開発地区救援3
蒼州公家が総督府の提案した和平交渉を受け入れた事には裏の思惑がある。
それは誰もが知る、公然の秘密であるはずだった。だからどの諸侯も軍備を整える事に余念なく、虎視眈々と敵の隙を窺っていた。
そしてその一方で、和平交渉の真意を探っていた。しかし結局、結果が目前に現れるまで、誰一人として蒼州公家の真意を見抜けなかった事になる。
和平交渉の席で、総督以下和平交渉のための使節団は、蒼州公家の手によって殺害されたのだった。蒼州公家はそれを、隠蔽も弁解もせず、堂々とやってのけた。
蒼州に。いや、帝国全土に激震が走った。属州総督は政府の閣僚級に次ぐ重職である。それを殺害したという事は、帝国に宣戦布告をしたに等しい。
蒼州公家の意識としては、帝国と帝室に対して挑戦するなど、今更の事だったのだろう。想像も理解も、容易にできる事だ。
しかしそれを、こうも公然と行動に起こすと言うのは、また別の事だ。
「大変な事になったな、テオ」
「ええ。まさかここまでやるとは」
「浅はかだと思うか?」
「難しい所ですね。総督を殺害したのは、総督府のみならず、総督府派諸侯全てにとって痛手になるでしょう。形ばかりとはいえ、指導者を失ったのですから」
「元々一枚岩とは言い難い総督府派だ、派閥として維持できないかもしれないな」
「我らの側の立場から見れば、蒼州公派諸侯に覚悟を求めたと言えます」
「これに怖気づいて降りるくらいなら、降りろと言う訳か」
「どうせ総督府派と戦い続けるのなら、いずれ総督は討ち取るべき相手ですから、手間が省けたとも言えます」
「だがこれで総督府派、と言うよりも、もう相手は帝国と帝室か。奴らを本気にしたぞ。もう交渉も出来ん。どちらかが根絶やしになるまで、戦は止まん」
少なくとも帝都の政府は、その威信を掛けて蒼州公派を最後の一人まで殺し尽くさねばならぬと覚悟するだろう。
帝国中の諸侯が動員されるだろう。もちろんその中には、昌国君・朱耶克譲も含まれる。含まれるどころか、ユウキ合戦当時の様に、最高司令官に任じられる可能性が高い。
だがそれも、いずれ通らなければならない道だと言う事もできる。
「間違っている、とは言い難いな。正しいと言えば、確かに蒼州公家のやり方は正しい」
しかしそこに、一抹の不安と危惧を覚えずにはいられない。具体的に何とは言えないが、何か陥穽を見落としている様な気がしてならない。
「今からでもこの戦から降りて、新しい人生を探すと言う手も、ゲオルク殿や団の皆にはあるのですが」
「馬鹿を言え。私がそんな選択ができると思うのか?」
「まあ、無理でしょうな」
テオが笑う。
「それに、仮に私がこの戦いから降りたとして、お前やハンナはどうする。七騎士家ネーター家の嫡男と娘が、この戦いから降りられるのか?」
「無理ですね。どう判断しても、今更この戦から離れる方法はありません」
「そうだろう。そんなお前らだけ残して、私一人平穏な生活を選べるものか。そんなものに、平穏など無い」
叱りつけるような口調で、ゲオルクは強く言った。テオがもう一度笑う。
「そんなだから、私はあなたが好きなのですよ。ゲオルク殿」
ゲオルクが鼻を鳴らす。
「ところで、ユウキ家はどんな具合ですか?」
「慌てふためいているよ。公家に振り回されるのが、ユウキ家の伝統みたいになっているな。そういう七騎士家は?」
「似た様なものですね。艦隊創設の資金提供をしていた分、ある程度は予想していましたが」
「総督府は、事実上滅亡だろうな。先に軍が暴走して敗れ、上級将校の責任を追及せざるを得なかった。そして今度は総督となれば」
「おかげでシュジンガー家が虫の息なのは、私の立場から言わせてもらえれば、ありがたいですけどね。こちらに引き戻すのも、そう遠くないでしょう。やはり騎士家は、七家揃ってこそ真価を発揮する」
「そしてハンナが嫁に行けば、お前としては一安心。うるさいのもいなくなって、万々歳か?」
テオは答える代わりに、僅かに目をそらした。
「なんだ。なんだかんだ言って、妹が嫁に行くのはやはり寂しいか?」
「そんな事は。あのじゃじゃ馬が、夫と喧嘩した挙句に怪我でもさせて帰ってこないか心配なだけです」
「こんな事を言っているぞ、ハンナ」
