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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第19話 奇策縦横

 山崎さんが、昼一でNR東部日本に電話をする。

 さすが、元法人営業担当だっただけあって、財務部長を相手にしても語り口は堂々としている。


「椎野先生、今日の夕方5時、多田財務部長に意外にすんなりアポイントが取れたぞ」

 NR東とはまったくビジネスのないダリルリンチグローバー証券の担当者と急に会おうと言って会ってくれる財務部長も珍しい。


 私は胡乱うろんげな目で呟く。

「やはり、相当、胡散臭うさんくさいですね――――」





 夕方、新宿にあるNR東部日本の本社財務部に多田部長を訪ねる。


 あらかじめ、山崎さんのスマホと私のスマホを繋ぎっぱなしにして、山崎さんが先にNR東の社屋に入り、山崎さんが『もうすぐです』と合言葉を言ったら、後から私が『ヤノダ』と名乗って遅刻を詫びながら入るという設定らしい。


 これを、実際にやるとなると古いスパイ映画のようで、捕まるリスクはないものの、多少なりとも、緊張する。

 神経を集中してスマホを聞いていると、山崎さんが部屋に通されたらしい。

 それだけで、妙にそわそわして、心臓が高鳴るのが不思議だが、仕方がない。


「ええと、ダリルリンチグローバー証券様で……」

「はい、お電話を差し上げた山崎です」


 名刺交換が終わると、腰掛けて多田部長らしき人が言う。

「おやっ? 今日は、梁田さんはいらっしゃらないんですか?」


 その言葉に、山崎さんが応える。

「いえ、ヤノダは風邪で念のため病院に寄るとかで、あとから間違いなく参ります。まあ、今回の件が上手く運べば、梁田もエラくなりますからねえ」


 山崎さんの言葉に応じて多田部長の声が聞こえる。

「へええ、梁田課長、やはり弊社の主幹事を取れば部長と云うのは、冗談じゃなかったんですね」

「さすが多田部長。梁田の人事は、鷹取から漏れてましたか」


 山崎さんの軽妙な腹芸に乗ってコトの真相が漏れ伝わってくる。

「いいえ、以前、お越しになった西畑部長が『出向から戻ったら梁田君は法人営業部長だ』とおっしゃってましてね。我々は正直、主幹事証券の重みが分かりませんから、それを聞いて初めて、そんなに凄いことなのかと部内で噂していたんですよ」

「ああ、ニシハタというと、四菱東京証券の部長さんですね」

「ええ、証券資本市場部長の西畑部長です。ああ、ダリルリンチグローバー証券さんからすると……商売敵になるんでしたか」


 スマホ越しに、微かに気まずい空気が漂ってくる。

「いえいえ、弊社も四菱東京の資本傘下ですので、四菱東京の利益は弊社の利益ですよ。多田部長」

「ああ、確か資本関係があるんですよね。梁田さんも言ってました。四菱東京グループは資本関係のある会社なら、グループ人事で評価されるようで、まあ、ウチなんて、子会社に行ったら、まず、本社には戻れませんけどね」


