輸送部隊要撃2
ハイルブロン大橋の北岸に展開した。斥候の報告では、アイヒンガー軍輸送隊がこちらに向かっていることは、確かな情報だ。
一帯は早朝から濃霧が立ち込めていた。夏場は朝靄程度は毎日の事で、霧が立つ日も珍しくはない。しかし、これだけの濃霧は一夏に一日二日あるかだ。
「ゲオルク殿。この濃霧だと、霧に紛れて船で渡河という事も、考えられます」
船での渡河は、船を集めなければならない時点で目立つ。転覆事故などの危険もあるし、何より渡河中に襲撃されたらひとたまりもない。
だがこの濃霧なら、こちらに気付かれずに船で渡河ということも、有り得る事だ。
敵からもこちらの姿が見えないので、待ち伏せに気付かずにやって来る可能性の方が高い。しかし、万が一気付かれたら、濃霧の中を渡河するという危険を冒してでも、突破より迂回を選ぶだろう。
「青隊を川沿いに分散させて配置して、警戒に当たらせよう。東西500mだ」
「500mですか」
「こう視界が効かなくては、仕方がない」
敵も大橋での待ち伏せは想定しているだろう。それでもなお、大橋を渡りたいはずだ。それほど渡河は危険が大きい。
だから大橋を渡る事を断念したとしても、そう遠くない地点で渡河を試みるはずだ。ドネウ川さえ渡ってしまえば、味方の勢力圏なのだ。急ぎたいのが心理だろう。
ワールブルク率いる青隊が、警戒のために展開していった。100mも離れると、姿が見えなくなる。音すらも、霧が吸い取ってしまっている様な気がした。
展開を終えると、後は待つしかない。目に見える変化がないと、時間が長く感じる。霧で濡れ、体を冷やす事が懸念された。兵に体を動かして、温めておく様に指示を出した。
敵は、いつ来るか分からない。常に気を張っていなければならなかった。斥候は放っているが、この濃霧だ。見逃して、いきなり目の前に敵が現れてもおかしくはない。
見えないが、陽はだいぶ高くなっているはずだ。だが霧が晴れる様子はない。川沿いにしては珍しく風も弱く、大気が僅かに流れていると言った感じだ。
「闇夜の中で待ち伏せをした事はあるが、霧の中は初めてだ。明るいのに何も見えないのも、妙なものだな」
独り言なのか、テオに語りかけたのか、自分でも良く分からなかった。
「私は闇夜の待ち伏せも経験がありません。見えない敵を待つというのは、こんなにも時間が長いものですね」
「耐えられなくなったか?」
本当に耐えられなくなったのは、自分ではないのか。だからこうして、意味のない言葉を発しているのではないか。
「いえ、眠れぬ夜を過ごすのに比べれば、なんて事はありません」
「眠れないのか?」
「私が作戦を立てて、それに従って兵が動く様になると、夜が長く感じる様になりました」
「分かるぞ。私も団長として、自分の責任で判断して、兵を動かす様になると、夜が長くて仕方がなかった。ただ上の命令をこなす小隊長だったときは、夜はあんなにも長くは無かったのにな」
傭兵団の中では、ゲオルクとテオだけが、同じ思いを抱いているだろう。それでも自分一人ではないと思うと、いくらか気が休まる思いがした。
流れの音に混じって、微かに馬蹄の響きが聞こえた。一騎。近づいてくる。
霧の中から、伝令が大橋を渡ってきた。
「敵輸送部隊、捉えました。こちらへ向かっています!」
「確かか?」
「はい。輸送車両二百台を護衛した、アイヒンガー家の軍勢に間違いありません」
「よし、戦闘用意!」
数は一致している。輸送車二百台となれば、偽装を用意するのも大変だろう。本物と見て、まず間違いない。
「ゲオルク殿、青隊を呼び戻しますか?」
