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戦争狂奏曲  作者: 無暗道人
Last chapter
104/105

そして誰もいなくなった・後

 昌国君(しょうこくくん)を見送ってから、ゲオルクはまた寝ているときが多くなった。

 寝ているのか、覚めているのか、どちらともつかない微睡(まどろみ)と、気が付けば時が飛んでいる、深い眠りを繰り返した。

 明確に起きている時間は、少しずつ減っている。

 夢をよく見る様になった。ユウキ合戦で、僅かな部下を連れて原野を駆け回っていた頃の事。敗れ、失意のうちに山中で息を潜めていた頃の、行き場の無い思い。

 命令によりゲオルク軍を立ち上げ、運営に四苦八苦しながら、盗賊を追い回していた頃の事。

 金に困るどころか、武器を揃える事もままならず。苦しみながらも知恵を絞って戦っていた。

 あの頃が、一番充実していたかもしれない。夢は、夢のまま遠く。だからこそまだ美しかった。

 何もかも不足している中で、少ない仲間達と傭兵団を作っていく事は、楽しかったのだと思う。

 場面が変わる。夥しい数の人間が地を埋め尽くし、津波のように押し寄せてくる。

 オステイル解放戦線との戦いだ。民を敵としなければならない戦。自分は苦悩しながらも、同時にどこかで目を背けていた。

 心に湧いた疑念を、夢の実現の為と封じ込めた。

 あのとき、もっと真剣に向き合っていたのなら、道は違っていたのだろうか。

 解放戦線との戦いを乗り越えて、ゲオルク軍は精強になった。その後すぐに、蒼州(そうしゅう)公派と総督府派の、果てしない戦に駆け回った。

 誰が敵で、誰が味方か。何が真実で、何が策略か。どこまでが目論見通りで、どこからが予想外の出来事か。全く見分けのつかない、混沌とした戦場だった。

 だがそんな戦場で、ゲオルク軍は武勲を上げ続けた。あの頃は、ゲオルク軍が最も栄光に輝いていた頃だろう。

 たとえ血塗られていても、その輝きは強いものだった。人が集まり。讃えられ。危険視された。

 そして、蒼州公派の総力を挙げての決戦。それは、夢にまで見た瞬間のはずだった。ユウキ合戦に敗れて以来の苦労が報われ、無念の思いを抱いて死んで行った者達への(はなむけ)になるはずだった。

