第24話 取締役会 〜前篇〜
2月の取締役会の招集通知を手に、念のため開会の30分前、朝9時半に札幌市桑園の本社に着くと、総務課の男性が役員会議室の前まで案内してくれる。
「2月度 定例取締役会 於:本社役員会議室
2月13日 朝10時〜
取締役会次第
第1号議案 1月度月次決算報告
第2号議案 各部月例報告
第3号議案 来年度中期経営計画策定方針
第4号議案 その他
黒煙 天に靡かせて 出で行く汽車の窓ちかく
見かえる小樽の港には 集まる船舶四時絶えず 」
「下に書いてるのは会長の川柳ですか?」
役員会議室の前で、なにげにシャロンが不穏な空気を作り出す。
「取締役会を招集するたびに川柳を詠む会長がいたら、酷いよなあ。下に小さく鉄道唱歌って書いてあるよ。それに、川柳は五七五だ」
話によると、会議は10時に始まり、遅くとも昼前には終わるらしい。
果たして、11時過ぎに私とシャロンに入室のお声がかかる。
役員会議室に入ると豊田会長を始め、9人の取締役と議事記録係、監査役の松尾弁護士と花村NR東部日本取締役が居並ぶなか、末席に2つペットボトルのお茶が置かれており、そこに座らされる。
議長である豊田会長が私たちを紹介した後に、議事を進める。
「それでは、本日の議事次第、第3号議案、来年度中期経営計画策定方針について検討をしていきたい。
諸君も御存知の通り、政府、国交省筋がかねてからの離島3社に対する経営安定化基金の鉄建公団での運用保障措置について、来年度以降は利率を漸減して行く方向で検討していることが伝えられている。
年間300億円の安定化基金運用益が減少する分、補助金交付の可能性も無いわけではないが、国交省が政策として推進してくる以上、最悪、ゼロ査定のおそれも見ていかなくちゃならない。
それを前提に鉄道事業本部のほうから今後の方策について何かあれば話してほしい」
豊田常務と阿吽の呼吸で、砂田常務が挙手をして名乗りを上げる。
「鉄道事業本部としましては、300億円の収益減少といいますのは、現在の経営規模を前提とすれば、耐える耐えられないの次元を超えた話です。
700億の運収、100億の付帯収入、300億の経営安定化基金運用益、これで、我が社の鉄道事業費1100億円を賄っているわけですから、逆に事業費を300億円も削らなければならない。
そうなると、今、行っている経費削減や投資繰延などの小手先の改革ではなく、事業そのもののダウンサイジングに手を付けなければならなくなる」
かなり、おどろおどろしいことを言った割には、砂田常務はつらつらと用意した書面に目を走らせて、読み上げる。
「経営係数から行くと留萌線が真っ先に削減対象になるのでしょうが、仮に留萌線を止めたとしても僅々6億円程度の改善にしかなりません。
やはり赤字となっている金額の大きさで行くと、函館本線の小樽〜函館間を、仮に止めれば、これだけで120億円ほどの費用削減効果になります。
しかし、50億円の運収も消える関係でコスト削減に寄与するのは70億円になります」
砂田常務の言葉に、姫川社長が不満そうに応じる。
「砂田君、函館本線はNR北の生命線だ。そこを切るなんて有り得ないだろう。
長万部から先が無くなれば、室蘭線も立ち行かなくなる。70億以上の運収が消える」
NR北の道南の幹線である札幌〜函館間の特急は、札幌近郊を南に抜けて室蘭線(白石〜東室蘭〜長万部)を経由して函館本線(長万部〜函館)に入るルートで運行されている。
函館本線を切るということは、120億円の費用削減効果が期待できる反面、同時に函館本線50億円と室蘭本線70億円の運輸収入も失うことを意味する。
「姫川社長、ご安心下さい。函館本線は新幹線開通までどうにか戦略的に維持いたします。そして、将来的に第3セクターへ譲渡することになるでしょう」
砂田常務は姫川社長を見下ろしながら言う。
「私が各路線区を見ますところ、石北線の廃線が試金石になると考えています。営業係数は161.9と見栄えは良いが、234キロもの路線に築百年になる女満別トンネルもあって、年間50億円ものコストが掛かっています。
NR貨物との協議次第だが、道東方面もトラックのほうが早くて安いと言われている。
この際、釧網線、根室線も含めて道東はバス転換、道北も貨物と協議の上、名寄まで路線を縮めて経営安定化基金で少しでも長く食いつなぐと……」
