第17話 手練手管
NR貨物の本社は水道橋から歩いてほどない場所にある。
NR貨物へのアポイントは荒木会長、石田社長、玉里総務部長の3名の予定だったが、荒木会長は多忙でキャンセルとのことらしい。
さらに、こちらもアテンドをする梁田が風邪でインフルエンザの恐れがあると言って欠席となり、船橋部長と私の二人になった。
応接室に通されたところで、NR貨物の玉里総務部長が言う。
「この度は、急なご用向きのようですが、何か……」と、用件の話に入ろうとする玉里部長の言葉を制して、石田社長が少々怒気を含んだ口調で言う。
「玉里君、ちょっと、待てくれ。
用件に入る前にアンタらの法人営業マンはどうなっているんだね。
もともとのアポイントで荒木会長の出席を打診されてだよ、そちらも社長が来るのかと訊いたら、来ると言っていたんだ。
だから荒木会長も待機して頂いていたのだが、今朝、急に電話で、社長が行けなくなったから投資銀行部長が行く。荒木会長は出なくていい、私も行けないとか、一体どうなっているんだね?」
体育会系というか、いかにも頑固そうな石田社長の抗議を、船橋部長は柳に風で聞いている。
「少々、強引で礼儀知らずなのは、ダリルリンチの社風です。ご容赦下さい。
法人営業の梁田には、今回の件、荒木会長と石田社長宛に詫び状を書かせましょう。
それでも納得がいかないようでしたら、社長にかけあって梁田を出入り禁止にします。
このたびの失礼、大変、申し訳ありません」
船橋部長が起立して頭を下げるので、私も同じようにして頭を下げる。
異様な雰囲気に場が包まれたが、最初に折れたのは玉里部長だった。
「ああ、船橋部長、おやめ下さい。ちょっと、頭を上げて……アポの行き違いは、やむを得ないことです。さあ」
それを聞いて悪びれもせず頭を上げた船橋部長が言う。
「アポの行き違いは、やむを得ないこと……ということで、宜しいですか。石田社長?」
「……まあ仕方がありません。梁田さんとかの詫び状とやらも結構です。それでは、時間がもったいないですから、手短にお願いしますよ」
渋々、腰を落ち着ける石田社長に続いて、玉里部長に促されて腰を下ろした船橋部長が言う。
「石田社長、単刀直入に申し上げます。このたび、NR北日本が上下分離することになりまして、御社への線路使用料の請求が岩手銀河鉄道のような3セク並みに高くなりそうだということを、お伝えに参りました」
唐突な一言に石田社長も玉里部長も、一瞬、耳を疑う。
「はぁ……ぇ、船橋部長、NR北が?」
「上下分離と言いますと?」
「NR北日本を線路保有会社と鉄道事業運営会社にザクッと上下に割るということですよ。下モノの会社は北海道所有の三セクになります」
「まさか……本当ですか?」
「ご確認されるなら、姫川社長に弊社と契約があるかどうかだけでも尋ねてみて下さい。あと、お耳に及んでいるかと思いますが、国交省もアボイダブルコストルールについては従前どおりコミットすると、つまり、鉄建公団から増差分を調整金として御社に支出すると言質を頂きました」
その言葉を聞いて、玉里部長と顔を白黒させていた石田社長が言う。
「それは、当然です。NR分社の時に決められたルールですから」
「我社としてはアボイダブルコスト方式を法定化してほしいぐらいです」
「それには及びません。なんせ、大再編によってルール自体、不要になります」船橋部長は石田社長をじっと見据えて言葉を続ける。
「NR北日本は事実上、巨大な第2種鉄道事業者になります。
そこで、国交省の理想としては、NR東部にはNR北を、NR中部にNR貨物を、NR西部にはNR四国を統合させることを見返りにアボイダブルコストルールを廃止し、事業統合によって、調整金自体を将来的に止めようと思っているようです」
「そ、そんな、NR7社でそれぞれに価値を認め合う緩やかなグループ経営が、国交省の理想でしょう」
