断頭台への行進3
戦場の少し離れた場所で、ディートリヒ軍と総督府軍が向かい合っている。
ディートリヒ軍はテッセン軍の残兵も加え、およそ五百。総督府軍は夜襲の被害が大きく、四百といったところだ。
容易に決着は着かないだろう。そして、ただ押し合う単調な戦になるに違いない。
つまりこちら側、ゲオルク軍と朱耶軍の戦には介入してこないという事だ。ゲオルクも向こうの戦に介入するつもりはない。昌国君も、同じだろう。
ゲオルクは左腕を失ったので、袖に紐を結び付けて、それを手綱とつないだ。どうにか馬は御せる。
朱耶軍は見た所、鴉軍二百、一般騎兵二百の四百だ。一般騎兵の優秀な者を鴉軍に編入し、再編したのだろう。つまり、あれで全軍だ。
「団長。無理はなさらぬ様に」
「くどいぞ、ゴットフリート」
今日は、風が少々ある。朱耶家の旗が、風になびいていた。
「旗が無いな」
「旗?」
「ゲオルク軍には、独自の旗が無かった」
ずっと、ユウキ家の旗を掲げていた。今ではその旗は、ただの形式だ。そこにこめられた思いの様なものは、無い。
「そうでしたね」
「まあ、私には自分の旗を作る才能など無かったのだが」
旗など無い。それでも、昌国君と戦う。そうするしかない。そうしなければならない。
そういう宿命なのだろう。理由など、それで良い。
そしてどちらかが、死ぬのだろう。
ゲオルクから動き始めた。それを受けて、朱耶軍も動き出す。
昌国君を討つには、歩兵で押し包むしかない。五十騎まで減った騎兵では、昌国君に届かない。
自分自身と、騎兵を囮にして、昌国君を包囲に誘い込む。自分が討ち取られても、昌国君を道連れにできればそれで良い。
こちらの意図に気付いているのかいないのか、鴉軍は掠める様に襲い掛かってくる。まともにぶつかろうとして来るのは、一般騎兵の方だ。
こちらは一般騎兵を相手にする理由は無い。ぶつかり合いを避け続け、鴉軍だけを追い続けた。
鴉軍を正面に捉え、突っ込む。鴉軍は僅かに方向を変え、すれ違いざまに二、三騎を討って駆け抜けていく。その後ろから、騎兵がぶつかってくる。
ぶつかり合いを避け、反転して鴉軍と並走した。鴉軍の方から、並走しながらぶつかってきた。そこへ、背後から騎兵が迫る。どうあがいても、逃がさないつもりだ。
向こうも、ここで今度こそ決着を着けるつもりだ。
ゲオルクは片腕で馬を操りながら、どうにか戦い続けていた。自分の馬術に専念しなければならないので、指揮は半分ゴットフリートに任せざるを得ない。
ゴットフリートが、左と指示を出した。このまま鴉軍に張り付かれていては、背後からの突撃を避けきれないと判断したのだろう。
ゲオルク隊が左に動く。しかし、鴉軍を引きはがせない。
「前!」
ゲオルクは声を上げ、単騎で飛び出した。兵もそれに続き、馬速を上げて前に出る。
それで背後からの突撃を、どうにか振り切った。
すかさず反転し、騎兵に正面から向かう。今なら意表を突いて崩せる。だがぶつかる直前でまた反転した。鴉軍が横から介入してきていた。
そこまで予想済みだ。鴉軍を躱した。鴉軍と騎兵が一体になる。
別々に動かれては厄介だが、合流してしまえば、動きは遅い方に合わせるしかない。
再度反転して、一つにまとまった朱耶軍にぶつかっていく。朱耶軍は、ぶつかり合いを避けて逃げた。
五十騎と四百騎だ。ぶつかり合っても、朱耶軍の優勢は明らかだ。だが乱戦に持ち込み、全ての騎兵を拘束できれば、その間に歩兵で囲む事が出来た。
鴉軍と騎兵がまた別れる。戦いは未だ膠着、と言うべきだろう。
騎兵が執拗に絡み付いてくる。鴉軍では無くても、やはり精強だ。どうしても振りきれない。
その間に鴉軍は、歩兵の方に攻撃を始めた。と言っても、多少突っかける程度だ。それでも、良い様にやられているという焦りはある。
