第1話 社長命令
私、コト、椎野憂は大変困っている。
なにごとも初めが肝心ということで、船橋部長以下、投資銀行部の第1号案件は少なくとも新聞のトップ記事になるようなことをと意気込んでいたのだが、現実というのはいつも厳しいようだ。
社長室にいるのは鷹取新社長に加えて、直属の上司である船橋投資銀行部長と山崎副部長、そして、法人営業部の梁田という課長まで、下っ端の私に頭を下げての陳情だ。
副部長となった山崎さんが、場を収めようと何故か仲介役に徹しているのも有り難くない。
「なあ、椎野。投資銀行部に今すぐの仕事があるわけじゃない。準備体操代わりにチョロっと行って、レポートを纏めてくれればイイ話だよ」
「山崎部長、ウチの部にリソースがないことはご存知でしょう。もし、北海道に出張ってるあいだに別口が来たら対応できませんよ」
まさに、時は金なり。厄介事に関わっているうちに、億単位の報酬の入る別口案件を逃すというのは、悔やんでも悔やみきれない。
「椎野、もし別口が来るようなら、別口はグリップして待機させておく。いや、私の権限で北海道案件は中断させてもいい……」
すると、船橋部長の話を遮って、コトの発端となった梁田氏が厚かましくも声を上げる。
「そんな、船橋部長。調査を受けてもらうだけでも鷹取社長に出向いてもらったんですよ。中断なんて困りますよ」
「馬鹿っ、梁田。お前が社長を担ぎ出さなきゃ、こんなことにはなってないよ」
ついに、元法人営業部だった山崎副部長の堪忍袋の緒が切れる。
新規にできた投資銀行部に、さっそく、新春早々に持ち込まれた話というのが、冒頭の北日本旅客鉄道という、北海道の経営危機に瀕した地方鉄道会社だった。
一般に優良企業といわれる会社は、資金の貸し手も多く、利回りが小さいので、バイアウトファンドは相手にしない。
必然的にバイアウトファンド案件というのはあまり良くない、率直に言えば倒産もありうるような企業を対象に支援し、価値が下がっている原因を分析し、価値を上昇させてから売り抜けるというビジネスモデルをとる。
――――くたばって倒れそうな動物に擦り寄り、利益を掠め取るさまは、まさにハイエナというに相応しい。
北日本旅客鉄道、略称『NR北』は旧国営鉄道を分割民営化して四半世紀を経た鉄道会社だ。
ちなみに、NRというのは、かつての国営鉄道を分社して民営化したときに地域会社に冠せられた愛称で『Nippon Railways』の頭文字である。NR北日本は、さらに略されて『NR北』と業界では呼ばれている。
北海道という人のまばらな広野で鉄道路線を経営しても儲からないことなど、素人目に見ても明らかで、改善の余地がないのだから、投資銀行が口を挟む余地もない。
しかし、そうした案件を仕分けもせずに経営執行部のキーマンから握ってくるのが、ダリルリンチ・グローバー証券では法人営業部の担当になる。
そして、NR北の担当が、まったく法人営業のセンスのかけらもない梁田という鼻持ちならない気障男だ。
梁田氏の出身は四菱東京証券で、資本提携後の交流人事ということで法人営業部に出向してきている。
だが、致命的に証券マンとしてのセンスがない。
株式公開も視野に入ったNR九州と間違えたにしては酷すぎる。泣きつくNR北の砂田常務も相当に勘違いさせられているのだろうか。
やはり銀行系の証券子会社はおとなしく、親会社の引受幹事証券を勤めていれば良いんじゃないだろうか、と思う瞬間でもある。
「……センスが無いにも程がある」
迂闊にも、この言葉は口をついて出ていたようだ。
梁田氏は凄むように威嚇をしてくる。
「誰がセンスが無いだって?」
不機嫌な私は、言うべきことを口にする。言って後悔しないが私のモットーだ。
「筋が悪いということですよ。でも、何かしないと終わらない。そういうことですよね、山崎副部長」
「梁田、気を悪くするな。椎野はこの若さにしてプロ・マネ、課長だよ。案件となると血気盛んに熱くなるのはインベストメントバンカーの素養だ。それより、折角、椎野がやる気になったようだから、手短にNR北日本案件のいきさつを話してやってくれよ」
山崎副部長に促されて、梁田氏は居住まいをただして話をはじめる。
「対象会社の姫川社長、砂田常務は知っての通り、NR北のプロパーじゃない。NR東部日本からの支援組だ。
いざという時、社内へのグリップに心許ない点もあるが、あるべき鉄道経営もよくご存知の社長だ。それだけ、我々、外部の意見にも耳を貸してくれる視野の広さがあるんだよ。
離島3社の中でもトップクラスの経営不振を嘆いて、我々に解決策を一緒に模索してくれないかと言ってきている」
梁田氏の説明に、四菱東京銀行出身の鷹取社長も首肯いて話に加わる。
「どうだろう梁田の話、本来、上場会社を相手にビジネスをしている証券会社としては扱いが難しいのは承知の上だ。
だが、ダリルリンチ・グローバー証券にはNR東部日本、中部日本、西部日本の本州三社には社債幹事のお声すらかからない。
そこでだ、NR北日本は未上場だが、NR東部日本とは人事交流で太いパイプがある。
