秘密工場保守3
傭兵団の拠点である砦の一室で、ゲオルクとテオの密談が行われた。
『ここだけの話』程度の事は何度かあったが、部外者極秘として鍵を掛け、盗み聞き対策に見張りまで立てての密談は、傭兵団始まって以来の事だ。
扉の外にはゴットフリートが見張りに立つ。彼ならば信用できると、ゲオルク自身の人選だった。
密談の内用は、この時点ではハンナやワールブルクにも秘密だ。ゲオルクとテオの二人で内容を精査したうえで、どこまで公表するかも決める。
「それで、何か掴めたか? 施設を攻撃したのは、アイヒンガー家に間違いはないが」
「はい。あの施設の所有者、かつ防衛を依頼したのは、エルンスト・オルデンブルクのようです」
「オルデンブルク? 間違いないのか?」
アイヒンガー伯爵家は、ユウキ合戦の折に家督相続で一族が争い、総督府派に就いた側が勝利した。それが今のアイヒンガー伯爵オットマールだ。
オットマールの勝利に大きく寄与したのが、彼の伯父キム・ケルジャコフであり、ケルジャコフの勝利に最も貢献したのが、エルンスト・オルデンブルクだ。
オルデンブルクはこの戦功で、古参を押しのけてケルジャコフ第一の重臣に成り上がった。
「オルデンブルク公から蒼州公家へ、公家からユウキ家を経由して、我らに依頼が回って来た様です。これを確かめるのに、割と危ない橋を渡りましたよ」
「危ない橋ならば、無理に渡らず分かりませんでしたでも良かったろうに」
ゲオルクが笑ったが、テオは真顔で応えた。
「乗りかかった船ですから」
「まあいい。それで、オルデンブルク公がどうしてアイヒンガー家と争う。主人の主人ではないか」
「『臣下の臣下は臣下に非ず』という言葉もあります」
「だとしても、あえて争う理由が分からん」
「そこまでは、現状では何とも」
「いや。理由なら、いくらでも付けられるか」
他人から見れば些細な事が、思わぬ怨恨を生む事もある。
もっと言えば、理由など無くても良い。その必然性が無くても、奪えるものは奪ってしまえばいい。そういう論理が、今の蒼州には蔓延している。
だから問題は、理由や動機よりもむしろ、実現可能性。つまりどれだけの勝算があっての行動なのかという事だ。
恨みが理由なら、勝算など無くても、一人でも道連れに死ねばいいと、暴発する事も考えられる。
そうでないのなら、少なくとも主観的には勝算があって行動を起こしているはずだ。
「オルデンブルク公の勢力は?」
「その名の通り、オルデンブルク城を中心とした一地域を領有しています。動員可能兵力は、三百あるかないかでしょう」
「勝ち目はないな。普通に見れば」
ケルジャコフ家でその約十倍。アイヒンガー家で約二十倍の兵力を動員できる。
「まあ、勝てませんね。普通ならば」
お互いに普通を強調して言う。ユウキ合戦において、アイヒンガー家勢力で最も戦果を上げた戦巧者が、勝算の無い戦を始めるとは考えにくい。
「あの武器工場は、そのための布石か?」
「だとしたら、発見されて攻撃を受けたと言うのが引っ掛かります。いくら防備を固めても、敵の圧力を受けながら生産がはかどるとは思えません。そもそも、原料や完成品の輸送に、大きな問題を抱える事になります」
「そう考えると、結局あの秘密工場は、もう死んでいる事になるな」
動機を考えても、勝算を考えても、オルデンブルク公がアイヒンガー家に反旗を翻す理由が分からない。しかし、アイヒンガー家の軍勢が秘密工場を攻撃したことは事実だ。
そしてその秘密工場の所有者がオルデンブルク公であると言う事を、ゲオルクは疑ってはいない。
テオの掴んできた情報であるし、そこを疑ってしまえば、全ての考えの土台が無くなり、いくらでも疑えてしまう。
戦場における判断と同じで、完全に信用できなくても、どこかで腹をくくって盲目的に信じない事には、どんな判断も下せない。
「もう一度、全体を再確認しよう。それで見えてくるものもあるかもしれない」
アイヒンガー家を取り巻く情況を、基礎から再確認していく。行き詰った時は、基本から始めて全体を認識する事が、結局は近道だ。
ユウキ合戦で総督府派として勝利した今のアイヒンガー家は、似たような立場で、未だ一族の内乱が続くコストナー家と違い、敵対勢力を粛清する事で、強固な専制を確立している。
それ故に内部の争いは今までに聞こえて来ず、ユウキ合戦以来のアイヒンガー家の争いは、外部の勢力とのものばかりだった。
特に、蒼州の主導権を巡って、総督府と争っていた。影響力を強化したい総督府に対して、アイヒンガー家にとって総督府はあくまで旗印。旗は旗らしく担がれていれば良く、諸侯の権益に介入してくる事は望まなかった。
それ故に総督府とアイヒンガー家は、たびたび小競り合いを起こしたり、熾烈なスパイ合戦を繰り広げていたらしい。表に出ない争いは、数え切れず在ったのだろう。
蒼州公派が巻き返しを図って活動を活発化させると、総督府もアイヒンガー家も、共通の敵である蒼州公派への対処を優先して、表面上はあまり争わなくなった。
この辺りの展開は、ゲオルク自身も何度か敵としてアイヒンガー家と戦ったことから、その身でよく知っている。
蒼州公家遺臣らの工作と、終わりの見えない戦費の負担に音を上げた総督府の思惑によって蒼州公家が再興された。
しかし、両派の争いは収束するどころか、さらに激化の一途をたどった。そうした中で、公家によって総督が殺害されるという事件が起きたのが、まだ記憶に新しい半年前の夏の事だ。
「やはりこうしてみると、アイヒンガー家に隙はない様に見えるな」