砂田常務が報告書のページを捲りながら言う。
「ちょうど、ダリルリンチ証券さんの報告書の46ページに書いてある『プランA』がそれに当たります。
事業譲渡も含めて最も長く鉄道事業を続けるためには、金のかかる新幹線計画事業、金になる札幌駅事業子会社を断腸の思いでスピンアウトせざるを得ない。
そうして体力を温存して、少しでも長く鉄道事業を維持し続けることが、今後の北日本旅客鉄道に課せられた使命だと思います」
その言葉に、貞本旭川支社長が大きく頷いている。
「そうだ、札幌、旭川、函館、釧路の鉄道ネットワークを維持できれば、NR北として他のNR各社に恥じるところはない」
貞本氏の発言のあと、猿田支社長、新田支社長が「そうだ」と言いながら首を縦に振っている。
それを見た豊田会長が言う。
「経営者として、鉄建公団の経営安定化基金のハシゴを外されたときに、何を残すべきか、NR北日本の判断として悔いの残ることの無いようにしたい。黒岩君、君はNR北のプロパーとして何かないか」
指名された黒岩本部長が、報告書の路線図を見て言う。
「北見、網走、根室、稚内……これほどの路線を失うと思うと、もはやNR北日本じゃあない。札幌旅客鉄道にでも看板を掛け替えたほうが良い。
砂田常務、将来に向けて事業を継続することこそ重要とおっしゃいましたが、これはもうネットワーク事業としての鉄道事業じゃない。
鉄道にはバスで代替できない定時性、速達性があります。それが、北見や網走、根室に要らないという理由が私には分かりません」
黒岩本部長が話を終えると、姫川社長が言う。
「そうだ、しかし、報告書の54ページからの『プランB』なら、全道路線は維持することが出来る。NR北として、どちらが優れたプランか、一目瞭然じゃないか」
『プランB』の言葉が投げられた瞬間、砂田常務と豊田会長の視線が合う。
姫川社長の言葉が途切れたときに、豊田会長が言う。
「姫川君、プランBはNRグループの半分を巻き込む、大変、傍迷惑なプランだ。それに、国営鉄道改革の総仕上げの段階で、時間を巻き戻すようなことはどうなんだろうねえ」
「時間を巻き戻すとは?」
「いや、わざわざ、一つのものを時間と労力をかけて七つに分けたのに、また野合のように3社が合従連衡するなんて、改革に携わった者に対する暴挙だと思わないかね、姫川社長」
「過ちを改むるに憚ることなかれ、だ。国営鉄道改革から四半世紀も経ったんだから、改革の見直しも必要だ。内地でNR東の厳しい路線が維持されて、北海道のNR北のそうでもない路線のサービスが切られると云うのは不平等じゃありませんか」
不平等の言葉にすかさず、砂田常務が挙手をして発言する。
「社長、僭越ですが、地域間の公平性の措置と言いますと、それは政治の領域ではないでしょうか。我々は与えられた経営資源をやりくりして、お客様にサービスを提供するだけです」
姫川社長は、豊田会長と砂田常務の2人を一手に引き受けるようにして踏ん張る。
「しかし、そうすると路線が道央に固まって、ますます、鉄道離れが深刻化する。もう、内部でのやりくりだけでは、石北線廃線を試金石にはかるところまで来ていると君は言ったじゃないか。
道東から撤退し、名寄で道北を切り、新幹線開業とともに小樽から先の道南も切らざるを得なくなる。
もう、それは北日本旅客の鉄道事業じゃない。死に体だよ。こんな屈辱的な経営判断は、鉄道マンとして、経営者として下すべきじゃない」
姫川社長と砂田常務の攻防は、どちらが譲るというものでもなさそうだ。
そう思った矢先に、豊田会長が、私に水を向ける。
「そう言えば、ダリルリンチグローバー証券の椎野課長、先日は我々に刮目すべき意見を与えてくれたが、今日のところは結論を敢えて2つ残してくれた。これはなぜか、聞かせてもらえるかね」
「豊田会長、畏れながら、結論が2つ残っているようにみえるのでしたら、極めてお目出度いと言わざるを得ません。
先に、私は皆様の前でこう申し上げました。『経営者が夢を語らなくなったら、会社は社員にとって苦痛でしかなくなる』と。
先程、いみじくも黒岩取締役が仰ったとおり、プランAは札幌旅客鉄道に徹し、爪に火を灯すようにして切り詰めた挙句、余剰資産が無くなったら死ぬしか無い哀れな案です。
こんな縮小の果てに破綻が確定しているようなNR北日本に、社員とともに語れる夢がありますか?
