第16話 海千山千
「びっくりしましたよ。突然出てきた田邉交通企画監を説得してしまうなんて……となりにいた局長なんて気が気じゃない様子でしたよ。いきなり大勢を巻き込んで凄いことになっているんじゃないですか?」
シャロンが驚き、タクシーの中で呆れたようにして言う。
「いや、交通企画監の言質が取れるとは思わなかった。でも、道にとって損のない話だし、時間をかけてもたどり着く答えは同じだと思うよ。問題は鉄建公団と国交省サイドだけど、船橋部長にお願いしてることだし道庁よりはハードルは低いし……」
私が、スキームの話をしているとシャロンが札幌駅ビルを見て、突然、別の話を始める。
「かちょー、ところで、この前の回転寿司って美味しくありませんでした?」
「ああ、あれは絶品だった。山崎さんに感謝だな」
「ですよね。北海道のお寿司って良いですよねえ。かちょー」
その後、なぜか、帰りの札幌駅タワービルで回転寿司をシャロンに奢らされた私は、割り切れない気持ちで駅構内の『キヲスク』で土産を見る。
そのとき、たまたま、見覚えのある顔を見かけた。向こうもこちらに気づいたようだ。
「椎名課長、その節はお世話になりました。今日は、ひょっとして砂田常務にでも会いにおいででしたか?」
黒岩事業開発本部長の言葉の趣旨が分からなかったので、おもわずキョトンとしてしまう。
「いいえ、今日は別件です。しかし、黒岩取締役、なぜ、そのようなことを」
黒岩取締役は周囲を気にしながら言う。
「まあ、ここでは何ですので……」
場所を『キヲスク』のストックヤードに移して話を聞く。
「例の常務会の後、御社から今後の提案を受けるにあたって、砂田常務の締め付けが厳しくてね……中期経営計画を達成しさえすれば自主再建路線は確保できる、外部の言葉に惑わされないようにとね……暗に来月の御社の提案で他社とのアライアンスを突きつけられた時に、否定するようにとの圧力ですよ、椎野課長」
「砂田常務が自主再建路線? 納得がいきません。あれほど姫川社長と抜本的改善を目指すと仰っっていたのに……砂田常務の自主再建案についての社内の状況は如何ですか?」
「今のところ、鉄道事業部門の取締役3人と豊田会長が砂田常務を支持している。私が中立かな、姫川社長と総務担当、経営企画担当の松崎取締役が他社との統合容認派だ。いったい、どうなってるんですか? 姫川社長と砂田常務の仲も日々おかしくなっている」
「黒岩本部長、じつは、私自身、教えていただきたいぐらいです。ここだけのお話ですが、仮に私が今週中にアライアンス案の取り纏めに失敗すれば、御社の担当を交代させられるかもしれない立場です。ここに来て御社の社内が迷走するようなら、私としては、もう、お手上げです。しかし、自主再建なら何か砂川常務に腹案があってのことでしょうか?」
黒岩事業開発本部長は少し考えた後、言う。
「砂田常務は、見ての通りのタヌキですからね。腹案はあっても、非鉄道部門の私には全く情報が入りません」
「それでも、何かお分かりになりましたら教えて頂けませんか。我々は我々で御社にとってベストの選択肢を探します」
「分かりました。社内は砂田の言葉になびく事なかれ主義者も多い。ぜひとも、頼みますよ、椎名課長」
砂田派5票、中間派1票、姫川派3票の取締役会勢力図を見ると、砂田派がガチガチに固まるとダリルリンチの提案が宙に浮いてしまう。
会社再建の具体的な提案に入ると、改革の痛みに耐えられない社内の守旧派が結束して外部の意見を聞かなくなる事態は、NR北に限らず、よく聞く話ではある。
しかし、姫川、砂田が同じNR東出身にも関わらず意見を異にしている理由が、私には分からないまま、羽田に着いてしまった。
羽田からバスで東京駅に着くと、その足で日本橋のオフィスに向かう。
シャロンも女性としては体力がある方なのだろう。私の急ぎ足に遅れを取らないどころか息も切らせず、船橋部長のいる経営企画室にたどり着いた。
「船橋部長、上下分離について、道庁の了解を取り付けました」
「そうか……椎野、森村、ご苦労だった……が、マズイことになった」
船橋部長が珍しく困っている。
「まさか、国交省からダメ出しですか?」
私が訊くと、船橋部長は面倒臭そうに頭を振って言う。
「国交省は渡りに船だと言っている。そりゃ、内部検討資料通り進めばそうなるんだろうがなあ。そっちじゃなくて、鷹取社長が、梁田と山口MA本部長を巻き込んで、NR北のグッド・バッドの分割案を検討している」
「え、ですが、グッドとバッドに分けた所で、バッドに残されたNR北日本はどうするつもりなんですか?」
「さあ、立ち枯れるか、補助金漬けにするつもりか、銀行さんの公式に嵌めるつもりなんだろうが……」
「そんな無責任な。それは何という補助金ですか? 市町村の補助ですか? 道の補助ですか? 国交省の交付金ですか?」
思わず船橋部長に問いかけてしまうが、さすがにこれは、お門違いだったようだ。
「椎野、熱くなるな。鷹取社長はなぜか知らんが、グッド・カンパニーをNR東に譲渡することに躍起だ。ところで、椎野、上下分離が認められたところで上モノ会社の損益はどの程度改善する?」
「道庁の田邉企画監の言葉通り、路線保有会社が費用を全額付け替えてきた場合、仮に保守的に見積もって、貨物旅客の請求比率が50:50とすると200億円の赤字をNR貨物・鉄建公団に付け替えられます」
「旅客の営業赤字が300億円とすると、年間100億円の赤字まで圧縮できるわけだ。経営安定化基金の運用が0.5%として40億円、あと60億円か」
「いえ、経営安定化基金は下の線路保有会社に移りますので、赤字は100億。事業開発本部の損益がプラス70億円ありますから、あと、30億円のコスト削減でトントンです」
「良いじゃないか。30億円なら、NR貨物を統合すればどうにかなりそうだ」
「でも船橋部長、そのNR貨物ですが……」
後ろで待機していたシャロンが言う。
「昨年の決算ですが、10億円の経常損失で、進行年度もトントンかどうか微妙です」
それを聞いても、船橋部長の言葉はぶれない。
「いや、損益の多少のブレより統合シナジーだ。大きな会社ほど、効果は大きい。よし、先に厄介な社長の動きを牽制しておくか」
「牽制と言っても、例の主幹事交代の件は証拠がありません。それよりも船橋部長、まだ、NR貨物の回答が得られていません。フィージビリティに問題のあるスキームを対抗案にすると突付かれますので、社長の牽制は、明日、NR貨物からの回答を得てからにしませんか?」
私がそう言うと、船橋部長は「ああ、それもそうだな」と言って、その後の打合せを軽く済ませると、経営企画室の方へ姿を消した。
その時点で、次の日のNR貨物のアポイントで梁田氏が仕掛けた姑息な罠に、私たちはまったく気づいていなかった。
※フィージビリティ……実現可能性のこと。あるスキームに対して実現可能性がまるで担保されていない計画について、フィージビリティが確保されていない、といったように使われる。これも、日本語化されない謎のM&A外来語。