最終話 雨後春荀
北日本旅客鉄道の実力派常務の退任は、土曜日の報道で大きく取り上げられることになった。
北日本旅客鉄道で経営内紛か 東部日本派遣の常務が辞任
【札幌・14日】 経営再建中の北日本旅客鉄道は、14日夕方、同社砂田常務取締役・鉄道事業本部長から出された辞任届を受理したと発表した。
北日本旅客鉄道は来年度にも経営安定化基金の鉄建公団による運用が打ち切られると見られており、300億円の減収対策を含めた経営再建計画の策定を進めていた。そのなかで、同社と同じグループ会社の東部日本旅客鉄道から技術支援の一環で派遣されていた砂田常務は、固定費のさらなる削減と赤字路線の廃止を進めていたとされ、同社経営陣と経営再建路線を巡っての対立があったものと予想される。なお、砂田常務の退任会見等は予定されていない。後任の常務は同社のプロパーの黒岩取締役、鉄道事業本部長には同副本部長で総務部長の入木取締役が就任した。(北央新報)
そして、NR東部日本からの派遣役員の解任に驚いた国交省は、NR北日本とNR東部日本に対し緊急ヒアリングを実施すると発表した。
かねてからNR北の経営状況は厳しいと言われていたため、取り立てて信用不安を煽るようなことはなかったものの、上場企業であるNR東部日本には少なからぬ影響があった。
◇◇◇◇
NR北日本の報道があった翌週の月曜。
朝早くから出社していた鷹取社長が、紫煙を燻らしながら日本橋のビルから外を眺めていると、スマホの振動音がする。
そこに映った発信者情報に、少し緊張感を覚えながら電話を取った。
「もしもし、清塚社長。ダリルリンチの鷹取です」
「ああ、鷹取社長。お忙しいところ申し訳ありません。なにせ、我が社が期待して送り出した砂田君がほうほうの体で北日本から戻ってきましてね」
「はい、その件は弊社の椎野という課長が暴走しましてご迷惑を……」
「それだけじゃないんですよ。今週、国交省から運輸安全マネジメントに基づいて評価担当官による調査がありましてね。安心安全を旨とする交通事業者としては、こうしたヒアリングを受けること自体、あってはならないことなんですよ。NRグループのフラッグシップ・カンパニーとしてNR北の技術支援を申し出ている関係上、NR東部として疑いを持たれるようなことは一切許されません。そのことは砂田君にも強く言い含めまして、既に、彼は長野支社管轄の関連会社に出向させました」
「さ、さすが清塚社長。安心安全に掛ける気概、おみそれしました」
「いえいえ、信賞必罰。当然のことをしたまでです。あと、執行役員の多田なんですが、なにか、みすず証券さんとトラブルを抱えていたようでして、今、専務の河東が直接、事後処理にあたっています。先方は、主幹事証券を四菱東京証券さんに変更したことについて当社の説明不足を言われているようで、河東も困り果てています。もちろん、一度決めた四菱東京の主幹事を変更するのは、時期的にも難しいと言ってありますよ」
「それはそれは、お手数をおかけしてます。また今後ともどうぞ……」
「いやいや、鷹取社長。主幹事を見直す以上、銀行政策についても財務戦略上、見直しをさせました。他行の手前、バランスを取って、来春以降は『みすず銀行』さんをメインバンク、『四菱東京証券』さんに主幹事の体制で、お願いすることになります。これから、メイン行の四菱東京銀行さんにお伺いをして説明をさせて頂くことになってます。それでは、失礼します」
「え、清塚社長っ、……清塚社長?」
一方的に通話が切れ、狼狽する鷹取社長の顔からは、すっかり血色が失われていた。
◇◇◇◇
さて、話を日本経済全体の話に戻すと、リーマンショックによる金融危機の嵐は、ひとまず去った。
リーマンショックから立ち直ったダリルリンチ・グローバー証券は、さっそく日本国内の事業体制の見直しに着手し、四菱東京証券との提携を解消する方向で動いた。
