取水施設再確保1
夏の終わりに総督殺害と言う重大事件が起こった割に、秋が深まるまで大きな戦は無かった。
大きな戦には、それだけの準備が必要になる。特に総督府派は、統一された指揮系統を失っているのだ。軽々に戦に踏み切れないのだろう。
しかしそれは、大きな戦は無かったと言うだけで、小競り合い規模の戦や、戦以外の事件には事欠かなかった。
蒼州公家は本拠をかつてのユウキ公爵家の本拠であった、アンハルト郡インゴルシュタットに移し、周辺拠点の軍事要塞化を進めて、臨戦態勢を整えた。
ユウキ家上層部は蒼州公家の本拠移転を機に、自分たちもインゴルシュタットに戻り、公家と一つ屋根を共にした。
公家とユウキ家残党が一体になって新体制を支えると言う名目だが、いつ海賊に襲われるか分からない拠点から逃げたかったと言うのも、隠れた本音ではないかと思う。
事実上のユウキ家との合併により、文武共に人を得た蒼州公家は、ついに蒼州独立政権の樹立を宣言。ユウキ家は言うに及ばず、七騎士家もこれを承認して、新政権に参加する事を表明した。
それに対する総督府は、と言うよりも、もはや帝都の政府の対応は、蒼州公家及び公家主導の新政権に参加する諸侯の朝敵認定だった。
蒼州公家とそれに組みする者は、今後一切交渉の余地のない、国家の敵と認定されたのだ。
正直、遅すぎると言う感がある。蒼州公派の諸侯は、とうに朝敵認定はもはや免れないものと、覚悟を決めている者がほとんどだ。いまさら朝敵になったところで、動揺はほとんど無いだろう。
むしろ決定的な対立を避けようとした、政府の弱腰と捉える者もいるのではないか。
弱腰かどうかは別として、政府ができるだけ戦火を交えずに事を収めたいと思っていた事は、確かだろう。
だがこれからはそうではない。政府が本気を出せばどの程度の力を持つか。それをこちらは、本当に理解しているのか。
政府の本気と言っても、当面は現地諸侯の戦力に頼らざるを得ない。あまり大きな戦が無いのは、それも原因だ。
いくら政府の要請があっても、好き好んで自分の血を流したがる諸侯はいない。政府にとって、強大過ぎる諸侯の存在は望ましくない以上、流した血が報われるとも限らないのだ。
一方蒼州公派は、自分が倒れてもそれは、志を同じくする者たちの役に立つ。流した血が必ず報われると、信じる事ができる。
狂信的な要素がある事は否定できないが、保身よりも大事なものに、自分の死が寄与すると信じられる事は、大きな強みになる。命を賭けて、戦おうと思えるという事だ。
その意味において、蒼州公家の独立宣言は必要な事だったと言えるだろう。目指すところ、戦う理由を、明確に提示したのだ。
ただ新たな本拠。いや、首都を定め、その周囲を固めていく戦略は、個人的にはだが首を傾げざるを得ないと思った。
首都があって、その周囲を固めていくと言うのは、国としては当然の形だろう。
しかし、戦いはこれから始まるのだ。戦う前から首都を定め、そこに機能を集中させる事は、自ら弱点を作り、それを晒す事になりはしないか。
艦隊創設の時もそうだったが、正しい事は正しいのだが、どうにも観念が先行していて、現実の問題が置き去りにされている気がする。
最もその観念が、目指すべき場所を示し、進むべき道標になっているのだから、必要なものである事は確かなのだろう。
なおその艦隊だが、いきなりハーフェンのはぐれ海軍の餌食にされた後も、執拗に攻撃に晒され続け、早くも壊滅状態にある。理屈倒れを地で行った、と陰口を言う者もいる。
ゲオルクはその件に関しては、考えない様にした。事実上合併したと言っても、ユウキ家傘下の非公式部隊長であるゲオルクが、蒼州公家の方針に口を挟む事は出来ない。
