廃城襲撃3
傭兵団はオステイル解放戦線との初戦に勝利し、解放戦線の拠点を一つ潰す事に成功した。
これによって、現在のユウキ家の支配領域に近い場所に、解放戦線の拠点は無くなり、一時的なものとはいえ、ユウキ家勢力の安全は確保された。
とは言え、解放戦線を完全に殲滅しない限り、何度でも同じ危機が訪れるであろう事は、想像に難くなかった。
つまり今後傭兵団に下されるであろう命令は、そういうものになるであろう、と言うことだ。
心苦しいものはあるが、軍において命令は絶対だ。疑問をぶつけ、意見を上申することはあっても、すでに下された命令に逆らう事は、許されない。
それに、相手が誰であれ、これは戦争なのだ。戦争でこちらに刃を向けて来る者は、残らず敵兵であり、敵は討ち果たさねばならない。
一度こちらに武器を向けた以上、その者は民衆でも、人間ですらない。敵であり、倒すべき、殺すべき、味方や守るべき者の命を脅かす存在だ。慈悲も、容赦もなく、殺さねばならない。
それができなければ、兵士ではない。兵士を育てるということは、武器の扱いや、集団行動を訓練することよりも、殺しに抵抗を持たなくさせることの方が重要だ。
ゲオルクは傭兵団の砦から、外に出た。正面入り口から出ると、右手側が練兵場になっている。視察の名目で散歩でもしようかと、そちらに足を向けた。
戦から戻ったばかりなので、練兵場にはほとんど人がいない。だから、熱心に鍛錬をしている者がいると、目立った。
「ゴットフリートか。精が出るな」
「これは、ゲオルク様」
「焦って無理をしていないだろうな?」
「はい。体を壊しかねない無理な鍛錬は、ゲオルク様に戒められましたから。こっぴどく」
ゲオルクは笑った。まだ駆け出しと言える頃のゴットフリートは、とにかく急いで強くなろうとして、無理を重ねる事が多かった。元来、短気なところがあるのだろう。
同期の者と比べて、劣るどころかむしろ才能はあった。それだけに、自分の未熟さが良く見えたのだろう。本当に未熟な者は、まず自分の未熟さが分からない。
せっかくの才能を潰さないために、何よりも忍耐を叩き込んだ。むしろ、ゲオルクが教えたのはそれくらいだ。目は掛けたが、専属の教育担当と言う訳ではなかった以上、できる事はそのくらいだった。
「どれ、少し相手をしてやろう。構えろ」
今のゴットフリートがどれほどのものか、見てみたいと思った。お互いに調練用の剣を構え、向き合う。
ゲオルクは、構えたまま動かなかった。元より、自分から動く気は、全く無い。ゴットフリートが動かない限り、何時間でも動かないつもりだ。
ゴットフリートも、鏡を見ているかのように、微動だにしない。時間の感覚が消えた。何時間もこうしているような気もするし、まだ数分のようにも思える。
動かないつもりでいたが、少し隙を見せてみた。誘いだ。隙のようで、本当は隙ではない。誘われて打ち込んでくれば、即座に打ち返す。
誘いだと分かっていても、分かった上であえて乗ってくる事もある。それはそれで、相手の意表を突くことがあるのだ。
だがゴットフリートは、やはり動かなかった。そのまま、また長い時が過ぎたような気がした。
「これを望むに木鶏に似たり、だな」
呟いた。その瞬間、ゴットフリートは鋭く打ち込んできた。一瞬遅れて、ゲオルクも動いた。次の瞬間にはお互いの剣先が、お互いの肩を捉えていた。一見すると、相打ちに見える。
「参りました」
ゴットフリートが剣を下げ、頭を下げる。
「ほう、分かるか」
「相打ちの様で、俺の方が浅い。ゲオルク様の斬撃は、真剣ならば間違いなく死んでいました。
それに、ゲオルク様の方が遅く動いたのに、打ち合ったのが同時ということは、それだけゲオルク様の剣が速いという事です。先に動いた俺を、斬られる前に斬ることが出来るという事です」
「それが分かる域に達したのなら、大したものだ。もう、私が教えられる事は無さそうだ」
「ゲオルク様が呟いたときは、誘いではない、確かな隙だと思ったのですが、あれも誘いだったのですか?」
「いや、あのときは確かに油断していた」
「しかし、その隙を突いた俺は、負けました」
「自然体が、そのまま構えになる。だからあえて構えずとも、いつでも構えている様なものだ。それで本当の隙は消える。だからと言って、負けなくなる訳でもないのだが」
「そんな境地が」
「境地と言うほど大したものではない。私はお前より十歳年上で、その分積み上げたものがある。だから今は、私の方が強いと言うだけの事だ。
私はこれ以上、大きくは伸びないだろうが、お前はまだ伸びる。そしてお前は、お前と同じ歳だった頃の私より、確実に強い」
この歳で、生来の性格に逆らって、待つという事を身に着けている。単純な剣の技術よりも、それが大きい。
いや、生来の性格に逆らっている訳ではないのだろう。元来の短気な性格は、動くべきときに、疾風のような速さで動くことが出来るはずだ。
