廃城襲撃2
オステイル解放戦線の拠点の一つを攻略せよ、との命令が下った。
拠点は蒼州一の大河ドネウ川の支流域にある廃城で、情報に依れば二千五百人ほどがいるという。
もっとも、全てが戦闘員と言う訳ではなく、女子供老人も含めての数だ。実戦力は六百前後と推定される。
廃城は破損が激しく、防衛施設としての機能はほぼ失っている。とは言え、雨風を防ぐ住居としての機能はまだ維持しており、それ故にこれだけの人数が集まったと言える。
数千の人間が滞在できる拠点の存在は、やはり脅威だ。その一方で、敵を一網打尽にできる好機と言う見方もできる。それ故にこの作戦が立案されたのだろう。
総勢二千五百人が滞在する拠点を、三百人の傭兵団で攻略するのはまともな方法では不可能だ。そのため、夜襲を推奨されている。
ユウキ家からも、正規軍二個小隊八十人を友軍として派遣すると言うことだ。連携して作戦に当たれと言われている。
つまり友軍は、ゲオルクの指揮下には無いと言うことだ。作戦に関しては、上手く納得してもらうしかない。
「具体的な作戦は、現地で敵の備えを偵察した上で決定することになるが、まあ、上の勧める通り、夜襲が良いだろうと思っている」
異論は上がらなかった。
「夜襲なら、同士討ち防止のために、白布などを目印として身に着けるべきだ」
ワールブルクが進言する。
「テオ、用意できるか?」
「容易い事です。他に何か、用意するべきものがあれば、この場で言っていただきたい」
「高張提灯など有ると良い。全体を照らせる上、松明を持つのと違って狙われにくい」
「流石にそれは。提灯はロウソクでしょう。そんな高価な物、数を揃えられません」
「まあ、これは言ってみただけだ。すぐに用意できるものではないのは承知しているが、一応な」
思えば、傭兵団はまだ夜間戦闘の実戦経験がない。調練は積んでいるが、実戦でどう転ぶかは、未知数な部分が多かった。
「とにかく、同士討ちの対策だけは徹底しておこう。いっそ敵に発見されることを覚悟して、目立つ格好をした方が良いのかもしれん」
「手は尽くします」
「うむ。友軍との共同も、どういう形にするか考えなくてはならないし」
小規模とは言え正規軍を送り込んでくるあたり、上層部は解放戦線に対して、相当な危機感を抱いているようだ。そして、この作戦を重視している。
ゲオルクとしても、これから対解放戦線戦が続くと予想される以上、初戦を逃したくはないと思った。
友軍と合流し、廃城へと進軍した。敵に発見されないように距離を置いて停止し、斥候を放つ。
廃城は川の流れが湾曲した窪みに収まるように立地していて、正面以外は川が天然の堀と言う構造だった。しかし、城自体は城壁も半分以上崩壊していて、防御力は無いに等しい。
漁師上がりのデモフェイの見立てでは、川も大分川底が浅くなっているようだ。流れの外側は土が削られて深くなるが、内側は堆積していくらしい。
「他に、気付いた事は?」
「二千五百と言う数は、ほぼその通りだと思います。それと、外から見た限りでは、火攻めが有効だと思います」
「なぜそう思う?」
「破損個所を、板や箱など木材で補強したり、布で目隠ししていました。加えて人数が多すぎるせいか、城内も片づけが不十分で、物が散乱していました。火を掛ければ、一気に回ると思います」
「なら、それで行くか」
元々少数の不利を補うために、夜襲を選んでいるのだ。火攻めが効果的となれば、敵を更に混乱させて、数的不利を補える。
「テオ、全軍に作戦を伝えろ。まず友軍には、松明を持って正面から陽動をしてもらう。その隙に我らが城内を混乱させ、敵の攪乱に成功したら、突入してもらう」
「見栄えがして、美味しい所をくれてやる訳ですね」
テオがにやりと笑った様だが、薄闇の中では良く分からなかった。身を隠すため、照明も最小限に止めてある。
「最初に突入するのは、デモフェイの小隊だ。音を立てずに川を渡り、城内に突入する。デモフェイなら、できるだろう」
「可能でしょうな。その後、残りの全部隊が三方から一斉に城内に突入して、城内を完全に混乱させる。そういう算段ですね?」
「そう先回りされると、言うことが無いな」
正面に注意を向けさせ、その隙に背後から音も無く近づいて奇襲。その混乱に乗じれば、ほぼ抵抗なく城内に突入できるはずだ。
「自分たちが放った火の中に取り残されないように気を付けること。それも加えておこう」
火攻めの効果次第では、正規軍の突入前に敵が城外に脱出するだろう。そのときは、八十の正規軍で、二千五百人を押し止める事になる。
まあ、無理だろうが、傭兵団から兵力を割いても、連携のとれた戦術行動はできないだろう。味方の不協力までは責任を持てない。
「決行時刻は?」
「払暁に近い方が良いな」
「あまり待つと、露見の恐れがあります。特に、正規軍は堪え性があるかどうか」
