第6話 鉄路蕭蕭 〜経営企画部〜
松崎取締役経営企画部長は、NR北日本採用の生え抜きで、いわゆるエリートとして鉄道事業本部、事業開発本部の両方を経験している。
見たところ、真面目で人当たりの良さそうな感じを与える、中肉中背の男だ。
手っ取り早く社内の状況を知るにはうってつけの人材で、昼から合流した森村シャロンも含めて3人で話を聞くことになった。
「わざわざ、東京からですか、ご苦労様です」
決して嫌味ではなく、名刺を見て松崎部長は社交辞令的に言う。
「はい、御社の姫川社長に招かれて、事業の状況について一番把握されている松崎部長に真っ先にお話をと思いまして」
山崎さんが無難に応じると、松崎部長は話し始める。
「姫川のほうから、特に隠し立てせず、話すように言付かっております。我が社の事業と言っても、ご覧いただければ分かる通り、鉄道事業本部と事業開発本部、ご覧になったでしょうが札幌駅前のビル開発子会社が中心ですが、その二つが中心で、別に付属病院も営んでいますが、国営時代からの遺産で、損益には影響しないレベルのものです」
少し空いた間に、すかさず、シャロンが入り込んでくる。
「駅ビルは凄い綺麗でした。早めに着いてしまったので行ってきたんですが、超キレイでしたよ」
百貨店と地下街のパンフレットを早速、仕入れてきたようで、嬉しそうに机の上に出す。
それを見て松崎部長が応じる。
「いやあ、お陰様でオープン以来、好評です。テナントのほうも堅調に売上を伸ばしていますので、黒岩事業開発本部長が大成功と自画自賛するのも頷けます」
駅ビルの話に流されまいと、私は早々にヒアリングに入る。
「事業開発本部では、ほかに何か事業はしていないんですか?」
「NRグループ各社とも似たり寄ったりですが、ホテル業がタワーの提携ホテルの他に、札幌、帯広、旭川で『NRイン』のブランドで展開しています。あとは札幌駅ビルを筆頭にした不動産賃貸、キヲスクブランドの小売、その他にも建設や広告、清掃といった下請子会社があるぐらいですね」
「年商はどの程度でしょう?」
「小売が土産物も含めて300億の売上があります。あと、不動産賃貸で250億、ホテルで70億程度、建設や清掃は、ほとんどグループ内部売上ですので、連結に貢献しているのは鉄道以外で合計600〜700億程度と見てください。そこに鉄道事業本部の1000億が加わって1700億円。NR北グループ30社での売上は以上です」
数字がかなり出てきたので、シャロンがメモを取り始める。
私は、気になった数字から質問していく。
「意外にキヲスクが健闘していますね」
「ええ、北海道は観光地でもありますから。今年は、サミット効果もあって観光客の入りは好調です。椎野さんもお土産物を買われる時、意外に出先じゃなくて、駅で買われることが多いんじゃないですか?」
「確かに、言われてみれば、荷物になるからと思っていたら買いそびれて、最終日に駅や空港で買っていることが多いですね」
「ええ、ウチのキヲスクは土産物と駅弁を中心に150億程度を軽く売り上げるんですよ」
シャロンが150億の数字に釣られたわけではないと思うが、口を挟んでくる。
「そう言えば、駅で一番目につくのが土産物と駅弁ですね」
「そう仕組んだ導線になっていますから」
得意げにそう言いきった松崎部長に、私はいくつか追加で質問する。
「この数字はインバウンド関連で増えそうですか?」
「どうでしょう。伸びてもあと50億程度が限界でしょう。キヲスクのネックは在庫と店員です。売れ線の商品は仕入れ数が限られますし、観光客の方がどっと押し寄せても、レジの行列で販売機会ロスが発生しますから」
「なるほど、そうですか。あと、好調な駅ビル事業のほうは不動産事業は函館や釧路といった道内の拠点に広げることはないんですか?」
