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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第8話 鉄路錚錚 〜鉄道事業本部〜

 午後からの鉄道事業本部の調査は難航を極めた。


 当初のヒアリングで、営業費用の中身を尋ねたら、そこで、人件費の資料を出すべきかどうか、小田原評定が始まってしまったのだ。

 何が問題なのか尋ねると、給与情報が重要な個人情報を含んでいる恐れがあるので、本部長に決裁のお伺いを立てているらしい。個人情報の壁、恐るべしだ。


 やむなく、線区別の修繕費を調べ始めると、今度は工務部の保線予算数値がないという、驚くべき事態に直面してしまった。


 保線予算に一応の数字は入っているのだが、毎年、同じ数字を入れているようだ。


「これは、神の御業ですね」

 シャロンは保線予算と予算通りの消化状況を見て目を丸くして言う。

 しかし、予算通りの消化ということは、予算以上に必要なことはさせないという不健全な状況の裏返しでもある。


「いや、悪魔の所業だろう」

 私が皮肉を込めて言い返すが、シャロンは死語を操ってカウンターを放つ。

「でも、予算を取っておいて全部消化し切るあたりは、さすがオヤクショシゴトの名残ですよね」


 シャロンの手元にある予算実績対比表を見てみると、予算の執行率が100~105%で毎年収まっている。

「まるでデタラメだ……」


 呆れたのは、それだけではなかった。


 車両部では、管理する車両の状況が一元的に整理されていなかった。しかし、調べを進めていくとそんな問題は表層的なもので、車両部の悩みはもっと深い部分にあった。


 かつて国営鉄道の時代、北海道鉄道監理局では、NR発足時に後の経営が困難になることを予期して、新型車両にすべて更新を終えていたのだが、これが、民営化25年を経て大変な負の遺産になっていた。


 そもそも、北海道という土地は寒冷地であるため、本州と比べると車両の傷み方が早い。どの程度かというと、本州で車両を使う場合40年~60年程度稼働するらしい。


 20年に1度は内装を取り替えるため、家に例えると新築で20年使って、リフォームして20年、更に状態が良ければ、次の20年もリフォームで使用すると言った具合だ。


 しかし、寒冷地仕様の車両は新築で使用を始めて15年でリフォームが必要になり、次の15年でほぼ、更新需要期を迎えることになる。

 寒冷地で冬場の時速130キロを超える特急運転は、一見、大丈夫そうに見えてもミクロン単位での氷食、雪害による金属疲労が激しいらしい。


 NR北日本発足時の車齢が平均5年とすると、四半世紀たった今、車齢平均は30年となり、大量の更新投資時期を迎えてしまったのだ。


「使えるものは最後まで使わないといけません。車両工場に行ってもらえればわかりますが、エンジンパーツまで含めて、すべて、スペアパーツを取り揃えています」


 車両部長は胸を張ったが、NR北では非電化区間が多く、山間勾配も厳しいので車両は本州にあるものとは仕様が異なるらしい。

 一時、NR北仕様の特急車両を作ったりもしたようだが、調達コストが高すぎて、結局、旧仕様の特急車両を繋ぎ変えて使用しているようだ。


「エンジン部品まで換装して使用するとなると、バス車両以上の酷使のされ方ですが、デリケートな鉄道でそんなことをして大丈夫ですか?」


「無理をさせると火を噴きますよ。でも、先立つものがないので、現場は苦労させられます。しかし運輸部とも連携してどうにか走らせています」

 冗談にもならない情けない実情だが、車両にかける愛情はひとしおのようだ。



 電気部は、一番、まともに見えたが、これは、設備の点検その他、電気機器について法令で細かく決められているお陰らしい。


 電気部の佐藤課長は非常に大人しい人だが、最初に話した時の言葉が印象に残っている。

「電気部はNR他社と比較して、貧弱でしょう?」


 どうやら、NR各社の状況を知っていると思われているらしい。


 私の知識はこの数週間で急速に身についたものなのだが、自分からネタバラシをする必要はない。

「ええ、でも何か気にされているんですか?」

「そ、その……電化区間が伸びてなくて、人は増えないですが、電子機器の種類は増えていて知識が追いつかなくて」


「それでも百人ほどの所帯なんですから、覚えられなくはないでしょう」

「いや、カタログの知識は覚えられても、実践が伴わないんですよ」


「実践?」

「ええ、たとえば、LEDの信号機が入ったんですが、オホーツクのほうで新型信号機が凍りついてしまってですね」


「信号機が凍る? 仰ってることが分かりませんが」

「電球の信号機なら、熱で雪を溶かしてくれるんで、凍ることはなかったんですが、LEDは発熱が無いぶん、張り付いた氷の上に雪が積んで、信号が見えなくなるんですよ」


「それって、大事故一歩手前のような気がするんですが」

「いや、信号が見えなければ、列車は止まりますから大丈夫です。でも、発熱するLEDの話は東京にはないんですか」

 妙な所で安心させられても困るのだが、北海道の冬の気候というのは、想像を絶するものがある。


「かちょー、発熱するLEDと云うのはふつうの電球じゃありません?」

 シャロンのツッコミに、私も首肯(しゅこう)する他はない。



 最後に訪れたのは、運輸部だ。ここが鉄道事業の中核である鉄道の実際の運行司令、運転手、車掌の管理を行っている。


 おおよそ、鉄道会社であこがれの対象となるのは運転手であり、キャリアコースも駅務職員からスタートして、数年で『甲種電気車運転免許』か『甲種内燃車運転免許』を取得する。それから電車、気動車の乗務経験を経て車掌や駅助役などにキャリアアップしていくことになる。


