレベルで足りないのだ。
はっきり言ってこのままでは、兵を食わせる事すら難渋する。もちろん給与も払えないので、このままでは腹を満たすために無差別に略奪を行う、傭兵か盗賊か分からないような集団に堕してしまう。
そういう、下手な盗賊より性質の悪い傭兵団は珍しくはない。だがゲオルクは自分の指揮するこの傭兵団が、そんな存在に成り下がるのは容認できなかった。
とは言え、風雨に晒されずに寝られる場所や、物資の保管場所も、城内の空きスペースを間借りしているような状態だ。
正式に与えられたものではなく、あくまで今は使っていないから好きにしていいと言う処遇だ。使い道ができれば、問答無用で追い出されることになる。
すきっ腹を抱えて彷徨う、飢えた狼の群れのような存在に落ちないためにも、一刻も早く金策をする必要があった。
傭兵団として立ち上げたのだから、傭兵家業をして報酬を受け取ればいい。そういう運営の仕方で上にも許可を取ってある。
だが現実問題として、立ち上げたばかりの傭兵団に依頼が来る訳もなかった。主家であるユウキ公爵家四遺臣は、今は傭兵料を支払うことも出来ない状態だ。仕事を依頼してその報酬を払うくらいなら、最初から予算として与えている。
他にゲオルク傭兵団の名を知っているのは、リントヴルム市くらいのものだ。ゲオルクたちが居座る盗賊を殲滅したので、今は至極平和だと言う。
ゲオルク傭兵団の立場と存在意義からして、敵対する総督府派の勢力から依頼を受ける訳には行かない。しかし、蒼州公派はユウキ合戦の敗北で、壊滅状態にある。
いきなり八方塞の手詰まりだった。ゲオルクも知恵を絞ったが、はっきり言ってこういう事はあまり得意ではない。打開策が見つからぬまま時が過ぎ、今に至る。もはやかつかつだった。
「唸り声が外まで聞こえてますよ、ゲオルク殿」
顔を上げる。テオとハンナが部屋に入ってきた。
「唸ると言うか、呻きたくもなる。金がなくて困るなど、初めての経験だ。どうすればいいかも分からん」
「意外ですね。金に困ったことがないなんて。そんなに金持ちでしたっけ?」
「まだ公爵家があった頃は、必要経費は全て十分に上からもらっていた。何をするにも不足を感じたことはない。私生活は、贅沢をしなければ勝手に金は貯まっていく」
「なるほど。公費は公爵家の金が、好きなだけ使えた訳ですか」
「そういうお前たちだって、ネーター家の子なら、金になど困らないだろう?」
「それがそうでもないんですよ。ハンナは困ったことはないだろうけど、それは金の事なんて気にした事がないからですし」
「兄上。それは私に対して不名誉な誤解を招きかねない」
ハンナがテオを小突く。
「武芸ばかりで、他の事にかまけなかったのは事実だろう」
「テオはそうではないと?」
「これでも嫡男ですから、領地の運営とかいろいろ父上に仕込まれています。いくら名門でも、小領主ですから結構苦しいんですよ」
「ならばぜひ替わって欲しいものだな。慣れているのだろう?」
「慣れているからこそ、ご免被ります。実家の財務だけでたくさんだ」
三人で小さく笑った。
「しかし、本当にどうしたものか」
「それなんですが」
テオが一通の封筒を取り出した。
「仕事が来てます。と言うよりも、取って来たと言うべきですかね」
テオから封書を受け取る。ロウを垂らして固まる前に印を押した封印には、ネーター家の紋が押されていた。
「お前達の実家じゃないか」
「まあ、ね。親父に手紙を書いて、仕事を回してもらったんです。報酬は保証しますよ。ちょっと安いですけど、そこは勘弁してもらえれば」
「今は銀貨一枚だってありがたい。すぐに現地に向かう。と、言いたいところだが」
「何か問題が?」
