ファーストプレゼンテーション1
皆一様に疲れ果て、本当ならば座り込みたいであろうことは理解していた。
だが無理にでも背筋を伸ばさせ、足を引きずるような真似は許さず、たった十人ではあるが、堂々と行進させた。
武器も鎧も十分ではない騎士たちではあるが、それでも川で服を洗い、武器が無ければ棒を持たせて、体裁だけでも取り繕っている。
それが彼らの、そしで自分の命を守ることでもある。明らかな落ち武者の一団。しかも十一人足らずとなれば、いつ農民に襲われるかも分からない。虚仮威しでも堂々としていれば、少しは躊躇わせることができる。
風に、微かな潮の臭いが乗っていた。
「みな、もう少しでビーベラハだ。そこまで行き着けば水も食糧もあるぞ!」
虚ろになりかけていた騎士たちの目に、再び光が灯った。思うように動かない脚を動かして道を急ぐ。
やがて眼前に、海沿いの小さな城が現れた。城の城壁や塔の上で旗が靡いているのを見たとき、騎士たちは喝采を上げた。
ゲオルク・フォン・フーバーも、ようやくこの困難な任務を成し遂げたのだと言う安堵を感じ、疲労からあやうく意識を失いかけたのだった。
◇
食糧は十分ではないが、ともかく安心して眠ることが出来た。一晩眠るつもりが、目が覚めるとすでに昼だった。慌てて身支度をして、城主に挨拶に赴く。
「ユウキ公爵家家臣、ゲオルク・フォン・フーバー、帰参いたしました」
「良く帰って来てくれた。ゲオルク殿」
「ツィンメルマン卿も御無事で何より」
ツィンメルマン卿に促されて席に着く。一年前ならば、机には葡萄酒と茶と菓子が所狭しと並べられていただろう。今は、何もない。
「現在の情況については、どこまで知っている?」
「ともかく生き延びることが第一で、ずっと山野に隠れていましたもので」
「ならば、最初から全部話すのが良いだろうな」
ツィンメルマン卿はまず二年前、帝歴393年の事件から話し始めた。フリードリヒ大公の反乱事件。反乱自体はすぐに鎮圧されたが、あれが全ての始まりだった。
翌394年。謀反人として処刑されたフリードリヒ大公に賛同するこの蒼州の諸侯が、一斉蜂起して大乱が始まった。その中心勢力がゲオルクやツィンメルマン卿の主家、ユウキ公爵家だ。
蒼州を真っ二つに割った大乱は、今ではユウキ合戦と呼ばれている。そして蒼州公派と呼ばれるユウキ家の派閥は、蒼州総督府を中心とし、その背後には帝都の朝廷が控える総督府派に敗れ、ユウキ公爵家も断絶した。
ここまではゲオルク自身も一介の騎士として、その渦中に身を置いていた出来事だ。
騎士は普通七歳から見習いを始め、武芸だけではなく、礼儀作法や学問も修練を積んで、二十歳で正式に叙勲される。いわばエリートだ。
ゲオルク自身もその例に漏れず、木端貴族の二男として生まれ、兄が家を継いだら分けてもらえるような財産も無く、騎士として生きることを余儀なくされた。
皇族である蒼州公家を除けば、蒼州最大にして最高位のユウキ公爵家の騎士として勤め上げ、何度か武勲も立てた。このまま順調に出世を重ね、引退と同時に小さな領地を貰って、悠々と余生を過ごせると思っていた。
ところが二十八にして主家が潰れ、落ち武者に身を落とすとは。同じ様な境遇の者は、蒼州全土で一万人以上いるだろうが、まさしくお先真っ暗だ。
しかし、今はまず生きる事を考えねば。
「公爵家の生き残りは、どれほどいるのでしょうか」
「君のように一旦散った者達が集まって来て、まだそれなりの勢力は保っている様だな」
ユウキ家の残党は今、四人の生き残った家臣がまとめていると言う。その一人が以前からゲオルクの上司でもあった、このペーター・フォン・ツィンメルマン卿だ。
