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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第20話 銀証烈烈 〜前篇〜

 社長室に集まったのはレビューワーとして鷹取社長、纐纈こうけつ営業本部長、山口MA本部長。

 そしてレビューを受ける当事者として梁田課長と私、書記役にシャロンの6人だ。


 社長室の机はふつうのものの2倍程度の大きさで、そこに他所よそから椅子を持ち込んでレビューワーの3人が陣取り、同じく社長室の応接セットに私と梁田氏、シャロンの3人が座らされる。シャロンは書記ということもあって、ノートパソコンを膝上に抱えている。


 レビュー委員会の冒頭、鷹取社長が経緯を説明する。

「少々、異例だが、NR北日本の事業調査の結論に関して投資銀行部と法人営業部の見解に相違があるようです。そこで、投資銀行部の椎野課長、法人営業部の梁田課長の提出した事業報告書について、いずれを採用するか本日のレビュー委員会で決定することとなりました」


 表面上、両本部長を気遣っているが、私には社長プロデュースによる出来レースの総仕上げにしか映らない。

「ここにいるレビューワーの3名は既に報告書の最終ドラフトに目を通しているので、逐一説明はしないが、両報告書は調査経過の分析はほぼ同じであるものの、不思議なことに結論が異なっている。そこで、結論に至った理由を両課長からヒアリングした上で、レビュー委員会として、どちらの報告書がより妥当かを審議したいと思う。それでは、梁田課長、始めて下さい」


 調査経過は投資銀行部で作成したのを、梁田氏が、まるまる書き写しているのだから不自然なほど似ているのだが、そこはスルーされてしまった。


 梁田氏は指名に応じて、説明のため立ち上がる。

 おそらく用意した原稿をタブレット端末で開いているのか、時折、端末に目を落としながら、説明を読み上げる。


「それでは御説明申し上げます。事業再生に際して重要なのは、当然、事業が生み出す将来キャッシュフローです。

 事業調査の過程で判明した対象会社の主力である鉄道事業は損益上も、キャッシュフロー上も、大きなマイナスであり、これを補填する方法は経営安定化基金の運用益のみで、かねてから懸念されているとおり、この『隠れ補助金』が無くなれば、鉄道事業は大きく傾くことになります。

 また、現状、スポンサー候補も見当たりませんので、NR北日本の鉄道事業はファイアーセール(捨て値売り)可能な規模まで縮小しなければならないと結論づけました。

 残された事業で見るべきものとしまして、2000年代以降に着手した駅ビルを始めとする不動産事業、さらに費用対効果が法的に担保されている整備新幹線事業、この2事業は将来キャッシュフローが見込まれることから対外的に売却可能な事業として評価できます。

 そこで、キャッシュフローがプラスのグループをグッドカンパニーとして分社化してNR東に譲渡し、その譲渡代金を適正規模に縮小したバッドカンパニーと抱き合わせで売却、乃至、会社更生するスキーム作りをすることが、ベストの再生プランになります。なお、スキーム詳細はレポートをご覧頂ければと思います」


 鷹取社長が、ウンウンと大仰に首を縦に振るなか、梁田氏は一礼して着席する。

「それでは、次、椎野課長、始めて下さい」


「はい、まず、非常に気になることがありますので、先に質問をお許し下さい。

 梁田課長、鉄道事業はいわゆるインフラ事業です。キャッシュフローを生み出さない路線を規模縮小の上で、ファイアーセールというのは全国からスクラップ業者でも集めるつもりですか。

 キャッシュフローだけで鉄道事業を評価するのでしたら、日本の鉄道路線の4割は消えてしかるべき路線です。どうして、鉄道事業の非効率は全国的に解消されないのか、誰にでも分かるように説明して頂きたい」


 私の問に、呆れてものも言えないという素振りで、梁田氏が言う。

「……相変わらずだねえ、椎野課長。キャッシュフローがマイナスと云うことは、経営にとって資金繰りを悪化させる要因、百害あって一利なしでしょう。子供でも分かりますよ。あと、日本全国の赤字路線について、廃止されない理由を知りたければ、どうか、それぞれの経営当事者に聞いてください」


 梁田氏が、子供の相手はしてられないといったゼスチャーでアピールする。


「当事者? 私はNR北で直接聞きましたが、梁田課長は聞いておられなかったのですか。今回の調査は一週間ありましたが、梁田課長が先方にいらしたのは、初日の2時間ほどですから、やむを得ないことでしょう。

 言うまでもなく、鉄道は公共交通機関です。自動車を持たない交通弱者の最後の砦です。

 人が故郷ふるさとに住み続けられるのも、食べ物の美味しいところに移れるのも、果ては、転勤辞令でやむなく移るのも、全ては憲法第22条が保証する国民の権利、住居・転居の自由があってこそ、公共交通はその基礎となる交通権を裏付ける極めて公益性の高い事業です。

 おそらく梁田課長は、対象会社の事業の公共性に関する理解を、著しく欠いているためファイアーセールといった誤った結論に至ったのではないかと思慮されます」


 私の言った『誤った結論』の言葉には梁田氏も、さすがに反応を示す。


「椎野っ、俺の報告書に因縁をつけてるんじゃないよっ。お前は自分の報告書の出来が悪いからって、憲法とやらの机上の空論をぶちやがって。他人をおとしめるのもいい加減にしろっ」


