第4話 表敬訪問
NR北日本の本社ビルは札幌から一駅離れた桑園にあり、ともすれば鄙びた印象を与える場所にあった。元は、札幌駅にあったようだが、札幌駅の再開発計画に合わせて移転したという。
2003年にオープンした札幌駅のタワービル再開発は大きな成功を収め、NR北の収益に大きく貢献することになった。
しかし、北海道という土地柄、札幌以外に大都市圏はなく、人口もまばらで鉄道交通圏は札幌近郊に限られる。
札幌から独立した都市圏といえば、函館、旭川、帯広、釧路など、200万人近い札幌市とは比ぶるべくもない中小都市ばかりで、札幌タワービルを北海道各地に展開できるものではない。
そういうところにも、NR北の苦しい経営状況が垣間見える。
事業デューデリジェンスに先立ち、到着初日に梁田氏と山崎副部長、私の3名で姫川社長、砂田常務を訪問した。
早速、社長室に通されたが、番頭格の砂田常務が会議で遅れているという。
担当の梁田が、無難な話題で姫川社長に話しかける。
「社長、さすがに一月は冷えますね。去年の夏にお伺いしたときが一番いいシーズンなんでしょう」
姫川社長はスリーピースのスーツに紺のネクタイの落ち着いた出で立ちで、遅れている砂川常務を気にしながら梁田に答える。
「観光客にとっちゃ、そうだね。でも私は、この薄曇りで雪の積もった町が一番、札幌らしいと思うんだ」
姫川社長は雪の積もる窓の外を見やりながら言う。
「いま、雪の下には先人が孜々営々として築いた三千百キロ(※二千六百営業キロ)にも及ぶ鉄路があって、日々四十万人の人を運んでいる。素晴らしいことだよ。鉄道マンとしての誇りだ」
「でも、この雪のお陰で皆さん、ご苦労されているんじゃないですか?」
「梁田さん、雪が降るところに住み、街を広げて、鉄道を引いたのは我々人間だよ。文句を言っちゃイカンなあ」
自嘲するように言う姫川社長に山崎さんが合いの手を入れる。
「そうですね。しかし、寿司はうまいし、冬の石狩鍋は最高ですよ。多少、寒くても代えがたいものと言うものがありますね」
「うんうん、人が住む理由はいろいろだ。山崎さんのように食に惹かれて来る人もあれば、北海道という土地の開放感に惹かれてくる人もいる。
砂田くんのように、出向辞令で嫌々、来る人もいる。人が住んでいる以上、人を運ばなくちゃならん。安心安全輸送は、公共交通の使命だ。北海道唯一の鉄道事業者として、NR北日本の鉄道マンの使命は重いんだよ」
そのとき、秘書の女性が告げた。
「すみません、常務の砂田が到着しました」
砂田常務は恰幅のいい体型で、年齢は五十前後、身長は百八十近いので太っては見えないが、細身の姫川社長と比べると、押し出しの強い印象を受ける。
名刺交換を済ませて座ると、砂田常務は遅刻を詫るのもつかの間、早々に話を進める。
「早速ですが、わざわざ、こんな北の僻地にお越しいただき有難うございます。梁田さんによると、我が社の窮地を救って頂けるとか。
われわれ、NR北日本は姫川社長のもと、日々努力を重ねてきましたが、例の『経営安定化基金』の運用が打ち切られるとなると300億もの減収減益になる。とてもじゃないが、小手先の改革だけでは限界がある。
そこで、梁田さんのお話を伺って、取締役会にも諮って外部の意見を聞いてみようという今回の決断に至りました」
常務の言葉に応えるのは山崎副部長だ。
「我が社の梁田のご提案をお受け頂き有難うございます。我が社としても誠心誠意……」
山崎さんが、イイ感じに答えそうなところを遮って、私は言う。
「砂田常務、『小手先ではない』我々の改革案は、経営陣の皆様には劇薬に映るかもしれません。事前に頂いた経営計画書の数値は非常に厳しいです。それでも取締役会は聞き届けてくれるんですか? 単に聞くだけなら、うちのアナリストでもできますよ」