テオが飛び上がらんばかりに驚き、振り向く。誰もいない。
「冗談だ」
テオがしばらく抗議の言葉を探していた様だが、結局諦めた様だ。
「まあ、我ら蒼州公派は、結局は一丸となって戦うだろう。他に良い手があるとも思えん」
「総督府派がどう動くか、ですね。総督府が潰れたのに、総督府派と言うのも妙なものですが」
「まあ、政府の出先機関としての総督府は、いずれ再建されるだろうし、いいんじゃないか」
「その間の、総督府派諸侯の動向が問題ですね」
「コストナー伯爵家は、今も身内の争いを続けていて動けない。となると、アイヒンガー伯爵家かティリッヒ侯爵家が盟主を気取るか?」
「どうでしょう。アイヒンガー家は利益がなければ、盟主など引き受けそうにありません。ティリッヒ家はこれまでのやり方を見るに、黒幕に徹する方が得意です。最も、虚栄心も強いように思えますが」
「盟主にふさわしい信望を持つ家はいないな。まあ、元々そんな集まりで、総督府を名目上の盟主として、緩い結合を保っていた様なものだが」
だがだからこそ、政府が盟主として申し分ない存在を選び、送り込んでくる事が考えられる。そして、その様な存在となると、やはり同じ答えが出てくる。
「何を考えても、昌国君という名前に行き着くな」
「それだけ、その名声が大きいという事です。もちろん、実力も」
「昌国君を打ち破る方法があるのだろうか。蒼州公家は、昌国君と戦って勝つ見込みがあって、総督殺害と言う挙に出たのだろうか?」
「考えても、仕方のない事です」
「そうだな。今更遅いか」
「それに、昌国君とて人の子です。負ける事も、勝つ方法も必ずあります」
「実に心強い気休めだ」
気休めでも、そう考えると気持ちが楽になることだけは確かだった。
◇
総督殺害に伴う混乱も、少なくともユウキ家ではほぼ収まった頃。総督殺害に比べれば小さいが、特に蒼州公派にとっては痛恨の事件が起こった。
進水したばかりの艦隊が、奇襲を受けて大打撃を受けたと言うのだ。
「蒼州公家は、泡を食っている様ですよ。ゲオルク殿」
「当然だろう。金をかき集めて創設した、虎の子の艦隊がいきなり沈んではな。しかし、どこの軍勢の仕業だ?」
「ハーフェン海軍のようです」
「ハーフェン? 海の傭兵と名高い、自治都市の?」
「はい。そのハーフェンです」
「では自治都市ハーフェンは、総督府派に就いたのか」
「それが、そうとは言えない事情があるようで」
事の発端は、ハーフェンの統治体制にある。自治都市ハーフェンは、有力な四家が政権を握っている。
しかしこの四家が、互いに仲が悪い上に、実力が互いに拮抗している。そのため常に派閥争いを繰り返し、政変が絶えない。
蒼州公家の艦隊を撃破した艦隊は、ハーフェンの政権与党であった家の影響力が強かった。私兵に近いと言って良い。
その艦隊が、アイヒンガー家に雇われて遠征に出ていた。内乱が続くコストナー家の蒼州公派が、海上に拠点を築いて海賊行為を始めたので、それを掃討するためだった。
コストナー家の俄か海賊はあっさり掃討されたが、その間にハーフェンでは政変が起こり、敵対派閥が政権を握った。そのため艦隊は、帰れなくなってしまったと言う。
途方に暮れた艦隊は、定まった拠点を持たない独立勢力として、総督府派として参戦した。
新たにハーフェンの政権を握った家が、蒼州公派寄りであったため、その敵に就いて支援してもらおうと言う魂胆らしい。
蒼州公家艦隊襲撃は、その手土産と言う訳だ。海上においてハーフェン海軍の実力は、桁違いだ。創設したばかりの艦隊では、相手にならなかったのだろう。
「気を見るに敏で強かなハーフェンの商人たちだ。総督府派が窮地に陥っている今は、自分たちを高く売りつける好機を見たのかな」
「一発当てる投機的な事業が好きなお国柄ですし、そうかもしれませんね」
蒼州公家艦隊は、不幸としか言いようがない。ハーフェンの船乗り兼商人は、一発屋で一匹狼で投機的で、商人か海賊か分からないような、扱いづらい連中と名高い。
その中でも帰る場所失ったはぐれ艦隊の、最初の獲物にされようとは、予想しろと言う方が酷だろう。
とは言え、これが戦局に重大な影響を与えるかと言えば、そうでもないだろう。こちらもハーフェンの、今の政権に近い艦隊を雇って対処すればいい。
