荒野の狼狩り3
疲労は深い。犠牲も少なくは無かった。だがオステイル解放戦線リーダー、オイゲン・ノイベルクを討つという、作戦目標は果たす事が出来た。
「解放戦線も、これで終わりか」
「おそらく」
戦勝に浸る様な気分にはならない。ノイベルクの最後の言葉が、頭にこびりつく。
その力で、貴様は何を守る。ノイベルクは、諸侯や騎士の争いの足元で、人知れず踏みつけにされている民を守るために、戦っていた。
守りたいものは、彼らと我らでそう大差はないはずだ。保身や利権、財産を守りたいという輩がいる事は、否定しない。しかし、多くの者は、例えただの旗印にしても、弱き民を守るという理由を述べるはずだ。それは、否定されるべき事ではない。
弱き民を守りたいはずの者同士が争い、民が苦しむ。ならば我らが戦う意味は、何なのだろうか。
「所属不明部隊が接近中! 騎馬隊です!」
観念的な考えが頭から追い出され、思考が戦術一色に染まる。体も反射的に、剣を握りしめていた。
「全軍戦闘態勢を取れ! 数と所属は!?」
「数は、五十騎ほど。見た事の無い、黒装束の騎馬隊です」
味方ではあるまい。ここは敵地の奥深くと言ってもいい場所だ。傭兵団の他に、この辺りで作戦行動をしている味方部隊が、たまたま姿を見せたとは考えにくい。
ただ五十騎という数が気に掛かった。部隊にしては少な過ぎるし、斥候にしては多すぎる。
「何者だろうか」
「付近の小領主が巡回警備をしている、という事も考えられますが」
「それは無い。多分な」
黒衣の騎馬隊が、異様な気を放っている。凡百の兵では決してない。理屈ではなく、戦場を肌で感じた事のある経験が、そう言っていた。
「不明部隊、軍旗を掲げています!」
近づいてきた事で、旗が良く見える様になった。凝った意匠の紋が描かれているので、どこかの領主だという事だけは、紋が識別できる様になる前から分かっていた。
「青地に……赤眼の黒龍!?」
「昌国君、朱耶克譲!?」
一度敵として相対した事のある者には、恐怖の象徴にも等しい朱耶家の黒龍旗。あの旗の下で、黒衣の騎馬隊を率いているのは、間違いなく当代きっての名将、昌国君こと朱耶克譲だ。
「なぜこんなところに!?」
「今はそんな事はどうでもいい。戦うか、戦わぬかだ」
「戦うと言いましても、勝てますか?」
「さあな」
正直、自信は無い。しかしいつかは倒さなければならない相手だ。ならば、ここでぶつかる事を避けても仕方がない、という思いもある。
だがそれでも、避けられるならば、戦う事は避けるべきだろう。今は兵の状態も悪いし、無策のまま危険を冒すのは不味い。
ただし、向こうが見逃してくれるのならばだ。
「朱耶軍、武器を構えて突っ込んできます!」
「やはり見逃してはくれないか。槍衾構え!」
この短い間に、敵だと見破られた。身元を知られる様な物は持っていないが、迷いの無い行動を見るに、確信を持った行動だろう。
兵が密集し、長槍の石突を地面に突いて固定し、右腕で抱える様に保持する。左手は剣を持ち、槍と一緒に前に突き出す。
長短二本の針を生やしたハリネズミの様になる。まともに正面からぶつかれば、どんな敵であろうと串刺しになるはずだ。だから迂回を想定して、射手を構えさせる。
だが射手の備えは、結果的に無用だった。敵は躊躇う事無く正面から突撃してきた。僅かな槍の間に馬を跳びこませ、剣の間合いの外から戟で突き倒される。
一度突破を許すと、崩れるのはあっという間だった。騎馬が駆け抜け様に、戟の枝で兵を引っ掛け、なぎ倒していく。針を刺した様な穴が、たちまちえぐられた様に大きくなった。
