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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第2話 事前準備

 社長室から、船橋部長、山崎副部長と私、そして書記役を務めていた、もう一人が出ていく。


「NR北ってオヤカタヒノマルですよね?」


 なんだろう、唯一の私の部下でありながら、異彩を放つこと人一倍、元気二倍の森村シャロンが、巧みに死語を操って私の視界に入ってくる。

 クォンツ・アナリストにしてダリルリンチが誇る奇跡の才媛、容姿端麗にして、素っ頓狂な3年目の25歳とでも言っておこう。


 非常に愛嬌良く振る舞い、決算書も読みこなす能力はあるのだが、投資銀行業務について認識の薄い彼女を社内で自由に喋らせるだけの度胸は、生憎、投資銀行部の誰にもないため、会議では専ら書記役を務めてもらっている。


 私はあえて、ぶっきらぼうにシャロンの問いに答える。

「NR北ってのは、鉄建機構っていう国の特殊法人が出資する株式会社だ。資金繰りに行き詰まれば、ふつうに倒産するさ。いわゆる特殊法人だけど親方日の丸じゃないよ」


「そんな、特殊法人でも自分の子会社が潰れたら困りませんか?」

「いや、鉄建機構ってのは、旧国営鉄道の遺産を切り離して資産を管理するだけの特殊法人だから、成り行き上、株を持ってるだけさ。君臨すれども統治せず。子会社が行き詰まっても、政府が支援しない限り自分からは支援しない、そんな感じの法人だよ」


「えー、非道いじゃない、可哀想っ」


 いや、可哀想かどうかは、インベストメント・バンカーとしては全く関係がない。ひょっとして、最近のクォンツはAI(人工知能)の進歩で感情を定量化して投資に活用でもしているのだろうか。

 シャロンの反応には、時折驚かされるものがある。


「いや、株式会社にして切り離した『時の政府』の判断のほうが残酷だよ。離島三社の中でも北日本は手の施しようがない」

「それじゃあ、今回の件は形だけ椎野かちょーが行くだけですか? わたし、北海道、行ってみたいんですけどー」

 シャロンの貪欲ディマンディングな姿勢は清々すがすがしく、一見、見習いたくもなるのだが、部下としてはお断りしたい姿勢である。


「見送りたいのはヤマヤマでしたが、残念ながら行かざるをえないんでしょうね。山崎さん」

「まあ、社長命令だしな。資料準備が済み次第、現地に乗り込むか」


「ホントですか、山崎副部長! 椎野かちょー、北海道、回転寿司なら、おごってもらえますか?」


「いや、課長じゃなくて、プロジェクト・マネージャーだよ。あと、回転寿司は上席の山崎副部長におごってもらうのが筋だと思うよ」

「まあ……椎野がやる気になったんなら安いものだな。回転寿司は約束しよう」


「やったあ、楽しみですね。北海道!」

「シャロンちゃんは明るくて良いねえ」

「そこだけは、ガチですね」

 私がそう言うと、シャロンは「そこだけではない」と抗議しながら投資銀行部のある5階に戻ってきた。


 NR北の案件については、行きたくないながら、トップが行くと決めたからには出かける義務があり、ついでに、部下シャロンの経験値獲得にも役に立つ。


 ちなみに、投資銀行部の業務フローとしては、最初にイグジット戦略(会社を誰に売却するか)から組み立てていくものだが、今回は未上場会社ということで勝手が違う。

 そもそも、経営権の買収が出来ないよう法律で守られた特殊法人をバイアウトするには、所管大臣の許可が必要で難易度は極めて高くなる。


 さらに、決算短信も有価証券報告書もない会社なので、まずは、どのような会社か見極める事業デューデリジェンスを実施し、その後、イグジット戦略を描くことになるため、手間暇がかかった挙句に無駄足という可能性を否定できない。