その焦りをかきたてる事までも、昌国君の狙いの内なのだろう。息を整えて、努めて平静を保とうとする。体が火照っているのか、吸い込む空気が冷たく、心地良かった。
鴉軍の方に向かおうとすると、決まって騎兵が背後に着いてくる。動きを読まれているというよりも、誘導されているのだ。
ゲオルクが自分を囮にしている様に、昌国君も自身と鴉軍を囮にする事で、ゲオルクを討とうとしている。
このまま鴉軍を追い続けていては、むざむざ誘いに乗る様なものか。しかし、他にどういうやり様がある。
鴉軍が歩兵隊の端に突っ込んだ。削ぎ落とすように綺麗に断ち割られ、切り離された兵は瞬く間に掃討されて行く。
このままでは歩兵隊が失血死する。もっとも、ゲオルク隊が力尽きる方が先かもしれない。
ゲオルクはもう、鴉軍を追い回す事は止めた。その代り、鴉軍の動きを必死になって読もうとする。
これまでは、動きを読むという事はしてこなかった。鴉軍相手に読み切れるものではないし、読んだとしても、それも昌国君の計算の内、という危険があった。
だが、愚直に追い続ける戦法が通用しない以上、これまで禁じてきた、読むという手段に頼るしかない。
一手でも読み間違えば、あるいは、あえて読まされれば、それは死に直結する。
ここまで来れば、同じ事だ。
「ゴットフリート、しばらく指揮は任せる」
「はい」
指揮をゴットフリートに預け、ゲオルクはひたすら鴉軍の動きだけを注視した。
どこを狙っているのか。その目的は何か。最終的に、どういう形での勝利を昌国君は描いているのか。
狙いも目的も、常に複数ある。そのどれを選ぶかは、目まぐるしく変化している。だから、一手先も読めない。
先ではなく、今を読む。今、この瞬間の動きを読み、対抗策をぶつける。一瞬の判断で、それをするしかない。
「続け!」
ほとんど反射的に口にしていた。考える時間はおろか、自分が感じたものがなんであるのか、確かめる時間すらない。
ただ、これまでの戦いの中で積み重ねてきた全てが、こっちだとゲオルクを導いていた。
ゲオルク隊は、歩兵の背後に就いた。それも中央の背後だ。
「構え!」
歩兵の中から声が上がる。ほとんど同時に、朱耶軍の全てが歩兵の中央に突撃していた。
「掛かれ!」
ゲオルクは剣を掲げ、正面へ振り下ろした。ゲオルク隊が真っ直ぐ、朱耶軍と歩兵のぶつかり合いの中へ入っていく。粉砕される寸前だった歩兵を、後ろから支えた。
昌国君の驚いた顔が見えた気がした。読みは完全に当たり、粉砕されるはずの歩兵中央を支えたのだ。
この機を逃さず、左右両翼が前に出る。朱耶軍の全てを、三方から囲みつつある。
勝てるのか、朱耶軍に。届くのか、昌国君の首に。
「昌国君の首はそこだ! 押せ! 押して押して押しまくれ!」
かすれる程に叫びながら、ゲオルクは前に出続けた。敵の騎兵が行く手を遮るが、ゲオルクは片腕でそれを斬り伏せて進んだ。
もう少し。もう少しで、届くはずだ。討たれてもいい。昌国君と一太刀交える事さえできれば。
だが、手応えが変わった。抵抗が弱くなり、明らかに何かが抜けて行った。
「団長。鴉軍に離脱されました」
騎兵を犠牲にする事で、鴉軍だけは離脱していた。昌国君にしてみれば、味方を盾にして生き延びる様な事は、痛恨の極みだろう。
だがこちらも、包囲に成功した鴉軍を取り逃がした。どちらにとっても痛恨の痛み分けだ。
「歩兵は残る敵の殲滅。騎兵は鴉軍に向かう」
逃げる鴉軍を追う。流石に痛撃を与えていて、百五、六十騎ほどまで鴉軍は減っていた。
だが兵の損耗は、こちらも少なくは無い。
「ゴットフリート、残り何騎だ?」
「三十と……五騎です。私と団長を含めて」
「十分だ」