「黒岩本部長のお考えでは、道内は現在高架改装中の旭川駅で最後のようです。函館は、新幹線の駅が函館市内まで来ませんし、釧路は都市の規模が小さすぎます」
そこに山崎さんが、割り込んできて言う。
「道内ではと言うことは、道外で何かあるんですか?」
「そうですね。次は東京進出だとかなんだとか。もっとも、ウチは余裕資金がないので、言葉だけで終わってくれればよいのですが」
私は不思議に思って質問する。
「別にNR北日本の営業エリアは北日本に限られるわけじゃないでしょうから、東京でも別にかまわないのでは?」
「まあ、旅客鉄道法には付随業務が認められていますので、東京のアンテナショップ程度なら大丈夫でしょうが、黒岩本部長は何事もご自分だけで決めてしまわれるので、暴走されて予期しない規模に膨れ上がるのが心配で……札幌駅ビルでも禍根を残しましたし」
「禍根と云いますと?」
「ええ、札幌駅ビル事業でも、テナント需要が大きいと見るや、風呂敷を広げて当初よりも勝手に規模拡大してしまったのです。そのおかげで、札幌駅の新幹線駅拡張部分だった『0番ホーム』部分までビル開発してしまったんです。お恥ずかしいのですが、今では地下に新幹線ホームを作る方向で調整中です」
山崎さんが目を丸くして言う。
「札幌駅の地下には地下鉄と地下街があるんでしょう。新幹線の駅を置く場所なんかあるんですか?」
「まあ、地下鉄南北線を避けて地下5階にずらせばどうにか……ですが、これでは、せっかくお客様が新幹線で到着されても、在来線との標準乗り換え時間に15分以上かかります。これは、新幹線の札幌~新小樽の所要時分に相当するんです。
1996年頃でしたでしょうか。設計段階で知らされた鉄道事業本部が設計変更を申し入れたんですが、黒岩本部長が『駅ビル開業は目の前の現実、新幹線なんてお伽噺の幻だ』と一喝して受け付けなかったそうです」
私は思わず眩暈を覚えそうになりながら訊く。
「その時のトップはどうして仲裁に入らなかったんですか?」
「当時の豊田社長はNR東部から来たばかりで、加えて、当時の鉄道事業本部長が今の姫川社長です。ここで仲裁に入って、NR北プロパーの黒岩さんの腹案を、豊田=姫川のNR東ラインが潰したとなれば、社内が収まりません。また、その当時、新幹線の八戸延伸開業もまだでしたから、問題を先送りしようとしていたのも確かです」
私は、NR北とNR東の内部抗争が、まさか、NR北で展開されているのかと、耳を疑いながら松崎部長に訊く。
「しかし、理非曲直は明らかでしょう。それこそ社長命令でも正論を通さないと」
「椎野さん、それは社内をご存じないからですよ。NR北と言えば、国営時代からの国営労組の牙城です。その中核が鉄道事業本部の現業職員なんですよ。彼らからすると、NR東から乗り込んできた経営陣、役員が無法に振る舞ってくれれば『NR北の自主独立を求めて断固戦い抜くぞ』と筵旗を立てて、前時代的に大騒ぎできるんです」
「なるほど、組合活動も盛んなんですね。そういえば、鉄道事業本部についてお伺いしてませんでしたが」
「椎野さん、鉄道事業本部は独自に経営企画部を持っています。我々はそこから数字をもらっているだけです。お恥ずかしい話ですが、ざっくりとした数字だけいいますと、年商が運輸収入700億、経営安定化基金等の運用益で300億円です。将来のキャッシュフローも含めて数字だけはありますが、元になっているデータは鉄道事業本部でご覧になって下さい」
「はぁ、鉄道事業本部の経営企画部ですか……」
「はい、我々、経営企画部では鉄道事業本部の経営企画部を通じて、路線別の営業係数を把握していまして、資料でお持ちかもしれませんが、路線別に並べて収支の悪い順に精査の上、申し訳ないのですがダイヤを間引くか、廃線にするかを鉄道事業本部と調整します」
