荒野の狼狩り2
解放戦線の兵は、すでに百程まで減っていた。荒野の真ん中、そこだけ小高くなった丘の上に陣取っている。
傭兵団はその丘を包囲した。もはや勝負は決したにも等しい戦況だが、敵の士気は異様なほど高く、盛んに逆落としの攻撃を仕掛けて来ては、また丘の上に戻って行く。
一ヶ所でも攻撃を受けると、包囲していても、包囲の他の部分の兵で攻めるという訳にはいかない。もし突破を許せば、ここまで追い詰めたのが水泡に帰す事もある。いざというときは援護に回らせなければならないので、備えて動かないでいるより他に無い。
絶対に敵将ノイベルクを逃がす訳に行かない以上、包囲に穴を開けて追い撃ちに討つという手は使えない。そのため、敵を死兵にしてしまう事は避けられない。
敵が動いた。
「また攻撃か。今度はどこだ?」
「真北の部隊が攻撃を受けています」
「援軍は?」
「無くてもなんとかなりそうです、が」
テオの表情が曇る。ゲオルクも同じ事を思っていた。
敵は、本気で突破しようとはしていない。少なくとも、今は。
援軍が無くても耐えきれる程度に攻撃を仕掛け、こちらの犠牲と疲労を積み重ねていく気だ。そして犠牲と疲労が限界に達したと見たら、ノイベルク一人でも逃がそうという、最後の突破を試みる気だろう。
卑怯とも卑劣とも思わない。ときとして大将は、どれだけ兵を犠牲にしても、生き延びなければならないときがある。
解放戦線にとってノイベルクは、まさにどんな犠牲を払ってでも、生きていなければならない男だろう。
彼に代われる者は無く、彼一人の死が、解放戦線の崩壊につながる。そういうカリスマ的なリーダーは、生きている限り再起できる。だから、死ぬ事は許されない。
ゲオルクら蒼州公派などは、フリードリヒ大公やユウキ公爵が死んでも、彼らの理念が指導者として生きている。だから誰かの死が、崩壊に直結することはない。
だがそれは、蒼州公派を構成するのが、理念を理解し、理念が直接言わない事でも、理念に基づいて自分で考えて、答えを出せる知識人だからだ。
抱いた思いを上手く言葉にする教養を持たない民の集団である、解放戦線のような集団には、彼らを導く卓越した指導者が必要不可欠なのだ。指導者を失えば、彼らは指針を失い、迷走し、分裂するだろう。
ノイベルクと言う男はそれを理解し、だからこそ自分は生きなければならないのだという事を知っている。ただ無闇に命に執着する人間なら、もっと早い段階で、兵を犠牲にして一人逃げる事を選んでいたはずだ。
「敵軍、退きました」
逆落としを掛けていた敵が退いた。忌々しいもので、退く所を追撃しようとすると、石を投げてくる。
丘の上に自然に落ちていた石なので、量はたかが知れているはずだ。すぐに底を突く。だがだからと言って、石が無くなるまで無理な攻撃を掛けて、犠牲を出すのも馬鹿らしい。むしろ、敵にしてみれば、願ったり叶ったりだろう。
「ゲオルク殿。今度は十人ほどが、包囲の近くまで降りてきました。ただ、攻撃してくる様子はありません」
「囮だろうな。下手に手を出せば、石の雨を喰らったところに逆落としだろう」
「おそらく、そうでしょう」
「敵は、恐ろしいまでに不屈だな。将だけではなく、兵までもが不屈の戦に付き合っている」
なぜそうまでできるのか。一体何がそうさせるのか。考えても理解できないが、ゲオルクが蒼州公派の理念を奉じるのも、他者から見れば理解できない不屈さなのだろう。
人は信念があれば、不屈になれる。そして信念とは、えてして他人に目から見れば、愚かしい事にしか見えないものだ。
しかしその愚かしく見えて、実際に愚かしいのかもしれない事が、大きな意味を持つ、大事な物である事もあるのだ。