 取りあえず、行って、見て、触ってみて、やはりダメなら、ボロクソに報告書に纏めればMA本部の投資判断はネガティブになるだろう。


 それで、社長の言うNR東部日本へのパイプづくりも、梁田氏もメンツを保つこともできるなら、今回はMA案件にならない場合でも戦略としては目的を達成できる。


 万が一、MAディールに結びつきそうであれば、財務デューデリジェンス、法務デューデリジェンスなど、専門家を投入して事業売却や事業統合の支援をする次のフェーズに移行することになる。

 その際の報酬フィーは、動く資本額の2~5%程度になる。


 しかし、MAディールにならなかった場合には、調査実費程度をコンサルティング・フィーとして保証してもらうのが関の山だ。


「戦略案件か……格好いいこと言うよなあ」


 しかし、外資系は結果が全てで、赤字案件を戦略案件として評価するということはほとんどない。

 今回のような社長が仲裁に入る案件でも、特別扱いはされない。泥をかぶるのは覚悟の上ということになる。




 さて、案件が決まったら会社に必要資料を送ってもらい事前準備に入る。

 資料が届くと、心躍る反面、厄介ごとに関わらなければならないという憂鬱な気持ちになる。


 現場を踏むと決めた以上、外部資料(決算書、ウェブサイト、記事ファイルなど)は整理して読み込まなければならない。NRの分割民営化からの情報となるとファイルだけでメガバイトクラスだ。

 さらに、状態の悪い会社の決算書や事業計画書などという内部資料を見なければならないなんて、酷い職業もあったものである。


 ハイエナなどと蔑まれるからには、それなりの旨味があってしかるべきなのだが、過酷な労働に見合った相応の対価を得ているだけなんじゃないだろうか。


 とりあえず、すべての情報のインプットは私一人で進めるとして、数値のデータ入力準備はシャロンに依頼するしかない。まあ、分担としても公平だろう。


 山崎副部長はデスクワークが不得手な反面、人当たりが良いので社内対応や社外の関係者対応というところが、役職的に適している。

 それに、初日の挨拶とマネジメント・インタビュー、そして回転寿司を奢るという重要なミッションをこなしてもらわないといけない。


 あと、最も警戒すべき新規案件の機会ロスを防ぐため、山崎さんが案件進行中もなるべく東京に張り付くことになった。


 シャロンと作業分担を話し合っていると、積み上がる作業量にシャロンが悲鳴を上げる。

「椎野かちょー、決算書を入力するなんて写経しゃきょうみたいな準備、本当に必要なんですか?」


 課長が気に入ったのか、シャロンは私を『かちょー』と呼ぶことに決めたようだ。『先輩』からみると格が上がったのか、下がったのか微妙な敬称だ。


「それは、報告書を作るときにも使うから必要なんだよ。恨むなら、梁田を恨んでくれ」

「いや、決算書なんて、ふつう、データで手に入るでしょう?」


「NR北は未上場だから、EDI(電子情報開示)ネットには情報が上がっていないしね。あと、写経はシャロンの投資銀行家インベストメント・バンカーとしての修行も兼ねているから、ちょうどいいだろう」


 何もシャロンをいじめているわけじゃない。決算書の定量情報を読み込んでおけば、現場で数字を触るときに違った視点で状況を見ることが出来るのだ。


 たとえば、同じ会社で、ある資産は2,000億円の資金をかけているのに、稼ぐ利益は1億円、かたや、同じ2,000億円の資産で利益を100億円も稼いでいる場合がある。


