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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
chapter2・大地の息子たち
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荒野の狼狩り3

 疲労は深い。犠牲も少なくは無かった。だがオステイル解放戦線リーダー、オイゲン・ノイベルクを討つという、作戦目標は果たす事が出来た。


「解放戦線も、これで終わりか」

「おそらく」


 戦勝に浸る様な気分にはならない。ノイベルクの最後の言葉が、頭にこびりつく。

 その力で、貴様は何を守る。ノイベルクは、諸侯や騎士の争いの足元で、人知れず踏みつけにされている民を守るために、戦っていた。

 守りたいものは、彼らと我らでそう大差はないはずだ。保身や利権、財産を守りたいという輩がいる事は、否定しない。しかし、多くの者は、例えただの旗印にしても、弱き民を守るという理由を述べるはずだ。それは、否定されるべき事ではない。

 弱き民を守りたいはずの者同士が争い、民が苦しむ。ならば我らが戦う意味は、何なのだろうか。


「所属不明部隊が接近中! 騎馬隊です!」


 観念的な考えが頭から追い出され、思考が戦術一色に染まる。体も反射的に、剣を握りしめていた。


「全軍戦闘態勢を取れ! 数と所属は!?」

「数は、五十騎ほど。見た事の無い、黒装束の騎馬隊です」


 味方ではあるまい。ここは敵地の奥深くと言ってもいい場所だ。傭兵団の他に、この辺りで作戦行動をしている味方部隊が、たまたま姿を見せたとは考えにくい。

 ただ五十騎という数が気に掛かった。部隊にしては少な過ぎるし、斥候にしては多すぎる。


「何者だろうか」

「付近の小領主が巡回警備をしている、という事も考えられますが」

「それは無い。多分な」


 黒衣の騎馬隊が、異様な気を放っている。凡百の兵では決してない。理屈ではなく、戦場を肌で感じた事のある経験が、そう言っていた。


「不明部隊、軍旗を掲げています!」


 近づいてきた事で、旗が良く見える様になった。凝った意匠の紋が描かれているので、どこかの領主だという事だけは、紋が識別できる様になる前から分かっていた。


「青地に……赤眼の黒龍!?」

昌国君(しょうこくくん)朱耶(しゅや)克譲(なりよし)!?」


 一度敵として相対した事のある者には、恐怖の象徴にも等しい朱耶家の黒龍旗。あの旗の下で、黒衣の騎馬隊を率いているのは、間違いなく当代きっての名将、昌国君こと朱耶克譲だ。


「なぜこんなところに!?」

「今はそんな事はどうでもいい。戦うか、戦わぬかだ」

「戦うと言いましても、勝てますか?」

「さあな」


 正直、自信は無い。しかしいつかは倒さなければならない相手だ。ならば、ここでぶつかる事を避けても仕方がない、という思いもある。

 だがそれでも、避けられるならば、戦う事は避けるべきだろう。今は兵の状態も悪いし、無策のまま危険を冒すのは不味い。

 ただし、向こうが見逃してくれるのならばだ。


「朱耶軍、武器を構えて突っ込んできます!」

「やはり見逃してはくれないか。槍衾(やりぶすま)構え!」


 この短い間に、敵だと見破られた。身元を知られる様な物は持っていないが、迷いの無い行動を見るに、確信を持った行動だろう。

 兵が密集し、長槍の石突を地面に突いて固定し、右腕で抱える様に保持する。左手は剣を持ち、槍と一緒に前に突き出す。

 長短二本の針を生やしたハリネズミの様になる。まともに正面からぶつかれば、どんな敵であろうと串刺しになるはずだ。だから迂回を想定して、射手を構えさせる。

 だが射手の備えは、結果的に無用だった。敵は躊躇(ためら)う事無く正面から突撃してきた。僅かな槍の間に馬を跳びこませ、剣の間合いの外から戟で突き倒される。

 一度突破を許すと、崩れるのはあっという間だった。騎馬が駆け抜け様に、戟の枝で兵を引っ掛け、なぎ倒していく。針を刺した様な穴が、たちまちえぐられた様に大きくなった。