そこに社員の働きがいがありますか?
プランAの選択は、遅かれ早かれ、経営安定化基金を食いつぶして破綻します。経営判断と呼ぶのも
烏滸がましいでしょう」
さすがに、ここまでの罵詈雑言は期待されていなかったようで、砂田常務の反感を買う。
「椎野課長、口を慎み給え。我々経営陣は、日々、限られた投資、限られた経費で現場を切り盛りしているんだ。それを経営判断と呼べないとはなんだ。取り消しなさい」
「まだ、反論されるだけの矜持はお持ちのようですね、砂田常務。確かに、常務がお越しになって3年間、経営は営業黒字を続けてきた。しかし、その内容は必要な修繕費や安全投資を犠牲にして得られたもので、決して褒められたものじゃない。今日は貞本旭川支社長もいらっしゃるので、こちらを御覧頂きたい。内容は、旭川支社管内の保線予算要求書です」
シャロンのほうから、先日、不意に宅配便で私宛に届けられた旭川保線所の沢木所長の過去10年分の保線予算要求書のファイルを各取締役に回覧する。
「旭川の保線所長は毎年毎年、着任から10年にわたって、旭川支社管区の保線予算計画を立てて本社に要求をしてきました。
しかし、予算要求に対してつねに充足率は20%程度。旭川支社管内の石北線はそれより状況が悪いと聞いています。
この状況を放置すれば、最悪、重大事故を起こしかねないと言っていました。
砂田常務、先程仰った『与えられた経営資源をやりくりしてお客様にサービスを提供する』との言葉、確かにその通りかと思います。
しかし、プランAの前提は現状の投資経費率と変わらない、必要な投資が行われない前提の数値です。
鉄道事業におけるサービスというのは安心安全が最優先です。プランAで、将来、猿田支社長や新田支社長のようなプロパー役員の世代が苦労しないような経営に変えていけるのですか?」
猿田、新田の両取締役は驚いて、お互いに小声で何やら話し合っている。
当の本人である砂田常務は、恐ろしい形相で私を睨みつけ、脅すように言う。
「何を根拠に、そんなことをペラペラ、ペラペラと好き勝手しゃべって……こんな資料はすべて予算ヒアリングの段階で必要な額まで調整され尽くしているんだ。
宜しいですか、私はNR北に骨を埋める覚悟で、NR北のために良かれと思って今の中期経営計画を遂行しているんです。
もしも、プランAが通らないようであれば、現経営の否定だ。それこそ、経営方針に相違ありとして、取締役を辞任しましょう」
砂田常務のその言葉に、猿田、新田の両取締役は驚いたようにして、おし黙ってしまった。
そうした砂田常務の票の引締めの状況を察してか、豊田会長が議事を整理する。
「椎野課長、趣旨はよく分かりました。まあ、出来が悪いとはいえ、御社にとって我々は顧客のはずです。言葉は慎重に選んで下さい。
あと、砂田君も熱くならないほうが良い。冷静に考えて、結論に至りましょう。
この際、砂田常務はプランAをベースにした来季以降の中期経営計画を、そして、姫川社長がプランBをベースにしたものを支持しているということで良いですか。あと、他に異論があれば、今のうちに仰って下さい」
豊田常務が周囲を見渡すが、特に、これと言った反応はない。
私は、豊田会長から窘められ、最後の抵抗も抑え込まれたかと観念する。
「それでは採決に移ろう――――」
豊田会長の平板な声が会議室に谺する。
※鉄道唱歌……全国の鉄道駅を新橋駅を起点にして、374番からなる唱歌。1番の”汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり”の歌い出しで、七五調で歌詞が続き、カラオケでリクエストすると15分ほど歌う羽目になる。北海道に関しては函館線、室蘭線、夕張線が歌われている。
※運収……運輸収入のこと。鉄道事業会社の売上について尋ねると、必ず、運収が登場し、素人の記憶を温州ミカンとともに葬り去る恐ろしいマジカルワード。




