第5話 赤坂坐談
東京赤坂の格式のある料亭として知られる『小遠野』。
予約の取りにくいと言われる奥の間『溪谷』で、その日の床の間を背負って座っているのは東部日本旅客鉄道の清塚社長である。
隣で、にこやかに腰を落ち着けているのは清塚の腹心、河東専務だ。
それと向かい合わせにダリルリンチ・グローバー証券の鷹取社長と札幌から取って返した梁田氏が座っている。
「清塚社長、大変ご多忙のおり、お越しいただき、誠に恐れ入ります」
「鷹取さん、そんなに堅くならないで下さい。四菱東京の時代からのお付き合いじゃないですか」
「いえいえ、四菱東京時代には、いつも、みすず銀行さんに痛い目に遭わされていましたので」
「そんな、それじゃあ私がまるで虐めていたかのようじゃないですか」
清塚の冗談に苦笑いが続くなか、河東専務が水を向ける。
「鷹取社長、なんでも、今日は良いご報告があるそうで……」
「はい、実は北日本の某会社のお話です」
鷹取がわざわざ、ぼかした社名を聞くと清塚の目が座る。
「ほう、北日本……ですか」
「はい、鉄道事業を営む会社で、御社もよくご存知かと思いますが、そちらの会社から経営支援の要請を頂いて、現在、弊社の投資銀行部門の者が調査に出ております。そうだな、梁田」
「は、はい。本日お会いした先方の姫川社長、砂田常務も、相当の覚悟で抜本的な経営改革を受け入れると仰っておりました」
それを聞いて、清塚はあまりいい顔はしない。
「いやあ、北日本といえば、それこそ経営は、そう、今日の武蔵野を吹き抜ける寒気より厳しいものがありますからねえ。我が社も国交省の要請で技術支援している北日本の会社を知っていますが、なかなか大変ですよ」
意地悪く笑みを浮かべる清塚が腕を組んで、難しい顔をする。
「はい、民自党もそうですが、次の政権を狙う民権党が『経営安定化基金』を目の敵にしています。つまり『隠れ補助金』300億円を見直すことは既定路線です。さすがにNR北も、単独での自主再建は難しいと踏んでいます。それで支援先、スポンサーを探したいというのが先方の本音というところです」
支援という言葉に反応して、清塚、河東の眉間に皺が寄る。
「ほう、支援先? 北日本に支援ですか。それは難しい。うーん、聞きたくない話ですねぇ。河東君、底の抜けたバケツに水を入れるような支援話に応じる先なんか、知っていますか?」
「いえ、我々、上場会社として資本市場に身を置いてますから、そのようなことはできませんが、鉄道事業の公益性を見るのでしたら、政府や自治体なんかが支援する可能性はありますね」
清塚社長も、河東専務も浮かない顔で鷹取社長の反応を見つめている。
「はい、旅客鉄道法の規制はありますが、同業の東部日本が救済合併することが望ましいとの声が現行閣僚の中から聞かれます。また、四菱東京の調査では、支援スキームに応じて旅客鉄道法の法改正をすることも視野に入っていると国交大臣のオフレコ談話も入っています」
「いや、そんな政治的な発言は困るんだよ。我々には20万人の株主が控えていますからねえ。それを裏切ると株主の信用を失うことになりかねない。そうなれば、代表取締役の私も、隣の河東君も、いやいや、我が社の役員全員がクビですよ」
清塚社長の冷ややかな言葉に重ねるように、河東専務も思案顔で鷹取社長に尋ねる。
「それは困りますよ。まさか、鷹取社長、そんな話をするために私達をここに呼んだということじゃありませんよね」
鷹取社長は梁田に目配せをして資料を出させる。
「支援スキームとして、いま、最も官邸筋が有力視しているのが、こちらの資料にもありますように『上下分離方式』と呼ばれる方法で、線路を自治体が保有し、事業者がその上に車両を走らせるというものです。