「ここからリントヴルムまでも大概だったが、ネーターまでは倍以上の遠征になる。それだけの長駈が今の兵にできるだろうか?」
「毎日走らせていますから。なんとかなるでしょう。なんなら、移動自体を一種の調練という事にしましょう」
「よし。七日で現地入りを目標にするぞ。お前たちも、気を引き締めて掛かれよ」
ビーベラハを発ったゲオルク傭兵団は東進し、二日の行軍でケーラー男爵の治めるダハウに至った。
この間、ゲオルク自身も兵卒と共に歩き、自ら手本を示すことに努めた。近頃は傭兵団運営のための事務に忙殺されていたが、鍛え上げた脚力は衰えていない。
ダハウからは一度北上した。その方が道が良いし、このまま東進すると総督府派の有力勢力の一つ、アイヒンガー伯爵家の治めるシュレーヴィヒ郡を掠める。不用意に近づかないに越したことはなかった。
ダハウを離れると、そこから先はもう味方の勢力圏外である。統治者不在となった土地の蚕食を狙う、総督府派諸侯の軍勢と遭遇してもおかしくはない。
流石にゲオルクも兵と一緒に走る訳には行かず、乗馬して周囲の様子に気を配りながら傭兵団を統率しなければならなかった。
三日目のまだ陽が高いうちに、インゴルシュタットまでたどり着くことが出来た。かつてのユウキ公爵家の本拠であり、アンハルト郡の郡都である人口三十万の都市だ。
しかし今は主を失い、どことなく活気を失っている。ユウキ合戦最終局面での戦闘で焼け落ちた建物も多くが放置されており、ユウキ家家臣であるゲオルクには、心の痛む光景だった。
甘苦複雑な思い出を振り切って、再び東進する。ここから先はザール郡。蒼州の中心地域にして、ほぼ全域が蒼州公家の領地だった土地だ。
しかし度重なる戦乱で、ザール郡は目に見えて荒廃していた。蒼州公家の本拠であった郡都ボンも、インゴルシュタットと同等の大都市だったはずが、見る影もなく荒廃していた。
道も荒れて通行に不便で、兵は遅れがちになり始めた。それでも何とか都市を縫い、当初の予定通り七日でプファルツ郡ネーターにたどり着くことが出来た。
現地に着くと、子供たちの帰郷という事もあってか、すぐにネーター卿と面会することが出来た。
「テオドール。ハンナ。お帰り。変わり無いようで何よりだ」
ネーター卿は五十少し前の、一見紳士的な、いかにも地方の小領主と言った男だった。しかし、年相応に衰えているが、かつては相当鍛えた肉体であったことを感じさせる匂いがあった。
「父上こそ、息災で何より」
「まだ年寄と言う歳でもないからな。そして――」
ネーター卿の視線がこちらへ向けられる。
「ゲオルク・フォン・フーバー殿。お話は聞き及んでおります。子供たちが世話になった様で」
「いえ、こちらこそ、本人達の意思とは言え、勝手にご子息たちを巻き込むような形になって、申し訳なく思っています」
「まあ、そういった話は長くなるかもしれないので、先に用件を済ませてしまいましょう」
「そうですな」
ネーター卿からの依頼は、領内に出没している盗賊団の討伐だ。リントヴルムの時と同じだが、今回の賊は三百人規模だという。
「ザール郡から流れて来たようですな。奪う物が無くなって、盗賊の横行は周辺の郡に広まりつつある」
「厄介な問題でしょうな。どの領主も、これだけ急激な治安の悪化に対処できるだけの兵力は、常備していないでしょうし」
「君たちにとっては、働き所が増えるな?」
「盗賊の横行を喜ぶ気にはなれません」
「真っ直ぐな男だな。そして若い」
ネーター卿が目を細める。確かに卿に比べれば二十は若いが、若造扱いされる歳でもないと思う。
「我が家も五百ほどの騎士は抱えているが、大きな街を守るので手一杯だ。三百の賊となれば、あまり少数で当たる訳にもいかん」