青ざめる石田社長に私は言う。
「NR発足時は国交省なんてなかったでしょう。石田社長。運輸省も時代とともに変わったんです。変わらないものなんてありません」
「いやあ、こんなときに肝心の荒木会長が不在とは……」
焦って考えがまとまらない様子の石田社長に船橋部長が言う。
「宜しいじゃないですか。グループの中でもピカピカの優等生、NR中部日本と言えば、NR各社の中でも垢抜けた印象の良い会社。御社の士気も上がることでしょう」
「そんな、船橋部長、意地の悪いことを言わないで下さい。格差……そう、格差がありすぎますよ。運輸収入も人員も桁違い、社風もまるで違う。経営成績で言えば、乞食王子、いや、月とスッポンの結婚式ですよ。弊社なんて中部に統合されたら、消し飛んでしまう……」
「船橋部長、そのNRの再編、もう決まったお話なんですか?」
玉里部長の問いに、船橋部長が答える。
「いや、NR北日本が抵抗してまして、NR東ではなく御社との統合を検討したいと言ってましてね」
「それは、なぜ?」
「詳しくは分かりかねますが、まず、NR北には地方の足を守るという使命があるからでしょう。
NR東と統合するとなると、大変です。NR東の裁量で地方路線がばっさりカットされるおそれがありますからね。
それに、御社とは何より収入規模が1500~1700億円と似ていること、青函トンネルの利用開発研究を一緒にされてこられたこと、まあ、社風も似ていると言っておられましたか」
船橋部長が真顔で嘘をつくのには驚いたが、それ以上に向こうの反応が違った。
「船橋部長、荒木のほうは我々で説き伏せます。ですので、内密裏に姫川社長と本件について会談の場を設けさせて頂きたいとお伝えいただけませんか?」
「え、NR中部の葛岡会長じゃなくて、NR北の姫川社長で宜しいんですか」
「はい、それでお願いします」
「石田社長、それは正式な契約と受け取って差し支えありませんか。我々ダリルリンチと致しましても6社統合のほうが、世間の批判はともかく、儲かる話ですので」
「……はい、正式にご依頼申し上げたい」
船橋部長がその言葉を聞いて私に言う。
「椎野、今日中にNR北との経営統合に関する守秘義務契約書をNR貨物と交わす方向で調整しよう」
それを聞いた石田部長と玉里部長が異口同音に感謝の言葉を述べる。
「船橋部長、有難うございます」
「有難うございます。先程のご無礼、お詫び申し上げます」
なんだか、最初の剣呑とした雰囲気とは百八十度扱いが変わっている。船橋部長のトップ外交恐るべしだ。
水道橋の駅に向かう途中で私は、船橋部長に訊く。
「NR6社統合の話って、本当なんですか?」
「あれは、はったりだよ。セールス心理学の初歩、ドア・イン・ザ・フェイスだ。最初に受け入れられもしないような依頼をしておいて、次に受けやすい依頼をする。そうすると承諾率は大いに上がる。そんなことを習った気がする」
「でも、相手がNR中部日本なら、石田社長が承諾する可能性もあったんじゃないですか」
「それはない。NR貨物の石田社長の視点から見れば、巨人NR中部との統合は、人生を賭けて登りつめた山の上から叩き落されるに等しいからね」
「確かに、NR中部の前には貨物の業績なんて一子会社ですね……」
私がそう言うと「だろう」と船橋部長は笑って頷いて、いっしょに駅に向かって歩いていった。
※強引で礼儀知らず……証券会社の法人営業は独特で、資産運用に関しての相談はそうでもないが、M&A案件などが絡むと夜討ち朝駆けで強引な外交をかけることがある。
※トップ外交……一般的には社長外交、役員外交を言う。重要な事案について決まりやすい反面、揚げ足を取られると困ったことになる。用件は主にセールス案件が多く、次いで、社長からの要請で仕方なく、がそれに続く。