将を射んとせば先ず馬を、とも言う。
どうだろう、この件で恩を売っておけばNR東部日本の社債幹事を獲得できる可能性も出てくる。
そうなれば、ダリルリンチ・グローバー証券の利益に大きく貢献することにもなる。そういう視点で、是非、投資銀行部で本件に取り組んでもらいたいんだ。新社長の私からの社命だと思ってほしい」
未上場会社からは株式で収益を得ると言ったことが出来ないので、鷹取社長は、NR北を通じてNR東部日本にオブリゲーション(恩)を負わせようと言っているようだ。
しかし、資本市場をバックにしてこその投資銀行だ。単なる資金需要なら銀行に泣きついて貰うほうが建設的だし、なによりNR北への支援を負担としか思っていないNR東部日本が、ダリルリンチにオブリゲを感じるのか甚だ疑問ではある。
「そもそもNR北の病巣は、鉄道の広い路線網が人口密度の薄い北海道に載っかっているコト、そして寒冷地特有の気候に由来しています。
四国、九州とは異なる『広い』『薄い』『寒い』の三重苦です。
治療の術がありません。投資銀行部としては、皆目、検討の方向性すら見えませんが、社長命令とあっては是非もありません。全力を尽くします」
私が、そこまで言うと梁田氏は大きく伸し掛かるように言う。
「そうだ、いま流行りのインバウンド関連の会社を|買収(MA)するよう仕向けても良いじゃないか。
NR北なんて、巨大観光連合企業体の一部として鉄道事業もやってる程度に薄めちまえばいい。資金ニーズとMAニーズの両方取れれば、投資銀行本部としても素晴らしいトラックレコードになるじゃないか」
梁田という男、簡単に言ってくれるが、MAなんて実際に成功しているのは10年スパンで見れば1割程度に過ぎない。
ほとんどが見込み違いで、事業の再売却や、事業そのものの撤退に追い込まれている。
つまり、単純に2回MAを仕掛けて2回とも成功する確率は1%に過ぎない。
梁田氏の言う巨大観光連合企業体が出来上がるのは、夢のまた夢のような確率だ。
軽々にMAを声高に叫ぶのはどうにかして戴きたいものだ。
「机上の空論でなければ、ですけどね……」
私が言葉を選んで、ふたたび乗り気でないところを見せた途端に、船橋部長が口を挟む。
「椎野、もう、ウチの鷹取社長と梁田が、姫川社長と会食して了解は取り付けているようだから、まあ、形だけでも検討してくれ。CA(守秘義務)契約書の日付は明日付だから、先方の社内資料の要請はその日以降で調整になる」
社長同士の会食までして、調査の了解を取り付けたとなれば、ダリルリンチ・グローバー証券として、何もせず引くことは出来ない。
法人営業部、梁田氏一人の勇み足ということで、恥をかかせることも出来るのだが、資本提携に乗り出した四菱東京からの出向者ということもあり、社内全体を見ている船橋経営企画室長兼投資銀行部長に言われれば、検討せざるを得ない。
議論が煮詰まったのを見越して、鷹取社長が言う。
「それじゃあ、明後日の部長会では、法人営業部と投資銀行部の戦略案件として上げておくから、説明は投資銀行部のほうから頼むよ」
私は無言で首肯く。
この投資銀行部の発足に協力してくれた鷹取社長と船橋部長には多少なりとも恩がある。
それより何より、戦略案件の説明と言って安易に法人営業部に任せるとトンデモナイことを口にしかねない。
「分かりました、説明のほうは私が必ず。ですが、次の案件からはもっと前に、話だけでも聞かせてほしいものです。なにせ、部とは言っても実質3人の小所帯なもんですから」
「ああ、もちろん、そうさせよう。まだまだ、新体制で全社の動きが纏まっていないんだ。今後は、このようなことにならないよう社内連携は密にしていこう」
責任を全社的な体制に結びつけて言う辺りの鷹取社長のバランス感覚は、さすが銀行マンの口上とも言える。
まあ、重症なのは今のメッセージを受け止められない梁田のプライドのほうだろう。
終始、空気の読めない梁田氏は、目一杯、ディール成約につなげるようにアピールして、なぜか近いうちに一杯やろうという約束さえして出ていった。
※プロジェクト・マネージャー……職階で言うと課長職で管理職とされて、外資系では残業も出ない。おおよそ、プロジェクトを終えるとVPに昇格できると思いがちだが、人気者にはプロジェクトが絶え間なく降ってきて、過労死エンドも嘘ではないレベルである。
※銀行系証券子会社……親会社の金融債の引受幹事証券を勤めていれば良いんじゃないだろうか。(いや、そうではないとの反語も)
※筋が悪い……ディールに関して、よく耳にする言葉で『本来あるべき姿を目指すとこうなんだけれども、当事者同士は喜んでいるんだから、放って置こう』という含意がある。
※『広い』『薄い』『寒い』の三重苦……北海道に住むとなんとなく理解できる言葉。第三の呪いは死に直結するので、灯油タンクは北海道の住宅に欠かせない。
※インバウンド……元は観光コンベンション業界用語で、海外から旅行客を迎えること。外資系は横文字が好きなので、ほとんどの言葉が横文字に置き換わる。⇔アウトバウンド(海外へ旅行客を送り出すこと)