「馬鹿な。たった五十騎だぞ!? こうも一方的に」
万全では無いとは言え、こちらは定数三百の部隊だ。六倍の兵力差があるというのに、ほとんど為す術なく、一方的に蹂躙されている。
歩兵と騎兵と言う事を考えれば、ありえない事ではない。だがこちらは、騎兵に対して無策ではない。それどころかむしろ、対騎兵を想定して構えていたくらいだ。
それなのに、一方的にやられている。それも、こちらの想定を外されたのではない。こちらの備えを、正面から粉砕されたのだ。
「強い……。あのときより、ユウキ合戦の時よりもさらに」
敵の騎馬隊が、ゲオルクのいる辺りまで迫る。黒い暴風の様な騎馬隊の突撃を、ゲオルクは慌てて脇に避けた。
駆け抜ける騎馬隊の中に、その姿を見た。
その横顔を知っている。いつか、戦場で見た顔だ。昌国君。皇帝の右腕。栄光を掴む手。当代きっての名将。仁将。騎馬戦の名手。その名は、朱耶克譲。
そして蒼州公派にとって、最大最強の敵となる男。だが憎悪は湧かなかった。あるのは、優れた武人に対する畏怖と敬意だ。
昌国君に敗れて死ぬなら、それもやむなし。しかし、そう簡単に生きる事を諦める訳にもいかないのだ。死ぬにしても、最後まで武人として胸を張る戦い方をして死にたい。
それが昌国君の敵となった自分にできる、唯一の礼儀だ。
「狼狽えるな。隊列を立て直せ。相手は昌国君だぞ。当代最高の武人の手に掛かるのだ。死ぬにしても、見事と言われる様な死に様をしろ。恥を知るなら、決して無様を晒すな!」
ゲオルクの言葉を聞いて、何かを思い出したように腰を据える兵もいる。だが半分以上は、腰が砕けたままだ。
それでも百名ほどの兵が、ゲオルクの回りに整然と集まった。テオ、ハンナ、ワールブルクに、イリヤやデモフェイといった、馴染みの顔が揃っている。
「皆よく聞け。我々はつい先ほど、死兵となった解放戦線の兵を討った。その強さと恐ろしさは、思い知ったはずだ。今度は我らが死ぬ番だ。死兵となって、昌国君に一泡吹かせてやろう。あわよくば、差し違えてでも昌国君の首を獲るのだ!」
兵たちから立ち上る気配が変わった。死への恐れを捨てたのだ。とは言え、たった百だ。いくら死兵となっても、三百を蹴散らした昌国君に、どれだけ通用するか。
だが死兵になるという事は、そんな計算はおろか、勝つか負けるかという思いも捨てる事だ。
駆け抜けて行った昌国君の騎馬隊が反転し、真っ直ぐこちらへ向かってくる。また正面から突撃してくるだろう。そして、破られる。しかし、一人でも二人でも道ずれにできれば、それでいい。いや、力の限り戦えれば、それで十分だ。
来る。武器を握りしめた。騎馬隊は、僅かに針路を変えて、傭兵団の脇を駆け抜けた。
背後からの攻撃かと思ったが、騎馬隊はこちらに見向きもせず、真っ直ぐに走り去っていく。
「一体……?」
何が起こっているのか、理解できなかった。だが肩から過度な力が抜け、視野が広がって来ると、はっとした。
昌国君の騎馬隊が向かう先に、土埃が舞っている。埃の立ち方からして、歩兵ばかり、数は五、六百か。
「どこの兵だ?」
「解放戦線の兵の様です」
「解放戦線の……。そうか。そういう事だったか」
つまり、昌国君の獲物も、ゲオルクらと同じだったという事だ。だが昌国君は、ノイベルクがすでに討たれた事を知らない。
現れた兵は、落石によって分断された兵が呼んだ援軍だろう。昌国君にとっては傭兵団も解放戦線も敵には違いないが、解放戦線の方が優先順位が高いという事だ。
「命拾いしたな」
「ゲオルク殿。今のうちに逃げましょう」
「言われるまでも無い。拾った命は大事にするものだ」