 だがそれは、絶望へと進む道だった。昌国君がいても、敵が強かったという訳ではない。

 何かを、見落としたまま進んでしまった。その何かが分からなかった事が、自分達の敗因なのだと思う。自分自身に敗れ、自壊したのだ。

 その頃にはもう、夢も色あせていた。初めから幻に過ぎなかったのか。それとも自分達の手で、夢から光を失わせたのか。

 目が覚めた。目覚めるたびに、終わりの時に近づいていると感じる。


「ゴットフリート」

「はい」


 近頃、目覚めると必ずゴットフリートがいる。寝ている時もずっと、そばにいるのかもしれない。


「私は恋の一つもしなかったが、今は独り身で良かったと思う」

「なぜですか?」

「州都は、私が破壊し尽くしたのだ。州都だけではない、私は多くの物を壊し、数えきれない人間を殺してきた。それを、その痛みを、忘れたくは無い」

「家族がいれば、忘れてしまうのですか?」

「おそらくな。なにか自分が心地良いと思う場所があれば、辛い事を忘れてしまいそうな気がする」


 それからしばらく、取り留めもない事を語った。起きている間に、ゴットフリートにできるだけ多くの事を語ってやりたい。


「団長。ゲオルク軍は、これからどうすれば良いのでしょう」


 言葉にはしないが、ゲオルクが死ぬだろうという事を、ゴットフリートも感じ取っているはずだ。だから、ゲオルクの死後の事を、何度か聞いてくる。

 ゲオルクはそれについては、何も答えなかった。ゴットフリートにその器があれば、ゲオルク軍はゴットフリートが率いていくだろう。

 ゴットフリートに器が足りず、ゲオルク軍が解散してしまったとしても、それはそれでいい。ゲオルクの名を遺したところで、意味の無い事だ。

 自分は、一介の騎士で。いや、名も無き傭兵で良い。

 ゲオルクが何も答えないので、ゴットフリートはまた別の話題を話し始めた。ゲオルクもそれに、ぽつぽつと答える。


「団長。辛くはありませんでしたか?」

「辛くないはずなかろう」

「そうですが、団長はずっと現実に裏切られてきました。夢を抱きながらも、現実に裏切られ続ける事に、世の中や他人を怨みはしなかったのですか?」

「現実に、裏切られ続けたか」


 言われて見れば、確かにそうかもしれない。しかしゲオルクは、裏切られたという思いを抱いた事は無かった。それを辛いとも、思った事は無かった。


「辛くは無かったな。怨む気持ちも無かった」

「何故です?」

「さあな。ただ、精一杯生きた、という思いがあるからかもしれん」

「精一杯、生きましたか」

「ああ。私はいつだって、自分の全てを振り絞ってきた。振り絞ってみると、満足しかないのだ。戦の勝ち負けすら、どうでもよくなるほどにな」

「勝ち負けが、どうでもよい事ですか」

「昌国君も、同じ気持ちだったのだと思う」


 ゴットフリートは、釈然としない表情をしていた。ゴットフリートは勝ち負けにこだわっているし、疑問には答えが欲しいのだろう。

 それは当然の事だが、案外つまらない事だと、今は分かる。

 これはきっと、自分で感じてみない事には、納得できない事だろう。

 また眠った。次に起きたとき、やはりゴットフリートはそばにいた。どこか遠くを見ている様な、哀しげな眼をしている。それでも、目の光は失っていない。

 自分の目に、光は宿っているのだろうか。


「ゴットフリート。お前、いくつだったかな?」

「今、二十二歳です」

「そんなに若かったか。それすらも、忘れていたな」


 不意にゴットフリートが、眩しく見えた。ゲオルクはすでに通り過ぎた季節に、ゴットフリートはいる。

 歳が若い。という事ではなく、未熟で、単純で、しかし純粋な季節だ。

 ずっと共に戦ってきたが、ゲオルクとゴットフリートの感じたものは違う。ゴットフリートはまだ、失望した事はあっても、絶望した事は無いのだろう。

 恨み言の一つも出てこない絶望を、若者はまだ知らない。この先、それを知るときが来るのだろうか。知ってしまったとき、どうなるのだろうか。

 今はただ、失意の底から立ち上がる力を失っていない、若い力を見る事に、満足を覚えるだけだ。


「ゴットフリート。お前、夢はあるか? 我らの掲げたものとは違う、お前だけの夢が」

「恥ずかしながら、ございません。人が苦しまなければ良いという、漠然とした思いはあります。ですが、叶えたい夢というものは、まるで思いつかないのです」

「意外だな。勉強熱心なお前が。人の世はこうあるべしという理想も、そのために為すべき事も、書物の中に書いてあるだろうに」

「確かに書いてあります。しかし、何かが違うと思ってしまうのです。特に、団長を見ていると」


 書物の中に、生きた人間はいない、という事だろうか。ゲオルクとって学問は、ただ学問でしかなかった。そこに答えを求める事も、してこなかった。

 答えどころか、疑問すら持たなかった。受け継いだ理想を、何の疑問も持たずに追い求めていた。