組織の系統も違えば、格も違う。到底、意見などできるものではないのだ。
どうにもならない事を気にしても仕方がない。その事は考えず、しかし把握した上で、できる事だけ考えていれば良い。
今できる事と言えば、ひたすら調練に励む事だけだ。
練兵場などという気の利いた物は無いが、傭兵団の砦の周囲は、広大な平地が広がっている。砦の周囲は、多少なりとも起伏もある。調練する場所には事欠かない。
赤隊がハンナの指揮の下、調練に励んでいる。このところずっと、対騎馬の調練だ。
傭兵団には騎兵がほとんどいないので、正規軍との合同訓練で対騎馬戦の研究をしている。今日は都合の付く部隊がいなかったので、赤隊だけで動きの確認をしている。
赤隊およそ三百人のうち、四十人ほどの弓兵がまず前に出る。イリヤを小隊長にした、弓の名手を集めた部隊だ。
弓兵が突撃してくる騎兵にまず斉射を浴びせる。これで敵を撃退できれば良し。そうでなくても、突撃の勢いを幾分かは殺す事ができる。どちらにせよ、斉射したら弓兵は素早く後方へ下がる。
斉射を浴びても構わず敵が突撃してきたら、いつの間にかパイクと呼ばれていた長槍を構えた、密集隊形が受け止める。
まだ大規模な戦で効果を確かめた事はないが、調練では三百の部隊で百騎の突撃を阻止することに成功している。
歩兵三人で騎兵一人に匹敵すると考えれば、驚異的な防御力だ。従来の常識では、騎兵一人の戦力は、歩兵六人に匹敵するとされる。突撃力だけでなく、側背を突く機動力も込みで、そう評価されている。
騎兵の機動力だけは、いまだに解決できない脅威だ。歩兵三人で騎兵一人を止められると言っても、それは正面からぶつかればだ。密集隊形は方向転換に時間が掛かる分、背後を突かれれば弱い。
ただそれも、解決のめどが立たない訳ではない。部隊の規模が大きくなれば、それだけ側背を取られにくくなる。
そして騎士では無い傭兵で、しかも装備にも金が掛からないことから、数を揃える事は、騎士に比べてずっと容易だ。
「ハンナ、兵の仕上がりはどうだ?」
「まあ、及第点は出せるのではないか。しかし」
「しかし?」
「足が遅いのだけはどうにもならん。もっと積極的に攻め立てたい」
「仕方がないだろう。密集隊形を崩せば、騎兵には勝てんのだから。機動力にさえ目をつぶれば、決して防御だけでもないだろう?」
「まあ、槍の射程と運用、それに密集している事の利で、正規軍の二倍。いや、一・七、八倍の兵力があれば互角に戦えるだろう」
ハンナはどこか不満そうだ。彼女としては、騎兵の機動戦で攻め立てる方が、むしろ性に合っているのだろう。
「まあ、あらゆる意味で金を掛けない軍で、これだけの戦力が出せると言うのは、なかなか考えさせるところではある」
「そうだな。私も装備に金を掛けて良い物を揃えた方が、当然強いと思っていた。しかし、それができない身になってみて、金を掛けずとも強い部隊を作り上げる事は可能なのだと知った。まだ危うい所はあるが」
費用が掛からない事。容易に補充が利く事。この二つの事が、軍隊において大きな価値を持つのだと言う事を、貧しくなってみて知った。
「イリヤ、弓隊の方は、何か問題はないか?」
「はい(ヤー)。何も問題はありません」
「ハンナは無茶な事を言ってきたりしていないか?」
「滅相も無い。一人一人まで良く目を配る、良い上官です」
「それは良かった」
ハンナの性格では、自分を基準にして部下に能力を超えた要求をするのではないかと思っていたが、要らぬ心配だったようだ。
「お前も、ずいぶんと軍隊慣れしたものだな。傭兵団に入るまで、軍にいた経験はないのだろう?」