「馬鹿な。たった五十騎だぞ!? こうも一方的に」


 万全では無いとは言え、こちらは定数三百の部隊だ。六倍の兵力差があるというのに、ほとんど為す術なく、一方的に蹂躙されている。

 歩兵と騎兵と言う事を考えれば、ありえない事ではない。だがこちらは、騎兵に対して無策ではない。それどころかむしろ、対騎兵を想定して構えていたくらいだ。

 それなのに、一方的にやられている。それも、こちらの想定を外されたのではない。こちらの備えを、正面から粉砕されたのだ。


「強い……。あのときより、ユウキ合戦の時よりもさらに」


 敵の騎馬隊が、ゲオルクのいる辺りまで迫る。黒い暴風の様な騎馬隊の突撃を、ゲオルクは慌てて脇に避けた。

 駆け抜ける騎馬隊の中に、その姿を見た。

 その横顔(プロフィール)を知っている。いつか、戦場で見た顔だ。昌国君。皇帝の右腕。栄光を掴む手。当代きっての名将。仁将。騎馬戦の名手。その名は、朱耶克譲。

 そして蒼州公派にとって、最大最強の敵となる男。だが憎悪は湧かなかった。あるのは、優れた武人に対する畏怖と敬意だ。

 昌国君に敗れて死ぬなら、それもやむなし。しかし、そう簡単に生きる事を諦める訳にもいかないのだ。死ぬにしても、最後まで武人として胸を張る戦い方をして死にたい。

 それが昌国君の敵となった自分にできる、唯一の礼儀だ。


「狼狽えるな。隊列を立て直せ。相手は昌国君だぞ。当代最高の武人の手に掛かるのだ。死ぬにしても、見事と言われる様な死に様をしろ。恥を知るなら、決して無様を晒すな!」


 ゲオルクの言葉を聞いて、何かを思い出したように腰を据える兵もいる。だが半分以上は、腰が砕けたままだ。

 それでも百名ほどの兵が、ゲオルクの回りに整然と集まった。テオ、ハンナ、ワールブルクに、イリヤやデモフェイといった、馴染みの顔が揃っている。


「皆よく聞け。我々はつい先ほど、死兵となった解放戦線の兵を討った。その強さと恐ろしさは、思い知ったはずだ。今度は我らが死ぬ番だ。死兵となって、昌国君に一泡吹かせてやろう。あわよくば、差し違えてでも昌国君の首を獲るのだ!」


 兵たちから立ち上る気配が変わった。死への恐れを捨てたのだ。とは言え、たった百だ。いくら死兵となっても、三百を蹴散らした昌国君に、どれだけ通用するか。

 だが死兵になるという事は、そんな計算はおろか、勝つか負けるかという思いも捨てる事だ。

 駆け抜けて行った昌国君の騎馬隊が反転し、真っ直ぐこちらへ向かってくる。また正面から突撃してくるだろう。そして、破られる。しかし、一人でも二人でも道ずれにできれば、それでいい。いや、力の限り戦えれば、それで十分だ。