他に三人、ヴィーラント・フォン・ディードリヒ卿。エドウィン・フォン・ツィーグラー男爵。スヴェン・フォン・ケーラー男爵の、合わせて四人がそれぞれ遺臣をまとめているらしい。
現在の戦力は、ツィンメルマン卿とディードリヒ卿の下に三百いるかいないか。ツィーグラー、ケーラー両男爵の下にはそれぞれ一千程度。総勢二千五百を少し上回る程度だと言う。
戦に敗れた残党にしては多い方かもしれないが、戦前のユウキ公爵軍は、騎士一万人を数えたのだ。それに比べれば、情けない有様だった。
「そう言えば、公爵様は?」
「それも知らぬのか」
「ええ。あっという間に軍勢が崩されて、主君を探すことも出来ない混乱に巻き込まれましたので」
「公爵様は、討ち死になされた。若様やその他の御家族も城を囲まれ、皆自害なされた。ユウキ公爵家は断絶だ」
ツィンメルマン卿の表情は、苦しそうだった。心なしか震えている様にも見える。
「北の変州に、分家があるでしょう。そちらが宗家を継ぐ形になるのでしょうか?」
「どうかな。今やユウキ公爵家は蒼州公家と並んで、謀反人の家だ。再興は難しいのではないかな」
ある程度覚悟していたことではあるが、やはりショックだった。何よりゲオルク自身、ユウキ公爵も、蒼州公フリードリヒも間違っていたとは思えない。
どちらも、蒼州のためを思って兵を挙げた。彼らに賛同した者の多くは、そう思っているはずだ。
「今後の方針については、我ら四人で近々会議を持つことになっている。方針が決まるまでは、君もゆっくり休むと良い」
「では、その様にさせていただきます」
卿の居室を出ると、廊下の窓から海が見えた。漁船だろうか、小さな船が一艘浮かんでいる。
自分の乗った船の行き先は、全く見えなかった。
◇
四遺臣による会議は、相当難航している様だった。会議が始まってもう三日になるが、未だに方針は決まっていない。会議の内容は、給仕に出入りする者などから、断片的に聞こえてくる。
大雑把に分ければ、主戦派と非戦派に分かれているようだ。ツィンメルマン卿とツィーグラー男爵が主戦派。ディードリヒ卿とケーラー男爵が非戦派という構図のようだ。
主戦派内、非戦派内でも温度差があるらしく、ツィンメルマン卿は今すぐにでも反撃に出て、我らは決して屈しない姿勢を示すべきと唱える最過激派。ツィーグラー男爵はもう少し戦力を充実させ、戦略を練ってから反撃に出るべきという穏健な主戦派のようだ。
ゲオルクは心情としてはツィンメルマン卿に、理性としてはツィーグラー男爵に賛成だ。
非戦派のうち、ケーラー男爵は今持っている領地と財産だけでも認めてもらう形で講和しようという、完全に非戦降伏派だった。
いまさらそんな要求を受け入れられるはずがない。総督派は止めを刺すまで手を休めないだろうと反論されている様だが、彼の下に結構な人数が集まっていることを考えると、同じ意見の人間は少なくない様だ。
ディートリヒ卿はその間で態度を決めかねている感じで、完全降伏には反対だが、どう戦っても勝てる気もしないと弱気らしい。その根拠として、兵力に勝っていた我らユウキ公爵の軍勢が、昌国君に完膚なきまでに叩き潰された事を上げている。
昌国君。蒼州の北隣・変州に領地を持つ伯爵で、二年前の大公反乱事件と時を同じくして崩御した、先代皇帝・霊帝の右腕として重用された武人だ。
大公の反乱を独断で鎮圧したのも彼だし、ユウキ合戦では正式に征東将軍に任じられて、総督派の総帥を務めた。蒼州公派は、一人昌国君によって敗れたと言っても過言ではないだろう。
その昌国君がいる限り、十倍の兵力があっても勝てる気がしない、と言うのがディードリヒ卿の主張らしい。すでに将軍職は解任されているが、総督府の要請があればすぐにでも出動してくるだろう。