 今回の相手は、NR北という保有資産が1兆円を超す会社だ。


 全く稼ぎがない錆びた鉄道事業資産がとぐろを巻いていて、輝いてる非鉄道事業資産が一部にあるという状況だろう。

 こうしたことは、現場を踏む前に、数字が頭に入っていないと全く見えてこない。


 シャロンが数値データの入力を進めていくのを傍目はために、私は定性データの分析を始める。打ち出した記事データを見比べて頭のなかに入れていく。

 デスクの上にプリントアウトした記事を並べてネガテイブ情報かポジティブ情報か、その重要性でウェイト付けして時系列に整理する。


「……最近はネガティブ情報ばかりか」

 対象会社クライアントに感情移入して情報を読むと自分がディスられている気がして、辛い気分になる。

「気が重いですね」


 シャロンの相槌に応えるように、愚痴が口をつく。

「仕方がない。リストラに次ぐリストラじゃあ、管理もおろそかになるさ」

「国交省の指導でNR東部日本が技術支援に乗り出したんですよね」


「まあ、新幹線開業もあるから、事故を起こされると困るからね。それにしても妙だ」

「どういう意味ですか?」


 ネガティブ情報にコンスタントに小さな出火事故や貨物列車の脱線事故などが出てくる。

「技術支援のためにNR東が支援している割には、不祥事が収まらない」


 シャロンが私の手にしている資料の厚みを見て、何か見てはいけないものを見たかのような顔つきになっている。

「ふーん、分かりませんけど、これだけ多いと根が深そうな気がしますね」


 おい……異常に近くで声がすると思ったが、吐息が届く範囲までシャロンの顔が迫っている。そして、不意にフラッシュバックする三途の河アーケロンの光景。

 夢か、うつつか定かではないのだが、シャロンが離れると三途の河アーケロンの光景は雲散霧消する。


 その日は、久しぶりに頭痛も出て、調子が出ないまま夕方を迎える。


 今日は早く帰ったほうがいいかもしれない。

 そう思っていると、定時前に私の電子メールボックスにシャロンからのメールが届く。


 《件名:残業申請(To do:残業指示)5時間♪》


 なるほど、プロジェクト・マネージャーともなると、残業申請承認も仕事のうちなのか。

 内容はともかく、件名が楽しそうなので一も二もなく承諾してシャロンに返すと、なにやら不敵な笑みを浮かべているのが気にかかる。

 まあ、仕事に向けて元気が湧くようなら安心と指示メールを打ち返して、私は山崎さんに病院へ行くと断り早々に帰宅の途についた。

※親方日の丸……バックに政府保証がついていて、倒産リスクがない会社のこと。また、倒産リスクがないため、緊張感のない経営になっていることを言う。しかし、最近では『自己責任』の名のもとにルール改正が進んでいる。


※投資銀行業務……ふつうの銀行が貸して回収する業務を行うように、投資をして回収するのが投資銀行業務である。遠足と同じで、回収するまでが投資銀行業務である。


※イグジット戦略……投資対象案件に投資をするにあたって、売却先をあらかじめ予定しておくこと。売却先が経営権に関して支配権(エクィティの50%)を求めるのか、完全子会社化(エクィティの100%)を求めるのかによって、投資手法が変わるため、投資の際には、つねに売却先を意識しておく必要がある。


※デューデリジェンス……直訳すると、調査、査定のこと。会社事業の価値を算定する作業を指す。事業デューデリジェンスでは、会社の営む事業の弱みや強み、それを活かした将来の事業展開などから、会社の事業価値を査定する。大体の場合、デューデリを請け負った書き手の意向で、事業価値が大きく減じることがある。


※事業計画書……一般の会社では対銀行用に作成したりするが、上場企業になると株主へのIR用、社内管理用、銀行用、常務会用など、多数作成するようになる。たまに、数字の辻褄が合わないこともあるが、「作成時点が違います」というマジカルワードで切り抜けられる。


※クライアント……お客様をカスタマーと呼ばないため、コンサルティング業界でCS活動(カスタマー・サティスファクション:顧客満足の追求)が起きない元凶と言われている。日本語で言う『一期一会』の関係。


※残業申請……外資系では無能の証として、誰も手札にすら置かなかった残業申請書が、近年、労基の目覚ましい活躍もあって、表面上は残業申請は定時までにしましょうと雇用サイドに言わしめるまでになった。ただ、進んで残業する有能な社員はさっさと管理職に祭り上げられるのは万古不易の鉄則である。

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