 来る。武器を握りしめた。騎馬隊は、僅かに針路を変えて、傭兵団の脇を駆け抜けた。

 背後からの攻撃かと思ったが、騎馬隊はこちらに見向きもせず、真っ直ぐに走り去っていく。


「一体……?」


 何が起こっているのか、理解できなかった。だが肩から過度な力が抜け、視野が広がって来ると、はっとした。

 昌国君の騎馬隊が向かう先に、土埃が舞っている。埃の立ち方からして、歩兵ばかり、数は五、六百か。


「どこの兵だ?」

「解放戦線の兵の様です」

「解放戦線の……。そうか。そういう事だったか」


 つまり、昌国君の獲物も、ゲオルクらと同じだったという事だ。だが昌国君は、ノイベルクがすでに討たれた事を知らない。

 現れた兵は、落石によって分断された兵が呼んだ援軍だろう。昌国君にとっては傭兵団も解放戦線も敵には違いないが、解放戦線の方が優先順位が高いという事だ。


「命拾いしたな」

「ゲオルク殿。今のうちに逃げましょう」

「言われるまでも無い。拾った命は大事にするものだ」


 兵をまとめ、急いでこの場を離れる事にした。負傷者が多く、行軍の脚は遅い。生き残った者も、二百五十人を割り込んでいそうだ。


「テオ。済まないが、兵を連れて先に行ってくれないか?」

「何をなさる気で?」

「昌国君の戦を、見届けたい」

「気持ちは分からないでもないですが、危険です。団長が残らずとも、誰か代わりに見届ける者を残せば」

「自分の目で見届けたいのだ。危険な事はしないと約束する」

「仕方ありませんね。護衛は付けてください」

「苦労を掛ける」


 退却する本隊と別れ、数人の護衛を連れて戦況の見える高台を探した。指揮にはハンナとワールブルクがいるので、ゲオルクがいなくても多少の事なら問題無いはずだ。

 ノイベルク率いる解放戦線に岩を落とした崖の上から、昌国君の戦を観戦した。五十騎で五百を相手にしているが、押しているのはむしろ昌国君だ。

 さすがに十倍の兵力差では、数が多すぎて瞬く間に崩す事は難しい様だ。しかし所詮、練度も劣れば大した将もいない部隊だ。昌国君の敵にはなりえない。

 昌国君は騎馬隊を小さくまとめたまま、縦横に走り回って敵を分断していく。一つにまとまったままなのは、これ以上小さく分けるのは、集団の力が無くなるからだろう。

 しかし五十騎の動きは変幻自在だった。楔型(くさびがた)になって敵を断ち割ったかと思えば、広がって敵を押す。

 走りながら目まぐるしく陣形が変化している。これでは、決まった方法で待ち構えていても、対処しきれない。

 そんな動きができるのは、当然半端な兵ではない。昌国君の配下の中でも、精鋭中の精鋭を選りすぐったのだろう。


「まるで、空を飛んでいる様ではないか」


 速さと言い、自在な変化と言い。何者にも縛られず、自由に空を飛んでいるようだと思った。


「鴉だ。不吉過ぎる」


 護衛の誰かがそんな事を言った。なるほど、飛んでいる様な黒衣の部隊なら、鴉と言うのは言い得て妙だ。不吉の象徴と言うのも、敵に回せばまさに不吉だ。


「鴉の如き騎馬隊。鴉軍(あぐん)か」


 五十騎の鴉軍の前に、解放戦線五百は、軍隊の体を為さないまでに粉砕された。


「帰還する」


 良いものが見られた。そう思った。これから敵にする事を思うと気が重いが、鴉軍の、おそらく初陣をこの目で見て、体験する事も出来た。

 それで何か活路を見出した訳でもないのだが、誰よりも早くそれを知ることが出来た事に、素直な喜びを感じていた。


     ◇


 オステイル解放戦線リーダー、オイゲン・ノイベルクを討ち取り、傭兵団は無事とは言い切れないが、帰還する事が出来た。

 ノイベルク戦死の影響は、すぐにも現れた。解放戦線は明らかに動揺・混乱を起こしていた。待ちかねたようにまずユウキ家が、そして他の諸侯もそれに続いて、解放戦線の殲滅作戦を開始した。

 その間傭兵団は、拠点の砦で戦の無い時を過ごしていた。すでに十分すぎるほどの戦果を上げているし、昌国君との交戦で受けた傷も大きかった。

 上からも、しばらくは休養を取れと言われている。その言葉に甘える事にした。だが休養と言ってもそれは、戦に出ないというだけだ。欠員の補充と調練。それに、やはり一千を越える敵との戦いや、鴉軍を相手にする事を考えると、思い切った増強が必要だ。