これで、鉄道会社の修繕費、減価償却費合わせて300億円ほどの費用減少効果があります。
これで、経営安定化基金の運用利率が0.5%程度になっても40億円ほどの収入は残りますから、純利益の出る会社になる予定です」
上下分離方式というのは、それまで鉄道事業者が保有していた線路や鉄橋などを自治体に保有させ、管理と整備費用は自治体に負担させるという赤字路線の鉄道インフラ維持負担に関する新たな方式だ。
従来、一方的に鉄道会社が存廃を決めていた赤字路線を運営する上で、自治体は路線の維持管理コストの負担と引き換えに、住民の足を確保できるメリットがあると言われており、欧州の例が挙げられる。
「ほう、そうすると、政府は鉄建公団への財政支援を減らすことができ、自治体も路線を残すことができる。素晴らしい支援策じゃありませんか。ねえ、河東君」
「そうですが……そうすると支援が完結して、我々の出番がありませんよ。特に我々が心配することでもありませんが、ダリルリンチさんもご商売にならないんじゃないですか?」
河東が補足すると、清塚が今更ながら気づいたようにして言う。
「そうだねえ、あれ、完結してますねぇ。めでたしめでたし……とそういうお話ですか? 鷹取社長」
「いいえ、この支援策には、入っていない要素がありまして」
「入ってない要素?」
「はい、整備新幹線です」
整備新幹線とは、法律によって日本全国に新幹線鉄道網を張りめぐらせるための法律で、公費で建設し、完成後には鉄道事業者に貸し出してリース料を取ることで、建設費を償還していく仕組みを定めたものだ。
現在、建設中の整備新幹線は九州の長崎ルート、関西の北陸ルート、そして北海道の札幌ルートの3箇所が目下、建設中になっている。
「もし、新幹線が開通して札幌~函館~奥津軽を事業者単独で営むとなると割高になりますので、ふたたび赤字要因となります。しかも北日本地区で新幹線技術に精通しておられるのは、青森まで新幹線を運用している御社だけ。そこで、新幹線事業を営んでいる御社にリストラで身ぎれいになった北日本の事業を譲渡しようかと考えています」
それを聞いた清塚は、とくに喜びもせず、感心しない様子で答える。
「ふうん、でも、新幹線は難しいんですよ。人件費も運行システム維持コストも高い。それに、ほら、整備新幹線法といったら、速度制限も厳しいでしょう。おかげで、東北新幹線なんて、リース料を先払いするために莫大な資金が必要になったよねぇ、河東君」
清塚社長が難しい顔をして反応すると、河東専務もさすがに鉄道事業本部長ということもあって、専門的な話を織り交ぜてくる。
「それだけじゃありません。『根本受益』の問題も言われると大変ですしね。
鷹取社長もご存じかもしれませんが、北陸新幹線が長野から先に伸びたときに、一気に東京~北陸のお客様が増えて、我が社が増益になったでしょう。
それを東京〜長野間のお客様を増やしたのは北陸開通のおかげということで、増益分を国に返納しろと言うわけです。
まあ、官僚も細かいことを言いますよ。国家予算に比べると微々たる利益を事業者から取り上げて、整備新幹線の財源にあてようと本気で動いてくるんです」
河東の言葉を受けて、清塚も口が滑らかになる。
「いやあ、国も財政が厳しいですからねえ。長野新幹線が赤字のときには何も言わなかったのに、北陸に接続した途端、金を出せですから、やってられませんよ」
それを聞いて、鷹取はニヤリと笑って言う。
「根本受益なんて、根こそぎ受け取ってしまえば良いんですよ。清塚社長。それに、整備新幹線の買い取り資金は、北日本に既に8000億円も資金があります」
鷹取の言葉に、こんどは、清塚も頷きながら応える。
「ほう、8000億円といえば、どこかの会社が『経営安定化資金』とか言って、その昔、持っていたアレですか。
