第11話 役員聴取 〜前篇〜
サウンディング会場に充てられた会議室は広めの役員会議室だったが、会長、社長、常務、平取、本社部長クラスまで20名ほどが列席している。
豊田会長、姫川社長が部屋に入って着席すると、砂田常務が挨拶をする。
「本日は、我が社の連年の課題でもある鉄道事業の安定経営について、いよいよ抜本的解決が急務であるとの社長の意向に従って、東京からダリルリンチ・グローバー証券投資銀行副部長の山崎様、課長の椎野様、そして森村様にお越し戴いています」
私たちは紹介された手前、立ち上がって一礼する。
「既に、当社とダリルリンチ・グローバー証券との間では守秘義務契約が成立しており、この調査の発言等が外部に漏れる恐れはありません。ですので、役員の皆様に於かれましては、虚心坦懐に聴取に応じて頂きたい。それでは、お配りしてます資料に従いまして、本日の聞き取り調査を、お願い致します」
会社が潰れるかも知れないという危機に瀕しているのに、なんとも、優雅な挨拶だろう。
その後、聞き取り調査は、その砂田常務が本部長を務める鉄道事業本部工務部から始まる。
午前中、羽田から飛んできた山崎部長が緊張した面持ちで、シャロンから渡されたヒアリングシートどおりの質問をする。
当のシャロンは、隣でノーパソを開いて、議事録を取っているようだ。
「では、鉄道事業本部工務部へのヒアリングを始めます。私、ダリルリンチ・グローバー証券、投資銀行副部長の山崎と申します」
山崎さんが声を張ると、古い会議室に微かにピンと緊張の糸のようなものが走る。
向こうの工務部の担当者3名も、頭を下げて応じている。
「お手元の資料、2ページ目にもありますが、NR北の路線・構築物の使用経過年数は、鉄道事業計算書類規則で定める標準耐用年数を大幅に上回っております。その老朽化の進行割合は本州3社の上場NR各社と比較しても1.4~2.2倍の老朽化率になりますが、この理由をお聞かせ下さい」
山崎副部長が、言うとシャロンの作った作文にも血が通うから不思議なものである。
「鉄道事業本部工務部管理課長の鈴木です。ご質問にありました老朽化の原因としましては大きく2つ挙げられるかと思います。そもそも、鉄道事業計算書類規則で定める耐用年数は短すぎるというのが一点であります。実際の耐用年数と比較して短く定められているので、必然、使用可能な年数まで使用すると、貴社で計算されたような結果となります」
「なるほど、では、本州3社と比較した老朽化率は、同じ鉄道事業者として不自然ではありませんか?」
「それは、本州3社は当社と比較して輸送密度が高く、路線の経年損傷も比較的大きいことが考えられます。特に道東、道北方面の輸送密度の薄い線区ほど老朽化率は高くなっていることからもお分かりいただけるかと……」
「それでは、NR北での保線計画は何を目安に交換時期を判断しているんですか?」
「それは、現場の各保線所長の要請、検査からの要請があって初めて修繕を検討します」
なるほどと、山崎さんは納得したようで、先に進めようとシャロンに車両部のヒアリングシートを回すように指示している。
しかし、私は旭川支社の沢木所長の要望書があった手前、つい訊いてしまう。
「鈴木課長、横からすみません。ダリルリンチの椎野と申します。その保線予算はどうやって組まれているんですか?」
「えぇと、予算は前年比較で営業路線キロ長、運輸安全マネジメントに定められた保線計画を含めて総合的に判断しています」
「なるほど、それでは、この10年間、保線予算の当初予算執行率が100%~105%で推移しているのは課長の素晴らしい第六感の成せる技ですね」
「それは、たまたま、そうなっているだけでしょう」
鈴木課長はそう言い切ると、仲間内に『困ったなあ』というようなジェスチャーをして苦笑いしている。
「たまたま……ですか。そうですか。それでは、副部長、続けて下さい」
急に、場が弛緩したのに嫌気して、私は、山崎副部長に場を委ねる。
山崎副部長は、工務部の面々に謝辞を述べて、早々に車両部の質問に移る。
「続いて、鉄道事業本部車両部へのヒアリングに移ります。早速ですが、資料の次のページが車両部の年度別購入車両数のグラフですが、とりまとめますと平均車齢が28.8年となっており耐用年数の30年に近く、老朽化が著しいようです。しかし、現在の車両更新計画に10年以上かかってしまう点について、財務、運行リスクの面から、ご説明頂けますか」
「わ、私、鉄道事業本部車両部、企画課長の佐藤と申します。車両部では、現在保有する車両の営繕と改修に予算上、最大限努めることとし、安全安心の運行を行うために必要な車両数を維持しております」
なにか、議会の答弁のようで気持ちが悪い。
「佐藤課長、お尋ねしているのは財務面と運行面のリスクですよ」