兵をまとめ、急いでこの場を離れる事にした。負傷者が多く、行軍の脚は遅い。生き残った者も、二百五十人を割り込んでいそうだ。
「テオ。済まないが、兵を連れて先に行ってくれないか?」
「何をなさる気で?」
「昌国君の戦を、見届けたい」
「気持ちは分からないでもないですが、危険です。団長が残らずとも、誰か代わりに見届ける者を残せば」
「自分の目で見届けたいのだ。危険な事はしないと約束する」
「仕方ありませんね。護衛は付けてください」
「苦労を掛ける」
退却する本隊と別れ、数人の護衛を連れて戦況の見える高台を探した。指揮にはハンナとワールブルクがいるので、ゲオルクがいなくても多少の事なら問題無いはずだ。
ノイベルク率いる解放戦線に岩を落とした崖の上から、昌国君の戦を観戦した。五十騎で五百を相手にしているが、押しているのはむしろ昌国君だ。
さすがに十倍の兵力差では、数が多すぎて瞬く間に崩す事は難しい様だ。しかし所詮、練度も劣れば大した将もいない部隊だ。昌国君の敵にはなりえない。
昌国君は騎馬隊を小さくまとめたまま、縦横に走り回って敵を分断していく。一つにまとまったままなのは、これ以上小さく分けるのは、集団の力が無くなるからだろう。
しかし五十騎の動きは変幻自在だった。楔型になって敵を断ち割ったかと思えば、広がって敵を押す。
走りながら目まぐるしく陣形が変化している。これでは、決まった方法で待ち構えていても、対処しきれない。
そんな動きができるのは、当然半端な兵ではない。昌国君の配下の中でも、精鋭中の精鋭を選りすぐったのだろう。
「まるで、空を飛んでいる様ではないか」
速さと言い、自在な変化と言い。何者にも縛られず、自由に空を飛んでいるようだと思った。
「鴉だ。不吉過ぎる」
護衛の誰かがそんな事を言った。なるほど、飛んでいる様な黒衣の部隊なら、鴉と言うのは言い得て妙だ。不吉の象徴と言うのも、敵に回せばまさに不吉だ。
「鴉の如き騎馬隊。鴉軍か」
五十騎の鴉軍の前に、解放戦線五百は、軍隊の体を為さないまでに粉砕された。
「帰還する」
良いものが見られた。そう思った。これから敵にする事を思うと気が重いが、鴉軍の、おそらく初陣をこの目で見て、体験する事も出来た。
それで何か活路を見出した訳でもないのだが、誰よりも早くそれを知ることが出来た事に、素直な喜びを感じていた。
◇
オステイル解放戦線リーダー、オイゲン・ノイベルクを討ち取り、傭兵団は無事とは言い切れないが、帰還する事が出来た。
ノイベルク戦死の影響は、すぐにも現れた。解放戦線は明らかに動揺・混乱を起こしていた。待ちかねたようにまずユウキ家が、そして他の諸侯もそれに続いて、解放戦線の殲滅作戦を開始した。
その間傭兵団は、拠点の砦で戦の無い時を過ごしていた。すでに十分すぎるほどの戦果を上げているし、昌国君との交戦で受けた傷も大きかった。
上からも、しばらくは休養を取れと言われている。その言葉に甘える事にした。だが休養と言ってもそれは、戦に出ないというだけだ。欠員の補充と調練。それに、やはり一千を越える敵との戦いや、鴉軍を相手にする事を考えると、思い切った増強が必要だ。
そういう事の計画を練りながらの休養になるのは、仕方の無い事だ。
「ゲオルク殿、補充と再訓練計画の試案が出来ましたので、目を通しておいてください」
「ああ、分かった」
テオの持って来た計画書に、ざっと目を通す。
「勝てないな」
「何か不備が?」
「いや、そういう訳ではない。どんな調練をしても、昌国君の騎馬隊には勝てないだろうと思ったのだ」
「鴉軍と名付けたそうですね」
