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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第9話 鉄路営営 〜旭川支社〜

 札幌から旭川まではシャロンの言うとおり、車で移動したほうが良いのだろうが、会社のほうで特急券を手配されてしまっている以上、使わない訳にはいかない。


 それに、夏と違って雪道でもあり、事故でも起こしたら一巻の終わりだ。

 しかも、業務とはいいながら途中で富良野や美瑛に立ち寄っていたりすると、おそらくセクハラ疑惑と、微妙なパワハラ疑惑が生じかねない。


 高架化工事中の旭川駅を降りて、構内通路を抜けて駅前の広場に出ると、雪がちらつき、風が肌に冷たい。

 札幌が冷蔵庫とすると、旭川は冷凍庫と言って差し支えない。

 白い息を吐きながら見上げると、空が広く感じられる。


「うわぁ、旭川ってビル、低すぎ……」

 シャロンは逆方向に驚いているようだったが、田舎を舐めると大変なことになる。

 しばらく駅前のビルをやり過ごすと、辻を一つ越えただけで、もう、ビルが途絶え始める。あとに続くのは点在するマンションと雪景色だ。


 その途絶えはじめのところにNR北の旭川支社があった。聞くところによると、旭川支社ビルの中に旭川保線所は併設されているようなので助かる。


「かちょー、どうやら、支社ビルってこれじゃないらしいです」

「え、ビルの上にロゴがあったけど?」


「いま、中で聞いてきたんですが、保線所の入ってる支社ビルはもっと先のほうの組合の建物のもっと先らしいです」


 なんということだ。旭川支社に来たというのに、ここは支社ビルではなく、さらに遠くの組合の建物の遥か彼方にゴールが再設定されてしまった。

 除雪が不十分な歩道は滑りやすく歩きにくい上、旭川の寒さはもはや、痛いという感覚すらする。


「なんだかデキの悪いRPGをさせられているみたいだ……」

「かちょー、早く行きましょう。時間に間に合いません」


 とはいえ、目印の組合の建物を見つけるのに時間を費やしたせいで遅刻してしまい、結局、旭川保線所の沢木所長とは入れ違いになってしまった。


「戻りは17時らしいです」

 シャロンの言葉に絶句しながら、鉄道事業本部のヒアリングに続き支社ヒアリングも進まないことに苛立ちを感じてしまう。旭川支社のビルを二つ用意していたのも何かの罠じゃないかと思えるほどだ。


「ダリルリンチ・グローバー証券さんですか?」

 玄関口で立ち尽くしていると、沢木所長の代わりに、初老の男から声をかけられて保線所の中に通される。

「私、北日本軌道設備の古瀬ふるせと云います」

 名刺を見るとグループ会社の軌道施設工事会社のものだ。


「すみません、沢木所長には昼イチでお伺いすると申し上げたのですが、手違いで遅くなりまして」

「こちらこそ、所長不在で申し訳ない。外は寒かったでしょう。今日は18度まで下がりましたからねえ。じつは、今朝、ポイント故障がありましてね。所長は当社の社員と二次下請けの旭北きょくほく興業の社員8人で手分けして除雪に行ってるんです」