 今回、運輸部に来たのはそうした花形社員の活躍を見に来たわけではない。


 定時輸送、運休決定、回復運行などをコントロールする運行管理に関するサウンディングだ。そこで紹介されたのが運輸企画課で、鉄道会社で『スジ屋』と呼ばれる人だ。


「運輸企画課長の白泉しろいずみです」


 少し痩せ型で身長はやや高めの175センチぐらいだろうか。

 時間がやや押しているので、名刺交換してソファに腰を落ち着けるとすぐに話し始める。


「白泉課長、ふと思い出したのですが、姫川社長が我々に、従業員は国営時代の半数になった、保線のほうは無理をしていると仰ってました。とくに根拠があるわけではありませんが、白泉課長は今のダイヤを組まれていて感じられるところはありませんか」


「社長がそう仰ってましたか。それなら『砂田計画プラン』をやめて、保線予算を増やせば良いんですよ」

 白泉課長は飄々と持論を展開する。


「『砂田プラン』? その計画数値は我々、頂いてはおりませんが」

「今の中期経営計画ですよ。サービス向上と安全確保と書いていますが、安全を確保する予算が確保されていません。たとえば、車両予算が圧倒的に少ない。砂田プランの影響で車両調達は綱渡りです。老朽ディーゼル車両が火を吹いたら、それこそダイヤに影響するでしょう」


「車両更新計画は拝見しましたが、来年から2020年までで予定通り重点更新を完了する予定とありました」

「予定通りじゃありませんよ。砂田常務の計画プラン通りなんでしょうが」


「そうすると、砂田プラン、否、中期経営計画自体がおかしいんじゃないですか?」


 そう言うと白泉課長は少し面倒くさそうにして言う。

「いえ、社内各部署のサウンディングの結果、策定された計画です。国交省にも提出していますから正しくなかったら困りますよ。車両部も更新計画としてはこれで大丈夫だと思ったから、老朽車両を酷使しても事故は起きないと思っているんです。車両部が大丈夫と言っている以上、運輸部としてはダイヤを引かないといけません」


「もし、それで事故が起きたとしてもですか?」

 私の言葉を聞いて、より面倒くさそうに白泉課長は対応する。


「……椎野課長、『事故が起きそうだ』というのと、『事故が起きた』というのはまるで違いますよ。当社もヒヤリハット事例はいくつも経験していますが、すべて未然に防いでいます。それでも、事故が起きそうだという声があるなら、今回のヒアリングで聞いて回ってみて下さい」


「しかし、可能性の問題でしょう。低いに越したことはない」

「そんなことを言っても無い袖は振れません。経営状況が厳しいのは誰でも分かります」


「でも、その方法はやり方として間違っていますよ」

「椎野課長、それは砂田常務の全否定につながります。私はこのお話は聞かなかったことにして下さい」


 白泉課長は、時計をちらりと眺めて、次の会議の準備があるとのことで、出ていってしまった。


 シャロンは呆然としている私に言う。

「砂田常務の影響力って凄いんですね」

「そうだな、白泉課長なりに砂田プランに抗ってみたような、そんな疲労感と無力感を感じるね」


「椎野かちょーは、この調査に無気力感を感じませんか?」


 シャロンというのは時々、私がビックリするようなことを言う。

「いや、正直、社内の反応に腹は立つが、不思議と無気力にはならないよ」

 私はそう言って、シャロンと帰り支度を始めた。

※個人情報……個人情報保護法の施行以来、事業者が『持たず、作らず、持ち込ませず』と言う程度に腫れ物に触るようにして、個人情報を扱っている。しかし、現場では、何が個人情報に該当するのかについての意識が浸透していないため、何でもかんでも個人情報として騒ぎ立てる傾向もあり、注意が必要。


※寒冷地仕様……北海道の住宅や自動車など、内地よりも少し割高になるのは、寒冷地に適合させるために特殊な部品を使用するためである。なお、近所の食堂で、定食の味噌汁を沸騰させて持ってくるのは、寒冷地仕様でも何でもない調理ミスである。


※オヤクショシゴト……型どおりに、自らの守備範囲を超える仕事をせず、一つでも間違いのないように、融通が利かない仕事の進め方を往々にして『お役所仕事』と称する。フランチャイズチェーンやコンビニエンスストアでも、マニュアル主義の仕事は徹底されているが、『コンビニ仕事』などとは言われない。これは、コンビニのマニュアルが融通を効かせているか、マニュアルを越えた仕事をしているかのどちらかで『お役所仕事』改善の切り札とされる。


※ヒヤリハット……重要インシデント(事故)に結びつく前に、事前に気づいて事なきを得た事例について、一罰百戒の意味を込めて、組織内で集める事例のことを言う。たとえば、びしょ濡れの猫を電子レンジで乾かそうとして猫が電子レンジに入らなかったということも、立派なヒヤリハットである。

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