「しかしその不屈さを、我々は叩き折らなければなりません。下手な手出しは危険とは言え、このまま手をこまねいている訳にもいきません」
「分かっている。悠長な事をするつもりはない。攻め潰すさ」
全方位から同時に攻め上げれば、敵を押し潰す事は難しくない。問題は、こちらが攻めた所に合わせて、突破を図ってくる事だ。攻めの姿勢になったところを攻められると、突破を許しかねない。
だが敵は、いくら死兵になったところで、体力の限界が近いはずだ。突破するだけの体力が無くなったところを見計らって、攻撃に移るべきだ。
体力だけではない。精神力も限界が近いはずだ。にらみ合っている間、いつまでも死兵で居続ける事は出来ない。張りつめた精神は、いつかは緩む。あるいは、切れる。
死兵が死兵で無くなったときが、最大の好機だ。敵はこちらを消耗させて、僅かな突破口を開こうとしているが、そうする事に依って自身も消耗している。
どちらが先に心身の限界を迎えるか。我慢比べだ。
だがこの勝負、敵に勝ち目は無い。こちらは敗れても、解放戦線を潰す、最大の好機を逃しただけだ。
一方敵は敗れれば、全てが終わりだ。後がある敗北と、後の無い敗北。敗北の重みが違う。この情況でその重みの差は、果てしなく大きい。
敗北の重さに耐えきれず、潰れた方が敗北する。ならばどちらが敗北するかは、自明の事だ。
「ゲオルク殿。これ以上、あまり時間を掛けるのもどうかと思います」
「何か懸念が?」
「最初の落石で切り離した、後方の百」
「あれか。確かにこの情況で姿を見せたら厄介だが、所詮指揮官と切り離された、孤児の様な敵だろう?」
「確かに直接こちらに向かってきたところで、ちょっと厄介な相手に過ぎません。しかし、もし敵の援軍を呼ばれたら」
「ここは解放戦線の支配領域からは離れている。半日も経たずに、援軍が来るか?」
「無いとは言い切れません。解放戦線のリーダーを密かに移動させるのです。影武者の率いる別働隊が存在する可能性もあります」
「影武者か。まさか、ここに追い詰めたのは、影武者ではなかろうな?」
「それは、おそらく本物かと。影武者を守るのに、死兵になれるものでしょうか」
「無理だろうな」
例え兵が本物と信じていたとしても、相当の力量が無ければ、兵に死を覚悟して戦わせる事は難しいだろう。
万が一、それだけの力量を持つ影武者だったとしたら、それだけの敵将を世に出す前に討ち取れただけ、上出来と言うべきだろう。
「しかし、早めに敵を始末した方が、不測の事態が無くて良い」
「では、総攻撃を掛けますか?」
敵は動きを見せない。少しでも体力を回復しようとしているのか。それとも、疲労困憊して動けないのか。
座り込んではおらず、武器を杖にしてでも立っている所を見ると、まだ心までは折れていない様だ。
しかし今攻め上げれば、おそらく潰す事はできる。これ以上は、敵がどれだけ消耗するか。そして味方の被害がどれだけ減るかだ。勝敗自体は動かないだろう。
だがやはり、戦場に絶対はない。確実を期そうと時間を掛ければ、それは同時に敵に時間を与える事にもなる。
「やるか。総攻撃を掛ける」
「はっ」
全軍が丘の頂上目掛けて、槍を構えた。そして合図と同時に、歩みを揃えてゆっくりと登って行く。
敵が石を投げてきた。と言っても、狙っているのは一ヶ所のみで、大した大きさの石でもない。すぐに小石の様な物が降り注ぐ程度になった。
一ヶ所を崩して突破を試みたのだろうが、包囲は乱れさせなかった。石が尽きたのか、土を握っては投げつけてくる。
ゲオルクの見えるところで、我慢できなくなったのか三人の敵兵が、飛び降りる様にして斬り込んできた。二人は飛び降りた勢いのまま槍に貫かれ、身投げに終わる。