「はい、ですから、車両部では、現在保有する車両の営繕と改修に努め、安全安心の運行を行うために必要な車両数を維持しておりますので、その結果になっています」
もはや、意味不明である。
議事進行とばかりに、山崎副部長はもういいとの表情で、次に飛ばすように指示をする。
「続いて、鉄道事業本部電気部へのヒアリングに移ります。早速ですが、資料のほうのグラフを御覧ください。この10年間のNR北の全区間での電力消費量の推移が示されています。一般的に電力消費量は概ね横ばい、乃至、下降していくというのが、一般的な認識です。これは、節電意識もありますが、LED照明など機器の省電力化が主な要因になっており、全国鉄道事業者の平均もこの通り右肩下がりです。しかし、NR北では減るどころか増加しております。この理由についてお聞かせ下さい」
幾分、順番が繰り上がって電気部の担当者2名が証言台に招かれる。
「北日本旅客鉄道、鉄道事業本部電力部電力企画課の高木です。電力消費量は駅で使用する駅務機器に関するものと、車両が消費するものとに分かれておりますが、近年では、札幌駅を中心にした駅ナカ開発が著しく、電力消費量を増加させております。また、路線施設のヒーティング装置や暖房等での消費が冬場は増加するため、厳冬期には電力消費量が増える要因になっています」
「何が減って、何が増えているのか、分かりやすくお願いします」
「そうした分析は行っておりませんので、また、お時間を頂ければ説明いたします」
もう、鉄道事業本部のヒアリングは守りに入ったのか、通り一遍の回答しか帰ってこない。山崎副部長も相当に苛ついているようだ。
「ええ……まじめに質問へのお答えが頂けないのは残念ですので、時間もございません。引き続きの予定を繰り上げて、経営企画部のヒアリングに移ります」
山崎副部長の発言を聞いて、場内がざわつく。
特に、鉄道事業本部長の砂田常務は司会進行役の立場を放り出して、山崎さんに言い訳を始める。
「いやいや、電力部では、線区別、電圧別に消費電力量を管理しているんですよ。山崎副部長、もう少し、答えの分りやすい質問をお願いできませんか。ほら、裁判所で証言させられているようで、気の弱い高木課長なんか、緊張して縮み上がってますよ、ほら」
さすが砂田常務の話芸で、少し、場から笑いが起き、それと同時に野次が飛ぶ。
「緊張って言っても、国交省の監査よりマシだよなぁ!」
「古い車両を大事に使うからだよ!」
――――酷い茶番だ。野次を打ち切って、私は強引にシナリオを書き換える。
まず、山崎部長の手にしていた質問用紙を取り上げて、破り捨てる。
場はにわかに静まって、私の行動に注目する。私は立ち上がって場の中央に進み出る。ここまで来ると取締役全員の息遣いまで聞こえてきそうだ。
「――――私は、ずっと違和感を感じております。みなさん、何か勘違いをしていらっしゃいませんか? 我々はダリルリンチ・グローバー証券の投資銀行部、世間で言うハイエナであり、ハゲタカなんですよ」
私の声に、平取あたりの面々は少し、頼り無さそうにお互いを見合っている。
「あなた方は、まな板の上の鯉。猛禽に食われようとしている小動物の群れだ。群れた小動物が、お互いに、お互いを、生贄に差し出そうとしているとするなら滑稽です。なぜなら、ハイエナもハゲタカも、その群に弱みを見せたものには容赦はしない。差し出した者も、差し出された者も、すべてキレイに平らげますからね」
私の発言に、姫川社長がようやく驚いたようにして口を開く。
「なんだね、椎野課長。君は我々を助けてくれるんじゃなかったのかね」
「姫川社長、折角ですので申し上げます。白馬の騎士が現れるのは物語の世界だけ。それも、絶世の美女がヒロインである場合に限ります。弱肉強食の資本市場で弱みを見せれば、もう、食べられるだけの肉の塊りに過ぎませんよ」
「それじゃあ、椎野君は我々に身売りをしろと……」
他の取締役連中も、不平不満を小声で囁き始める。
「売れるようならお勧めしますが、今のままじゃ二束三文ですね。そこ、お静かにっ」
それまでの会議室のざわめきが消え、水を打ったかのように静まり返る。
※守秘義務契約……契約の存在を含めて、外部に情報を漏洩しないようにする契約。一般的に罰則は無いが、守秘義務契約違反で訴えられた場合、当該金融機関はM&Aアドバイザーのリーグテーブルに出てこられないほどのダメージを負う。
※平取……取締役の序列で最下位。最上位は会長、次いで社長、専務、常務となる。それ以下はタダの取締役ということで、平取締役と呼ばれる。この他、代表権を持つ場合、代表取締役専務と、役職名が後ろに下げられる。
※白馬の騎士……敵対的M&Aにおいて、より会社の取締役会の立場を尊重してくれる買い手を言う。しかし、買収後に不仲になり騎士と姫の行きずりの恋に、従業員一同が迷惑を被ることとなる。