「そうだな」
所詮民衆の武装蜂起に対して、騎士が夜討ちのためにこそこそ隠れるなど情けない。いかに数が多くとも、日の下で堂々と戦ってこその騎士。そういう思考の者が多い事は、ゲオルク自身も良く知っている。
「仕方がない。決行は、深夜一時だ」
「では、その様に伝えます」
テオの事だ。伝えると言ったら伝えるのだろう。伝えるだけで、向こうの意思など聞かない。
作戦開始時刻になった。ゲオルクは廃城の背後で、五十人を率いて潜んでいた。デモフェイの隊も一緒にいる。今のところ、敵に気付かれた様子はない。
城の正面方向が騒がしくなった。作戦通り、友軍が陽動を始めた。
「じゃ、行ってきますよ。団長」
デモフェイ以下、水練に長けた兵が、音も無く水中に身を沈める。屋内戦になるので、導入したばかりの長槍は持っていない。それが少し、残念だと思った。
深く、流れの早い所を泳ぎ抜け、浅瀬を歩いて進むデモフェイ隊。水中を歩いているのに、水音もあまりしない。魚に逃げられない様に、静かに水中を歩く方法を身に着けたのだと言っていた。
川を渡りきり、すっかり崩れ落ちた城壁の隙間から、鯨波の声を上げて城内に突入した。
「よし、突撃!」
流されにくい様に、数人一組を組んで、助走をつけて川に飛び込んだ。流れに押し流されそうになる者もいるが、組んでいる仲間が助ける。
本当に深い所はほとんど飛び越えてしまい、すぐに胸の深さになる。それでも、歩くと言うより泳いでいて、油断すると押し流されるが、川床は急斜面のように浅くなり、いつの間にか膝の深さ、そして足首ほどの深さになった。
ずぶ濡れだが、これから火攻めを掛けるには丁度良いと思った。火種は決して濡らさぬように、高く掲げて運ばせている。
剣を抜き、城内に突入した。すでに各所で小規模な火事が起こっている。敵は見るからに動揺していて、ゲオルクらの姿を見ても、ただ狼狽えている。
丸腰の相手を殺すのは気が引けるが、容赦なく斬った。味方が次々と川を渡り、廃城内に突入してきているのが分かった。
敵もただ混乱しているばかりではなかった。錆びかけた武器を手に、猛然と反撃してくる者は、一人や二人ではない。しかし、個別に挑んでくるばかりで、連携と言うものが無かった。
それに、いくら暴れ狂っても、こうなってしまえば所詮農民一揆に過ぎなかった。日々鍛錬に励んでいる、傭兵団の兵との実力差は、歴然としていた。
しかし、何と言っても数が多い。それも兵の数が多いだけではなく、女子供までが、敵意をむき出しにして襲い掛かってくる。
包丁などを振り回して抵抗するのはまだ予想されたが、上着を脱いで首を締めようとしてきたり、徒手空拳で羽交い絞めにしてくる。
しまいにはしつこく足に絡み付いてくる老人や、やたらめったらに噛みついてくる子供など、ほとんど無意味な捨て身としか思えない攻撃が、次から次へと襲ってくる。
肉体よりも、精神に効く攻撃だ。こういう輩の相手は、真っ当な騎士には荷が重いだろう。
兵の中にも、さすがに怯んで動きが止まる者がいた。無理もないとは思うが、ここはすでに戦場である以上、動きを止める事は危険だ。殴り倒して、再び戦わせる。
中庭の一角で、ハンナが戦っていた。苦戦している。いや、反撃をせずに、防戦一方になっている。敵を殺す事を、あきらかに躊躇していた。
このままでは危険だと思い、そちらへ向かおうとした。しかし、草刈り鎌や剪定鋏を手にした数人が行く手を阻む。
ハンナが、後ろから組みつかれたのが見えた。振りほどこうとしているうちに正面から、刃物を腰だめにした女が、体ごとぶつかっていった。
女はハンナを刺す前に、助けに入った誰かに首を刎ねられて倒れた。ハンナが組みついていた相手を振りほどき、振り向いて剣を振り上げる。振り上げたまま、剣を止めた。相手は、よくこれでハンナに組みついていられたと思うような老婆だった。
立ち塞がる数人を斬り倒したゲオルクが突っ込み、老婆を斬り捨てた。濁ったような黒い血が飛んだ。
呆然として剣を降ろすハンナを、思い切り殴った。
「戦えないのなら、最初から来るな!」
ハンナが、唇を噛みしめた。だが今必要なのは、感傷ではない。行動だ。
「ゴットフリートに、礼を言っておけ」
ハンナを助けたのは、ゴットフリートだった。傭兵団の運営に忙殺されて、一年近く稽古を着けていないが、いつの間にか相当腕を上げていた。
「ワールブルク殿! ワールブルク殿はいないか!」
「どうした!」
遠くから、ワールブルクが叫ぶ声がする。
「ハンナをそちらへやる。後は頼む!」
師匠であるワールブルクに預けておけば、後は上手くやってくれるだろう。
「ゴットフリート。ハンナ殿を護衛しろ。命令だ」
「はっ!」
「腕を上げたな」
ゴットフリートが一瞬、嬉しそうに笑い、すぐに表情を引き締めた。
