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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅰ.金融爛熟 ~リーマンショック篇~
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第1話 異世界、外資系証券会社

 一生に一度の新卒生としての就職は、運であり、出会いであり、また、水物でもある。

 どれほど努力しても、希望の企業、いや希望の業界にすら就職することが叶わないことは多い。


 私の父は銀行に二十年、さらに銀行子会社の証券に十年ほど勤めた根っからのバンカーだった。

 銀行時代の父は私に、銀行は資金が資金を生む仕事だと言って、将来は都市銀行に入れと笑って言っていた。


 その後、銀行子会社の証券に転じた父は私に、商業銀行の時代は終わりだ、これからは投資銀行だと言って、将来は証券会社に行けと私に勧めた。

 銀行の子会社証券にそのまま転籍した父は、銀行時代よりも仕事に打ち込み、結局、過労がたたってガンと診断されたあとは半年ほどで息を引き取った。


 私が小学生だった夏。

 夭逝した父の葬儀がいとなまれたのは、真夏の雨の降る日だった。

 暑いはずなのに、私はまったく熱を感じなかった。

 ただ、涙とも、汗ともつかないしずくが、私の下を向いた顔の鼻先から流れては消えた。


 家の近くの集会所には、私の知らない父の親戚や知人が数多く訪れた。


「奥さん、息子さん、惜しい人を亡くしました。椎野部長は御立場上、会社の出す提案書の全てに目を通されました。そう、銀行や資本市場だけでなく、債権者や提案先の会社従業員の立場にも気が回る人でしたから、私の提案書なんてすべてのページに赤が入りました。しかし、筋が通ってるので反論のしようもない。椎野部長に育てられた部下は私を含めて幸せ者です」

 まだ若いと思われる黒のスーツで駆けつけた船橋という男は、しばらく失意のうちにあった母を励ましていた。


 弔問者が続くなか、私は父の言う『投資銀行』という四字熟語を反芻していた。

 不思議とその文字は、私の頭の中に残り続けた。


ーーーーそして、2004年。

 私の志望する投資銀行、すなわち証券業界の2004年採用は、ただでさえ就職氷河期で厳しかったところに銀行の証券業参入の噂が追い打ちをかけ、日系証券は採用の門を固く閉ざしていた。


 そして、その超氷河期のなか、私は外資系投資銀行のダリルリンチ・グローバー証券の面接に臨んだ。


 最終面接では、面接官が、今更ながら志望動機を訊いてきた。

「――――どうして、外資系証券なんて不安定な職を選ぼうとするんですか?」

 志望動機を聞かれた場合には、業種と会社の選択理由、両方が入らないと必ず、『別に弊社でなくても良いでしょう』というカウンターを食らうので要注意だ。


「私の父は、昔、都市銀行に勤めておりました。

 当時は毎日、朝七時出社、夜十一時退社で日本全国、札幌、新潟、広島と全国各地を辞令一枚で転勤です。

 40を過ぎると証券子会社に出向、過労もたたり父は急逝しました。

 父の勤めていた銀行も証券会社も、いまはメガバンク再編で名前すら残っていません。

 こうした時代ですので、何が安定かというのは難しいかと思います。

 しかし、その父が亡くなる前に、これからは投資銀行の時代になると申しておりました。

 その後、拙いながらに投資銀行業務に興味を持ち、その内容を知るに連れて、同じ投資銀行を目指すのなら世界でも屈指の御社で一人前に働くことができればと思うようになりました」


 私の答えは、志望動機としては、ある程度の回答になっているはずだ。しかし、それでも面接官は引かなかった。


「でも、日本での投資銀行業務は、能村や太和のほうが規模も大きいし、外資系ならゴールドマンやモレスタもある。別に弊社でなくても構わないんじゃありませんか?」


「いえ、国内証券の規模はリテールの営業力の賜物ですが、その分野はネット証券の普及や銀行の証券業本格参入で、将来的には厳しくなるかと思われます。

 また、トラックレコード(提案実績)を拝見するにつけ、既存のしがらみに囚われず資本市場の視点に立った提案を事業会社にされているのが御社だと思っております」


 一通りの圧迫面接を受けていると次に来る質問が『どの程度、無理ができるか』の辺りと予想がついてしまう。

 慣れというのは恐ろしい。


「では、質問を変えます。もし、職場環境が合わない、または、何日も残業が続くような部署に配属されたら、どうなさいますか」


 ここまで来ると、圧迫面接も一段落だが気は抜けない。

 かつてなら『がむしゃらに頑張ります』が良しとされたところだが、時代はコンプラであり、ワークライフバランスを表面的に支持しなくてはならない。


 私は、仮にということで『合理的に可能な範囲で頑張ります』というような答えを返しておく。

 そうすると、二人の面接官は顔を見合わせ、これ以上の質問を切り上げて私に言う。


「お疲れ様でした。以上で面接は終了です。採否の結果については弊社のほうから今週中にお伝えします」



 そして、その週の金曜日、私は、ダリルリンチ・グローバー証券の日本法人から採用の連絡を受けた。


 そう、かのダリルリンチ・グローバー証券である。本家の米国ダリルリンチは、1929年の大不況を経験している世界の五大投資銀行の一つだ。


 一般的に、外資系証券の採用は、通年の経験者採用が主で新卒採用は『若干名』だった。

 しかも、他の国内大手3社の能村、太和、曰興では不採用だったので、私は奇妙な縁を覚えた。


 私は内定をもらって以来、外資系証券について徹底的にネットや雑誌書籍を読み漁ったのだが、結論から言おう。



――――外資系証券は異世界だ。



 いわく、『会社の数字』と『個人の数字』を混同してはいけないというが、快く混同させてくれるのが現代の異世界、外資系証券会社だ。


 たとえば、トレーディング部門は会社に1億円の収益をもたらしたら、ディーラー個人の取り分は一般的に3,000万円~4,000万円だ。

 少し怖い会社になると『取り半』といって50%が社員取り分というところもあるらしい。

 少々ノルマは厳しそうだが、腕に自信があればチャレンジしても良いと思う。


 ディーラーが激務でノルマが心配だというのなら、ファイナンス部門も異世界的でおすすめだ。


 たとえば、名のある上場会社から仕組債や種類株式などの発行契約マンデートをとりつければ、良くすると発行手数料の20%程度の還元がある。

 500億円のロットの新発社債の主幹事契約で1億円の手数料を会社にもたらしたら、その中から、2,000万円程度の賞与が個人に振り込まれたりする。


 金銭感覚が狂っているとも言うが、金銭感覚が麻痺する程度で一攫千金の機会があるなら、飛び込まないほうがおかしい。


 さて、きっかけは父の『投資銀行』の言葉だけだったが、事ここに至ると、私の外資系証券への思い入れは病というに等しいところまで昇華された。


 しかし、入社後の簡単なオリエンテーションで僅か3人の同期と袂を分かつと、いわゆるオン・ザ・ジョブ・トレーニングという、ブラック業務の入り口に立たされることになった。

※投資銀行……Investment Bankのこと。米国では証券会社を投資銀行と呼び、日本で言う銀行は商業銀行に区分される。リーマンショック発生まで、米国政府が公金で救済できるのは商業銀行(預金者保護のため)と決められていた。2007年当時の米国5大投資銀行はゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズ、ベア・スターンズ。


※オン・ザ・ジョブ・トレーニング……専門の研修部署を持たない会社が、苦し紛れに使う横文字。要するに習うより慣れろ、で現場に投入され、トライアンドエラーの中で新人を淘汰する制度。


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