「いや、この霧だ。今から呼び戻すと、無用な混乱を招く恐れがある。それに、橋以外の場所での動きが無いと決まった訳ではない」
もし敵がこちらに気付いてなく、うかうかと橋を渡ってきたら、兵力、地の利、条件、どれをとっても、赤隊のみで負ける事は無い。
ならば、そうでは無い情況に備えておくべきだ。
「青隊に敵の渡河に加え、赤隊の背後を警戒するように伝えろ。ワールブルク殿ならば、上手くやってくれるだろう」
ここでの待ち伏せが気付かれていた場合、一番懸念すべきは背後からの攻撃だ。部隊での渡河は阻止できても、一人二人ならば、見逃しかねない。そうして敵の援軍を呼ばれ、背後を突かれるのが最も危ない。
一人も通さない警戒態勢はもちろん、背後に敵増援が現れたとき、いち早くそれを発見できる事へも、心を砕いておかねばならない。
「さて、敵はどう出てくるか」
ここからでは敵の様子は、何一つ分からない。ただでさえ対岸までは距離があるうえ、この濃霧なのだ。
兵が二人、地面に耳を当てている。橋は石造りなので、足音などが響かないかと試しているのだ。しかし、橋脚が川の中に脚を入れている橋で、どれだけ足音が聞き取れるかは分からない。
音を聞いていた兵の一人が、身振りで合図をした。もう一人は聞き取れなかった様だ。しかし、念のため弓隊を構えさせる。
霧の中に、青い人影が浮かんだ。三つ。いや、四つか。霧に自分の影が映る事があるが、見えない太陽はゲオルクらの向いている方角にあるはずだ。ならばあれは、自分たちの影ではない。
矢が放たれた。霧の中から、小さく呻き声が聞こえる。
「敵の斥候だな」
「おそらく」
「全員始末しただろうか?」
「確認させます」
「気を付けろ。後続の兵がいないとも限らん」
五人一組の兵が慎重に前に出て、射殺したはずの敵を確認する。特に争う気配も起きず、五人全員戻って来た。
「死体が四つ。確かにアイヒンガー家の兵だと思われます。ただ血の跡が、対岸へ向かっています」
「一人、あるいはそれ以上、逃げられたか」
「おそらく。血の量からして、傷は深くはないと思われます。後を追うのは、危険すぎましたので」
「やむを得ない事だ。良くやってくれた」
これで、こちらの存在を完全に知られてしまった訳だ。ただ、どの程度の兵力なのかまでは分からないはずだ。
「次は、どう出てくると思う、テオ?」
「おそらく、こちらの兵力を探ろうとして来るでしょう。護衛に一定の戦力を持っていることから、まずは突破を図り、突破できなければ迂回を考える、といったところでは」
「まあ、そんなところだろうな。少数と見せかけて誘うか、それとも一歩も通さぬと止めるか」
「誘いたいところですが、この霧です。下手に乱戦になって、輸送隊の半分だけでも霧に紛れて逃げられれば、面白くありませんな」
「我らの目的は、敵の物資輸送を阻止する事だ。敵が退き返したとしても、目的は達せられる。戦果に色気を出すのは止めて、堅実に行こうか」
橋の様な隘路での戦は、出口を包囲するように布陣して、敵が抜けてきたところを三方から攻め立てるのが常道だ。
しかし今回は濃霧のため、味方の連携が取れない恐れがある。そのため橋の上に防衛線を敷いて、敵の侵攻を阻止する。
左右背後を気にしなくて良いので、長槍密集隊形を使う傭兵団には、有利な戦場と言えた。
橋の上で構えていると、向こうから敵部隊が姿を現した。辛うじて人影が見える距離で一旦止まる。そして、鯨波の声を上げて攻め寄せてきた。
ぶつかってみると、敵は八十ほどだ。橋の上で進退自由に行動しようとすれば、多くても百が限度だろう。
しかし傭兵団は、退きも進みもしない。その場に踏みとどまって、敵を阻めばそれで良い。投入できる戦力が違う。まともなやり方では、破られることはない。