なるほど、北海道新幹線を持参金付きで買い取って、しかも、根本受益の問題も解決できる……いやいや、それは、ちょっと、北日本さんに申し訳ない。
そもそも、そんな無茶な条件、私が北日本さんの立場なら受けませんよ」
少し慎重になって、清塚が一歩引いたところを鷹取が組み付くようにして言う。
「しかし、清塚社長、北海道新幹線の件も含めてすべて最初の支援スキームに含んでしまえれば、有無を言わさずに承諾せざるを得ないでしょう。そうしないと、経営が立ち行かなくなるんですから」
「なるほど、最初からセットで条件になるんですか。それで相手がウンと言うなら仕方ありませんねえ……」
清塚社長は、腕を組み直して首肯いている。
「鷹取社長、仮にそのようなことをして、御社のメリットはあるんですか?」
「とくに当社にメリットはありません。ですが、格別のはからいをもって、四菱東京証券に御社の社債主幹事を引き受けさせて頂きたい。無論、共同主幹事でも構いません。それが条件です」
鷹取の言葉に二人は不意を突かれたようで、河東が聞き返す。
「鷹取社長、ダリルリンチ・グローバー証券さんじゃなくて、四菱東京証券でいいんですか? あ、あくまで仮にの話ですがね」
「かえって、そのほうが有り難いんですよ。ダリルリンチグローバー証券は北日本の再建スキームのアレンジャーとして、動きますので、その過程で謂われのないコンフリクトを抱えたくありません。
四菱東京証券なら、その点、四菱東京グループとして我々も人事評価ポイントが付きますし……なにより、四菱東京とダリルリンチ・グローバー証券との関係も、長くはない、刹那的なものかもしれません」
一時、悩んでいるように見えた清塚社長も、しばらくすると、愁眉を開いて言う。
「まあ、仮にの話ですが、万が一、そのような筋書きで事が運ぶ可能性も、経営者として考えておくべきだと私は思うんですよ。ねえ、河東君」
「さ、左様でございます。鉄道事業者として社債は毎年円滑に発行して市中消化してもらわないといけない。そのあたりは財務部長の多田執行役員が専門ですので、仮の話で極秘に検討させておきましょう」
鷹取社長の顔から緊張感が解け落ちる。
「清塚社長、河東専務、誠にっ、誠に有難うございます」
深々と頭を下げる鷹取社長と梁田氏に、満足げに清塚社長は言う。
「いやいや、仮にの話ですよ。しかし、実りの多い話をお聞かせ頂いた。そろそろ舌鼓を打ちながら、四菱東京さんとの関係についてじっくりと意見交換しましょう」
鷹取社長は、そう言えばと、中居を呼んで食事を始めるよう告げた。
その後、赤坂の『小遠野』に2台の車が回されたのは夜も10時を回った頃だ。簗田氏が心づけと、手土産の品を手渡して、深々と頭を下げる。
清塚社長は、出しなに車窓を下げて、鷹取社長に念を押すように言う。
「鷹取さん、そうそう、何かあれば河東に相談して下さい。あと、北日本のキーマンは砂田君です。姫川社長ではありません。くれぐれも間違えないように、しっかり頼みますよ」
鷹取社長と梁田氏は、その車が角の向こうを曲がって見えなくなるまで、深々と頭を下げて見送っていた。
※再建スキーム……経営再建を進めるための大きな枠組み。大きくしすぎると当然に壊れやすくなる。途中でスポンサーの都合で潰れてしまうこともよくある。
※アレンジャー……証券会社の立ち位置のこと。再生スキームのアレンジャーの役割としては、関係者をその気にさせるよう手配をすることである。
※コンフリクト……中立であるべきアレンジャー(証券会社)として都合の悪いこと。中立の立場のふりをして商品を勧めるなど、およそ、夜中のショッピング番組で一通りは試されている。禁止事項については各証券会社の内規として定められている。