第4話 魅力あふれる証券アナリストになろう
決算期の繁忙も終わり、私は、目の前の企業診断レポート作成に取り掛かる。
証券アナリストとして年数を重ねても、それだけで後輩アナリストを顎で使える身分になるかというと、そうではない。
魅力あるアナリストレポートが書けないと、花形アナリストにはなれないのだ。
そのアナリストの評価は、レポートの閲覧、つまりダウンロード数で判断される。
私のレポートもダウンロード数は3年目にしては多いほうだが、いかんせん業界二番手企業の担当が多いせいか5桁に届かない。
一度、5万ダウンロードを記録したレポートもあるのだが、そこには会社役員の横領事件というアクシデントが入っての追い風参考数値だ。
対して、ダリルリンチの花形アナリストの玲・チャールス・ロイドの市況全般レポート『兜町マンデー』のダウンロード数は、その日のうちにコンスタントに10万を超える。
他にも、世の中にアナリストは腐るほどいて、掃いて捨てるほどアナリストレポートは出されている。
その中で、花形アナリストのように『レポートで取り上げられた銘柄は株価が動く』と言うまでに読まれるものは、なかなか無い。
かといって、週刊誌のような特ダネ狙いは、インサイダー規制に抵触するため公表できない。
ほかにも、特定企業や業界の誹謗中傷は当然のこと、行き過ぎた賛辞も時には企業や投資家から訴えられるリスクを負う。
まずは『魅力あるレポートが書ける』ところがポイントだが、私には、読者を魅了するテーマが思い浮かばない。
『魅力ある』と言うのは、素人目にも分かりやすく、自分でもこうすれば儲けられるんじゃないかという気になってしまうような、投資テーマを打ち立てないといけないのだが、現実は厳しいものである。
まあ、私にそんな筆力があれば、これまで書いたレポートで才覚が認められているはずだし、仮に素晴らしい投資理論を知っていれば、自分で先に実行しているまでだ。
2007年8月、仕事も一段落し、私はテーマレポートの何かヒントをと思って、クイックの端末を叩いてみて驚いた。
それは、金融業界ではちょっとしたイベントであった。
《仏証券大手、ドイツ産銀救済の過程でファンド払戻を凍結=速報QCK》
《仏BMPバリダ証、サブプライム関連ファンドで払戻を停止=NKJ》
《サブプライム問題再燃、欧州でCDSプレミアム急上昇・市場速報》
クイック端末に流れるニュースを読むと、仏の大手証券BMPバリダが市場流動性が回復するまで傘下のサブプライムローンファンドの解約停止を一方的に宣言したとのことだった。
おかげで、ドイツ産銀の救済よりも、サブプライムファンド払戻凍結のほうがクローズアップされ、クレジット・デフォルト・スワップ(金融破綻リスクを補填するデリバティブ商品)の価格が急上昇しているようだ。
見た瞬間に胸を刺すような感覚と、シャロンの声を聞いたときと同じような既視感に包まれる。
そのまま、放っておくことができず、私は一週間、会社のブルームバーグやロイターなどの端末を叩いて情報を集め、海外のアナリストレポートでサブプライムローン問題に警鐘を鳴らしているものを貪るように読んだ。
サブプライムローンと言うのは、1990年台後半に米国で扱われ始めた住宅ローンだ。
公的金融会社のファニー・メン、フレディ・マクドなどが住宅を買えそうにない低所得者層向けに、将来の中古住宅売却金額で元本を完済するというトンデモな住宅ローン貸付を始めたのだ。
サブプライムローンを組んだ当初5年はローン返済をほぼゼロにする、そして、車を乗り換えるかのように物件を乗り換えて住宅を売ってローンを返済し、立て続けに新居を担保に新たな住宅ローンを組む。
要するに5年後に住宅を手放すか、本格的にローンを払うかは債務者が選択することになっており、2004年頃までは順調にローン商品として機能していた。
そして、貸し手がサブプライムローン債権を切り売りする市場まで整備された。
しかし、2005年以降、中古住宅市場が下げ始めると立ちどころに、このインチキ商品は馬脚を現すことになる。
サブプライムローンの債務者破綻が相次ぐと、住宅金融のファニー・メン、フレディ・マクドの関係者が大変なことに……という単純な話ではない。
サブプライムローン債権は投資商品として、モレガン・スタンレー、リーマン・シスターズ、ダリルリンチを始めとする投資銀行が購入し、それを高利回り商品と銘打って大々的に投資家に売り出している。
そう、住宅ローンの破綻リスクは、投資銀行を通じて多数の投資家にバラ撒かれてしまっていたのだ。
今回、BMPパリバの騒動はサブプライムローンを自己勘定では買い取れずに、責任を投資家に丸投げしたにすぎない。そのため、一時、サブプライムローン証券の格付け動向がネガティブ一色になった。
しかし、本場、米国の投資銀行は多額のサブプライムローン商品を投資家に売却しており、将来にわたって販売する予定でいた。そのため、売りに出されたサブプライムローン商品を自己勘定で買い取り、市場を支え投資家を欺いた。
おかげで、表面上は危機が終息し、投資家の動揺は抑えられた。
しかし、他方で新規のサブプライムローンの新規融資の実行が止まったとの噂が聞こえてくる。
それまでローン返済をせずに、2〜3年で住宅を転売し新築住宅に住み替えていた米国のサブプライムローンの利用者は、住宅の買い替えができなくなったのだろう。
そして、サブプライムローンバブルが弾けて、ローン破綻者の住宅は容赦なく競売にかけられる。
しかし、買い手が居なくなった今、競売したところで元が取れる訳がない。結局、競売不成立か安値売却になるか、どちらにせよ、サブプライムローン証券が紙クズになり、保有している投資家が損をする。
ただ、パリバ危機の際、投資家のサブプライムローン証券を買い取った投資銀行は極めて危うい。
この話の根は深く、及ぼす影響は限りなく大きい。私の心の中に、既に核心のようなものが芽生え始めていた。
――――米大手投資銀行の自己勘定資産は、買い取った不良債権の山だ。
私は自分の直感を確かめようとダリルリンチの連結財務諸表をめくる。
ただ、肝心の細かいサブプライムローン証券のポジションが確認ができないため、決算書の注記を見て確認すると『トレーディング目的で保有する金融商品は時価4500億ドル(=約45兆円)』と記載がある。
時価45兆円の金融商品が債券市場で売ることが出来ないなんて、時価がおかしいか、市場が狂っているか、はたまた、その両方だろう。
だが、第2四半期の米国投資銀行の決算は依然として増益基調を維持している。
――――五大投資銀行が消滅する。会社が消える。そして、それは巧妙に隠されている。
私は取るべきリフレッシュ休暇を潰して、サブプライム・ローンをテーマにレポートを書く準備に入った。
この時期、私こと椎野憂の社畜度は証券アナリストという職業領域を超え、さらに企業のブラック度を超えた域に止揚されることになったようだ。
※サブプライムローン……90年代後半から2000年代前半に見られた米国の非優良先向けの住宅ローン。債権者の支払余力によって分類され、上位からプライムローン、Alt-Aローン、サブプライムローンに分けられる。元金の返済をせず、利息のみを支払って、2〜3年後に値上がりした住宅を転売して利ざやを抜くローン利用者が多くみられた。