 そういう事の計画を練りながらの休養になるのは、仕方の無い事だ。


「ゲオルク殿、補充と再訓練計画の試案が出来ましたので、目を通しておいてください」

「ああ、分かった」


 テオの持って来た計画書に、ざっと目を通す。


「勝てないな」

「何か不備が?」

「いや、そういう訳ではない。どんな調練をしても、昌国君の騎馬隊には勝てないだろうと思ったのだ」

「鴉軍と名付けたそうですね」

「護衛の誰かが鴉に例えたんだ。だから厳密には、私の命名と言う訳ではない」

「それでもまあ、ゲオルク殿が名付け親として伝えられるでしょうな」

「まあいい。そんな事は。我々は鴉軍に完敗した。そして、あれに勝てる気がしない」

「勝つ方法が、今は見つからない。ではなくて?」

「大抵の敵なら、今は勝ち目が見つからなくても、どこかに勝つ方法があるはずだと思える。だが鴉軍には、まるで勝てる気がしない」

「らしくも無い弱気ですね」

「あれは、昌国君の清華だ。昌国君自身の軍才を最大限引き出すために、昌国君が鍛え上げた最精鋭だという気がする。それを、どうやって倒せと?」

「ですが、勝たなければなりません。まあ、戦術では負けても、戦略で勝つという方法もありますが、昌国君はそんな甘い相手ではありません」

「どのみち、戦略レベルに口を出せる立場でも無い」


 勝てる気はしないが、それでも戦わなくてはならない。それはつまり、負けると分かっていても戦うということだろうか。

 その力で、貴様は何を守る。ノイベルクの最後の言葉が、何度も頭の中で反響した。

 傭兵団は、何を守るために戦うのか。ゲオルク自身が何を守って戦うかは、分かりきっている。蒼州公派の理想だ。それが自身の理想でもあり、亡き主君への忠義を果たす事にもなる。迷う理由など、何もない。

 しかし、傭兵団はゲオルク一人の意思だけで動く訳ではない。着いていけないと思えば、傭兵たちは去っていくだろう。個人の理念を、他者に強要する事はできない。

 傭兵団が守るべきものは、なんだろう。傭兵たちの生活か。人殺しを生業とするからこその、人として当たり前の感情か。それとも、母体であるユウキ家と蒼州公派の諸侯か。


「なあ、テオ。傭兵団は何のために、何を守るために戦うべきだと思う?」

「難しい事を聞きますね」

「ノイベルクの最後の言葉が、なんとなく頭に残ってな」

「ハンナでしたら、弱き無辜の民を守るためと、即答するのでしょうが」

「それは個人の理念だ。個人の戦う理由。守るべきものは、それぞれにある。しかし個人の理由の集合が、そのまま組織の理念になる訳ではあるまい」

「それが分かっているのでしたら、分かるのではありませんか?」

「まるで、お前は分かっていると言わんばかりだな?」

「分かっている様な気になっているだけかもしれません。理念など結局は主観で、客観的に分かっているかどうかなど、証明しようがありませんから」

「己が信じることの出来るものがあれば、それで良いという事かな」


 だがだとすれば、傭兵団は何のためにあると信じればいいのだろう。蒼州公派の戦力の一つとして、その理念を守るためにある。

 その前提で作られた組織ではあるが、無条件にそれを信じる事は出来なかった。自分で作り上げたものを、自分で信じていない様だが、傭兵たちを見ていると、そう思う。

 彼らには、蒼州公派だ総督府派だというのよりも、もっと大事なものがあり、それを無視してはいけないのだと思う。


「傭兵団が何のために戦うかを決めるのは、団長の役目で、私がどうこう言うべき事ではないでしょう。逃げのようですが」

「逃げだな。お前はいつも、大事な所で逃げる」


 だがそれはネーター家の次期当主として、死ぬ訳にはいかないからだ。生きて、果たさねばならない責任があると信じているからだ。


「おかげでいつも、妹に情けない兄だと言われています」


 テオが笑う。逃げていると言われて、それを笑って受ける。情けない奴だと、自分で認めてしまう。それもまた、逃げだ。

 そうして逃げる事で、テオもまた、自分にとって譲れない何かを守る戦いをしている。

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