「軍隊の経験はありませんでしたが、猟師でしたので」
「どういう事だ?」
「猟師が集団で狩りをするときは、頭の命令は絶対です。余計な事は話さない。禁止されている事はしないなど、厳しい掟もあります。まあ、軍隊と似た様なもの、という事です」
「それで、軍に入ってからもすぐに馴染めたと」
「そうなのだろうと思います。居心地が悪いと感じた事は、ありません」
まあ、喜ぶべき事なのだろう。イリヤの弓は間違いなく名人芸で、その教えを受けた弓兵も、今や大きな戦力だ。それが不満なく馴染んでいると言うのは、悪い事ではあるまい。
「戦はどうだ。突撃してくる騎兵の前に立つと言うのは、恐怖が大きいのではないか?」
「猛り狂った猪や熊が突っ込んでくるようなものです。危険ではありますが、冷静に対処すれば、なんという事もありません」
「その冷静に対処すると言うのが、難しいのだと思うがな」
「まあそこは、経験と度胸しかないでしょう。私などは慣れたものですが」
「お前の下の兵たちは、恐怖に竦んだりはしていないか?」
「竦めば死ぬだけですから、叩きのめしてでも体が動く様にします。若い猟師も、まずそうして体に死なない術を叩き込むものです」
「お前もそうして、体に叩き込まれたのかな」
「親父には、いっそ殺せと思うほどぶん殴られましたね」
イリヤが笑う。ゲオルクもつられて笑った。
「良く休んでおけよ」
「ええ、山の鉄則です」
調練の後片付けをする赤隊より一足早く、ゲオルクは砦に戻った。
砦では青隊の兵たちが休養を取っている。特に不満も無く、伸び伸びとしているという事は、彼らの表情を見れば分かった。
「おや、ワールブルク殿」
「団長か」
「珍しいですな。休みのときのワールブルク殿に会うとは」
と言うよりも、初めてではないか。戦の時と調練の時以外では、ワールブルクと顔を合わせた覚えがない。謎の多い私生活だ。最も、個人の私生活に興味を持った事は無い。
そもそもワールブルクに関しては、ネーター兄弟の武芸の師である事。歴戦の傭兵であること以外は、ほとんど知らない。見た目から歳は、おそらく四十代だろう。体力の問題もあるから、いくら若く見えたとしても、五十代ではないはずだ。
ただ、武芸の腕は相当のものであるはずだ。ハンナの腕前から、間接的にそれが分かる。
「ワールブルク殿。一度、私と手合せ願えないだろうか?」
戦場で個人の武勇を振るっての活躍を見た事もあるが、改めてその実力を確かめてみたいと思った。
ワールブルクは、しばらくの間ゲオルクの事を見つめてみたが、やがて静かに首を横に振った。
「やめておこう。勝敗は見えている」
「どの様に見えているのですか?」
「もちろん、私の負けだ」
「大層な実力だと思いますが? ハンナの師でもある事ですし」
「まあ、戦場ならばな。しかしここで剣を構えておいて、いきなり背負った弩で撃ち抜く訳にもいくまい。そういう事だ」
「ワールブルク殿が強いのは、あくまで戦場と言う場においてだと?」
「ハンナにも基本を叩き込み。後はひたすら剣を交えただけだ。真っ当に剣技だけを競えば、私など高が知れている」
額面通りに受け取る訳にはいかないだろう。ワールブルクの武芸が一流の域に達していることは、見る者が見れば普段の挙措から察する事ができる。
しかし、ここは真に受けた事にしておくべきところだろう。
「そうですな。私ももう六百人を率いる身ですし、個人の武勇を誇るような真似は、自重しておきましょう。ワールブルク殿にも、兵の指揮の方を期待する事にします。それなら歳も関係無い」
「……ほう、言ってくれるな。覚えておけよ、貴様」