運良く槍の間に降りた一人が、闇雲に武器を振るって暴れ回る。
「狼狽えるな。跳ね返り一人だ。落ち着いて対処しろ!」
死兵と斬り合うな。それは兵に教え込んでいるので、暴れ回る敵兵の周囲に空間ができる。遠巻きに構えて槍で囲んだ。敵兵が檻の中の獣のように、猛り立った咆哮を上げる。
槍が突き出され、敵兵の腹を貫いた。それでもまだ敵兵は、手に持った剣を振り回していた。二本、三本と槍が貫き、ようやく敵兵が息絶えた。
対処さえ誤らなければ、死兵と言えど不死身の怪物ではない。それに、攻めるならともかく、死兵に耐える戦は厳しいだろう。
敵が丘の頂上に追い込まれてきた。一人一人、確実に突き殺していく。しかし、さすがにやられっぱなしではいなかった。
敵が、無謀としか言えない突貫を掛けてくる。それは難無く突き殺すのだが、槍の穂先を体から引き抜く前に、次の敵が槍を掻い潜ってくる。
二人掛かりで一人を殺すような戦法だ。どう考えても割に合わない。だがそんな事はもはや、問題にもならない様だ。
次々と敵が死にに来る。そして一人の死を踏み越えて、二人目が襲い掛かってくる。こちらの犠牲が、目に見えて増え始めた。
「ゲオルク殿、これは」
「狼狽えるな。一人一人の死が目立つが、全体の犠牲は多くは無い」
丘には遮蔽物も無いので、接近戦になる前に、弓矢で射殺した敵もいる。だが敵が少なくなってくると、弓矢は効果が薄れてしまった。
あまり小さくまとまられると、放った矢が敵を飛び越えて、反対側の味方に降り注ぎかねない。
だが弓矢で数十人を射殺したのは事実だ。そして接近戦になる前に、槍でまた数十人を突き殺している。
敵が残り五十人を割ると、さすがに長槍では手に余る様になってきた。やむなく剣に切り替える。
死兵相手に斬り合いを挑むしかないというのは、危険が大きすぎるが、数人掛かりで一人を殺す戦法を徹底させて対処した。
それでも、むこうも二、三人が一緒になって襲いかかって来る事がある。そうなると、かなり危険な相手だった。
死兵を相手にするというのは、こちらの精神も消耗する。兵が疲労を感じ始めていた。肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労だ。
ゲオルクも、時間が長く感じられる。互いの兵の動きが、酷く緩慢だ。錯覚ではなく、実際にもうお互いに、機敏な動きはできないのだろう。
敵兵が、残り十数人まで減った。すでに敵兵一人一人の顔まで判別できる。ノイベルクと思しき男も、はっきりと認識できた。
最後に残った十数人は、死兵である事は同じだが、これまでの死兵とは明らかに違った。
元々かなり武芸の腕を持っているのだろう。動きが明らかに違った。襲い掛かる傭兵団の兵が、いともたやすく返り討ちに遭う。
「下がれ! 生半可な腕では相手にならん」
腕に自信のある兵ばかり、数十人。少数精鋭で当たった方が、まだ犠牲が少ない。ゲオルクも剣を抜いて、制止するテオを振り切って前に出た。ハンナも同じ様に、自ら前線に立つ。
「オイゲン・ノイベルクだな!?」
「そうだ。お前は?」
「ゲオルク・フォン・フーバー」
「そうか、お前がユウキ家の傭兵か」
ノイベルクの剣技は、残った敵兵の中でも、明らかに際立っていた。今まで直接剣を交わした事の在る相手の中では、最も手ごわいかもしれない。
ゲオルクの反対側にハンナが位置取り、二人掛かりで挟み撃つ体勢になった。
ノイベルクが、ゲオルクに踏み込んできた。速い。そして鋭い太刀筋だ。的確に脚の鎧の隙間を狙ってくる。躱したつもりだが、躱しきれず、腿から血が飛んだ。