「この表で行くと、千歳線の123が最高値ですか」
それに反応してシャロンが言う。
「いえ、留萌線の211.8が最高じゃないですか」
営業係数といえば、100円の収入を得るのにかかる費用であり、大きければ大きいほど赤字ということになる。
国営鉄道時代は五桁に上る営業係数の路線が赤字ローカル線問題として、よく取り上げられていた。
しかし、意外なことに松崎部長は資料の別の箇所を見始める。
「違います。一番最後の別表を御覧ください。内地のNR中部日本、名松線の517.9という怪物がいます。実は、留萌線ですら営業係数全国ワースト50に入れないんです」
「……それは、入る意味はあるのですか?」
「重要なのはインパクトです。日本で一番、営業係数の悪い路線という看板があれば、自治体のほうもさすがに補助金支出か廃線に同意してくれるだろうと言う意味があります」
「廃線より前に、受益者負担は、値上げはしないんですか?」
「椎野さん、営業係数を見てものを言って下さいよ。千歳線でも123、札沼線でも134.7です。
過去の例を見ても3割の運賃値上げなんて、国交省が認めた例はありません。
それに、3割の値上げとなると、逸走率(※値上げ後の利用者数減少率)も高くなります。
そのうえ、事業者努力をした上で値上げという形に持っていかないといけませんので、リストラや効率化を進めないといけませんが、我が社にはもうその余地はない。
逆に、値上げでシステム改修をしたりやコストカットで、お客様にご迷惑をかけるより、廃線や路線の三セク化で一気にカタを付けるほうが分かりやすいでしょう」
値上げもせずに一気に廃線にされるほうが迷惑だろう、と思うが、そういった議論は無いらしい。
とりあえず、気がかりな2つの経営企画部の役割分担だけ聞いておく。
「そういうことからすると、鉄道事業本部の経営企画部は組織内部に向けての仕事、そして、こちらの経営企画部は会社外部に向けての仕事ということですか」
「ぶっちゃけて言うと、そういうことになります」
松崎経営企画部長は決して悪人ではない、否、どちらかと言うと善人過ぎる。
ヒアリングからの帰りにシャロンがタクシーの中で言う。
「椎野かちょー的にはどうだったんですか? 初日の成果は」
「うん、あの会社にして、あの経営企画部ありと言う感じかな。本来、経営企画部は他の部門に働きかけていくべき部門なのに、鉄道事業本部にすら手を入れられないなんて、よく鉄道会社の経営企画部と言えるよなあ」
私は善人は嫌いではないが、自分の仕事をしない人間はとても嫌いだ。
「前途は、まだ、厳しそうですが、今夜は副部長の奢りですよ」
シャロンが戯けてそう言うのを聞いて、私は気を取り直す。
当日のヒアリング調査で、早々にNR北の混迷する内情をぶっちゃけられ、私の気はあまり晴れなかった。
※キヲスク……JRで言うと『キヨスク』に該当する駅売店。もともと鉄道弘済会が鉄道殉職寡婦のための就業斡旋事業として始めたもの。次第にエキナカの言葉の中に包含され、今ではコンビニ形態が一般化しつつある。
※新幹線札幌駅ホーム問題……現実の新幹線札幌駅も2016年、北海道地区の夕方のニュースで取り上げられるなどして、俄に注目を集めた。特に、地下駅案については、コストが膨らむ一方で、駅が遠くなるというデメリットがあるが、大丸、JRタワー、施設駐車場の改築、耐震修繕を避けることができるため、思わぬダークホースとなっている。
※三セク化……北海道のJRローカル線の3セク化としては、池北線を引き継いた『北海道ちほく高原鉄道』があったが、沿線人口の急減に耐えきれず、2006年に廃止している。2016年の新幹線函館開業により、10年ぶりに『道南いさりび鉄道(木古内~五稜郭)』が鉄道事業者として運行を開始している。