難しい問題だ。容易に結論が出ないのも頷ける。かと言ってゲオルクには、特に何かができる訳でもなかった。城の中庭で、剣を振るくらいだ。
「ゲオルク殿! ゲオルク殿じゃありませんか!」
聞き覚えのある声で名を呼ばれた。目を開けると、二十歳を超えたばかりくらいの若い騎士。二、三歳ほど年下だろう女性騎士。四十歳くらいの女性騎士の三人がいた。
「テオ! テオドールか! 一年ぶりか?」
テオドール・フォン・ネーター。蒼州公派として参戦した、七騎士家と呼ばれる名門の一つ、ネーター家の次期当主だ。
「ハンナも相変わらずのようだな」
テオの隣にいるのは、彼の妹のハンナ。女らしさとは無縁で、武芸好みなのは変わっていない様だ。
「変わらなすぎて、未だに縁談を逃していますよ。今年中にまとまらなかったら、もう二十歳になってしまいます」
そう言ったテオを、すかさずハンナが締め上げた。テオの方は武芸がさっぱりな事も、変わっていない。
「兄上! 兄上がそんなだから、家宝の剣と鎧もこの通り私がいただく事になったのです。恥ずかしいとは思いませんか!」
ハンナは黄金色に輝く真鍮製の鎧を着て、やや古めかしい騎士剣を佩いている。
「ハンナ。それではテオがしゃべれんぞ」
年嵩の女性騎士に言われて、ハンナがテオを離す。テオがうずくまり、喉を押さえて咳き込んでいる。相当本気で締め上げたらしい。
「初対面ですな? ゲオルクと申します。ネーター家の兄妹とは、以前から面識がありまして」
「ディアナ・ワールブルクだ。武術師範としてネーター家に雇われている。今は、弟子でもあるこの二人の護衛みたいなものだ」
年齢のせいもあるだろうが、身が引き締まるような声の女性だった。うっかりだらけている所を見咎められれば、厳しい叱責の言葉が飛んでくる。そんな印象だ。
この歳の女性でありながら隙のない身のこなし。ゲオルクも腕には自信があると思っているが、経験の差で負けるかもしれない。おそらく、実戦も経験したことがあるのだろう。
「三人はなぜここに?」
「私は父上の名代として。場合によってはこのまま、一兵卒でもいいから参戦するようにと」
「まだ戦ってくれるのか」
「当然です。蒼州の土地と民を守る事は、騎士家にとって何よりも大事な事。中央の搾取など、見過ごすわけにはいきません」
「そうとも兄上。我らネーター家は、裏切者のシュレジンガ―家とは違う」
七騎士家は勢力こそ小さいが、未開の地だった蒼州を最初に開いた七人の騎士の末裔として、帝室よりも古い伝統を誇る家柄だ。その名声は馬鹿にならない。
爵位を持たないのも、帝室から爵位を受け取って臣従する気などないと言う誇りから、叙爵を拒否し続けているからだ。
またその来歴上、帝国や帝室、朝廷よりも、蒼州の利益を重視する。こちら側に着くのは、必然と言って良かった。ただユウキ合戦の末期に、七騎士家の一つであるシュレジンガー家だけは総督府派に走り、以来七騎士家全体としては微妙な立場にある。
「だからと言ってお前、女が好き好んで戦に出るなど」
「初陣で腰を抜かした兄上よりはマシだ」
「あれは……!」
テオが狼狽する。
「抜かしたのか? 腰」
「相手が昌国君でなければ、そこまで無様は晒しませんでした」
「何を言うか。兄上は昌国君とは直接ぶつかっていないだろう。隣の部隊が蹴散らされたのを見て、腰を抜かしたのだ。情けない」
「それほど凄まじい戦だったのだ!」
しゃべればしゃべるほどテオがボロを出していく。どこで、そのくらいにしておけと止めるかを図り始めた。
「ふん。七騎士家の人間とあろうものが、情けない! 騎士の名門は名ばかりか!」
「なにっ」