 北海道では、マイナス18度のことを『18度』と言うようだ。マイナスが前提という辺り札幌から北に来たと言う感じがする。


 古瀬氏は、男手で申し訳ないと言いながら、お茶を出してくれる。

「今朝のポイント故障って、原因は古い資材を使っていたから、とかですか?」

「いやいや、着雪ですよ。レールに根雪がついてポイントが動かなくなるんです。そうなると目視でレールを叩きに行かないといけませんから」


 着雪なんて言葉は事前に調べておかない限り、頭に浮かびすらしないだろう。レールに雪がつもるのは理解できるとして、それが根雪になるとはどんな状況なのだろう。


「それにしても、レールを叩くなんて荒っぽいですね」

「椎野さん、ここ旭川は函館本線、宗谷本線、石北本線と富良野線の四線が交わる交通の要衝でね……せっかくお越しになったんだから、現場を見に行きませんか」


「は、はぁ」


 百聞は一見に如かず。現場を踏んだからには現場を見なければならない。シャロンの靴も大丈夫そうなので、ヘルメットと軍手に現場用の防寒セットを貸してもらう。


 机の上に置かれた防寒具を身につける前に、古瀬氏に訊いてみる。

「古瀬さん、我々、こういった現場に出るのは初めてですので、保線用の管理資料とかがあればそれを見てから行きたいのですが」


 そう言うと、古瀬氏は、これから見に行く函館本線の保線資料を逐一出して、説明してくれた。


 聞くところによると、古瀬氏は、元NR北の社員で退職後に子会社で再雇用されたらしい。

 来年、旭川駅が高架に切り替われば保線も楽になるらしいが、現在の旭川駅のポイント保線は人力のようで、古瀬氏の国営の時代に取得している軌道工事管理者免許も重用されているようだ。



 支社を出て工事中の高架沿いに進んで、踏み固められた新しい足跡を辿っていくと、鍵付きの鉄柵を抜けて函館本線が現れる。

 既に線路には5センチほど新雪が積もっていて、斜面は滑るので必ず『雪踏み』をして上がるように注意される。


「椎野かちょー、寒くて死にそうです」

「シャロンはここで戻るか……」

 正直、寒いを通り越して痛いというのが適切な状況だ。周囲を見るに、進むも地獄、退くも地獄の一面銀世界だ。どんな防寒具を着たとしても寒いものは寒い。

 しかし、しばらくして、シャロンはまなじりを決して言う。

「やっぱり、行きます」

「無理するなよ。さすがにフォローする余裕はないしさ」

 実のところ、慣れない雪道で結構、身体のあちこちの筋肉が張ってきている。私も帰れるものなら帰りたいのが本音だ。


 線路面に上がると少し遠くに旭川駅の新旧の駅舎が見え、札幌方面はレールが轍のように見えている。

「沢木所長はあそこですよ」

 指された方を見ると、百メートルほど先に小豆粒ほどの大きさの男が4人ほど、雪の中でシャベルとツルハシを使ってアイスリンクからレールの溝を掘っているのが分かる。


「除雪は人力ですか?」

「ええ。高架化工事がすめばマシになりますがね。さて、あそこまでは遠いので、駅側のポイントを見に行きましょう。函館本線の特急通過まで32分ありますので、大丈夫でしょう」

 何が、どう大丈夫なのかわからないまま、古瀬氏の後をついていく。


「これですよ、ポイントの根雪」

 よく見ると、ポイントレールに付いているのは雪ではなく、氷だった。除雪シャベルで新雪を除けると、ようやくレールの頭の部分を見ることができ、その内側を小さなツルハシで、ぶっ叩いて氷を割るところを見せてくれる。


――――交通雪害。

 雪のために列車が遅れて、何万人の足が乱れたとか、ニュースでやっているのだが、この雪のなか、分岐ポイントや車両、電子機器、信号装置などの鉄道システムが都合よく動くほうが異常なのかもしれない。

 除雪というのも除雪車両が雪を機械的に巻き上げていくシーンだけを想像していたが、おおよそ機械化投資が済んだとして、駅構内や踏切の除雪、雪だまりの予防除雪や段切作業は人力によらざるをえないらしい。


 いまの旭川駅は、かつての『雪にいどむ』の実証映像を見るかのような人海戦術だ。恐ろしい非効率だ。雪さえ降らなければ、見ることもない風景である。


 しかも、旭川駅のポイント除雪箇所は28箇所。これらが、全てが24時間正確に稼働して『当たり前』だという。

 なんとも、やりきれない職場で陣頭指揮に当たる沢木所長の心中は、察するに余りある。



「函館本線、退避、退避!」

 架空線が風をきる音のなか、声が聞こえる。

「そろそろ、列車の時間です。戻りましょう」

 古瀬氏はそう言って、来た道を引き返す。私とシャロンを先に線路面から下ろしてから、支社の建屋に戻る頃、ようやく特急列車の通過する音が聞こえた。


「美味しい!」

 シャロンの言うとおり、保線所のストーブの前で飲むホットコーヒーは人生最高のコーヒーと言って差し支えない。まさに、五臓六腑にしみわたり、生の喜びを実感する。


「しかし、今朝の故障でその日のうちに、よく人手が集まるものですね」

「沢木所長は下請けを大事にしてますからね。だから、下請け企業もトラブルがあると我がことのように駆けつけてくれるんです」


「下請けを大事にというのは具体的には何をしているんですか?」

「いろいろありますが、下請けへの施工指示が明確ですし、工期の後ズレも理由があれば延長の調整もしてくれる。何より、よく現場に顔見せもしますから、現場の状況を理解してますよ。だから、工事の竣工検査の段階で無茶なことは言いません」