思わず呻き声が漏れたが、まだ軽傷だ。頭蓋を割ろうと振り下ろされてきた剣と打ち合い、受け流した。そのまま逆に、ノイベルクの頭蓋へ剣を振り降ろす。躱された。横に薙いで追撃する。また躱されると、今度は脚を払った。これも当たらない。逆袈裟。面打ちと連撃を繰り出したが、どれも紙一重で躱される。
左手でノイベルクの腕を取り、逃げられない様にして斬りつけた。だが腕を振りほどかれて、剣は空を切る。腰の高さを思い斬り払ったが、地を転がって躱された。
これだけやって、かすりもしない相手など、初めてだ。すでに息が上がり始めた。同じ動きをしても、有利に進めているのと、不利な状況では、疲労が違う。
ノイベルクが胴を払いに来た。飛びすさって躱す。誰かにぶつかった。体勢を崩し、尻を着く。追い打ちを辛うじて剣で受け止めた。
剣を弾くと前に転がり、ノイベルクの背後を取った。そのまま斬り上げるが、ノイベルクの剣と打ち合った。読まれている。
ハンナが割って入った。さすがに二人同時は厳しいのか、避けながら下がって間合いを取った。
息を整え、再びノイベルクがゲオルクに踏み込んできた。また脚を払いに来た。今度は反対の脚だ。まず脚を潰す気らしい。そう易々と、二度目を喰らうつもりはない。今度は斬られたのは、ズボンだけだった。
間合いを詰め、力技で斬りつける。鍔迫り合いになった。力の勝負ならば押せると思ったが、どうして大した力で押し返してくる。
剣を引きながら、首筋を狙ってきた。引く力に乗せられて前に出ていたら、危うく頸動脈を絶たれていた。だが態勢が不安定になったところに、今度は押し斬りをしてくる。あえて逆らわず、押し倒されるように転がって躱した。
起き上がる所に、起き攻めの斬撃が襲う。だがその程度は予想済みだ。掻い潜り、下段を払う。
剣を打ち合って、下段を止められる。蹴り飛ばされた。蹴り倒される勢いで転げまわりながら、もう一度下段を払う。剣を上に弾き上げられた。だが辛うじて、手放してはいない。
ノイベルクの剣が振り下ろされ、ゲオルクの剣を叩いた。ゲオルクの剣が、中ほどから折れる。
「馬鹿な」
ハンナが助けに割って入った。ノイベルクの胴を払う、と見せかけて、下段を払う。斬ったと思ったが、衣服だけだった。
ゲオルクは下がり、ハンナとノイベルクの一騎打ちになる。ハンナが顔に迫る剣をぎりぎりまで引き付けて受け、ノイベルクを崩した。
ゲオルクは弾かれたように駆け出し、ノイベルクに跳び蹴りを浴びせた。ノイベルクの手から剣が飛ぶ。蹴倒されたノイベルクに、ハンナが追い撃ちを掛ける。
ノイベルクは起き上がりながらハンナの懐に飛び込み、組打ちに持ち込んで、ハンナを投げ飛ばした。そして剣を拾い、起き上がるハンナを斬り上げた。僅かに切っ先がハンナの胸部を掠めた。すかさず剣を返して、横に薙ぐ。
ノイベルクの剣を払ったハンナが、左右の薙ぎ、そして突きと言う三連撃を繰り出した。
三連撃を躱したノイベルクが、お返しとばかりに上、中、下段の三連撃で反撃する。恐るべき妙技だ。ハンナが押されている。
ゲオルクもただ見ている訳ではない。替えの剣を受け取り、背後からノイベルクの隙を窺っていた。だが隙を見つける前に、ハンナが押し込まれている。これ以上は危険だ。
剣を腰だめにして、気合と共に体ごとぶつかっていった。それが、かえって不意を突いたのかもしれない。剣はノイベルクの右臀部に、根元まで突き刺さった。
「……その力で……貴様は、何を守る……?」
絞り出すように言葉を紡ぎ、ノイベルクの体から力が抜けた。死体が硬直する前に、剣を抜く。
ノイベルク以外の敵兵も、すでに全員が討ち取られていた。オステイル解放戦線リーダー、オイゲン・ノイベルクは、ここで人知れず、その命を終えた。