鴉軍が反転し、ゲオルク隊に迫る。ぶつかる寸前に左に進路をずらし、すれ違いながら剣を交わす。
昌国君とすれ違った。無表情だったが、苦り切ったり、怒りに燃えているよりも、ずっと圧倒的な気を全身から放っていた。
すれ違った鴉軍がまた反転して、追って来る。後ろから来るかと思ったが、横に並んできた。
どう動いても、ぴたりと横に着いてくる。逆にゲオルクも、鴉軍がどう動こうとも引き離されず、同じ間合いを保って駆け続けた。
お互いに隙を窺っている。
鴉軍が馬速を上げた。単純に、速さでゲオルク隊を振り切るつもりか。
ゲオルクは追わず、逆に反転して鴉軍と反対方向に駆けた。
それを見た鴉軍が、横へ動く。ゲオルク隊も向きを変え、鴉軍と並走する。距離を広く取った状態で、またお互いに並走する。
またしても鴉軍が反転する。ゲオルクはむしろ、鴉軍から離れるように駆けた。昌国君の狙いは、ゲオルク隊を歩兵から引き離す事だろう。
騎兵同士の駆け合いで決着を着けようというのは潔く、ゲオルクにも魅力的に映った。だが勝つためには、いかなる手段も厭わない。
鴉軍は、ゲオルク隊に構わず進み続ける。本当に、ゲオルク隊を歩兵から引き離すのが目的なのか。ゲオルクは急に不安に駆られた。
何か見落としている事は無いかと思ったが、激戦の疲労か、頭が良く働かない。
どうしても気になり、鴉軍を追った。
鴉軍は、この期に及んでもなお恐ろしい速さで駆けている。ゲオルクもあらん限りの力を振り絞って、全速力で追った。
鴉軍が進路を変えた。ようやく、その狙いを理解した。そうはさせじと、駆ける。鴉軍の針路上に飛び出した。
鴉軍が突撃してくる。あっと声を上げ、退避を命じた。このままぶつかれば、粉砕される。
鴉軍は、退避したゲオルク隊には目もくれずに走り抜け、陣形を組み直して構えていたゲオルク軍歩兵に、左側面から襲い掛かった。瞬時に歩兵が崩される。
ゲオルクは歩兵を襲う鴉軍の脇腹に突っ込んだ。鴉軍がこうもたやすく脇を突かれるなど、絶対におかしい。おそらく、わざと突っ込ませたのだ。それでも、このままでは歩兵が壊滅する。
案の定、ゲオルク隊が突っ込むと鴉軍は標的を変え、ゲオルク隊を巻き込んできた。乱戦に持ち込む気だ。どれほど無様を晒してでも、ゲオルクを討つ腹を昌国君も決めた様だ。
なるだけ散らばらない様にしながら、ひたすら奮戦した。
ゲオルクと知ってか、それとも隻腕の兵など与しやすしと見てか、敵が殺到してくる。ゲオルクを気遣っているつもりか、ゴットフリートが決して離れずに、鉄鞭を振るっている。
隻腕だからと侮られるのは、ゲオルクにとっても屈辱だ。左腕が無い分、ありとあらゆる手段を駆使して戦う。馬ごと敵兵にぶつかり、叩き落とした。
ゴットフリートが左手に、引きずり下ろした敵兵を掴みながら、右手で鉄鞭を振るっている。
敵兵がゲオルクに斬りかかってくる。馬から叩き落としたが、根性を見せて、落馬しながら斬り上げてくるのを辛うじて受けた。
「昌国君、朱耶克譲卿はどこだ! ゲオルク軍団長ゲオルク・フォン・フーバーが一騎打ちを申し込むぞ!」
「なに、名乗りを上げているんですか団長! 死にますよ!」
「ここで昌国君を討たねば、どちらにしろ死ぬだけだ!」
「ああもう。敵が来ます!」
ゴットフリートの言う通り、ゲオルク目掛けて敵が殺到してくる。
「一度離脱しましょう。こうしていても昌国君は討てません」
舌打ちをして、突破を図った。敵も当然、逃がすものかと遮ってくる。ところが、意外にもたやすく突破できた。外から力が加わっている。
「歩兵が」
鴉軍の矛先がゲオルク隊に向いた事で命拾いした歩兵が、ゲオルク隊を救援しようと鴉軍に攻撃を始めていた。
流石の鴉軍も内外に敵を抱える訳にはいかず、ゲオルクと言う獲物を手放して離脱を図ったようだ。