また別の誰かの声。テオの顔に流石に朱が差す。見れば、テオと同じくらい。いや、微かに幼さを残しているので、ハンナと同じくらいの歳の騎士がつかつかと近づいてくる。
「ゴットフリート。お前も生きていたか」
「おかげ様で。ゲオルク様」
ゴットフリート・ベルンシュタイン。まだ十八歳の騎士見習いだ。ユウキ合戦の前は、ゲオルクも何度か面倒を見た。武芸も学問も筋の良い男だ。
「お前、人を殺したか?」
鎧に微かに血の跡があった。まだ正式な騎士ではないゴットフリートが実戦に出るのは、ゲオルクとしてはあまり喜べる事ではない。
「戦になれば歳なんて誰も構いやしません。連中、村々を片っ端から焼くわ奪うわ、殺さなきゃ殺されますよ」
昌国君の部隊は規律が厳しく、略奪暴行の類は一切無かった。しかしユウキ公爵家が滅び、曲がりなりにも反乱が鎮圧されたとされると、昌国君の将軍職は解任され、総督府を含めた総督府派の諸侯によって治安維持が為された。
しかし現実は治安維持どころか、所有者を失って宙に浮いた土地利権の奪い合いだった。その過程で、略奪暴行の類は際限なく行われ、盗賊は雨後の竹の子のように起こっている。
「俺は具体的な政策やらは分からないが、蒼州公や公爵が蒼州のために戦いを始めたことは理解している。騎士の、軍人の役目は、戦に勝ってそれを実現させてやる事だろう?」
「そうだな。私もそう思うよ」
「俺はまだ騎士じゃないから先の戦には出してもらえなかった。でも今からでも蒼州公や公爵の考えを実現するために戦いたいと思っている。ところがそこの御曹司様はどうだ。戦に出て、ろくに戦いもせずに腰を抜かしただと? よくそれで自分を騎士だと思えるな」
「貴様……!」
テオは比較的温厚な性格だったはずだが、さすがに顔を真っ赤にしている。剣の束に手を掛ける前に、割って入った方が良いか。
「いや全く、お前の言う通りだ。ゴットフリートと言ったか、お前兄上よりよほど立派な騎士だな」
ハンナが親しげにゴットフリートの肩を叩く。それでテオも気を削がれたようだ。
「全く。威勢がいいのは良いが、前に出るばかりでは早死にするぞ。生き延びてこそ勝利もあるのだ」
年長者として諭すような事を言ったが、半ば自分に言い聞かせていた。この一年で、長く付き合った騎士仲間の半分以上が死んだ。
自分が生き残ったのは、いつか勝利して、彼らの犠牲を無駄にしないためだ。日々そう言い聞かせている。
「そうだぞ、ハンナ。勇気と無謀の違いは良く教えたはずだ」
「分かっています、先生。実戦では無茶はしません」
だから、実戦に出て欲しくはないというテオのつぶやきは、無視されていた。
◇
五日経って、ようやく会議は一応の決着を見せたらしい。どういう結論が出たかは分からないが、会議が終わってすぐにゲオルクは呼び出された。
一体何事かと訝しみながらも参上すると、四遺臣全員が待っていた。これには流石に身が引き締まる。どうやらただ事ではなさそうだ。
「ご用件は、なんでございましょうか?」
「うむ。まず会議の結果として、とにかく当面は戦力の拡充に努める事となった。戦うにしろ、講和を交渉するにしろ、ある程度の戦力があった方が有利だからな」
ツィンメルマン卿が代表して話す。要は、会議では何も具体的な結論は出せなかったと言うことだ。今後の見通しも無く、ただ戦力だけは少しでも回復させておくと言うことだ。
「妥当な結論かと思います」
これは建前。
「ついては君に任務を与える。適当な人選を協議した結果、君が最も相応しいという事になった」
「なんでしょうか?」
嫌な予感がする。
「公爵家専属の傭兵部隊を新たに設立する。その部隊長が君だ。新たな傭兵団を編成したまえ」