私の意地の悪い対応に、姫川社長は名刺を見て言う。
「椎野課長、心配はご無用だ。私も、砂田も取締役会を代表して依頼をしているんだ。耳に痛いことを言われたからと言って、今更逃げるつもりはない。私の前任の者は社長在任中に自ら命を断ったことはご存知でしょう」
「はい……」
姫川社長の前任者であるNR北日本の生え抜きの中野社長は、リストラによる人員削減や労働環境の悪化で社内から非道く突き上げを喰い、去年の決算記者会見の前日に消息を絶ち、後日、遺体となって発見された。
中野前社長の死因は心労による自殺であり、急遽、当時の鉄道事業本部長だった姫川専務に社長の座が回ってきたのだ。
受けない選択肢もあったのだろうが、まじめで責任感の強い姫川氏は、前途多難のNR北の社長の座に就いた。
「中野さんの死は痛ましいものだった。しかし、それによって、我々経営陣はそれを乗り越えて改革を成し遂げなければならない十字架を背負わされた。なあ、砂田君」
「え、ええ、無論ですとも。前社長の死を無駄にしないためにも、経営数値目標は達成しなければならない。社長の仰る通り、会社のためになる改革なら何だってする覚悟ですよ」
砂田常務の言葉を聞いて、姫川社長は上体を糺して訊く。
「でだ、ダリルリンチさん、我々に選択できるような改革案があるのかね。いや、我々は事業者として、生き残ることができるのかね?」
姫川社長の言葉がぐさりと刺さる。そこは山崎さんが上手くとりなしてくれる。
「まあ、姫川社長。まだ、調査にも入っておりませんから……そうだ、椎野、今後のスケジュールってどうなってたっけ?」
「はい、今後の事業デューデリジェンスの日程ですが、今日、午後の経営企画部のヒアリングから始まって来週木曜日に各取締役にご予定頂いているマネジメントインタビューまでが現地調査日程で、その後、東京に戻って報告書を作成しますので最終報告会は2月に入ってからになります」
それを聞いた砂田常務が私のほうを見て言う。
「椎野さん、と云うことは、来週の木曜日にはある程度、目鼻立ちがつくということですか」
「お約束はできませんが、予定ではおおよその方向性はマネジメントインタビューで決まりますので……」
それを聞いた砂田常務が姫川社長に耳打ちする。それに首肯くのを見て、砂田常務が提案してきた。
「どうでしょう。来週の木曜日、確か、午後の時間に個別に取られているマネジメントインタビューですが、我々NR北の役員は監査役を除くと9名しかおりませんので、全員で同時にお聞かせ頂いても良いでしょうか。
そのほうが、取締役全体で情報共有ができる。
それに、たまたま、来週の木曜日は定例の常務会ということもあって都合がいいんですよ」
「椎野、どうする?」
山崎さんに話を振られて、しかたなく答える。
「役員の皆様のお時間が無駄にならないのでしたら、こちらは構いません」
「それは有り難い。ならば、来週木曜の午後から役員会議室でお願いします。あそこなら狭いということもないでしょう」
砂田常務は早々に秘書を呼び、役員会議室の用意と各取締役への通知を指示する。
そのあとは、砂田常務は旭川支社で所用があり、梁田氏も東京で急用があるとのことで早々に解散となった。
打ち合わせの後、姫川社長は何もありませんが、と自ら社員食堂に山崎さんと私を誘ってくれた。
社員食堂の一角で、気さくに社員に接しながら、姫川社長は言う。
「山崎さん、『日本で一番なりたくない社長』。これは、前任の中野が失踪したときに言われた言葉です」
「俺……わ、私なら、社長になりたいですよ。役員報酬も魅力ですし、会社で一番偉いってだけで、十分です」
茶目っ気たっぷりに山崎さんは言うが、姫川社長は複雑な笑みを浮かべて言う。
