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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第3話 悪夢逡巡

 病院に寄って疲れていたせいか、その日の夜は、久しぶりに匂いのある夢を見た。

 誰が何のために見せているのかすら分からない、凶々まがまがしい夢だ。



 不覚にもシャロンと調査で北海道に来ている夢だった。


 目の前に広がるのは富良野だろうか。あまり目にしないラベンダー畑のあざやかな紫色と、その向こうに山間やまあいのトンネルに続く線路が見える。


 シャロンは、はしゃぎながら早々とラベンダー畑の中に消えていき、山間から見える線路の向こうからは青黒い気動車が見える。


 ゆっくり列車が近づくに連れて、その古さが目につき速度が目に見えて落ちていく。


「危ない!」


 列車が、ガクンと上下に揺れると、ラベンダー畑は色を失い、花の内側は薄紫色から色を変え、どす黒く真夏のように熟れ果てている。


 とにかく、列車が脱線したようなので駆けつけてみるが、おかしいことに、まったく人影がない。

「貨物列車だったのか……」


 それでも、先頭の気動車には人が乗っているに違いない。

 先頭車両に急いで走るが、貨車は長く先が見えない。


 太陽は明るいのに熱を持っていない。何かが変だ。奇妙な焦燥感にかられているうちに目が覚める。


――――なんだろう、夢と言うには既視感があり、例のリーマンショックのときのように周辺情報も記憶に残っている。




 NR北で事故でも起きるのだろうか?

 朝、寝覚めの悪いまま、7時前に投資銀行部の番号鍵を開けると、寝起きと思しきシャロンがとびきりの笑顔でやって来る。


「椎野かちょー、資料できました」


 ちょっと待て、5年分の決算書だ。

 私の見立てで行くと、勘定明細まで分析するのに80時間以上は、かかりそうなものだが……


「もうできたのか?」

「はい、鬱陶しい作業だったので、一気に畳み掛けました。クォンツの本領発揮です」


「そうなのか」

 クォンツの技術の正体は不明だが、鬱陶しい作業に対して『畳み掛け』ることで、作業が短縮できるとは知らなかった。

 今度の打ち合わせで、左手の指を打ち鳴らしたら、鬱陶しい打ち合わせをシャロンに『畳み掛け』て貰うことにしよう。


「それじゃあ、昼までにこのスクラップブックに目を通しておいてくれ。シャロン、昼から会議だ」

 電話帳ほどもあるスクラップブックに恐れをなしたのか、シャロンがたじろいでいる。


「かちょー、優しさが足りません……この頭痛薬の半分ですら優しさが詰まっているんです」

「ああ、分かった。昼まで休んでろ。それから、シュラフは休憩室で使えよ」

「さすがかちょー! それではラベンダー畑の夢でも見てきます」


 シャロンのアドリブに、意味もなく、私は心臓が飛び出そうになり、そして訳もなく今朝見た夢がフラッシュバックする。


 シャロン、お前は匂いのする夢や三途の河について、何か知っているのか……

 いや、聞いてどうなる話でもないが、妙に符合が合う。


 思案顔の私にシャロンが言う。

「かちょー、あまりジロジロ見ないで下さい。それでは、休憩室に行ってきます」


「……分かった。案件会議ミーティングは3時から、この部屋でやる」


 それを聞くと、シャロンは上機嫌で出ていった。


 シャロンからのメールを見て驚いたことに、表計算ソフトにベタ打ちしただけではなく、定量分析も加えてある。シャロンもむだに金融研究部のリサーチアナリストをしていた訳ではないようだ。


 特に念入りに分析している『経営安定化基金』についてはNR北の決算書の特徴で、要注意勘定だ。

 とりわけ、これまでの運用益の保障について、この秋に新しく政権交代を狙う民権党は『隠れ補助金』として、継続に否定的な立場を示している。


 毎年の『経営安定化基金』の運用益は300億円。これが消えるとなると、NR北の事業は壊滅的な打撃を受ける。

 運用益を加えてどうにかトントンの決算をしているので、運用益の保障が消えると300億円の赤字になり、何の改善策も打たなければ『経営安定化基金』を取り崩さざるを得ず、そのままいくと20年後には安楽死に至る。


