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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅰ.金融爛熟 ~リーマンショック篇~
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第9話 悪夢、卓袱台返し

 2008年3月17日の月曜日は、朝8時にも関わらずほとんどのディーラーが会社に顔を出していた。


 先週、FRBからの緊急融資を受けたベア・スターズをどこが引き取るのかについて、週末、ウォール街で多くの憶測情報が飛び交っていたからだ。

 当然、東京市場への影響も予想されるものの、どのように影響するのか皆目見当がつかないため、ネットよりも手早くディーリングルームで情報を集めているというのが本音のようだ。


《08:38 JPモレガン ベアSを1株あたり約2ドルで買収で合意=速報=》


 8時半過ぎにロイターがJPモレガン救済確定のニュースを流すと、経営企画室に隣接するディーリングルームに溜息とも歓声ともつかない、おぉ、という声が上がった。


 そのなかをついて、船橋室長が経営企画室に入ってくる。

「ついに、ベア・スターズの破綻処理が決まった。

 ベアスタの救済は福音だが、サブプライムローンの借り手の破産者は自己責任の名のもとに見捨てて、投資銀行の破綻を公金救済のは良くないと批判も多い。

 次に破綻する投資銀行が、同じように救済されるとは限らん……次は、リーマンか、ウチか」


 私は、決算書を見ながら言う。

「キャッシュフロー余力と資産内容から見て、リーマンもウチも半年と持たないでしょう」

 山崎さんも首肯うなずいて言う。

「この先、サブプライムローン商品の駆け込み売りが殺到すれば連鎖倒産もあり得る。日本の現地法人なんて真っ先にリストラ対象だよなあ」


「山崎、お前らしくもない。ダリルリンチグローバー日本法人は、外資系でも珍しい総合証券だ。利用価値はいくらでもあるさ」

 船橋室長はシャロンにサブプライムローンの損失波及効果について尋ねると、シャロンは飲み差しの紅茶を脇において報告する。


「サブプライムローン2兆ドルの90%が回収不能になったと仮定して、投資銀行20社のうち債務超過が17社、ゴールドマン・サッカス、モレガンスタンレー、ワコヒアの3社だけが資産超過を維持できる見通しです。米国中央銀行にあたるFRBは商業銀行の救済しか出来ませんので、傘下に商業銀行を持つゴールドマンとモレスタは、商業銀行との株式交換で銀行持株会社化する可能性が高いです」


「そう言えば、ダリルリンチは銀行子会社を持ってないな」

 船橋室長の声に応じるかのように山崎さんが言う。


「リーマンもない……ということは、銀行を買えばいいのか!」

「それは、本社がすべきことだろう。そうじゃなくて、日本法人はより大きく、より利益が出る体質にしないと、よそに売却すらしてもらえないんだ」

 ふざけていた山崎さんがぐっと押し黙る。


 米国本社が危機だと言うのに、日本現法が拡大路線に走るのは流石にどうなのかと思っていたら、意外にシャロンが絶賛している。

「うん、それでニューヨークの本社に見切りをつけさせるのには賛成です」


 ええと、これは突っ込みどころなのだろうか?

 誰も反応しないので、仕方なく、私がツッコミ役を仰せつかる。

「いや、渡会副社長がいるから、無理だろう」


「いいや、面白い。やってみよう」

 そう言った船橋部長は有言実行、3月中に12人ものディーラーをトレーディング本部の株式部で採用した。



 2008年4月1日。

 今日、私は、風邪でダウンした山崎秘書の代理で、経営企画室担当として部長会に初めて参加することとなった。


 月初めの営業日の部長会で、会を仕切る渡会副社長が吠える。

 会議室は日本橋本社で一番広い第1会議室に、25人ほどが集まっている。


「非常時だ、有事だ、そう言いながらディーラーを新規でポンポン入れる奴があるかぁっ?」

 渡会氏の還暦まで五年を切った年輪を刻み込んだような皺のある口角に、舌鋒が泡を生じさせる。「相場はいつ崩れてもおかしくない、そう言ったのはキミじゃなかったのか、山口本部長」


 息もつかせず追及する先は、口上の上では山口本部長だったが、実際には隣りにいる船橋部長だということは、その場にいたものなら誰もが分かった。


「渡会副社長、4月は3月末退職者の採用が多いのはご存知でしょう。それも、これまで応募のなかった三友証券や四菱東京証券といった銀行系証券からも採用実績ができました。首尾は上々です」


「何が上々だっ、首尾を言うなら、利益を上げてから言ってもらいたいよ」


 その後、資本市場本部のマーケット概況報告が始まっても年度始めということもあって、案件もそう多くなく、自然と話題は渡会副社長の気に入らない経営企画室の話に撞着どうちゃくする。