「前に出るなよ。巻き添えを食うぞ」
陸地から橋上の敵へ、ハンナ以下十人ほどの兵が、弩砲を撃ち込んでいた。予め松明の明かりで味方の位置を伝え、味方はそこから動かない。そうなれば敵の位置は、大体の予想が着く。
敵がいると思われる場所に向かって、弩砲を撃ち込んでいる。弩砲の射程なら、十分威力を保ったまま敵に届く。
数は数えるほどしかないし、大体の当てを付けてのめくら撃ちなので、命中率も高が知れている。しかし、見えない位置からの一方的な攻撃は、敵の士気を挫く。
鉦が鳴り、敵が撤退した。
「弛むな。また来るぞ」
ほとんど勘でそう言ったが、その通りになった。こちらの気の緩みを狙って、敵の第二波が押し寄せてきた。
「後ろの兵に、鯨波の声を上げさせろ」
陸地に残った僅かな兵が、派手に鯨波の声を上げる。これで敵には、実数以上の大軍がいる様に思えるはずだ。
もちろんこの霧を利用した、こけおどしの可能性もあると考えるだろう。だが確かめる方法は無く、確証は得られない。そうである以上、大軍が控えているという想定で動くしかなくなる。それで、大分動きは縛れるはずだ。
こちらの守りが堅いと見て、敵は引き下がった。しばらく警戒していたが、第三派が来る様子はない。単純な力押しでは、突破は難しいと判断したのだろう。
ならば、敵の次の手は何か。この霧がある以上、こちらも不用意に反攻に出るのは危険だ。敵の動きを待つしかない。
「見えない敵と戦うというのは、思った以上に神経を使いますね。ゲオルク殿」
「普通の戦場でも、見える物より見えないものの方が多いだろう。テオ」
「それでも、見えている様な気になれるのと、全く見えないのでは、まるで違います」
「兵も不安だろう。いきなりどこからか突き殺される、あるいは飛んできた矢に貫かれるのではないか。そんな不安が、どうしても湧いてくるだろう」
「そのへんは、実戦になる前にハンナができるだけ兵と語って、不安を和らげるように努めていましたから」
「ほう、ハンナがな。そういう気遣いも見せるのか」
「その気遣いを、僅かでも兄に向けて欲しいのですが」
ゲオルクは声を上げて笑った。笑うと、陣営を覆っていた緊張を、霧ごと吹き飛ばせそうな気がした。
上流側から、青隊の伝令が駆け込んできた。
「申し上げます。ヴァインベルガー小隊、渡河を試みる敵兵を発見して交戦中」
「早いな」
大橋の正面突破に失敗した以上、渡河を試みてくる事は予想していた。しかし、たった今撃退したばかりだというのに、妙に速い。
少数の別動隊を渡河させて、後方を攪乱しようというつもりなのかもしれない。とは言え少数と確定した訳ではない以上、援軍を回して備えた方が良いだろう。
「ハンナ!」
「はい」
「中隊を一つ借りる。ここは任せたぞ」
「お任せを」
百五十を率い、ヴァインベルガーの担当箇所へ、後方を回って移動した。特に戦闘が起きている様子が無いと思ったら、到着したときには、すでに撃退していた。
「団長、わざわざご足労をいただき、恐縮です」
「敵はもう退いたのか」
「はい。正確には不明ですが、こちらの半数、二十人ほどの部隊だったと思われます。威力偵察の可能性もあるので、警戒は続けさせています。それと――」
「それと?」
「敵兵は、アイヒンガー家の兵ではない様でした」
「なんだと? ではどこの兵だというのだ」
「軍装を見るに、七騎士家のどこかである可能性が高いと思われます」
ゲオルクは思わず、テオと顔を見合わせた。
「もちろん、敵の偽装と言う可能性も――」
「いや、騎士家の兵だろう」