つまり、持って生まれたものを磨いたことで、短所が消え、長所が伸びたのだ。砥石に掛けて、余計なものをそぎ落とした様なものだ。
礼を交わしてゴットフリートと別れ、水を浴びて汗を流した。知らぬうちに、かなりの汗をかいていた。ゴットフリートがかかせた汗だ。
着替えて、砦の私室に戻った。珍しく、やらなければならない事がない。
オステイル解放戦線の事を考えた。何かが引っ掛かっている。自然発生した農民一揆。そう思われているが、本当にそうだろうか。
最初の火種は、アンハルト郡北部だったと言う。ユウキ家の旧領で、今は総督府の数少ない支配地域だ。
少ない支配地域から利益を得ようと、総督府はかなりの苛斂誅求を行っていると言う噂がある。農民が武装蜂起しても、おかしくはない下地はあった訳だ。
そして一度火が着くと、瞬く間に周辺地域へ拡大した。現在の解放戦線の勢力範囲である、アンハルト・ザール両郡北部は、どちらも支配者不在になり、総督府派諸侯による押領を受け、搾取の厳しい地域だ。
盗賊も横行して、治安が悪化していた。蜂起の火が燃え移るのも、納得のいく地域だ。
そして、支配者のいない、農民による自治宣言。あれで派閥に寄らず、全ての諸侯から危険な存在として目される様になった。
武装蜂起に至った理由を考えると、総督府派であろうと、蒼州公派であろうと、彼らにとっては怨みの深い敵だろうから、これも筋が通っている。
蜂起から今に至るまで、全ての筋が綺麗に通っているのだ。綺麗過ぎる。筋が通りすぎている。本来ならば、もっと彼らの意にも反した事故や、意見の対立があってもいいのではないか。
疑い出せばきりがない。実際にここまで、綺麗に納得のいく形で事態が進んできたのだ。そういう事もあるだろう。
あるいは彼らの中に、たまたま優れた指導者がいて、ここまで上手く事を進めて来たという可能性だってある。
「優れた、指導者?」
そうだ。優れた指導者がいたとすれば、今の情況に至る道筋も、納得がいく。
ではもしその指導者が、たまたま一揆勢の中にいたのではなく、最初からこの事態を目指して、用意した筋書き通りに事を進めていたのだとしたら?
つまり、どこかの工作員が、不満を持つ民衆を扇動して、現在の情況を作ったのだとしたら。
仮にもしそうだと仮定して、その工作は誰の仕業だ? 解放戦線の支配地域は、旧ユウキ公爵家・蒼州公家の領地だ。ならば、それに敵対する総督府派の仕業か? あるいは、朝廷の工作という事も考えられる。
しかし、解放戦線により被害を受けているのはむしろ、せっかく押領した土地を追い出された格好の、総督府派だ。総督府やアイヒンガー家なども被害を受けている。
ならば逆にこちら側。蒼州公派の何者かによる工作か? 今のユウキ家には、それだけの事をする力があるとは思えない。もしユウキ家の仕業なら、傭兵団に解放戦線討伐を命じ、多額の特別予算まで与えたのは、不自然だ。
これが、適当にやらせをするのならばまだ分かるが、先の廃城戦などは、間違いなく互いに本気だった。ユウキ家の線は薄い。
七騎士家、というのも考えにくい。解放戦線を作り上げたとしても、七騎士家には利益が無い。
むしろ小領主とは言え、蒼州と共にその歴史があると誇っている七騎士家には、解放戦線の思想は対極に位置する。絶対に容認できないものであるはずだ。
蒼州公家はどうだろう。かつての領民を放棄させて総督府派を追い出し、その後に公家が帰還する。アンハルト郡から初めてザール郡に広げたのは、あからさまになるのを避けるための偽装。
だがこれも、解放戦線の自治宣言で、辻褄が合わなくなっている。あるいはこの後、やはり自治は上手く行かないとして、蒼州公家の帰還を願うというシナリオかもしれないが、全諸侯を一度敵に回している時点で、リスクが大きすぎる様に思う。
ティリッヒ侯爵家が消去法で残ったが、積極的な証拠はない。ただティリッヒ家は押領で出遅れているので、解放戦線による被害がほぼない。
結局、疑惑は疑惑以上のものではない。あるいは、どこかの工作というそもそもの前提が、やはり考えすぎなのだろうか。
ノックも無く、いきなり部屋の戸が乱暴に開かれ、テオが駆け込んできた。
「どうした」
反射的に腰を浮かせていた。テオが動揺しているなど、めったにないことだ。何か、重大事件が起こったのか。
「ゲオルク殿。勅命が、勅命が下ったそうだ!」
「勅命? 何の勅命だ」
「蒼州公家再興の勅命だ! 公家を再興せよとの勅命が下ったらしい!」
「なんだと!?」
反乱の咎で断絶となっていた蒼州公家の再興が許されたのなら、その罪とされていたものは、全て間違いであったという事が認められたという事になる。
つまり、蒼州公派の主張の正しさが認められたという事だ。
「事実なのか。間違いの無い事なんだろうな?」