失言だった。そう悟ったが、もはやすべては手遅れだ。昌国君の鴉軍に蹂躙されたときの次くらいに、血の気が引く。
「事務仕事があるのでした。失礼する」
いかにも取って付けた様な言い訳をして、早々にその場を逃げ出すしかなかった。
ワールブルクから逃げ出すと、広間でテーブルを囲んでいる一団がいた。
人数が集まっている割には騒ぐでもなく、何をしているのかと思ってみてみれば、書物を広げて学問をしていた。中央で教えているのは、ゴットフリートだ。
「精が出るな」
「あっ、これはゲオルク様」
ゴットフリートは赤隊の所属だから、つい先程まで調練に励んでいたはずだ。あれからまだ大して時間も経っていないのに、今度は学問に励んでいるとは、見上げた勤勉さだ。
「お前が教えているのか?」
「まあ、教え合いです。読み書き計算くらいはできる様になりたい、と言う者も多いですから」
兵が読み書きができる様になるのは、正直ありがたい。できて当然という騎士団に慣れていたので、読み書きができない者にどう命令を伝達するかは、頭の痛い問題だったのだ。
今はもう、読み書きができない兵にも正確に情報を伝える方法を確立しているが、できるに越した事はない。
「その様子だと、お前自身の勉学も続けている様だな」
「分かりますか?」
「人に教えられる者が、自分自身の勉学を疎かにしているはずはあるまい」
元々騎士として修行に励む者は、それなりに高等な学問の修養も積むものだ。だがやはり、体を動かす方が良いという者は多い。
騎士見習いとは言え、十代の少年たちだ。十代の少年ならば、自分が強くなる事を実感できる武芸の方に熱中するのは、当然と言えるだろう。
ゴットフリートは珍しく、学問にも武芸と同じくらいの熱を入れていた。そして文武どちらもものにした。
努力していると言うより、どちらも好きなのだろう。なんであれ、研鑽を積む事自体が楽しくて仕方がない。昨日の自分を越えていくのが楽しいという者は、たまにいる。ゴットフリートは、そういう人種に生まれついた様だ。
「ゴットフリート。お前は来年で二十歳だったな」
「そうですが」
本来ならば、そこでようやく正式に騎士として叙勲され、見学ではなく戦場に立つ事を許されていたはずだ。
それが、フリードリヒ大公の反乱に義勇兵として参加して初陣を飾り、すでに戦歴は丸四年になろうとしている。
「年が明けたら、お前を将校に上げてやろう」
「本当ですか!」
いくら才能と実力があっても、あまり若い者を戦場に出すのは本人の為にもならないと思っていた。現実はどうあれだ。
しかし、もう二十歳になる以上、ゴットフリートの才覚を無駄遣いするのは惜しい。
「上に申請して、どこかの騎士団に配属しても良い」
「いえ。ゲオルク様の傭兵団に置いてください」
「お前がそう希望するのなら構わないが、いくら手柄を上げても、所詮非正規部隊だ。将来の出世は見込めないぞ」
「そんなもの、ただゲオルク様の配下でいられるのなら、それでいいのです。選べるものなら、上司は選びたい」
そう言って、ゴットフリートがにやりと笑う。
「感心しない考え方だな。上役がどんな者であろうと、己の職務と責任を果たすべきだ」
口ではそう言ったが、口元は緩んでいた。言外に会話できる程度には、短い付き合いでもない。
「心得ていますよ。ただ自分に、責任を果たす実力が無い事を恐れるだけです」
「良く言う」
それくらいはできて当然。そういう実力に裏打ちされた自信を、はっきりとみなぎらせている。
「自信があるのは良い事だ。だがそれを、表に出す様では嫌味だぞ」
そう言ったが、いくらかは自信をのぞかせている方が、若者らしい。なにより、ゴットフリートらしいというものだろう。