「いやあ、権限が大きい分、責任も大きい。それに、不祥事のたびに役員報酬は減らされて、もう相当に少ないんだがね」
「そうなんですか、社長……」
山崎さんが申し訳無さそうな顔をすると、姫川社長は視線をあさっての方向に投げて言う。
「NR東部のときには支社長として、長野支社、仙台支社と渡り歩いたが、大変だったんだよ。月曜から金曜までの通常行事に加えて、支社長ともなると地方ではNR東部の顔役だから、土日のイベントにも行かなければならない」
「それは大変です」
「ただ、やり甲斐もあった。以前の長野オリンピックのときには人手がまるで足りなくて、地方支社を駆けずり回って人手を要請したよ。
開会式の日にはそれでも足りなくて困ってね。そうしたら、当日、NR西部の直江津やNR中部から20人、40人と応援部隊が来てくれた。支社づてで聞いてのボランティアは嬉しかったねえ。もう、枯れた声が元に戻るくらいにね……」
「それは、いいお話ですね」
そこから、にこやかに話していた姫川社長の顔つきが曇り始める。
「でも、ここの社長になった時は違ったな。前の社長が、ああいったことになった後だから、とりわけ悲壮感があったのかな。
ただ、ここに来て人員はNR移行時の約半分にまで減った。保線のほうは随分無理をしているとも聞く。
それでいてサービスは維持向上を求められる。
北日本旅客鉄道、この組織は、つねに悲鳴を上げているんだよ」
姫川社長は大きく溜息をついて言う。
「しかし、いま、私に自由になる経営資源なんてまるで無い。なにもかもが必要最低限だ。
運輸収入が減った分、人を切るだけでしか生き残れないなんて、そんな会社の社長はつまらんよ。
ただね、今は、砂田常務がきっちり数字を抑えてくれているから、私の就任以降3年間、ずっと経常収支の黒字は維持できた。
でもね、できれば、次の社長にはもう少し、社員と夢を語れるような夢のある経営をしてもらいたいんだ。
そのためには、今こそ、抜本的な改革を避けて通れないだろう。
まあ、お二人とも、酷い会社だとは思うが、良くも悪くも、今がチャンスだ。よろしくお願いしたい」
「ええ、もちろんです。ウチの鷹取も全面的に支援すると言っておりますので」
「ああ、鷹取社長か。言葉が少なくて……計算高そうなお人だねぇ。悪いが、私は苦手だ。まあ、うちの砂田とは馬が合うみたいだがね」
「いやあ、実のところ、我々も鷹取新社長は苦手で……銀行マンと証券マンは水が合わんのかもしれません」
確かに、鷹取社長は何を考えているのか、よく分からないところがあるのは感じていた。
特にNR3社の事業債の幹事証券に選定されても発行シェアは期待できない。それでいて、異常なほどのNR東押しだ。
姫川社長について言えば、会社に体力のあるうちに経営再建をと考えるのは、経営者としてありえる判断だ。
ただ、部下の砂田常務を信頼しているなら事業調査など不要じゃないかと、私には、かすかに疑問が残った。
※鉄道マン……証券マン、銀行マンとともに昭和の言葉と化しつつある。証券マンについては男女差別の批判に証券レディという謎愛称が登場した。鉄道レディの存在は確かではないが、歴女とともに鉄子は存在する。
※決算記者会見……テレビカメラが入って会見らしい会見になるのは、決まって何らかの不祥事を起こした時という笑えない傾向がある。また、集まる記者の大多数が営業利益と経常利益の意味を知らなかったりするが、日経の記者以外には期待しないのがしきたりである。
※マネジメントインタビュー……事業デューデリジェンスで浮かび上がった問題点について、経営陣としてどう対処していくのかの方向性を確認する場。デューデリジェンスでわからなかったことを、実は……と打ち明けられる場でもある。