 売り言葉に、買い言葉である。私は、梁田課長を眼光鋭く見下ろして、啖呵を切る。


「ああ、上等だ。それでは、キレイ事じゃない本当の事業再生の話をさせて頂きましょう。

 まず、NR北の鉄道事業は、見れば見るほど、まったく収益性のカケラもない事業です。一言に離島3社と言われても状況はまったく違う。

 北海道の面積は九州の約2倍、四国の約4倍だが、全道人口は540万人しかいない。1300万人の九州の半分以下、四国の400万人といい勝負だ。人口密度に至っては四国の3分の1、九州の5分の1に過ぎない。

 にも関わらず、冬には雪が路線に積もり、分岐ポイントは着雪ちゃくせつで固まり、トンネルには氷柱つららが下がる。四国、九州では考えにくい状況です。

 こんな悪条件下で鉄道事業を成り立たせようなんて不可能だ、売ってしまえと言えれば、さぞ楽なんでしょう。

 毎年、営業赤字が300億も積み上がる事業なんて、放り出せるなら放り出したい。逃げ出せるものなら逃げ出したい。誰しもそう思うはずだ――――と梁田課長なんかはお思いなんでしょう」


 嫌味を混ぜたつもりだが、梁田氏はどこ吹く風でタブレット端末に目を落とし、私の話を聞いてるかどうかすら疑わしい。私は、梁田氏のタブレットを取り上げて言う。


「タブレットには書いてないだろうから教えてやる。しっかり、こっちを向いて聞け。

 私が実際に北海道に行って、現地の経営陣、社員から鉄道事業をやめたい、なんて言葉は一度も聞かなかった。

 毎日毎日、降る雪の合間を縫ってポイント除雪をし、トンネルの氷柱つららを落とし、雪崩危険箇所にあっては雪崩割なだれわりを作り、雪だまりにあっては、予防除雪をする。

 これだけでも、氷点下20度近いなかでは相当な重労働だ。

 それでも、誰も雪を恨むことなく、まず、たゆまずレールを守っているのは、決してお前の言うカネや利益のためなんかじゃない。

 なによりも鉄道というのが、地域の子供、学生、老人といった交通弱者のかけがえのない足だからなんだよ。

 だから、社員一人ひとりが『雪にいどむ』ことを、誇りにさえ思っている。

 なのに、損益が、キャッシュフローがマイナスだから、鉄道事業をやめましょう?

 お前が、ぬくぬくと東京で書き連ねた再生プランこそが、机上の空論だ」


 驚いている梁田氏にタブレットを戻して、社長以下に相対して言う。

「それでは、なぜ、NR北はここまで存在してこれたのでしょう。

 梁田課長には分からないようですが、見る人が見れば理由は明々白々です。

 多少の赤字には目を瞑っても、定刻に人や貨物を運ぶ公共交通機関を確保したい、その思いですよ。

 過酷な雪害環境の道内にかつて3000キロ以上もレールが敷かれたのは、それを支える熱い思いがあったからです。

 確かに道路整備が進み、国営鉄道からNRに転換して、名寄なよろ線、標津しべつ線、天北てんぽく線、池北ちほく線といった赤字ローカル線は廃線を余儀なくされました。

 しかし、足元を見れば、190万人の人口を擁する札幌市の近郊路線ですら、全て赤字を垂れ流す、経済的には、いわゆる廃止すべき路線なんです。

 ですが、北海道では赤字だから即廃線じゃない。赤字を遥かに超えた、輸送密度がバス並みに衰えるラインまで使い尽くされなければ、廃線すら許されないんです。

 幸い、現在、NR北には毎年の運輸収入は700億円、経営安定化基金の補助金が300億円以上入ってきています。

 ただ、経営安定化基金を介した補助金が無くなれば、経営は風前の灯です。

 しかし、国の財政が苦しいから、NR北の鉄道事業が九州・四国と比べて非道いから、補助金を打ち切ろうと言う一見まともだが、馬鹿げた話がまかり通っているのも事実です。

 こんな話を、かつて苦心惨憺、北の地に営々と鉄路を敷いた先人たちが聞いたら、どれほど落胆することでしょう。

 営業赤字だから? キャッシュフローがマイナスだから? そんな刹那的な理由で、連綿と受け継がれてきた路線を、自分の代で廃線にしなければならないNR北の経営陣の断腸の思いを受け止めないと、NR北の経営陣を納得させうる再建計画は書けません」


 私は、梁田氏を一瞥して言う。

「数字、数字、数字……そうした人の思いを汲まない再建計画なら誰にだって書ける。しかし、経営陣の、社員の、そして世論の支持を受けない再建計画は、今までも、これから先も、間違いなく破綻する。所詮、絵に描いた餅ですよ」


 私は、ダリルリンチグローバー証券の社長と本部長二人を前に言う。

「――――それでは、結論を申し上げます」

※キャッシュフロー……現金の出入りのこと。損益(収益-費用)の概念とともに企業の経営成績を示す一つの指標となる。損益は赤字でも大したことは言われないが、キャッシュフローがマイナスになると目に見えて当座の預金が減るため短期的に重要な指標と言える。なお、表記を「キャッシュ・フロー」といちいち中黒を入れなければ、気が済まない決算短信好きの人種が一部に存在する。


※会社更生……倒産法制で民事再生とは異なり、負債規模の大きな株式会社だけを対象にした倒産処理手続を言う。民事再生と比較して柔軟性に欠ける面があることや、個人の再生には利用されないことなどから、上場会社かそれに準ずる規模の会社を除いて倒産処理に使われることはない。しかし、ハラキリの儀式のように格調を重んずる一部の人には、更生法適用=すごい、の図式があるため、注意が必要。

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