「さて、今後の当社の事業リスク、なかんずく、親会社の有するリスクということになるが、そのリスク分析と具体の対応策について、最後に経営企画室の船橋室長、報告を頼む」


 唐突に報告を振られた船橋部長は驚きながらも、ゆっくりと長身を持ち上げて言う。

「過日の米国ベア・スターズの破綻については、多額の住宅ローン不良債権を抱え込み、資金繰りが悪化していたところに子会社上場案件も不首尾に終わり、JPモレガンの完全子会社となることで、決着しました。

 しかし、同様に、我々、ダリルリンチグローバー証券もかなりの額のサブプライム証券を抱え込んでおり、リーマンシスターズとともにこの半年ほどしか猶予がない状況にあります」


 船橋室長は、参加者を見渡して言う。

「しかし、今回、ベアスタが救済されたからと言って、我々が救済されるとは限りません。

 3月下旬のアメリカ世論は、ベアスタ救済策について、投資銀行運営の経営責任論が高まって、政府の救済策への批判が収まりそうにない状況です。

 これらを踏まえると、我々の米国本社はギリギリの資金繰りの中で、不良債権の損切りを果敢に行ない、リストラを含む組織の見直しも検討していることでしょう。

 そこで、我々の採るべき具体の方策は2つあります。

 一定の事業ボリュームを持つこと、そして、しっかりと利益を出すこと。

 この2つを愚直に進めていき、日本法人を大きく強靭な利益体質の会社にすることが、生き残りのために必要になります」


 腕を組んで机に腰掛けるような感じで聞いていた渡会副社長が、クビを左右に振りながら言う。

「今朝の萩丘のレポートを見てたら、サブプライムローンで米国経済は構造調整が必要だとか書いてあったぞ。

 これから先は、米国発の不動産バブル崩壊の大不況が来るとあった。

 私も、そう思う。そうすると恐慌相場が転じて、不況相場になるわけだ。

 どうしたら、組織拡大や利益成長に話が広がるのか経営者としてまったく理解ができん。

 船橋、どちらが正しい? 渡会、萩丘の予想と、経営企画室長の言葉と」


 船橋室長は、社内のカリスマ・アナリストと副社長を向こうに回して論を構える。

 しかし、ここに来て表情に揺るぎもなく、まったく話のスジがブレるところがないのは、エリート船橋部長のエリートたる所以だろう。


「渡会副社長、会社は、このダリルリンチグローバー証券日本法人は、ここに働く従業員とその家族、取引先を含めたステークホルダー全員のものです。日本法人が生き残るためにするべきこと、日本法人の経営環境は、米国本社のそれとは違います。米国本社には難しい組織の成長や利益の拡大が、日本法人には可能かと思われます」


 ここで、パンパンと乾いた音が響く。誰あらぬ渡会副社長の手によるものであった。


「船橋、分かった。根本的なところでお前は間違っている。会社は株主のものであって、会社経営者として追及するべきは株主価値の最大化だ。皆さんも、よく理解して下さい。当社はダリルリンチグローバー証券の日本法人であり、米国法人の100%子会社です。米国法人の指示に従わない役員は当然、いつ何時なんどきでも、全員解雇ファイヤです」


 渡会会長は一度背を向けて、再び、こちらを振り向いて、改まって言う。

「船橋君、そう言うことで、経営企画室のリスク分析と行動計画についての取りまとめご苦労様でした。これ以上はするべきこともないでしょうから、経営企画室は本日をもって解散。所属人員については山口本部長に一任します。以上!」


 私は、目の前で起きたことが何かの悪夢であって欲しいと願ったが、まったく夢から覚める気配はなかった。

※ディーラー……証券会社の自己勘定部門で、株取引によって利益を稼ぐポジションにいる人。外資系でなくても、雇用は流動化しており、一定の成績を残してファンド・マネージャーに転身する人もいれば、アーリーリタイアで40にして南の島で過ごす人もいる。外資系でも兵隊とは呼ばれず、傭兵と呼ばれることもある。


※ステークホルダー……会社と関わりを持つ人のこと。会社は誰のものか? という証券業界の永遠の命題が出てくると、必ず登場する語彙。なお、株主のことはシェアホルダーという。


※会社は株主のもの……非常に短い言葉だが、この言葉を巡る賛否両論の議論の闇が深すぎて、かなりの覚悟を持たないと言えなくなっている向きもある。会社法では『会社の最高意思決定機関は株主総会である』と定めており、法学の立場からは議論の余地はない。

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