「それで、我らに依頼をしたと言う訳ですか」
「まあ、テオドールが手紙で熱心に勧めて来たのでな。報酬は、こんなものでどうだろう?」
ネーター卿がそろばん上に報酬額を弾く。悪くはない。特別損害を出さなければ、当面の各種費用を賄っても、まだ半分以上残る。
「お受けしましょう」
「契約成立ですな」
その場で契約書を作り、仕事の話はこれでまとまった。
「さて、仕事の話が済んでところで、改めてご子息方を巻き込んでいることに、お詫び申し上げます。私としても迷ったのですが、正直ご子息方とワールブルク殿の協力を得られるのは、抗いがたいものがありまして」
「まあ、仕方がありませんな。親としては心配ですが、彼らももう大人なのですから、自分で決めた事に口を挟むことも出来ません」
「そう言っていただけると、少しは気が楽になります」
「それにハンナなどは、領内に賊が出たと聞けば、一人でも飛び出して行きかねませんし」
「当然のことだ」
娘の態度に、ネーター卿は苦笑いを浮かべた。
「こんな性格だから、何度も縁談が壊れるんだよなぁ」
ぼやいたテオの足を、ハンナが思い切り踏んだ。テオが悲鳴をあげる。
「それだよ! そんなんだから男がみんな逃げるんだよ!」
テオが涙目になりながら抗議する。
「女に従順を求めるくせに、兄上の様な情けない男など、断固願い下げだ。私が認めた立派な騎士の下へなら、嫁いでも良い。そうでないなら、私は縁談など願い下げだ!」
「と、娘は申しております。ゲオルク殿はいかがかな?」
「遠慮しておきましょう」
乾いた笑いを漏らして、丁重にお断りした。
「お前だって、シルヴェスター殿との縁談には割と乗り気だったじゃないか」
「それは、その」
ハンナの様子が、明らかに変わった。彼女にも、思いを寄せた男がいたのか。
「シルヴェスター殿と言うのは?」
「シュレジンガー家の跡取りです」
「ああ」
七騎士家最大の家だが、ユウキ合戦の末期に、七騎士家の中で唯一敵方に走った家だ。おそらく、それが原因で縁談が壊れたのだろう。
「湿っぽくなりましたな。今夜は久しぶりに帰ってきた子供たちのために、豪勢な夕食会にします。傭兵団の方々にも、労いとして料理と酒を届けさせましょう」
「それはかたじけない」
「なに。いつ戦場に倒れるか知れぬ身ならば、日々悔いの無い様に、楽しんで生きねば」
そういう考えもあるのか、と思った。ゲオルク自身は日々質素に生きてきて、それを当たり前としか思っていなかった。
しかし、配下の兵たちにはむしろ、毎日を楽しく過ごさせてやるべきなのではないか。命がけで戦う彼らに、楽しみを提供するのも指揮官の勤めかもしれない。
最も、それをするにはまた金がかかりそうだ。
◇
盗賊は略奪を繰り返しながら移動している。居所を掴むには、略奪の後をたどりながら、次に狙われそうな場所を予想していくしかなかった。
だがそれは、行く先々で嫌でも蛮行の痕を見ると言うことだ。
騎士同士が行う戦だって、惨いものになることは変わりない。だが武器の使い方もろくに知らない民を、素人に毛の生えたような腕前の盗賊が殺すのは、もっと惨いものだった。
綺麗に殺せないので、その気がなくてもなぶり殺しの様になる。襲われた村の跡地に残っていた死体で、傷が一つのものは無かった。ほぼ全ての死体が、ズタズタに切り刻まれている。
もちろん欲望のままに荒らし回ったので、殺されるより酷いものもある。女は言うまでもなく、死なない程度に切り刻まれ、長い間のた打ち回った末に死んだと思われる死体もあった。多分、のた打ち回る様を面白がって見ていたのだろう。