「護衛の誰かが鴉に例えたんだ。だから厳密には、私の命名と言う訳ではない」
「それでもまあ、ゲオルク殿が名付け親として伝えられるでしょうな」
「まあいい。そんな事は。我々は鴉軍に完敗した。そして、あれに勝てる気がしない」
「勝つ方法が、今は見つからない。ではなくて?」
「大抵の敵なら、今は勝ち目が見つからなくても、どこかに勝つ方法があるはずだと思える。だが鴉軍には、まるで勝てる気がしない」
「らしくも無い弱気ですね」
「あれは、昌国君の清華だ。昌国君自身の軍才を最大限引き出すために、昌国君が鍛え上げた最精鋭だという気がする。それを、どうやって倒せと?」
「ですが、勝たなければなりません。まあ、戦術では負けても、戦略で勝つという方法もありますが、昌国君はそんな甘い相手ではありません」
「どのみち、戦略レベルに口を出せる立場でも無い」
勝てる気はしないが、それでも戦わなくてはならない。それはつまり、負けると分かっていても戦うということだろうか。
その力で、貴様は何を守る。ノイベルクの最後の言葉が、何度も頭の中で反響した。
傭兵団は、何を守るために戦うのか。ゲオルク自身が何を守って戦うかは、分かりきっている。蒼州公派の理想だ。それが自身の理想でもあり、亡き主君への忠義を果たす事にもなる。迷う理由など、何もない。
しかし、傭兵団はゲオルク一人の意思だけで動く訳ではない。着いていけないと思えば、傭兵たちは去っていくだろう。個人の理念を、他者に強要する事はできない。
傭兵団が守るべきものは、なんだろう。傭兵たちの生活か。人殺しを生業とするからこその、人として当たり前の感情か。それとも、母体であるユウキ家と蒼州公派の諸侯か。
「なあ、テオ。傭兵団は何のために、何を守るために戦うべきだと思う?」
「難しい事を聞きますね」
「ノイベルクの最後の言葉が、なんとなく頭に残ってな」
「ハンナでしたら、弱き無辜の民を守るためと、即答するのでしょうが」
「それは個人の理念だ。個人の戦う理由。守るべきものは、それぞれにある。しかし個人の理由の集合が、そのまま組織の理念になる訳ではあるまい」
「それが分かっているのでしたら、分かるのではありませんか?」
「まるで、お前は分かっていると言わんばかりだな?」
「分かっている様な気になっているだけかもしれません。理念など結局は主観で、客観的に分かっているかどうかなど、証明しようがありませんから」
「己が信じることの出来るものがあれば、それで良いという事かな」
だがだとすれば、傭兵団は何のためにあると信じればいいのだろう。蒼州公派の戦力の一つとして、その理念を守るためにある。
その前提で作られた組織ではあるが、無条件にそれを信じる事は出来なかった。自分で作り上げたものを、自分で信じていない様だが、傭兵たちを見ていると、そう思う。
彼らには、蒼州公派だ総督府派だというのよりも、もっと大事なものがあり、それを無視してはいけないのだと思う。
「傭兵団が何のために戦うかを決めるのは、団長の役目で、私がどうこう言うべき事ではないでしょう。逃げのようですが」
「逃げだな。お前はいつも、大事な所で逃げる」
だがそれはネーター家の次期当主として、死ぬ訳にはいかないからだ。生きて、果たさねばならない責任があると信じているからだ。
「おかげでいつも、妹に情けない兄だと言われています」
テオが笑う。逃げていると言われて、それを笑って受ける。情けない奴だと、自分で認めてしまう。それもまた、逃げだ。
そうして逃げる事で、テオもまた、自分にとって譲れない何かを守る戦いをしている。