結論から言うと、ダリルリンチ・グローバー証券の富裕層営業部と地方拠点を四菱東京証券に譲渡して、ダリルリンチは東京のホールセール部門に経営資源を集中することとなったのだ。
その結果、提携関係を解消した後、ダリルリンチ証券から鷹取氏が去り、改めて米国本社から社長が送り込まれて来る段取りとなっている。
鷹取氏は、四菱東京銀行には戻ることができず、そのまま四菱東京証券の役員に転籍となったらしい。
同じく、出向で来ていた梁田氏は、組織再編のドサクサに紛れてお咎め無しとなったばかりでなく、四菱東京証券の法人営業部長に就任することになった。
鷹取氏の退任に伴い、御用部署の『社長室』はなくなり、山崎さんは法人営業副部長として法人営業部に2年ぶりに復帰することになった。
「銀行の子会社証券の役員に転籍とはね。これで鷹取社長も出世レースから脱落か」
船橋部長が、山崎さんの栄転祝いに銀座の動かない鮨屋に連れて行ってくれたときに、ポツリと呟くように言っていたのが印象に残っている。
さて、日本経済連会館のオリハルコンホールは、ダリルリンチ日本橋本店から東京駅を挟んだ大手町側にある。
企業の大型合併などの記者会見の場によく使われる会場だ。
「立派なハコですね」
私が言うと、山崎さんが言う。
「椎野先生の初仕事ですから、法人営業部としても気合を入れないとなあ」
「山崎副部長の初仕事、でもありますからね」
「それはないよ。でもさ、NR北とNR貨物の経営統合はふつうに見て『事件』だから、相応しいハコで記者会見させないと法人営業マンのセンスが疑われちゃうよ」
笑顔でそう言うと、山崎さんはスルスルとNR両社の関係者の輪の中に入っていく。
私は少し手持ち無沙汰になりながら、会見資料をめくってみる。
そこには、上下分離した日本最大の第2種旅客鉄道事業者『NR北』と、日本最大の第2種貨物鉄道事業者『NR貨物』が経営統合により、鉄道事業の運輸部門、不動産部門、その他非鉄道事業部門で相互に協力し、効率的な事業体制を目指すと謳い上げている。
私は記者会見が始まるまでのあいだ、関係者席で手持ち無沙汰にしていると、シャロンの声がする。
「椎野かちょー、賭けの回収に参りました」
「藪から棒だな。暇なら山崎さんの手伝いでもしてきたらどうだ?」
「山崎さんは……栄転をこの前お祝いしたので、次はかちょーの番です」
キメ顔で言うシャロンに、私はピンときて言う。
「例の賭けなら、札幌の駅ビルで奢っただろう」
「駅ビルの回転寿司は、いつものことなのでノーカウントです」
非道く暴利なことを言い出したシャロンは、私を手招きしてホールの外廊下に誘う。
廊下に置かれた長椅子に腰掛けると、罰ゲームの開始を宣告する。
「いったい、何をする気だ? 3時から会見が始まるって言うのに」
「まだ2時半ですよ。かちょー、グズグズ言わずにこちらに座って下さい」
言いなりになってソファに腰掛けるのは気が進まないが、賭けに負けた負い目はある。
「さっさと済ませてくれ、シャロン」
「はい、それでは目を閉じて下さい……そのまま、薄目は禁止ですよ」
シャロンの声が隣から前に、そして目の前に移って、口唇につるんとしたリップの感触が触れる。
「……かちょー、ごめんなさい」
「……?!」
身体を雷で打たれたかのような感覚が走り、そして、私は不意に眠りに落ちた。
※国交省による緊急ヒアリング……国交省運輸安全委員会の鉄道事業者の管理は、定期監査や重大事故を起こした後の事故調査のみならず、事故をおこす可能性のある事象に関するヒアリングも含まれる。国交省によるヒアリングが行われる場合、運輸安全マネジメントに基づく安全性に重大な疑問が生じているものとされるため、不名誉な事象とされる。