シュレジンガー家。七騎士家の中で唯一、総督府派に裏切った家。しかし他の六家とは完全に切れた訳ではなく、微妙な関係が続いている。
「シュレジンガー家は総督府派とは言え、明確な軍事行動で敵対することはありませんでした。騎士家同士で争う事は、流石に避けたのでしょう」
テオが、僅かに動揺をにじませる声で言う。思いがけずシュレジンガー家と戦場で敵対して、さすがに動揺を隠しきれない様だ。
「しかしその分、水面下での工作はかなり行っていたようです。その実態を知っているのは、各騎士家の現当主くらいでしょうが」
「我らが妨害に動いたとは言え、元々これは物資の輸送で、直接的な戦闘は無くて済む事もありえた作戦だ。だから、シュレジンガー家も動いたのだろう」
「何でよりによって、ここなんだ」
テオがぼやいている。騎士家同士で戦うのは、相当の葛藤があるらしい。ゲオルクには理解できない事だが、敵味方に分かれても戦いを避けるこの感覚が、七騎士家を千年近く守ってきたのだろう。
それに確かシュレジンガー家は、ハンナの嫁ぎ先になるはずだった相手でもある。それならばむしろ憎しみが湧きそうなものだが、そう簡単に割り切れるものでもないらしい。
「ともあれ、ここに現れた以上は敵だ。敵ならば討つ。いいな?」
「はい」
歯切れの悪い返事を、テオが返してくる。
「さて、シュレジンガー軍はこの後どう動くか。それに対して我が軍は、どう対処すべきか。ヴァインベルガーは、どう思う」
「はい。ご下命とあれば、愚考を申し上げます。思うに我が隊が交戦した敵は、本隊の上陸に先立つ先鋒だったのではないかと思われます」
「その根拠は?」
「偵察にしては多すぎ、独立して行動する部隊としては少なすぎるからです。下の敵軍を先鋒と仮定すると、背後に控えていた本隊は六十から八十。総勢八十から百程度と推測できます」
アイヒンガー家の輸送護衛部隊が、二百程度という情報だ。共同作戦ならば、友軍のシュレジンガー軍が本隊より多いとは思えない。百ならばアイヒンガー軍の半数で、妥当な線だと言える。
「敵の次の行動は?」
「はい。敵はこちらの備えを全て知った訳ではありません。上陸地点を変えて、もう一度か二度、上陸を試みて来るのではないかと思われます」
「うむ。私も君の意見に同意する。では、どう対処するべきだと思うか?」
「はい。渡河をする敵は過半を討つのが常道ですが、この気象条件を考慮すると、まず全ての敵に一度上陸を許し、作戦に成功したと気が緩んだところを、側面から突くのがよろしいかと愚考します」
「妙案だ! その作戦案を採用する。テオも、異論は無いな?」
「はい」
「ヴァインベルガー。貴官の小隊は、正規の指揮系統から発せられる命令に従って、今後の行動をせよ」
「はい」
ワールブルクに作戦を伝達し、河川に沿って展開している全青隊の兵を、少数の見張りを残して後退させた。
敵が上陸してきたら、後退した隊は敵の前進を阻み、ゲオルク率いる中隊が急行して、敵を側面から突く態勢を用意して待ち構えた。
狙い通り敵は、一度目の上陸地点よりもさらに上流側に上陸を試みてきた。一度目と同じ様に、まず二十ほどの先鋒隊が上陸を果たし、その後から本隊が上陸してくる。
敵の動向を、斥候から逐一報告を受けていたゲオルクは、全ての敵が上陸したと見るや、一気に敵へ向かって中隊を突撃させた。
川を渡ったら素早く離れろ、というのが兵法だが、後退した部隊がそれを阻止するはずだ。
策は当たり、濃霧の中で側面から奇襲を受けたシュレジンガー軍は一方的に討たれ、ほとんど壊滅したと思われるだけの戦果を上げた。
濃霧は、未だ晴れる気配も無かった。