言い訳をするつもりはないが、騎士からなる正規軍なら、ここまで酷い事は滅多にしない。勝つにしろ負けるにしろ、指揮統率が生きている限り、戦略目標が優先されるから、ここまで酷い事をする余裕は与えられない。
正規軍が暴走するときは、指揮系統が崩壊したときか。勝者の権利を行使して、意図的に欲望のタガを外させたとき。あるいは敗者が焦土作戦として、街を跡形もなく消そうとするときだ。
「ここもか。何ということを――」
ハンナが蒼白な顔で震えている。だがそれは、恐怖によるものではない。怒りのあまり、顔が赤くなるのを通り越して蒼白になっている。鬼気迫る気迫を放っているのを感じ、思わず身を引いてしまう。
「何百人。いや、何千人殺された。いや、人間は数ではない。一人一人、一つ一つの命は、全て替えの聞かない唯一無二の物だぞ。それを、いとも容易く。賊どもに、今日を生きる資格はない」
「賊も、人間には違いないだろう?」
テオがたしなめるような事を言う。
「誰であれ、どんな理由であれ、人の命を踏みにじって構わぬと言うのなら、自分が死んでみればいい。たとえ皇帝でも、明日をもしれぬ病人でも、一つの命に違いなど無い」
あけすけな物言いをすれば、人殺しを職業としている身にとっては、身につまされる話だった。どんな理由を掲げようと、外道な行いをしていることには変わりない。
「ハンナはああ言ってますが、ゲオルク殿はどう思いますか?」
テオが、ハンナに聞こえないように馬を寄せて尋ねてきた。
「正論で、同意できる。だが現実の行動としては、俺たちも賊と大差ない所にいるだろう。そういうものだ」
「大人の意見ですね。確かに、そういうものだ」
「そういうお前はどう考えているんだ?」
「妹は賊の行為を見て憎み切っています。でも賊は、今の世の混乱が生んだものでしょう。統治者を失って、盗みも殺しも誰も裁いてくれない。なら自分も殺して奪う側に行くのが、身を守る合理的な方法です。特に、弱い者にとってはね」
その通りだ。ちょっとした地主・富豪なら、私兵を抱えて盗賊から身を守ることも出来る。腕が立てば、最低限自分の身くらいは守れる。
どちらも出来ないほとんどの民は、まず強者の庇護を受けようとする。だから今蒼州では、帝国法で禁止された奴隷になることを、自ら志願する者が増えている。
ところが領主の方は、多くの人間を養う様な金が無い。領内が荒れれば、尚の事だ。だから、以前から仕えている使用人すら解雇して、抱える人間を減らそうとしている。奴隷などお断り、と言う情況だ。
奴隷にすらなれなければ、後はもう盗賊になって奪うしかない。それ以外に身を守り、今日の食糧を得る手段がないのだ。
蒼州の全ての民の為に。そういう理想を掲げて兵を挙げた末路が、これか。いや、だからこそ、世を正さなければならない。このままにせず、蒼州公の理想に基づいた世を作らなければならない。
もう一度ハンナの方に目をやった。ワールブルクが傍について、何やら話している。聞こえてくる内容に耳を傾けると、どうやら賊も人間という、テオに言われた事を気にしている様だった。
「大量殺人は嫌いか? だがまあ、これも戦争だよ。お互いに別の陣営に立ち、それぞれが正義を掲げ、疑問があっても命令には従うしかない。特に今の我々は、傭兵なのだからな。依頼されたことを、ただ果たすための道具だ」
「道具、ですか」
「良い戦士か否かは、自分を『ただ人を殺すためだけの装置』にできるかどうかだ。だが人の心も忘れるな。装置にならなければいけないが、あまり人から離れすぎてもならない。忘れるなよ」
「はい。先生」
「あるいは――。いや、今はよそう。団長殿。この先に、団体様がお待ちのようだ」
行く先にある村の辺りから、今まさに何かが燃え盛る、黒い煙が上がっていた。