「総督府の様に下手な欲を出さず、代々努めてきた太守職で満足している所があります。要は、常に守りを意識している訳です」
「攻めに出るのも、守るために先制して攻撃を予防すると言う訳か」
「守りを意識していれば、隙が無いのも当然でしょう」
ならばやはり反旗を翻す理由も、勝てる見込みも無いという事になってしまう。
「テオ、お前だったらどうやってアイヒンガー家を潰す?」
「それができるならば、とっくに実行を進言していますよ」
「ふうん」
できるならば。そうテオは言った。
「方法が無いとは言わないのだな」
「非現実的な方法ならば」
「アイヒンガー伯の頭上に、星でも落とすのかな」
「まあ、当たらずとも遠からずですね」
テオが苦笑する。
「強固な専制を敷いているという事は、頭を失う事に弱いという事す。敵対的な一族を粛清したせいで、今のアイヒンガー家には伯爵の他にこれと言った人物はいませんから」
「ケルジャコフは?」
「一族ではありますが、アイヒンガー家ではありません。反発は免れないでしょう。あるいは、まずケルジャコフを、という手もあります。
アイヒンガー伯の専制体制は、伯父であるケルジャコフのそれを模したものがベースですから。弱点も共通しています」
「だがどちらにしろ、並み居る家臣団と軍勢を掻い潜り、伯爵一人の命を狙わなければならない訳だ。確かに非現実的だな」
ゲオルクが笑う。
「総督の例が無ければ、無価値な妄想で済ませられたのですがね」
笑い顔のままゲオルクの表情が固まる。
「まさか――」
「いえ、ありえないでしょう。アイヒンガー伯がのこのこ殺されそうな場所に行くとは思えません。すでに人生で何度も虎口を脱した方ですから」
「そうか。そうだな」
「あとは、数千人の目を掻い潜れる暗殺者でもいれば別ですが」
ゲオルクは引きつった笑みを浮かべた。
笑い話に過ぎない。しかし、絶対に無いとは言い切れないあたりが、振り払えない漠然とした影を落としていた。
「そもそも、なぜ公家はオルデンブルク公を支援した?」
支援したという事は、二つの事の証明になる。
一つは、この企てが実現可能性の高いものである事。少なくとも、公家にそう信じさせるだけの材料が無ければ、公家は動かなかったはずだ。
もう一つは、公家にとっても利益のある事。これはまあ、勢力は小さくとも、戦巧者で鳴らしたオルデンブルク公が寝返って来るのなら、諸手を挙げて歓迎したいところだろう。
だからここで重要なのは前者だ。客観的に見ても実現可能性の高い計画が存在し、蒼州公家上層部はそれを知っている。
どの段階まで情報が下りてきているかは分からない。公家の体質が昔と変わっていないのなら、全容はごく一部の者しか知らないのだろう。
公家を嵌める罠と言う可能性は、ここでは除外した。それを考えればきりがないし、秘密工場で戦った感触からは、双方とも本気で潰し合っていると感じた。
無論、絶対という事は無い。現場は何も知らされていない事は、大いにありうる。しかし、そこまで手の込んだ事をして蒼州公家を罠に嵌める理由は、アイヒンガー家には無いはずだ。
「公家があっさりオルデンブルク公を信用したのも腑に落ちない。いや、あっさりではないのかもしれないが」
「もっとずっと前から、なにかしらの交渉があった可能性は否定できませんね」
「何をこねくり回しても同じだ。結局、具体的で明確な情報は掴めなかった。そうだろう?」
「そう言われてしまうと、身につまされるものがあります」
「気にするな。この件は、どうやら相当深い」
「あまり深入りしない方が良いとお考えで?」
「そうだ。あまり面白くはないがな。しかし、望む望まぬに関わらず、深い所まで引きずり込まれてしまうかもしれない。いや、すでに足首まで沈んでいる気がする」
「ゲオルク殿の思い過ごしであって欲しいと思いますよ」
これ以上の面倒事は御免だと言わんばかりに、投げやりな調子でテオは言った。だがそう言いながらも、万が一の最悪に備えて行動するのが、テオという男だ。
「ところでこの件は、どの程度開示しますか?」
「開示できる情報など無かろう。想像と推測の積み重ねでしかないではないか」
「まあ、推論の積み重ねである事は否定できませんな。全くの的外れかと言われると、そんな事は無いと私は考えますが」
「確証の無い情報を無闇に広めても、混乱を招くだけだ。それにどのみち、例え全く的外れな想像だったとしても、この件に関わる事を公家が黙認するとは思えん。この件に関しては口を噤み、一切他言無用だ。命が惜しければな」
「怖や怖や。では、ハンナやワールブルク殿にも、極秘という事で」
「兵たちにも、秘密工場の件はしゃべらせるな。敵よりも、味方に漏れる方が恐ろしいぞ」
「難しい注文をいたしますな」
今まで兵の口から過去に参加した戦に関して、重要な情報が漏れたという事は無い。しかし、兵の雑談までは止められない。何かの拍子に、聞かれたくない者の耳に届かないとも限らない。
「極秘の計画が動き出しているのなら、あまり間を置かずに表沙汰になるはずだ。時を掛ければ掛けるだけ、秘密は露見し易いものだからな」
「分かりました。半年、全力を挙げて秘密を守り抜かせます」
ゲオルクが深く頷く。
「半年あれば、事がどう転ぼうとも十分だろう。きつい仕事になるだろうが、頼む」
「毒を食らわば皿まで舐めましょう。しくじった時は、まあ心中という事で」
「お前と心中したくはないな。だから、任せる」
言って、ゲオルクはにやりと笑った。テオも、同じ笑みでそれに返した。