「今確認させているが、ほぼ間違いのない情報と思ってもらって良い」
天にも昇る心地とは、こういうのを言うのだろう。諦めずに戦い続けていたのが、報われたのだ。
「しかし、よく公家の再興が認められたな?」
公家の再興が認められる事で、不利益を受ける勢力は少なくないはずだ。旧領を不法占拠している総督府派の諸侯などは、奪った土地を返還しなければならない。
何よりも帝都の朝廷が、自らの過ちを認める事になる。一度逆賊と認定した蒼州公家を再興するとは、そういう事だ。朝廷の威信に、大きな傷がついてもおかしくはない。
「どうやら総督府が、公家の再興を支持したらしい。それが大きいと思う」
「総督府だと? 一番反対しそうなものだが」
「そうでもない。総督府派というが、実際は一枚岩ではなく、その中で総督府の力は、実はあまり強くない。手に入れた利権も多くなく、総督府派内部やこちら側との争いで、むしろ赤字だった可能性が高い。これ以上争い続けるよりも、妥協して戦を終わらせた方が良い。そう判断したとも考えられる」
有り得ることだ。そもそも任期満了まで無事に勤めあげ、中央で次の地位に就きたい総督にしてみれば、終わりの見えない泥沼の戦乱を残して任期を終えるのは、汚点になりかねないのだろう。
むしろここで総督府が蒼州公家の再興を支持すれば、勢力を拡大しつつある総督府派諸侯への牽制になる。総督府に掛かれば、諸侯が不当に得ていた利権など、一夜にして吹き飛ぶのだということを、思い知らせる事ができる。
味方であったはずの諸侯から怨みは買うだろうが、代わりに蒼州公家に恩を売れば、上手い具合に蒼州諸侯らの上に立てると考えたのかもしれない。
いや、そもそも任期が終わってしまえば、今の総督にとって地方領主の恨みなど、気にする様な事でもないのか。
「だが朝廷は? 朝廷はどうして、一時は逆賊の烙印を押した蒼州公家の再興を許した?」
「さて、さすがに中央の情勢や思惑は何とも。ただ、これ以上戦乱が続いて、軍事費の負担が増える事を嫌ったのではないか? 大公が蜂起した頃に、西でも大地震があったと聞く」
「そう言えば大公の蜂起とほぼ同じくして、先帝が崩御していたな。確かに、いま大きな戦をしたい状況ではないだろう」
後は、延臣の争いもあるのかもしれない。先帝の寵臣だった昌国君は、今の皇帝の御世になって以来、冷遇されているという噂だ。
実際、ユウキ合戦の鎮圧以来、帝都に呼ばれる事も無く、自身の領地に腰を据えている。再び蒼州で大乱が起きないように、にらみを聞かせているというのが一般的な見方だが、それを口実に、帝都から追いやられたという見方もできる。
そして今、帝都で実権を握っているのは、外戚のアウストロ一門だという話だ。先帝の時代、外戚派と先帝の寵臣派が、言わば二大派閥だった。
昌国君は本人の意思は別として、寵臣派の二大巨頭の片割れであった。もう一方の頭である通称『鵺卿』は、先帝の大葬が済むと、辞職・隠居してしまった。
おかげで今は外戚派の天下だが、大乱が起きれば、昌国君が出動して功績を立てるかもしれない。そうなれば、今の地位を脅かされると外戚派が考えても、おかしくない。
だからそうなる前に、蒼州の戦乱をとにかく治めてしまおうと考えた。
「蒼州公家の遺臣たちは、今頃卒倒せんばかりに喜んでいることだろうな」
公家再興のために活動を続けているメルダース男爵と言葉を交わしたのは、もう半年以上前の事になる。ゲオルクらには、戦に明け暮れた短い半年だったが、彼らには長い半年だった事だろう。
「何はともあれ、これで蒼州を二つに割った戦乱は収束に向かうだろうな。そして、フリードリヒ大公や、公爵様が思い描いた政が、少しずつでも進んでいくはずだ」
「そうであれば、よろしいですな」
「不安か、テオ? まあ、良く思わない者は多いだろう。しかし、大きな前進を果たしたことは確かだ。この先どれほど困難な道であっても、進む意思があれば進める。そうは思わないか?」
「そうですな。つい悪い事を考えて、備えを考えておかなくてはと思うのが、癖になっている様で」
「それは必要な事だが、悪い事ばかり考えて、希望を仰ぎ見ることを忘れるな。希望を忘れてしまえば、いくら最悪を避けたところでなんになる」
「心しておきましょう。しかし、公家の再興は喜ばしい事ですが、ならばなおさらオステイル解放戦線は討たねばなりませんな」
「そうだな。公家の領地を奪還せねばならないし、彼らは公家再興など認めそうにない」
つまり、ゲオルク傭兵団のやらなければならないことは、何も変わらないという事だ。
しかし、行為としては何も変わらなくても、その意義は大きく違う。今までよりも、ずっと希望に満ちた気持ちで戦える。
これから先は、戦えば戦うほどに、平和に向かって進むと信じて戦うことができるのだ。