「なにか、理想の保線マンのような人ですね。本社の工務部長をしていても不思議じゃない」

「いや、沢木所長は、本社相手に闘いますから出世は無理ですよ。本気で旭川支社管内のオホーツクから富良野まで660キロの路線を管理しようとしてますからね」


「本社と支社、理想と現実のギャップですか」


「ギャップ……ですね。大き過ぎるギャップです。それを擦り合わせるために日々、レールの様子を見ながら、事故に繋がりそうな箇所から工事発注をかけていくんです」なにやら、感慨深げに古瀬氏が言葉を紡ぐ。

「椎野さん、保線を30年、40年やってますとね、検査車の数値を見ただけで乗り心地が分かるんですよ。この区間はスピードが乗っている分、揺れて申し訳ない、この区間は駅に着く前に不快な思いをさせているんじゃないか、なんてことを思いながら工事の予算付けをしているんです」


 ふと、富良野で思い出して訊いてみる。

「ところで、富良野で貨物列車の脱線事故はありませんでしたか?」

「ああ、私の国営入社の昭和43年にあった事故ですかね。ダイヤ改正初日に増水で汽車ごと持って行かれた」

 昭和43年……そこまで、昔だったのだろうか。


「それ以来、事故は無いんですか」

「うーん、ちょっと私の知る範囲では分からないですね。脱線ともなると、保線だけの領域だけじゃなくなりますし」

「と言いますと?」

「脱線は保線だけじゃなく、車両や電気、工務全般の問題になるんです。掛け算で言うと『保線リスク✕車両リスク✕電設リスク✕運行リスク=脱線リスク』と云う感じで、保線リスクが上がっても運行本数が少ないNR北では運行リスクが元々低いですから事故は起きにくいんです。

 極論すれば、レールがなくても、列車さえ通らなければ脱線は起きないんです。

 細かくなって恐縮ですが、狭軌1067ミリに対して20ミリ以上の誤差は確実にリスクです。ただ、4両編成の特急が一日10往復する程度なら脱線についてはあまり考えられない。しかし、1両60トンの貨車が20両編成で走るとなれば運行リスクは飛躍的に高まります。特に貨物列車が時速130キロで走るなんて私の時代にはなかったことですよ」