 私の今朝の夢の評価は、保留にしておこう。見たとおり信じるとしても、脱線事故なんて防ぎようもないし、場所も特定できない。

 今はなにより、NR北の破綻回避策を立てなければ、列車事故よりも先に会社が破綻してしまう。


 その日の3時に、予定通り案件会議を始める。

 会議と言っても、山崎副部長が席を外しているので、NR北について現地調査のときに何を調査するのかをシャロンに伝達するだけなのだが。


「シャロン。今回の調査の目的は何か分かるか?」


「調査という名の研修ですよね」

 サラリと言ってのけるシャロンに、次回の調査も写経決定、と私は意地悪く思いながら、改めて言う。


「言い直そう。今回は事業デューデリジェンスの実地研修だ。

 デューデリの目的は、会社の事業価値を把握すること。NR北が本当に投資対象として相応しいのかどうか、現地でなければ見ることの出来ない情報を集めに行く。

 特に事業には欠かせない要素の『人・モノ・カネ』のうち、『人』に着目する。従業員の士気や経営陣の雰囲気なんかは、実際に見て、質問して見極めないと分からない。

 経営陣が正しい方向を示して、従業員が一丸となっているような会社が投資銀行案件になるわけはないから、徹底して『人』を見る」


 久しぶりに、金融研究部の小山内おさない部長の言葉が、受け売りで出てしまう。


 しかし、同じ金研というのに、小山内イズムはクォンツ・リサーチ・グループには行き届いていないようで、シャロンの興味は斜め上を行っていた。


「と言うと、北海道の物産や観光資源は現地でないと見ることは出来ませんね」


「それは、観光雑誌でも見ておいてくれ。我々が現地で見るべきは、経営者、組織、職員個々の士気、モラルだ。

 特に課題の多い経営については、経営企画部、鉄道事業本部、あとは駅ビル担当の事業開発本部、新幹線担当の新幹線計画部へのヒアリングは不可欠だ。

 現地の担当ヒアリングで情報を集めた後、マネジメント・インタビューを中心に切り込んで行くから、そのように手配を頼む」


 組織図のヒアリング対象部署に丸をつけながら、シャロンは牽強付会に持論を展開する。

「あの、NR北日本の支社には行かれないんですか? 旭川支社なんて魅力的なんですけど」


「……確かに、過剰なリストラで心配なのは、鉄道事業本部の技術職員の枯渇だ。支社の保線所や車両工場は見ておく価値はありそうだ。

 旭川、釧路、函館、どの支社に行くかは任せる。

 支社では運行管理みたいな花形部署じゃないところがいい、そう、保線と施設関係セクション担当のヒアリングの手配を頼む」


「分かりました、かちょー。ちなみに、札幌~旭川は車が便利ですよ。

 途中で岩見沢、富良野にも寄れますので、ラベンダー畑は季節がずれてるんで、雪しか見れません。

 あと旭山動物園ではペンギンパレードの最終時刻が午後4時ですので気をつけて下さい」


 ラベンダー畑と聞いて再び、脱線事故を思い起こすが、雪の話を聞いて事故はすぐには起きなさそうだと安堵する。


「それにしても、研修のしおりでも作る気なのか」

 少々、呆れ気味にシャロンの手元を見ると、いろいろな観光パンフレットがファイリングしてある。


「いえ、レクレーションの栞です。かちょーが、真面目っぽいんで特に力を入れて作りました。あと、弁護士さんとか会計士さんは同行しないんですか?」


「今回は案件化の確度が高くないから、詳細な財務法務のデューデリジェンスは後回しだ。

 それより、社内向けの事業調査報告書デューデリジェンス・レポートの書式のほうを作っておいてくれないか」


 私がツレなく、そう言うと、シャロンはアナリスト・銘柄レポートのテンプレを使いながら、事業調査報告書デューデリジェンス・レポートのフォーマットを作成し始めた。


 現地調査は準備の関係もあって、1月12日に山崎さんと私が先に前日泊で現地入り、シャロンは翌朝の飛行機で昼以降のヒアリングに合流となった。

※5年分の決算書……会社の規模にもよるが、勘定明細まで含めると厚さ数センチの鈍器のような量になる。過去5年に会社が合併等をしていると、軽く量が二倍に増えるため殺意をおぼえる量になる。


※番号鍵……証券会社のインサイダー情報を扱う部門の出入口には、電子施錠に加えて、物理的な番号打込み式の鍵が装備されている。両手に資料を抱えているときに限って、障壁になっていることが課題。

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