今の政権はこちら寄りと言うから、金さえ積めば問題無く雇えるだろう。最も、海軍は必要経費が桁違いに多いという事を考慮しても、相当高額の傭兵料を請求されるであろうが。
今回のような事件が有り得るから、海軍力を傭兵に頼り切りたくない。そういう思惑もあっての艦隊創設だったのだろうが、結局金の無駄遣いに終わり、その金で最初からハーフェン海軍を雇っておけばよかった。
この事件の落ちは、そういう事だろう。
「しかし、ついに戦場は海の上にまで広がったか。これでまた、民が苦しむだろうな」
海賊というものは、海の上でだけ暴れるものではない。沿岸の村に上陸して襲う他、川を遡って内陸の村まで襲う事がある。
特に蒼州は大河が多い。海賊の被害を受ける恐れがある地域は、かなり広範に及ぶだろう。
海賊と言っても、敵対勢力に対する立派な攻撃だ。一部の傭兵も陸でやっていることを、海でもやると言うだけに過ぎない。
しかし、船が無ければ追撃も討伐も出来ず、しかも海上では無類の強さを誇るので、陸の傭兵よりも厄介な存在かもしれない。
「それに気付けば、ユウキ家のお偉方が青ざめるのではないですか」
「言われて見れば、それもそうだな」
今のユウキ家の重要拠点は、ほぼ全てがラール川流域にある。十分船で遡上できる位置だ。いつ海賊が襲来しても、おかしくない。
それに気付いたところで、それはゲオルクの力の及ぶ所ではない。
「知らぬが仏という事もありますから、いっそ黙っていては?」
「そういう訳にもいかないだろう。襲撃があるかもしれないのを、警告くらいはしておかねば」
「またどうにもならない面倒な事を、いろいろ言われますよ。余計な気苦労を抱え込みに行く様なものです」
「そんなもの、今更の事だ」
気苦労だけで済むなら、いくらでも抱え込めばいい。現実の苦労を背負い込む羽目になるとしても、迫る危機を警告するのは、臣下としての義務だ。知らぬふりをする不忠など、できる訳がない。
ゲオルクの警告で、自分たちが危険な場所にいると気付いたユウキ家の上層部は顔色を変えたが、結局ゲオルク自身が何か役目を負う事はなかった。
ハーフェンのはぐれ海軍の他にも、各地で小さな動揺や事件は絶えず起きている。
例えば北のバーデン郡では、伯父・甥の相続争いに端を発したイエーガー男爵家の内乱に一応の決着が就き、先代当主の子・ジギスムントがようやくイエーガー男爵家を正式に継いだ。
本来ならば総督府から公認を受けるのだが、その総督が殺されてしまったので、正確にはイエーガー男爵家当主と自称しているにすぎない。
しかし、一族や家臣の承認は得ている様だし、総督府が健在であれば、問題無く承認されていただろう。
イエーガー男爵家は、バーデン郡の二割に満たない土地を領有しているに過ぎないが、消極的な総督府派で、変州との州境に位置している。
州境が安定したという事は、変州からの介入も容易になると言うことだ。最も、イエーガー家中には、まだ反ジギスムント派の一族や家臣もいるらしい。今は矛を収めていると言うだけだ。
それでも北の二郡は、総督府派の地盤として強固だ。これを崩すのは、ちょっと骨が折れるだろう。
それに北二郡は、精強な騎馬を輩出する土地だ。昌国君の鴉軍よりはましだろうが、精強な騎馬隊は大きな脅威であることは間違いない。
前々から繰り返し対策するべき問題だと思っていたが、いよいよ対騎馬戦術の確立は焦眉の急であるようだ。当面は、それだけを考えて調練を組もうと思う。
傭兵団は、大きな情況を動かせるような存在ではない。元より情勢を左右できるなどと思いあがってはいないが、やはり一つの戦場で戦況を左右するのがやっとの存在でしかないのだ。
雨が降る様に降りかかる情勢の変化に対しては、為す術なく受け入れるしかない。
だがだからこそ、この先何が起きても対処できるような組織にしたい。だが全天候型万能兵科など、それこそ騎士の本領だ。傭兵団には荷が重い。
ただ一つ、一芸を武器に戦場を渡り歩くしかない。槍一本、剣一振りの武芸を頼りに、渡り歩く様なものだ。
剣に生き、剣が折れれば共に死ぬ。そんな生き方だが、悪くはない。
傭兵であっても、誇りと言う名の銘が刻まれた剣があれば、悔いなく生きられる気がする。