「客車より貨車のほうが脱線しやすいんですか?」

「ふつうに考えて貨物列車の『重い』車両、『長い』編成、『高い』重心は4両編成特急と比べると比較になりません」



 そのとき、保線所の入り口から中肉中背の雪焼けして顔の浅黒い男が入ってくる。

 どうやら所長のようで、古瀬氏が駆け寄って話をしに向かった。

「貨物列車の脱線リスク? ふん、起こりゃあいいんだよなぁ、いっそのこと……あ、お客さんか」


「ダリルリンチグローバー証券、投資銀行部の椎野と申します。こちらが部下の……」

「森村と申します」


「ああ、本社がそんなことも言ってたかなあ。私、旭川保線所長の沢木です。今日は朝から立て込んでまして……」

 沢木所長の言葉を補うようにシャロンが言う。

「ポイント故障とお伺いしてます」


「いや、ありゃ、ポイント切替感知器の故障だ。切り替わってるのに切替器の表示が間違ってんだから、やりきれないなあ」


 沢木所長は自分でお茶を注ぎながら言う。

「ところで、証券会社がこんなところまで、何か御用ですか?」


「はい、本社の工務部では保線予算についてまるで分からないんで、こちらにヒアリングに来ました」

 私がそう言うと、沢木所長の言葉がにわかに影を帯びる。


「……ヒアリングなら、電話でもいいでしょう。あと、保線予算の件は古瀬に聞いて下さい。10年前からまったく変わってませんから」


 沢木氏はもう一仕事あるのか、ふたたび防寒具を身に着け始める。そこに、シャロンが質問を投げる。

「本社では支社から信頼できる情報が上がってこないと聞いてますが」


「砂ダヌキの手先が言ってるだけでしょう。こちらからは情報も、要望も、陳情も上げてますよ……でも、本社からは赤字だから増額補正は認めないの一点張りだ」


 沢木所長はけた頬をシャロンの方に向けて詰め寄る。

「赤字だから保線費が出せないなら、事故を起こすから列車を走らせるな、とでも伝えておいて下さい……すみませんが、外で仲間が待ってますので失礼します」


 そう言うと、沢木所長は早々に保線所を出ていってしまった。


「10年前から変わってないのは沢木のほうだなあ」

 なぜか、頬を緩めながら古瀬氏が言う。

「さっき、説明はしませんでしたが、沢木所長の要望書を見てみたいとおもいませんか?」


 その話に乗って、出てきた書類は平成13年から平成21年まで、毎年、旭川、深川、上川の各保線所別の保線状況と必要補修工事を、逐一、積上げたもので、図面を含めて二百枚以上に及ぶものだった。

 また、野帳やちょう(実測)データが正確に本社データに反映されていないことについても、危機感を持って触れられていた。


 私は驚いて古瀬氏に言う。

「どうして、沢木所長の要請を本社が取り上げないんでしょう。素人目に見て、どれも必要な工事に見えますが……」


「椎野さん、それは正しい、正しすぎる保線計画ですよ」


 古瀬氏は少し、瞼を腫れぼったくして言う。

「沢木は、やり方を間違っているのかもしれません。本当に予算を取りたいのなら、旭川保線所だけでこっそり予算要求をやれば良かった。

 それを沢木は、名寄や北見の保線所にも声をかけて大いにやったんです。

 その結果、本社はおびただしい保線予算要請という現実と向き合わなくなってしまったんです。

 悔しいんですが、結局、どこの保線所にも予算がつかなかった。本当に必要な保線工事に予算がつかない。

 しかし、そんななかで、特急列車はスピードを上げ、貨物列車も増結され、レールは日増しにきしんでいく……」

 古瀬氏は、思いがあふれるのを必死に抑えながら言う。

「もう限界だ、いっそのこと、どこかで事故でも起こしてくれと……それは、鉄道マンとして決して言ってはいけない言葉ですが、思ってしまうのも無理のないことだと、私は思います」

 古瀬氏は、そういうと力なく、椅子に腰掛けてしまった。


 私は、沢木所長の要望書のコピーを本社に持ち帰ろうとしたが、古瀬氏に野帳やちょうは存在しないことになっているので勘弁して欲しいと言われた。



「いいんですか? わたし、代わりに取ってきましょうか?」

 支社を出たあと、シャロンが私に言う。

「いいんだよ。ダリルリンチの役割は社内対立を煽ることや、社内不正を暴くことではない。あれほどの意見ですら、無視する経営マネジメントを変えていくことが必要なんだ」

「そ、それはそうですけど……」


 私は帰りの列車の中で、例の夢の中の貨物列車の脱線事故を起こさせないためにはどうすれば良いのか考えていたが、シャロンの言うように要望書を本社の工務部に叩きつけて済む話ではない。


 そもそも、予算となる原資が無いのに、降って湧いたように保線予算が確保されるはずがない。

 NR北日本という会社自体に必要な資金が確保されない、経営赤字になる仕組み自体に問題があるのだと、ようやく、私は気づき始めていた。

※雪にいどむ……国鉄の著名な記録映画。1961年製作。「ゴジラ」の音楽で知られる伊福部昭氏が本作品の音楽を担当していることでも有名。ネット上でも見ることが出来る。雪崩割り、キマロキ編成などの専門用語に異常に燃える向きも多い。


※保線所……JRでは、保線計画を建てるのが支社、実際に施工管理をするのが子会社の工事会社で、さらに実際に工事に入るのが二次下請けになる。保線所は工事監理の最前線で工事資料、軌道検査資料などナマの資料が多く保管されている。


※野帳……測量野帳のこと。現場管理資料に転記した時点で廃棄されるべきものが残っていたためJR北海道のレール検査データ改ざんが発覚し2014年1月に国交省の事業改善命令が出された。

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