「追撃だ!」
「団長。残り三十騎を切りました。次が最後だと思ってください」
「分かった。者共、ここまで良く付いて来てくれたが、死ぬ時が来た様だぞ!」
鴉軍が逃げる。ゲオルク隊がそれを追う。景色が飛ぶように流れて行く。ゲオルクは全身から、湯気を立ち上らせている自分に気付いた。それにしては、やけに寒い。冬の戦は、嫌なものだ。
鴉軍が逃げる。ゲオルク隊がそれを追う。どこまで逃げるのか。
前方に、軍勢が見えた。ディートリヒ軍と総督府軍のぶつかり合いだ。もしやと思い、剣で馬の尻を叩いた。しかし、これ以上速くはならない。
鴉軍がディートリヒ軍に突っ込んだ。無人の野を行くが如く、駆け抜けている。
昌国君もまた、どこまでも勝利を求めて戦っているのだと理解した。鴉軍とゲオルク軍の勝負が着かなくても、ディートリヒ軍を潰しておけば、戦はあちらの勝利だ。
その上、ディートリヒ軍の中で戦えば、鴉軍は躊躇いなく蹴散らせるのに対し、ゲオルク隊は味方を蹴散らす訳にもいかない。向こうに有利な情況での戦いを強いられる。
鴉軍がディートリヒ軍の中から抜け出るのを待つなどできなかった。ディートリヒ軍が完全に潰れてしまえば、それこそこの戦は負けだ。
三十騎を切っているゲオルク隊では、総督府軍に突っ込むという、鴉軍の真似も出来ない。
この場で昌国君を討つ。それ以外に、勝つ方法は無く、一刻の猶予もない。最後の戦いの舞台を、昌国君が用意してきた。こちらは、受けて立つしかない。
結局、最後まで戦の主導権は取られっぱなしだった。
歩兵の海の中に飛び込む。隊列も何も無い兵が邪魔で、思うように動けない。部下が離れていく。
向うから、一際見事な黒塗りの鎧に身を固めた武者が駆けてくる。その姿は、とうに目に焼き付いていた。
「推参!」
昌国君が一声上げる。ゲオルクも剣を構え、真っ直ぐ昌国君に向かった。
ゲオルクの脇を、一騎が駆け抜けて昌国君に向かう。ゴットフリートが、昌国君に挑んだ。
剣と鉄鞭が打ち合う。鉄鞭がゴットフリートの手から飛んだ。いや、中ほどから斬り飛ばされたのだ。
昌国君はそのままゲオルクへ向かってくる。武器を失ったゴットフリートが、無念の表情でこちらを見る。済みません、団長。目がそう言っていた。気にするなと、目で返した。
馳せ違う。ゲオルクの兜が飛んだ。剣には、なんの手応えも無い。
数歩進み、馬を巡らしてもう一度馳せ違った。またしても、剣は届かなかった。右肩に熱いものが走る。斬られていた。だが、右腕はまだ着いている。
再び馬首を巡らした。次で、決着だろう。それも、次の一撃は防げない。そう思った。最後の一撃を、届かせられるか。差し違える事ができるか。
酷いめまいに襲われた。落馬しそうになるのを、辛うじて堪えた。まだ決着を着けていない。こんな所で、倒れられるか。
腹の底から、自分でも訳の分からぬ叫び声を上げながら、駆けた。昌国君。近づいてくる。
風が追い越して行ったと思った。赤い風が、ゲオルクを追い越して昌国君に向かう。風が、跳び上がった。
赤鬼の少年が、昌国君に斬りかかった。剣と剣とがぶつかる。少年の剣が折れた。驚いたように目を見開く少年が、馬にはね飛ばされて視界の外へ消える。
邪魔が入ったのか。それとも、最後に運が味方したのか。そんな事を考える余裕も無かった。ただ、確信だけはあった。
「もらった!」
渾身の力を込めて剣を振るう。確かな手ごたえ。昌国君の肩から胸にかけて、赤い線が走った。
駆け抜けた。掌に残っている感触は、夢ではない。討ったのか。昌国君を、討てたのか。
それ確認する間も無く、視界が回った。馬から落ちる間に、世界が暗闇になる。
何も見えない。何も聞こえないまま。地面に落ちた感触だけは、最後に感じた。