ハンナとゴットフリートがその場を去ると、別方向から喧噪が聞こえてきた。正面入り口方向。正規軍が、城内に突入したのだ。
ゲオルクは舌打ちをした。突入は当初の作戦通りとは言え、廃城には大分火が回っている。これ以上あまり長く城内に留まってはいられない。
それは敵にとっても同じ事で、遠からず敵は城外に脱出するはずだ。そこを待伏せた方が、今突入するよりもずっと多くの損害を敵に与えられるはずだ。その程度の判断も出来ないのか。
しかし、すぐに思い直した。ゲオルクもかつて、騎士団の小隊長を務めていた頃は、上からの命令をただこなすだけで、自分で判断するなどは、荷が重いことだと思っていた。
昔の自分ができなかった事を、今、昔の自分と同じ立場にある者ができないからと言って、それを責めるのは身勝手だろう。
炎が廃城全体を包み始めた。破損箇所が多いので、煙は籠らずに抜けていくが、その分火の回りは早かった。火事というものは、加速度的に大きくなる。
「退却! 退却せよ!」
退却の合図を出させ、炎上する廃城から、全部隊脱出させた。城門前を集合場所に決めてあったので、手近な脱出口からバラバラに離脱した兵が、迷う事無く再集結してくる。
傭兵団の脱出に少し遅れて、敵も焼け落ちる廃城を捨てて脱出、逃亡を始めた。それを、騎士団の二個小隊が追撃する。
数が少なく、一つにまとまって突入した騎士団は、追撃に移るのもスムーズに行えたようだ。傭兵団は追撃をしようにも、離脱時にばらけた部隊編成を再編する必要がある。
戦闘には参加せず、僅かな兵と共に輜重等を護衛していたテオが、合流してきた。
「ゲオルク殿、首尾はいかがです?」
「廃城は攻略して、この様子だと再び拠点にはされないだろう。敵は散らしてしまったのだから、まあ良いのではないか」
「騎士団が、勇んで追撃をしているようですが」
「美味しい戦果は彼らにくれてやろう。我らの戦果は、灰になってしまって証明できないからな」
「あと数時間堪えれば、もっと戦果を得られたでしょうに」
日の出はまだ遠い。廃城はほとんどどこからでも出入りができるので、敵は散り散りに逃亡したようだ。この暗闇では、散り散りに逃げた敵を捕捉するのは難しい。
日が出ていれば、ある程度大きな集団を選んで追撃し、徹底的な打撃を与えることも出来ただろう。
「それと、妹が御迷惑を掛けた様で」
「もう聞いたか」
「師匠が使いを寄越してくれました。何とお詫びをすればいいか分かりませんが、とにかく妹の不始末をお詫びします」
「よせ、お前に頭など下げて欲しくはない。それに、ハンナにとっても辛い戦であることは、理解している」
「それならば、戦を始める前に降りるべきでした。それをあいつは――」
「もういい。全て承知している事だ。分かりきった事を言うな」
「では、妹の処罰は?」
「頬を一発殴っておいた。それで十分だろう」
「それは、きつい罰で」
テオが苦笑いともつかない、曖昧な笑みを浮かべる。
「本人の覚悟に関しては、ワールブルク殿に任せればいいだろう。お前も、兄貴面をするチャンスだぞ」
「妹の弱みにつけ込んで立派な兄貴面をする様な、卑怯な事はしたくありませんな」
「それだけで、十分立派な兄をしていると思うぞ」
「ゲオルク殿にも、兄上がおられましたな」
「不仲ではないが、疎遠でな。十年以上顔を合わせていない。まあ、そんな事はどうでもいい。ゴットフリートにも、礼を言っておけ」
「危ない所を助けていただいた様で」
「あれは見どころがあったからな。文武共に才能がある。だからこそ、基礎のしっかりできないうちに、実戦に放り込む様なことはしたくはなかったのだが」
「二十歳で初陣を飾るか、十八で初陣を飾ったかでは、大した違いも無いでしょう」
「十六だ。あいつは、フリードリヒ大公の反乱事件のときも、勝手に志願兵として馳せ参じた」
「十六ですか。まあ、あれだけの事件を目の当たりにして、年齢が足りなくて戦場に出してもらえないとなれば、焦りを感じる気持ちは分かりますが」
「度胸はあるが、度胸の使い所が間違っているのは、どうにかならんものか」
「まあそれこそ、経験でしょう。私のような若造が言うのも何ですが」
「良く言う」
年齢よりも、ずっと老獪で底知れない物を持っているテオが、自分のことを若造と謙遜するのは、どこか滑稽だった。
あるいは、ハンナもあえて戦場に生かせたのかもしれない。テオならば、事前にハンナの危うさを察して、ゲオルクやワールブルクに言って止めさせても良いような気がする。
どうあれ任務は達成した。最低限の目的は達し、それに付随して得たものもいくつかある。
それらが今後にどう影響するかはまだ分からないが、対解放戦線戦の初戦を勝利で飾ったことだけは、間違いなく良い材料であるはずだ。