 微妙な話題にも、山崎さんが変則ボレーで打ち返す。

「いやあ、我がダリルリンチグローバー証券なんて、そもそも子会社がありませんから、不要になれば使い捨てですよ。ハッハッハ」


 どうにか微妙に空気が持ち直した後で、山崎さんが言う。

「梁田が部長ですか。私も部長になりたいよなあ。北海道新幹線みたいな手土産があれば、もうすぐ、ですけどねえ、部長の座もねえ」

「梁田さんは課長ですから、新幹線が必要だったんでしょう。その点、山崎副部長なら特急ぐらいで足りるんじゃないですか。ハッハッハ」


 私は、やおらスマホをポケットにしまって受付に急ぐ。

「遅くなりました。ダリルリンチグローバー証券のヤノダと申します。5時に多田財務部長にお約束を頂いております」

「はい、お待ちしておりました。こちらを付けてエレベーターで10階にお上がり下さい」


 ゲストホルダーを首に下げ、そのまま、エレベーターで10階に上がると、エレベーターホールで山崎さんが多田部長と一緒に待ち構えていた。

「「部長、お待ちしておりました」」

「あれ、し、失礼しました……山崎副部長、この方は梁田課長じゃありませんよ」

 多田部長は、ヤノダ氏が現れて、かなり慌てている。

「多田部長、何を言ってるんですか、コイツがヤノだ! と言うことです。しいの木に、野原の野と書いて椎野やのですよ、紹介します」


 えらく、珍しい名字になったものだと思いながら、多田部長と名刺交換を済ませると、私は用意しておいたNR北日本のロゴの入った茶封筒を出して言う。

「今日は、レポートが上がりましたので、お持ちしました」


 多田部長はまだ、落ち着かないようで返事もうわの空になっている。

「あ、ああ、例のレポートですか。その件は私の担当ではありませんので、専務の河東かわとうのほうに渡しておきましょう」

 多田部長は書類を開けもせずに小脇に抱える。


 それを見た山崎さんが、多田部長に話しかける。

「多田部長、本日は、大変お手間を取らせました。くれぐれも誤解なきようお願いしたいのですが、今回の訪問はウワサの梁田課長とは関係ありませんので、あと、その封筒の中身、ただのレポート用紙です。それでは、今日のところは失礼します」

「は、はい……失礼します」


 エレベーターの扉がピタリと閉まったところで、私は山崎さんと目を合わせる。

「椎野先生。これで、梁田は贈収賄容疑確定だなあ」

「新幹線部長ですね」

 このあと、山崎さんと近くの喫茶店でスマホの電池が危なくなるまで、録音した会話を聞いて笑いあった。


「なるほど、俺に足りないのはロマンと『特急』だったのかあ」と独りごちて、うんうんと山崎さんが頷きながら言う。

「椎野先生。おそらく、今日の件はNR東の多田部長から漏れることはないとは思うんだが、証言として使うにはちょっと弱そうだなあ」


「多田部長から聞けたのは、河東専務の関与と、梁田が四菱東京証券に戻ると部長になるって話だけですからね」

 確かに手応えはあったのだが、できれば、鷹取社長の名前を聞きたかったのに残念でならない。


「そうだよ、もっとゴツい奴が上にいるだろうに、続きは河東専務に聞かないとらちが明かないな。椎野先生、どうする?」


「山崎さん、明後日の午後にはレポートのレビューミーティングです。もう、河東専務を追いかけている時間はありません。とにかく、山口本部長に掛け合ってみます」

「そうだな、それが良い」

 喫茶店を出ると、既に短い冬の陽は、とっぷりと暮れていた。


 その後、山崎さんは直帰ちょっきし、私は帰宅ラッシュの電車を東京駅に向けて社に戻る。


 6時半に帰社するなり、シャロンが言う。

「もう、直帰したかと思ったじゃないですか」

「いや、報告書の締めが今日中なんだし、そんな大胆なことはしないよ」

「それより、明後日のレビューミーティング、午後3時半から5時ですよ」

「3時半? 何か、中途半端な時間だな」

 私がそう言うと、シャロンが部長と副部長の予定をネットで見ながら言う。


「不思議なんですよね。船橋部長と山崎副部長の不在時を狙ったかのような時間設定なんです」

「山口本部長は?」

「本部長は今日、明日はシンガポール出張で……金曜の出社が午後3時です」

「なるほど、狙いすましたような時間だな……」


 レビューミーティングと言えば、報告書の内容について社外に提出して良いのか、修正が必要な部分があるのかを検討する場なので、特に上司の陪席が必要なわけではない。


 そして、シャロンの言った言葉通り船橋部長と山崎副部長の不在時に、銀行マンによる証券業のかなえ軽重けいちょうを問うミーティングは開かれることになった。

※証券資本市場部長……中小の証券会社では、営業部隊が主体になるため、ホールセール部門のトップを『資本市場部長』などとオールラウンダーのような名前を付けて呼ぶことが多い。基本的に国内大手からの再就職組が多い。


※贈収賄……基本的に公的な立場の人に民間から賄賂を渡すことで成立すると思われがちだが、民間同士でも贈収賄罪は成立する。ただし、立証が非常に困難なため、事例は少ない。


直帰ちょっき……外交先から直接帰宅すること。NRノー・リターンとも言う。これを目指して、アポイントを4時に設定することは一般的なライフ・ハック・スキルである。

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