 ある時からは、疑問を持ち始めたが。結局疑問を突きつめる事無く、全ては幻に過ぎないのだと、考える事を放棄してしまった。

 自分が追っていた夢は、最初から最後まで、自分自身の夢ではなかった。そこを、自分は誤ったのかもしれないと、今は思う。


「私に夢はありません。ですが、団長の様に生きたいとは思います。団長のような男として戦い、生きる事が、ずっと昔から俺の目標です」

「なるほど。その方が良いかもしれんな」


 ゴットフリートに夢は、生きる目的は無い。しかし目標は、望む生き方はある。なまじ夢を持つよりも、そっちの方が良いのかもしれない。

 自分には、夢は重すぎた。夢を叶えるために生きる事は、ゲオルクには重すぎた。自分は、夢に押しつぶされて死ぬのだと思う。

 自分は、英雄などとは程遠い。器の小さな人間だ。その自覚もあった。

 小さな人間として、自分の身の丈に合った誇りさえ守って生きていければ、それで良かった。人に恥じない男でいられれば、それで十分だった。

 だが否応なく、そして自覚の無いままに、死んで行った者達の夢を受け継ぐ事になった。

 受け継がない、という選択肢など無かった。それは、自分自身の誇りに反した。敬愛した人の遺志を継ぎ、自分ができる精一杯の事をやる。それが、己が誇りだった。

 自分の誇りを捨てられなかった。生き方を変えられなかった。だから、運命のいたずらで、不相応な理想を背負って戦う事になった。それは、死へと向かう道だった。

 不満は無い。だが、不器用な生き方をしたものだと思う。そして、他人には勧められない生き方だ。

 もっとよく考え。受け継いだ夢に疑問をぶつけ。答えを求め。自分自身の夢にできていれば、また違ったのかもしれない。

 それを思いつきもしなかったところが、自分の器の小ささであり、限界だったのだが。


「帰ろう。ゴットフリート」

「はっ。しかし、せめてもう少し団長のお体が――」

「帰ろう」

「分かりました」


 どこへ、帰るのだろう。ゲオルク軍の砦でも、インゴルシュタットの城でもいい。自分が好きだった、この蒼州(そうしゅう)の自然と人々が、まだ残っているどこかへ帰りたい。

 馬に乗れないゲオルクのために、ゴットフリートが輿か馬車を探した。景色が見えないからと拒否すると、藁を敷き詰めた荷車を用意した。

 藁の山にもたれ掛って乗ると、案外快適なものだった。なにより、じきに春がくる景色が良く見える。吹く風も、振りかかる日差しも感じられる。


「進発!」


 騎乗したゴットフリートが声を上げる。ゴットフリートを先頭に、十七騎に減った騎馬が進み、その後ろにゲオルクを囲んだ歩兵が続く。

 ユウキ家の旗を掲げた、小さくても、堂々とした行軍だ。

 行先は聞かなかった。全てをゴットフリートに任せてある。砦に向かうのだろうが、ひょっとしたら別の場所に向かうかもしれない。


「日差しは暖かいが、風はまだ冷たいな」


 言ったが、誰も答えなかった。声になっていなかったのかもしれない。

 行軍はゆっくりしているので、景色の細かい所までも良く見えた。どこも荒廃している。それでも、懐かしい風景は残っている。


「ああ、そうか」


 分かった事がある。なぜ自分が、主君ユウキ公爵を敬愛していたのかだ。

 公爵も、この風景が好きだった。蒼州の土地と人々を、愛していた。それが、ゲオルクと同じだった。だから自分は、公爵が好きだった。

 そんな些細で、つまらない理由のために、自分は人生の全てを主君に捧げていたのだ。

 それが、妙にうれしかった。

 眠くなってきた。


「団長。アンハルト郡に入るのは、明日になると思われます」

「うん」


 ゴットフリートが、いつの間にか隣を歩いている。


「砦までは、六日ほどかかるでしょう」

「うん」


 ゲオルクを眠らせたくないのかもしれない。しかし、(まぶた)は重くなってくる。


「帰ったら、何をしましょうか。もう我らの邪魔をする者はいません。まずは軍を再建して、税を取る方法も作らねばなりません。団長が言っていた、小さくても戦の無い国を――」

「ゴットフリート」

「はっ」

「受け入れろ。私はもう、受け入れた」


 ゴットフリートが無言で(うつむ)く。最後まで、世話の焼ける後輩だ。

 薄雲越しに弱い光を放つ、冬の太陽が見える。雲が途切れた。現れたのは、もう冬のものではない、暖かな日差しの太陽だ。


「眩しいな」


 ゲオルクは目を閉じた。馬蹄の響きが聞こえる。そばを、誰かが駆け抜けていった。一人ではない。何人もの男達が、駆け抜けていく。

 追い掛けた。なぜかゲオルクは、馬に乗っていた。追い掛ける先に、光が見える。光に向かって駆けた。光が近づき、大きくなっていく。

 駆け抜けた。全てが、光になった。


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